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『失われた時を求めて 12』(マルセル・プルースト著、鈴木道彦訳、集英社)


c0077412_10335045.jpg物語の最終章である「見言い出された時」の前半を収めた巻である。語り手は第一次大戦前にパリから遠く離れた療養所に入り、大戦が始まった直後の1914年8月に診察を受けるために一度パリに戻った。この頃語り手は自分には文学的才能がないのではないかと疑い、書くこともあきらめていたという。大戦さなかの1916年に再びパリに戻ったが、その後また長い療養生活に入って、戦後かなり経ってからパリに戻ったことになっている。こうした2度にわたる長い療養生活についての記述はいっさいなく、この巻で語られるのは戦時下のパリにおける友人知人の動向と、行きつ戻りつしながら展開する「文学論」である。
この「文学論」の部分は実に詳細で粘っこく、(訳文も難しくて)ついていくのに骨が折れるが、なんとか語り手の悩みにつきあっていると、ある日、語り手はゲルマント邸の中庭に入っていく。そして敷石に躓いた瞬間、語り手はいっさいの失望から解放され、かつてお茶に浸したマドレーヌを口にした時に感じたのと同様の幸福感に満たされる。そのあとも語り手は皿にぶつかるスプーンの音、口を拭ったナプキンの感触、水道管の立てる音などが呼び覚ます幸福感に満たされ、その幸福感の依って来たるところを解明することによって文学への信頼を取り戻していく。
「文学論」と並行して、語り手の友人、知人たちの動向も語られていく。戦時下のパリでもヴェルデュラン夫人は、気に入らない人物(シャルリュス氏、ブリショたち)を笑いものにしつつ新しい取り巻きを補充して、有力なサロンの女主人であり続けている。醜く老いたシャルリュス氏は、郊外のホテルでソドムの世界にどっぷりとつかっているところを語り手に目撃される。そんな中で語り手はサン・ルーについて次のように語っている。
サン・ルーが私の部屋に入ってきた時、私はおびえの感情とともに、超自然のものを見るような印象を抱きながら彼に近づいたのだが、それは考えてみるとすべての休暇中の軍人の与える印象であり、(中略)彼らは死の岸辺から一瞬私たちの間に戻ってきたのであり、再び死の岸辺に引き返していこうとしていたのである。(中略)私が近づいたロベール(サン・ルー)は、額にまだ傷跡を残していたが、それは私にとって、地上に残る巨人の足跡以上にいかめしく神秘的だった。
また別のところでは次のようにも言っている。
私をはっとさせたのは彼(一人の将校)の身体が実に多くの異なった地点を通り過ぎたのに、まるで包囲攻撃を受けた者が脱出を試みるように、それがわずか数秒の間に行われたという、この異常な不釣り合いである。そんなわけで、私はそのとき、それがサン・ルーだとはっきり見分けられたわけではないけれども――また、サン・ルーの物腰や、しなやかさ、その歩き方や敏捷さを思い浮かべたとさえ、言うつもりはないけれども――神出鬼没の彼に特有の一種の偏在性を思い浮かべたのだ。
このように語り手に深い印象を残して、語り手の親友であり初恋の人ジルベルトの夫でもあるサン・ルーは、ついに戦場から戻ることなく語り手の世界から立ち去っていく。もう一人、ジルベルトのゆかりの人物であるスワンについて語り手は、「考えてみれば、私の経験の内容は私の書く本の素材になるものだが、これは結局のところスワンからきたのである」と言う。スワンに出会ったことから語り手の全生涯と作品が生まれたのであり、スワンに出会わなければ、全く別の人生があったかもしれない、スワンこそが「きっかけ」だった、という意味だ。第1巻の「スワン家の方へ」の意味を改めて想起させる記述である。(2011.11.15読了)
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by nishinayuu | 2012-01-30 10:33 | 読書ノート | Trackback | Comments(0)

韓国の詩「夜汽車」 鄭炳五


c0077412_1303888.jpg
☆韓国の詩人・鄭炳五(1950~ )の詩を訳してみました。

야간열차

시린 달빛
하얗게 내리는
저편
산 허리

밤 열차
터널에서
꿈결처럼
새어나오고 있어

어디를 가는
차창의 불빛인가
마디마디 우유빛 손거울이야

매직아이 창에 비친
한 여인의 얼굴을
누군가
훔치고 있었다


「夜汽車」
冷え冷えとした月光の
青白い影が覆った
山腹に

夢のように夜の汽車が現れて
今トンネルを抜けて行く

どこに向かっている汽車か
明かりのともる窓はみな
ミルク色した手鏡だ

窓はマジック・アイとなり
女の顔を映し出す
窓に映ったその顔を
盗み見ていた人もいて
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by nishinayuu | 2012-01-27 13:03 | 翻訳 | Trackback | Comments(0)

『青い野を歩く』(クレア・キーガン著、岩本正恵訳、白水社)


c0077412_103015100.jpgアイルランド生まれの作家による、アイルランドの香りいっぱいの短編集で、原題はWalk the Blue Fields。時間が止まっているかのような辺鄙な村で、男たちは封建的な世界に生き、女たちは秘かに飛翔の時を待っている。
『別れの贈り物』――ぎすぎすした夫婦・親子関係の中にあって、兄と妹は互いへの深い思いやりを育んできた。そして妹は飛び立ち、兄は残る。
『青い野を歩く』――結婚式を執り行う神父は、この日の新婦とかつて許されない恋をした。『緋文字』の世界とはちがって、二人はこの恋を胸の奥に深く沈め、それぞれの道を歩むことを選んだ。神父の心を象徴するような静かな青い野が印象的。
『長く苦しい死』――なんとも不愉快な訪問者が帰ったあとで、この男には小説の中で「長く苦しい死」を与えよう、と構想を練る作家。ものを書く人間の密やかな悪意と執念が描かれていて興味深い。
『森番の娘』――ぎくしゃくした夫婦関係の中で、自分だけの世界を育ててきた妻は、いつか夫を捨てて家を出て行こうとしていて、手始めに村人たちに自分の秘密をぶちまける。働くことしか知らない武骨な男と、強かな女の対比が鮮やか。
『波打ち際で』――テキサスの海辺。21歳の青年は富豪の義父と母の許で休暇を過ごしている。母は彼が義父の跡を継ぐことを望んでいるが、彼は大学のある町に戻ろうかと迷っている。両親の離婚後にいっしょに暮らした祖母は、若き日に一度この海辺に立ったことがあった。1時間だけという約束で夫に連れてきてもらい、1時間後に夫の車のところに戻った。「もし人生をやり直せるなら、夫の待つ車に乗り込んだりはしない。家に帰るよりも、あのまま残って街娼になったほうがよかった」と祖母は言う。そういう時代だったし、選べないのだと思っていたのだった。今、青年はなんの時間の制約もなく海岸を歩いている。そして彼には選ぶ自由もあるのだ。
『降伏』――駐在所の巡査部長が気ままな独身生活に区切りを付けて結婚する(=降伏する)ことを決意するには、1ダースのオレンジを平らげる必要があった。着想の奇抜さで読ませる作品。
『クイックン・ツリーの夜』――孤独の中で生きてきた男と女が、いっとき夫婦として暮らし、また別れ別れになっていく物語。葛藤や情熱とは無縁の、諦念と静かに流れていく歳月が印象的。原注によるとクイックン・ツリーはナナカマドの別名で、絶大な魔法の力と守る力があると信じられているという。(2011.11.10読了)
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by nishinayuu | 2012-01-24 10:30 | 読書ノート | Trackback | Comments(0)

『ぼくは行くよ』(ジャン・エシュノーズ著、青木真紀子訳、集英社)


c0077412_10572217.jpgフランスの人気作家(なのだそうです)エシュノーズの八作目の長編小説で、1999年のゴンクール賞を受賞している。
「ぼくは行くよ、お別れだ、とフェレールは言った。」という文で始まる。主人公の美術商のフェリックス・フェレールが妻のシュザンヌと別れて家を出て行く場面である。このあとフェレールはコランタン・セルトン駅から地下鉄に乗ってマドレーヌ駅で降り、恋人の部屋で一晩過ごした翌日、パリの9区にある自分のアトリエに向かう。ここが美術商であるフェレールのその後のねぐらとなる。半年後、フェレールは難破船からイヌイットの古美術を回収するために北極に向かう。
その他の主要登場人物はフェレールの助手(投資顧問・情報提供者)であるドラエ、主治医のフェルドマン、お抱えの画家たち、顧客のレパラーズ、何人もの女性たち、そしてボムガルトネールである。画家や顧客が登場するのは職業柄当然であるが、主治医が登場するのはフェレールが心臓疾患を抱えているからであり、女性たちの数が多いのは、フェレールが美しい女性を見るとものにせずにはいられない男だからだ。最後のボムガルトネールは、フェレールが苦労して持ち帰ったイヌイットの古美術をまんまと横取りしてしまう謎の人物。いきなり登場して窃盗を働き、その後の動向がフェレールの動向と並行して詳しく語られる。だから読者としては、フェレールの商売や女性関係の話を楽しむかたわら、ボムガルトネールが何者なのかを探るというミステリー的な楽しみかたもできる作品なのだ。
それなのにこの集英社の本(2002年3月31日第1刷発行)は、第1章に入る前の「主な登場人物」というページで、ボムガルトネールの正体を明かしてしまっているのだ! このページを見たのが1/2くらい読み進んだところだったので、まだよかったけれど、それでもすご~く損をしたような気がした。筆者がこの人物の正体を明かすのは200ページの本文の179ページ目なのに。この本を作った人の感覚を疑う。
それはともかくとして、物語の最後の場面で、「(一杯だけいただいたら、)ぼくは行くよ」と冒頭と同じことばが繰り返される。おもしろくて、気がきいていて、洒落た作品である。
エシュノーズの作品を読むのはこれで3冊目であるが、3冊ともそれぞれ独自の味わいがあって気に入っている。下に主な作品のリストを挙げておく。
『グリニッジ子午線』(1979)、『チェロキー』(1983)、『マレーシアの冒険』(1986)、『われら三人』(1992)、『一年』(1997)、『ピアノソロ』(2003)、『ラヴェル』(2006)(2011.11.7読了)
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by nishinayuu | 2012-01-21 10:58 | 読書ノート | Trackback | Comments(2)

『役得がございます』(李根三原作)

c0077412_9304234.jpg『국물 있사옵니다』(이근삼原作)
『役得がございます』(李根三原作)のシナリオ。韓国語講座のテキストとして読んだ。Webで調べたところ、ミュージカル劇にもなっているようだ。
大学は出たけれど仕事の面でも女性関係でもぱっとしない主人公が、兄には親の還暦祝いの金銭的な負担を強いられ、隣の男にはコーヒーをたかられ、あてにしていた女性は兄の方になびいてしまい、とさんざんな目に遭う。このままでは損害を被るばかりの人生で終わってしまう、と考えて、それまでの良識のある生き方を変え、「新しい常識」なるものによって生きていこうと決心する。すると会社ではとんとん拍子に出世し、成娥美とはいい仲になり、ふとしたことから大金も転がり込んできて、いいことずくめに見えたが、やがて……という筋書き。舞台装置のほとんどない簡素な舞台で演じられることになっている。
登場人物は以下の通り
金常凡――31歳の独身男。
金常鶴――常凡の兄で大学教授。朴勇子と結婚したあと、大学より給料のいい私立小学校に転職。
金常出――常凡の弟。大学受験生。
社長――製鉄会社経営者。クリスチャン。
裵永敏――経理課長。常凡の上司。常凡に汚職を見つけられ、左遷される。
朴専務――常凡の上司。成娥美の不倫相手。
成娥美――社長の死んだ息子の妻で、社長秘書。不倫を知った常凡に脅され、やむを得ず常凡と結婚。
タンク――常凡の隣の部屋の男。やくざ者。玄小姫と共謀した美人局で常凡をゆする。
玄小姫――タンクの女。常凡を脅して得た儲けを独り占めしようとしたタンクに殺される。
管理人――常凡の住んでいるアパートの管理人。家族に内緒の大金を常凡に預けたあと急死。
朴勇子――同じアパートの住民。はじめ常凡に気があったが、常鶴と出会って鞍替えする。
文女史――朴勇子の母親。常凡にキムチなどをせっせと届けて娘とくっつけようとする。
(2011.11.3読了)
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by nishinayuu | 2012-01-18 09:30 | 読書ノート | Trackback | Comments(0)

私の10冊(2011年)


c0077412_1132422.jpg☆この1年に読んだ本の中から特に気に入った本を選んで、「私の10冊」としてまとめてみました。また、「私の10冊」の選から漏れた次点の本+気に入ったわけではないけれど読んでよかった本をまとめて、「お勧めの10冊」として挙げてみました。
☆ブログにup済みのものにはリンクをつけました。なお、画像は「バーデンバーデンの夏」の表紙です。

「私の10冊」
  フィオナの海(ロザリー・K・フライ、訳:矢川澄子、集英社)
  輝く日の宮(丸谷才一、講談社)
  暗き目の暗殺者(マーガレット・アトウッド、訳:鴻巣友希子、早川書房)
  すべて倒れんとする者(サミュエル・ベケット、訳:訳安堂信也・高橋康也、白水社)
  凱旋門(レマルク、訳:山西栄一郎、新潮社)
  ペンギンの憂鬱(アンドレイ・クルコフ、訳:沼野恭子、新潮社)
  木曜の男(チェスタトン、訳:吉田健一、創元社)
  シェイクスピア&カンパニー書店の優しき日々(J・マーサー、市川恵里、河出書房新社
  バラの構図(K・M・ペイトン、訳:掛川恭子、岩波書店)
  そんな日の雨傘に(ヴィルヘルム・ゲナツィーノ、訳:鈴木仁子、白水社)

「お勧めの10冊」(2011年)
  バーデンバーデンの夏(レオニード・ツィプキン、訳:沼野恭子、新潮社)
  羊の歌(加藤周一、岩波書店)
  カブールの燕たち(ヤスミナ・カドラ、訳:香川由利子、早川書房)
  ピアニストは指先で考える(青柳いづみ子、中央公論社)
  緑の家(バルガス=リョサ、訳:木村榮一、岩波書店)
  日本語が亡びるとき(水村美苗、筑摩書房)
  A Year Down Yonder (Richard Peck、Puffin)
  イースターエッグに降る雪(ジュディ・バドニッツ、訳:木村ふみえ、DHC)
  失われた時を求めて 13(マルセル・プルースト、訳:鈴木道彦、集英社)
  リリィ、はちみつ色の夏(スー・モンク・キッド、訳:小川高義、世界文化社)
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by nishinayuu | 2012-01-15 11:58 | 読書ノート | Trackback | Comments(0)

『イースターエッグに降る雪』(ジュディ・バドニッツ著、木村ふみえ訳、DHC)


c0077412_9381052.jpgバドニッツの長編小説第1作。以前読んだこの著者の『空中スキップ』がとにかく変わった小説だった、という記憶があったので、ちょっと身構えて読んだが、案の定とても風変わりな小説だった。
一言で言えば、代々にわたる女の物語である。どこと特定できないが、東欧のどこかと思われる古い村が最初の舞台である。1年のうち9ヶ月が雪に埋もれて、残りの3ヶ月は泥まみれという、色から見捨てられたような村で、母さんと父さんは次々に9人の子供を産んだ。母さんは知っていることを全部、長女のイラーナに教えてくれたが、イラーナは因習の塊のような母さんを怖れていた。三つ年下で図体が大きくて力持ちのアリは、イラーナにはよくなついていた。アリが兵隊たちに連れ去られたのを機に、16歳のイラーナは家を出た。
イラーナは子どもの頃、森で出会った男から宝石の飾りのついた卵をもらった。卵の中には美しい町の風景が広がっていた。そんな町を求めてイラーナはさまよい歩き、不気味な女バーバ、囚われの美少女アーニャ、女性版青ひげの画家などと関わったあと、ついに大きな町で旅芸人のシュミュエルと出会う。イラーナはシュミュエルといっしょに米国に渡るが、このときシュミュエルはいっしょに渡米するはずだった姉を、イラーナは大切な弟のアリを、置き去りにしてしまったのだった。(姉と両親はその後ホロコーストの犠牲になったことがほのめかされている。また、姉の乗った舟を追って海に飛び込んだアリは、のちに死体となって米国に流れ着いている。)こうして新天地にやってきたシュミュエルとイラーナは、双子の兄弟と娘の親になるが、上の二人は大きくなると旧大陸の戦場に行ってしまい、二度と帰ってこない。
ここからはイラーナの長女であるサーシィ、その長女であるメーラ、そしてメーラの姪でイラーナのひ孫になるノミーがかわりばんこに語り手として登場する。捨ててきたはずの古い土地が自分のあとを追ってきたと感じているイラーナ。宝石のついた卵をイラーナの部屋から見つけて、自分たちは高貴な家の出なのだという妄想にとりつかれたサーシィ。兄のジョナサンが出て行く原因を作っておきながら、その兄が帰ってくることを待ち望んでいるメーラ。三人がそれぞれノミーに自分の思いを伝えようとする。ノミーにはその三人の声が、みんな同じように聞こえる。
「わたしの母さんはね、と三人とも愛情と畏れの入りまじった声で言った。わたしの兄さん、わたしの弟、と三人は愛情を込めて言った。わたしの娘、という声からは、恐ろしさとためらいがうかがえた」
女から女へと愛情と畏れが伝えられて行く一方で、男たちは出て行ったり行方不明になったりして、みんな途中で消えて行ってしまう。だから、ただ一人寿命を全うしたシュミュエルは、とても貴重な存在なのである。(2011.11.1読了)
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by nishinayuu | 2012-01-12 09:38 | 読書ノート | Trackback | Comments(2)

『A Year Down Yonder』(Richard Peck著、Puffin)

c0077412_9265354.jpg『A Long Way From Chicago』から8年経った1937年の9月から約1年間の物語。15歳になったメアリ・アリスが、シカゴからたった一人で列車に乗って、田舎のおばあちゃんのところにやってくる。大恐慌のあとの長引く不景気のせいで父が失業したため、一家は家も失った。新しく移った家は二人しか住めない小さな家だったので、17歳の兄のジョーイは資源保護団体で植林の仕事をするために西部へ行き、15歳のメアリ・アリスはおばあちゃんのもとに預けられたのだ。
メアリ・アリスが久しぶりに会ったおばあちゃんは、相変わらず大きくて、無愛想で、突拍子もない人だった。よそ者のメアリ・アリスをカツアゲしようとした同級生のバーディックを懲らしめるために、彼女が通学に使っていた馬の手綱を解いて逃がし、物理的に当分学校に来られないようにしたり、ペカン・パイを作るために、夜陰に乗じて他所の家のペカンの木にその家のトラクターをぶつけて、どっさり実を落として拾い集めたりする。けれども一方で、11月11日の休戦記念日の野外パーティーが寂れたアバーナスィー農場で催されたときは、余裕のありそうな人たちに強制的にお金を出させて、貧しい農場の女主人がかなりのお金を手にできるようにしてやったりもするのだ。また、ずっとあとの話だが、町が大竜巻に巻き込まれたあとで、おばあちゃんはまずペカンの木の家にかけつけて、その家のひとり暮らしの老人を瓦礫の下から救い出すと、その足で仇敵の女性の安否を確認しに行く。
さて、そんなおばあちゃんは12月になると寒い夜の森に出かけては罠をしかけて狐を捕らえ、毛皮を売ってお金を貯める。そして、メアリ・アリスがクリスマスにみんなの憧れのマリア様の役をすることになっても、別に関心がなさそうに見えたおばあちゃんだったが、公演の日に背の高い青年といっしょに会場にやってくる。それはおばあちゃんが、メアリ・アリスといっしょにクリスマス休暇を過ごさせるために招いたジョーイだった。
気取った名士夫人が、実は町の鼻つまみ一族・バーディックの血を引いていたことが明らかになったことにも、郵便局員の女性が町中の笑いものになったことにも、メアリ・アリスの先生がおばあちゃんの家の下宿人と結婚することになったことにも、おばあちゃんは一枚も二枚も噛んでいた。次は何をしでかすのか、目が離せないおばあちゃんなのである。(2011.10.29読了)
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by nishinayuu | 2012-01-09 09:27 | 読書ノート | Trackback | Comments(0)

『バラの構図』(K.M.ペイトン著、掛川恭子訳、岩波書店)

c0077412_15164846.jpg『フランバーズ屋敷の人びと』などで知られるヤング・アダルト小説の名手ペイトンの代表作といえる作品で、出版は1972年。
9月、ティムと両親は田舎の古い家に引っ越してくる。ティムは前の学年で優秀な成績を収めたが、体調を崩したためしばらく学校をやすむことになっている。ロンドンで広告会社を経営している父は、ティムが有名大学で学んだあとは当然会社を引き継ぐものと思っている。学校でもティムはオクスブリッジ進学の有望株として期待されているが、ティム本人は大好きな美術の道に進みたいという夢を抱いている。何不自由のない生活が保証されている道を選ぶか、何の保証もないが自分がほんとうにしたいことをするか、ティムは自分の将来を決める重大な岐路に立っているのだ。
ある日、ティムの部屋の暖炉から古い缶が出てくる。缶の中には数枚の鉛筆画が入っていた。森の中の古い屋敷、教会、池、少女の肖像画などだった。少女の絵の隅には「ネティ」と書いてあり、屋敷の絵の下の方には「T・R・I 1910年2月17日」とある。この頭文字はなんとティムの名前、ティモシー・リード・イングラムと同じだった。部屋の手入れに来ていた大工からこの家には昔、インスキップという一家が住んでいたことを聞いたティムは、この絵を描いたのはインスキップ家の少年だったのではないかと想像する。絵を見つめているうちに、ティムの頭の中にインスキップ少年の姿がありありと浮かび、「ネティ、ネティ、きれいなネティ」と歌っている声まで聞こえてきた。
その日の午後、母の使いで牧師館に出かけたティムは、墓地の片隅で、すみれ色のバラの陰に、苔むした古い墓を見つける。墓石の消えかけた碑文には「T・R・I 1894年3月―1910年2月18日」とあった。あの絵を描いた翌日に、16歳にもならないうちにこの世を去った少年の墓だった。太陽が消えてしまったような衝撃を受けたティムが、ひざまずいて墓を抱えると、また少年の姿が見えた。
60年前にこの村で生きた、やはり絵が大好きだったトム・インスキップは、貧しさのために働きづめに働き、牧師の娘のメイ嬢が自分を認めてくれていることに慰められ、メイ嬢のいとこのネティのわがままに振り回されながらもネティに淡い憧れを抱いていた。そのトムが16歳を目前にして突然の死を迎え、頭文字だけの小さな墓は教会の片隅で忘れ去られていったが、同じ日に死んだ10頭の猟犬は立派な墓に埋葬され、墓碑に刻まれたそれぞれの名前もまだくっきり読めるのだ。
この物語は、60年前の世界から働きかけるトム・インスキップに導かれるようにティムが自分の生きる道を見つけていく、という自己発見の物語でもあり、牧師館の娘レベッカとティムの気持ちがしだいに通い合っていく、という青春物語でもあり、60年前に何があったのかを探る謎解き物語でもある。ネティの両親はインドにいて、ネティだけイギリス本国の親戚に預けられている、とか、トムの死後、精神的に大人になったネティはのちに従軍看護婦になった、とか、イギリスの児童文学やヤング・アダルトものの定番ともいえる設定が使われているのもおもしろい。(2011.10.24読了)
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by nishinayuu | 2012-01-06 15:16 | 読書ノート | Trackback | Comments(2)

『美術愛好家の陳列室』(ジョルジュ・ペレック著、塩塚秀一郎訳、水声社)


c0077412_8352245.jpg原題はUn Cabinet d’amateur。原題の意味するものは「絵画コレクションの陳列室(美術愛好家の陳列室)」であり、また、そうしたコレクションを描いた絵画ジャンル「ギャラリー画」でもある。
この作品の冒頭で一枚の絵が紹介されるが、その絵というのが美術愛好家の陳列室を描いたギャラリー画で、絵のタイトルは『美術愛好家の陳列室』である。つまりこの『美術愛好家の陳列室』という本は、美術愛好家の陳列室を描いた『美術愛好家の陳列室』という絵画を巡る物語、ということになる(複雑!)。主要な登場人物は画家のキュルツ、美術愛好家のラフケ、美術研究家のレスター・ノヴァク、ラフケの甥のウンベール・ラフケらである。『美術愛好家の陳列室』という絵は、美術愛好家でありここに描かれた陳列室の主であるラフケが、キュルツに発注して描かせたものであって、絵の中には陳列室内のたくさんの絵と、それを眺めるラフケの姿が描き込まれている。その陳列室に並べられている数々の絵の内容、作者、描かれた事情、収集されたいきさつ、収集時の買値、競売に出されて落札されたときの値段などなど、実に細かい解説の部分が本書の大部分を占めている。多くは聞いたこともない画家、見たこともない絵の解説だが、ときどきよく知られた画家の名や有名な絵も出てくるので、それを楽しみに読み進んでいくと、最後のほうになって二通りの驚くべき事実が明かされる。一つは取り上げられている絵に関する驚くべき事実で、これは途中で何となく察しがつくが、もう一つはこの物語全体に関する驚くべき事実で、「やられた!」と悔しがる読者も出てきそうだ。作者の凝った趣向を味わい楽しむための作品と言える。(2011.10.21読了)
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by nishinayuu | 2012-01-03 08:35 | 読書ノート | Trackback | Comments(2)