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映画鑑賞ノート13 

c0077412_1946568.jpg映画鑑賞ノート13 (2011.12.31作成)
1行目:タイトル(原題)制作年・制作国 監督(鑑賞日)
2行目:キャスト 
3行目:一言メモ
画像は『蜂蜜』の1場面です。

毎日が夏休み 1994日本、金子修介(2011.8.28)
   佐野史郎、風吹ジュン、佐伯日菜子、高橋ひとみ
   登校拒否の娘と出社拒否の義父が新規まき直しを図る。うまく行き過ぎ。
ブーリン家の姉妹 2008米・英 ジャスティン・チャドウィック(10.4)
   N・ポートマン、S・ヨハンソン、エリック・バナ、アナ・トレント
   ヘンリー八世が迫力不足。感じが良すぎて。
胡同のひまわり 1976中国、チャン・ヤン(10.13)
   ソン・ハイイン、ジョアン・チェン、チャン・ファン、ワン・ハイディ
   激動の歴史を背景に30年間の父子の葛藤を描く。親になるのは難しい。
秋刀魚の味 1937日本、小津安二郎(10.23)
   笠智衆、中村伸郞、佐田啓二、岩下志麻、岡田茉莉子
   おお、昔の男優たちは痩せていても貫禄がありますねえ。
私がクマにきれた理由(The Nanny Diaries)2007米、
   S.Sバーマン、R・プルチーニ(10.25)
   S・ヨハンソン、L・リニー、N・リース・アート、クリス・エヴァンス
   駄作という評もあるようだがそれほどひどくはなく、軽く楽しめる。
木洩れ日の家で(Pora Umierac)ポーランド、ドロタ・ケンジェジャフスカ
   (10.26)
   ダヌタ・シャフラルスカ、パトリツィア・シェフチク、犬
   現役最高齢の女優と犬の名演技で見せる名作。衝撃音の使いすぎが難。
海辺の家 2001米、アーウィン・ウィンクラー(11.1)
   ケビン・クライン、C・スコット・トーマス、ヘイデン・クリステンセン
   名画路線まっしぐらの、感動が約束された作品。
にあんちゃん 1959日本、今村昌平(11.6)
   長門裕之、松尾嘉代、沖村武、前田暁子、吉行和子
   強欲ばあさんもいるけれど、驚くほど大勢の温かい人たちもいる。
Brave One 2007米・豪、ニール・ジョーダン(11.7)
   ジョディー・フォスター、T・ハワード、M・スティーンバージェン
   この内容、お話としてはいいけれど、現実の世界ではNGです。
サクリファイス(Offret) 1986スウェーデン、タルコフスキー(11.10)
   D・ヨセフソン、S・フリートウッド、スヴェン・ヴォルテル
   マタイ受難曲が効いている。家の燃上シーンが圧巻。(鑑賞は2回目)
英国王のスピーチ(The King’s Speech)2010英・豪、トム・フーバー
   (11.19)
   コリン・ファース、ジェフリー・ラッシュ、ヘレナ・ボナム・カーター
   色合いもストーリーも渋くて、イギリス好きには楽しめる。
蜂蜜(Bal)2010トルコ、セミフ・カプランオール(11.25)
   ボラ・アルタシュ、エルダル・ベシクチオール、トゥリン・オゼン
   深い色彩と静寂、家族三人の表情がいい。「卵」「ミルク」との第3作。
ネットワーク 1976米、シドニー・ルメット(12.6)
   フェイ・ダナウェイ、ピーター・フィンチ、ウィリアム・ホールデン
   理性的な男がテレビの化身の非人間的女に惹かれた理由がわからん。
陰謀の報酬(The39Steps)2009英、ジェームズ・ホーズ(12.7)
   ルパート・ジョーンズ、リディア・レオナルド、エディ・マーサン
   風景も人物もいかにもイギリス!で楽しめる。原作:ジョン・バカン。
君の名は(第1部)1953日本、大庭秀雄(12.18)
   岸景子、佐田啓二、、川喜多雄二、淡島千景、野添ひとみ、笠智衆
   マチコが妖艶すぎて不気味。ミス・キャスト?他はみんな適役なのに。
家族ゲーム 1983日本、森田芳光(12.25)
   宮川一郎太、松田優作、由紀さおり、伊丹十三
   もともと壊れている家族は、変な家庭教師が暴れても全く響かない。
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by nishinayuu | 2011-12-31 19:55 | 映画・ドラマ | Trackback | Comments(0)

『アリントン邸の怪事件』(マイケル・イネス著、井伊順彦訳、長崎出版)

c0077412_13484524.jpgスコットランド生まれのミステリー作家Michael Innes(1906~1995)が1968年に発表した作品。原題はAppleby at Allington(アメリか版の題はDeath by Water)である。
アリントン・パークの当主は元科学者で今は引退しているオーウェン・アリントンである。人里離れた広大な敷地内には、19世紀初頭に建てられた邸宅と17世紀の城郭がある。冒頭の場面は、その城郭の由来を音響とイルミネーションで人びとに紹介する催し――ソン・エ・リュミエール――が3週間にわたって行われたあと、という設定である。オーウェンから食事会に招待されたアプルビイ(元スコットランド・ヤードの警視総監)は、明日、一族が集まる予定であることや敷地内に財宝が埋まっているという噂があることなどを聞かされたあと、ソン・エ・リュミエールの管制室に案内される。オーウェンが、ぜひ出し物の一部を見せたい、と言うのでしかたなく足を運んだその部屋で、アプルビイとオーエンは若い男の死体を発見する。
ここで、警察本部長で背格好から雰囲気までアプルビイとそっくりの警察本部長プライドが登場する(アプルビイ・シリーズにおけるプライドの初登場なのだそうだ)。この段階ではまだ事件かどうかはっきりしないが、続いてアリントン一族の中で一人だけ到着が遅れていたマーティンの死体が屋敷内の池で見つかる。
さらに元気に飛び回っていた教区牧師まで死体となって……。

物語が始まる前に「読者へのささやかな道案内」という10数ページの文がついている。ジャンル、時代背景、登場人物、主要登場人物、小説のプロット、作家のスタイルの6部に分けて、この作品をいかに読むべきかが述べられたあと、最後の行にレッド・ヘリングとある。これって署名?と思ったがちょっと怪しいと思って調べてみたら、red herring(燻製鰊)「ミステリーやサスペンスなどで読者の注意を真相からそらすために書かれる偽りの手がかり」だとわかった(ミステリー・ファンにとっては常識なのだろうが)。そのレッド・ヘリングによると、この作品はフーダニットもので、その場合、重要なのはだれが犯人かであり、殺人の動機などは軽視されるのだそうだ。これはなるほどその通りだった。また、作者が「ひねり」をきかせているので犯人がなかなかつかめない、ということだが、これは当たっていないような気がする。マーティンがなかなか現れない段階で、犯人の見当はついてしまうのではないだろうか。さらに、ユーモアと諧謔を楽しむ作品であるとあるが、これはちょっと無理な感じがする。登場人物の口調がみんな似たり寄ったりで、ユーモアや諧謔のあふれたやりとりの雰囲気は残念ながら伝わってこなかった。(2011.10.19読了)
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by nishinayuu | 2011-12-28 13:48 | 読書ノート | Trackback | Comments(2)

『失われた時を求めて 11』(マルセル・プルースト著、鈴木道彦訳、集英社)


c0077412_10442862.jpg第6編の「逃げ去る女」が収められている巻である。昔読んだ生島遼一訳のタイトルは「消え去ったアルベルチーヌ」で、そのほうが口調もいいし詩的な感じがするが、「逃げ去る女」という訳にしたいきさつについては「はじめに」に訳者による詳しくて複雑な解説がある。
さて、物語は、「囚われの女」の最後に語られた場面から始まる。アルベルチーヌに別れを告げようと決心した矢先に、語り手はフランソワーズから「アルベルチーヌさんはお発ちになりました!」と告げられる。とたんに語り手は耐えられないほどの苦悩に襲われ、アルベルチーヌと別れたいと思ったのは、決してそんなことは起こらないと確信していたためだったと悟る。語り手はあれこれ手を尽くしてアルベルチーヌの行方を捜し出し、手紙を送る。この手紙がまたなんとも面倒な代物で、自分の執着を相手に知られないようにして、相手のほうが後悔して戻ってくるようにし向けよう、という意図で書かれており、真意とは逆の表現になっている。そんな駆け引きが裏目に出て、アルベルチーヌが語り手のもとに戻ろうと決心した直後に、彼女は事故死してしまう。ここまでの話がこの巻のはじめの4分の1を占めている。
このあとは語り手がアルベルチーヌの消滅に苦しみ、その消滅によって改めて湧き上がる彼女の疑わしい言動に悩み、やがて苦しみと悩みが薄れていく過程が、入念に語られていく。特に語り手の行きつ戻りつする心の動きがこと細かく描写されていて、見事としかいいようがない。ここまでのところがこの巻の主要部分である。
終わりのほうで事が急速に進展して、なんとジルベルトとサン・ルーが結婚してしまう。ユダヤ人のスワンを父に持ち、元高級娼婦であるオデットを母に持つジルベルトが、貴族社会に入り込むことになったわけである。しかしこの結婚を前もってサン・ルーから知らされていなかった語り手は、サン・ルーとの友情は本物ではなかった、という苦い思いに苦しむ。さらに最後のところで、なんとサン・ルーもソドムの世界の人間であることが明らかになり、ゲルマント家の代々の人びとの性癖もここに来て明かされる。すなわち、シャルリュス氏はこれまでゲルマント一族の例外的存在に見えていたが、実際はサン・ルーの父親であるゲルマント公爵こそが倒錯の一族の例外的存在だったのだ。
☆ヴェネチア滞在中の語り手が、死んだはずのアルベルチーヌから手紙を受け取って衝撃を受ける場面がある。実はその手紙はジルベルトからのものだったことがあとでわかるのだが、ジルベルトの癖のある筆跡のせいで、GilberteのGがゴシック文字のAに見え、iは上の行の文字に見え、上の行のsやyが下の行に移ってineのように見えたためだった、という。マルセルくん、よく考えました!(2011.10.15読了)
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by nishinayuu | 2011-12-25 10:44 | 読書ノート | Trackback | Comments(0)

『夜をゆく飛行機』(角田光代著、中央公論新社)


c0077412_937252.jpg酒屋を営む谷島家の一年を描いた物語。谷島家の家族構成は両親と四人姉妹で、父親は何か大変な事態に直面すると「なかったことにして」日常を維持しようとする、小心さと頑固さが複雑に絡まったような人物。母親は四人の娘を名門女子校に押し込み、夫を助けて店を切り盛りしつつ家事全般をこなす頑張り屋。長女の有子(ありこ)は高校時代に駆け落ちの経験があるが、今は普通に結婚して家を出ている。次女の寿子(ことこ)はなぜか周囲をいらだたせてしまうところがある自他共に認める困った存在で、大学を出た今も就職せずに家でぶらぶらしている。三女の素子(もとこ)は物干し台をルーフバルコニーと呼ぶような大学4年生で、化粧とおしゃれに時間を掛け、合コンに精を出している。四女の里々子(りりこ)は大学受験を控えた高校生で、恋愛経験もなく人生にこれといった目標もないのが悩みといえば悩みである。物語はこの里々子の視点で語られていく。
里々子はよく一人で物干し台に上がる。弟として生まれるはずだったのに生まれてこなかった「ぴょん吉」に話しかけたり、光を点滅させながら空を通り過ぎていく飛行機を眺めたりするのだ。そうして里々子が一人でいるときに、谷島家にはきっと事件が起こるのだ。11年前に飼い猫が死んだときも、8年前に有子が駆け落ちした夜も、家には里々子しかいなかった。「7月にくるはずだった恐怖の大魔王がこなかったから世界がのっぺりと続いていた」1999年の秋に、問題児の寿子が秘かに書いていた小説が賞をもらい、寿子が一夜にして作家の先生になったときも、里々子は物干し台に一人でいたのだった。そして谷島家の日々を暴露したようなこの小説が表に出たのがきっかけになったかのように、谷島家の日常は大きく揺れ動くことになる。父の妹であるハルミちゃんが年末に急死したが、それを「なかったことにして」親戚を集めて新年会をし、そのあとでハルミちゃんの葬式をした。その後も父やミハルちゃんたちの母親であるお祖母ちゃんが入院したり、駅の向こうに大型スーパーができることになって谷島酒店の先行きが危ぶまれたりするのだ。そして母は看病のための病院通いで疲れ果てて食卓には手料理が並ばなくなり、有子は夫を捨てて出て行き、寿子もこの家では筆が進まない、と言って出て行く。里々子の生活も大きく変化して、以前のように家族がそろうことはなくなった。
再び秋が訪れたとき、里々子は気がつく。ずっと寿子の本が谷島家を変えてしまったと思っていたが、読み返してみると「そこに書かれているのは、私の知らない、どこかの六人家族である。あわただしく朝を迎え、それぞれの場所に向かい、そうして夜になると帰ってきて食卓を囲む、どこにでもいそうな、等しい意味でどこにもいなさそうな家族。ページをめくるたび、彼らはあわただしい朝を迎える。」のだと。
この文の少し前に「寿子は小説家になりたかったのではなく、谷島家の時間を止めてみたかったのだ」という文があるが、作者もまたこの作品によって一つの家族の時間を止めてみたのであろう。ある家族のある時間が淡い色の水彩画として額縁に納まっているような作品である。(2011.10.7読了)
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by nishinayuu | 2011-12-22 09:37 | 読書ノート | Trackback | Comments(0)

『ダウンタウンに時は流れて』(多田富雄著、集英社)

c0077412_0225115.jpg
1934年生まれの世界的免疫学者・多田富雄によるエッセイ集。2003年から2009年にかけて、各種の雑誌、新聞、パンフレットなどに発表された文をまとめたものである。
読書会「かんあおい」2011年11月の課題図書。


第一章には、「春楡の木陰で」「ダウンタウンに時は流れて」「チエコ・飛花落葉」の3編が収められており、いずれも著者が米国滞在中に知りあって深い関わりを持った人びととの思い出を綴ったものである。
「春楡の木陰で」に登場するのはコロラド州デンバーの老夫婦。1964年の初夏、著者は喘息研究所の研究員として初めて渡米する。そのとき下宿させてもらったのがジュリアン・ストリート2329番地のとんがり屋根の家だった。主のジョージ・トレゴは無愛想な老人だったが、その妻のメアリーは英語にイマイチ自身のない著者に英語のレッスンをしようと申し出てくれた。「夕鶴」の英訳などの作業を通して著者とメアリーの距離は縮まり、ジョージの芝刈りの手伝いをしているうちにジョージもうち解けてきた。翌年のクリスマスにはささやかなプレゼントのやりとりもするほどに親しくなっていたが、春になってメアリーが心筋梗塞で倒れ、帰らぬ人となった。以前から心臓が悪かったのに、医療保険未加入のため医者に行っていなかったのだ。慣れない土地で慣れない葬儀を手伝い、残されたジョージがなんとか立ち直ったのを見届けて、著者は日本に帰国する。2年後にまた渡米した著者がかつての下宿を訪れたとき、ジョージは病床にあり、著者のことは覚えていないようだったという。
「ダウンタウンに時は流れて」に登場するのはリノ・クインというバーで働く人たちと店の常連たち。好奇心にあふれた著者は、西部劇のような世界に魅せられて、このバーに足繁く通うようになる。当時流行ったペトラ・クラークの歌「ダウンタウン」にせき立てられるように。労働者たちのたまり場に舞い込んだ著者は、初めは奇異な目で見られるが、やがて店の常連として受け入れられる。研究所の仲間や、日本人社会の人たちからは顰蹙を買ったが、著者は貧しいアメリカ人とのふれあいに喜びを感じていた。でっぷりしたバー・クインのアンジーとも親しくなり、その子どもで問題児だというトミーについて相談されたりする。帰国するときには店をあげての送別会があり、ウエスタンバンドの盲目のギター弾きマイクは、著者に向かってジャンバラヤをひときわ高く歌ってくれた。しかし、その後デンバーのダウンタウンは開発が進み、1971年に訪れたときは摩天楼街に変わっていた。1975年にコロラド大に講演に招かれたとき、著者はアンジーを探し出して訪ねる。アンジーは糖尿病でほぼ失明し、トミーは刑務所に入っていた。
「チエコ・飛花落葉」に登場するのはいわゆる戦争花嫁の日本女性。著者が出会った当時チエコは40歳くらいで、中華料理店でウエイトレスとして働いていた。初めて入ったこの店で食事を終えた著者が、財布を忘れているのに気がついて途方に暮れていると、チエコが代金を立て替えてくれた。そのチエコの心意気に感じた著者はその後もこの店に通うようになる。チエコは女学校を出たあと横浜で米国軍人と知り合い、「愛し合って」結婚したが、酒に溺れて暴力を振るうようになった夫とは離婚して、働きながら二人の子どもを育てていた。著者はチエコに感謝すると同時に元気づけたい気持ちもあって、研究所のパーティーにチエコを招待する。ど派手な服装で現れたチエコは周囲から浮いていたが、彼女なりにパーティーを楽しんだようだった。そのころからチエコと子どもたちの間には垣根があったが、結局両者の垣根はなくなることはなく、チエコは孤独なまま心身ともにぼろぼろになって消えていった。ひとりの女の哀れな一生を思い、著者は慟哭する。
第二章は短いエッセイを集めたもので、比翼連理の妻との関係、睾丸除去の顛末、白秋の詩との出会い、「わが青春の小林秀雄」、15歳年上の叔母の思い出、「姨捨」から想起した思い、最後になった妻との二人旅、妻に捧げる詩、免疫学者ニールス・イェルネの思い出など、いずれも中身の濃いエッセイである。
米国滞在中に知りあったいわば行きずりの人びととの交流をいつまでも大切にする人情の深さに、半身不随になりながらもその苦痛をユーモアで包み込んでしまう強さに、そして衰えを知らない創作欲に、ただただ圧倒される。(2011.10.1読了)
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by nishinayuu | 2011-12-19 00:22 | 読書ノート | Trackback | Comments(1)

ブルカを脱いだ理由   カブール 特派員メモ

c0077412_2024615.jpg☆新聞のコラム(2011.10.27朝日新聞)を韓国語にしてみました。原文は韓国語の下にある「ブルカを脱いだ理由」の文字をクリックすると出てきます。
画像の右側がブルカで、左側はニカブです。


부르카를 벗어버란 아유
테러가 연달아 일어나고 있는 아프가니스탄인데, 오래간만에 찾았더니 좀 마음이 놓였다. 거리가 화려하고 분위기도 밝았다.
이유는 부르카차림의 여성이 뚜렷이 줄었기 때문이다. 부르카는 얼굴을 포함하여 온몸을 두루 덮는 천으로, 이슬람원리주의의 구탈레반정권이 여성들에게 강요했다. 01년 말 탈레반이 사라진 직후에는 거의 모두 여성들이 부르카차림이었다. 이제는 수도 카불에서 부르카 착용율은 20~30%이며, 완전히 소수파다.
2년정도 전에 부르카를 그만둔 마리씨(42)는 “왜냐 하면 부르카는 촌스럽잖아요” 라고 한다. 다만, 탈레반이 출몰하는 시골에 갈 때만은 몸의 안전을 위하여 입는다고 한다.
여성들이 맨얼굴을 보일지 말지는 남성쪽 의식의 문제이기도 하다. 어떤 남성(26)은 약혼 조건으로서 새색시한테 ‘결혼한 뒤에도 부르카를 입지 않아도 되죠?’ 라고 다짐을 받았다고 한다. 또 다른 남성(35)은 ‘부르카를 입기 싫다’ 는 아내와 ‘부르카를 입게 하라’ 는 부모 사이에 끼여 몹시 난처하다고 한다.
여성 하원의원인 퍼지아 커퓌씨는 지적한다. “여성들은 전통이며 공포와 투쟁하면서 부르카를 그만두었다. 조용하면서도 큰 진보입니다.”

「ブルカを脱いだ理由」
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by nishinayuu | 2011-12-15 19:58 | 翻訳 | Trackback | Comments(0)

『Magic Hour』(Kristin Hannah著、 Ballantine Books)


c0077412_1137109.jpg米国西海岸最北部のワシントン州に位置するオリンピック・ナショナル・フォレストは、美しい自然と深い闇を抱えた広大な森である。その森の中からある日、がりがりに痩せた5、6歳の女の子が現れる。町の警察に保護、というより捕獲されたその少女は言葉も通じず、身元についての手がかりもなかった。少女の身柄を預かることになった町の警察署長のエリーン・バートンは、精神科医の妹ジュリア・ケイツに協力を求める。子どもを対象とする精神科医のジュリアは、担当していた患者が殺人事件を起こしたことから犠牲者の親たちやマスコミに糾弾され、それまでの名声も失って精神的にどん底の状態だった。そんなときに姉から声をかけられたジュリアは、マスコミから身を隠すつもりで故郷の町に戻ってくる。子どもの頃から美人で人気者だった姉に対して、妹のジュリアは目立たない陰のような存在だった。姉はそのまま地元で警官になり、妹は外の世界に飛び出して才能を開花させた。ジュリアは町とは縁を切ったつもりだったのだ。しかし今、挫折を味わい、世間の目を怖れていたジュリアにとって、自分を信頼して呼んでくれた姉は心を許せる味方だった。こうして二人は森から現れた少女の身元を明らかにするために、そしてなによりもこの少女をこの世界の一員にするために、緊張と不安の日々を送ることになる。
ジュリアはやがてこの少女をアリスと呼ぶようになる。ジュリアが『不思議の国のアリス』を毎日少しずつ読み聞かせているうちに、少女がこの本を気に入って、前に読んだページを開いて催促するようになったからだ。最初はベッドの下に隠れていたアリスがジュリアの目を見るようになり、ジュリアの真似をしてトイレを使うようになり、ジュリアに少しずつ近づくようになり、やがてジュリアの手に触れるようになり、本を読むことをせがむようになる。そしてある日、ジュリアのことばをかなり理解できるようになっても強いトラウマのせいで声が出せなかったアリスが、ついにことばを発するときが来る。アリスが初めてジュリアに言ったことばは「ここにいて」と「んねがい(おねがい)」だった。ジュリアが精神科医としての力量を世間に再認識させるための必須条件は、アリスを話せるようにすることだった。しかし、初めてことば発したアリスを感極まって抱きしめたジュリアは、精神科医のジュリアではなかった。毎日片時も離れずにアリスの世話をし、アリスの怖れや悲しみ、喜びや希望をともに感じるようになっていたジュリアは、いつの間にかアリスの母親になっていたのだ。
このまま「めでたしめでたし」となるわけではないが、表紙のイラストからハッピーエンディングであることはじめからわかっているし、極悪人は登場しない(というかちょっと触れられるだけで登場させてもらえていない)ので、主人公たちとともに悲しみ、ともに喜びながら読み終えることができる。もう一つ付け加えれば、物語の舞台となっているこの田舎町がなんともすばらしい町なのだ。エリーンの仲間の警察官たちをはじめ、アリスの主治医であるマックス、町の人びとなど、だれも彼もがアリスとジュリアを温かく包みこんでいる。(2011.9.30読了)
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by nishinayuu | 2011-12-12 11:37 | 読書ノート | Trackback | Comments(2)

『プロトコル』(平山瑞穂著、実業之日本社)


c0077412_13492047.jpgこの本は自分で選んだわけではなく、たまたま手もとに転がり込んできたもの。読んでみたら意外におもしろかったが、内容の紹介は本のカバーにあるもので代用することにして、疑問点と気に入った点を挙げる。
先ずカバーにある紹介文は――ネット通販会社に勤めるOLの絡み合う、仕事・家庭・恋愛事情!膨大な文字列の中から特定の法則性を見つけ出す特異な能力を持つ反面、生真面目すぎて人間関係には不器用な有村ちさと。社内の派閥争いや個人情報漏洩事件に巻き込まれ、仕事や家族、恋人に翻弄されながら彼女が手に入れるものとは?コンピュータ間のデータ授受の約束事を示す用語「プロトコル」を、人間同士の関係へと昇華させて描くキャラ立ち系・neoお仕事小説。
疑問点は三つある。一つ目は、顧客ごとの信用リスクレベルを判定するという商品を売り込みにきた男に、「弊社の商品の精度がいかに高いかを検証するために御社の顧客データと照合したい」と言われたからといって、膨大な個人情報をコピーして渡したりするものだろうか、という点だ。しかも相手は飛び込みで売り込みに来た初対面の男である。有村ちさとがいくら疲労困憊していたからといって、そんな相手に5万人分の個人データをコピーして渡すなどということはあり得ないのではないか。有村ちさとに相談された上司の花守部長が簡単に許可してしまうのもおかしい。ほんとうにこんな会社がある?
疑問点の二つ目は、勤務時間のかなりの時間をいかがわしいサイトを見るのに使っていた景山次長をはじめ、有村ちさとと同じ課の社員たちなど、この会社にはきちんと仕事をしていない、あるいは仕事ができない社員がやたらに多いようなのだが、それでも会社がおかしくならないのはなぜなのだろうか、という点だ。ほんとうにこんな会社がある?
疑問点の三つ目は、「作中に登場する団体名として実在する団体と同じ名を使ってしまった、しかも二つも」と作者があとがきで述べている点だ。「二つの名称は作品それ自体の趣向と切っても切れない関係にあるので、実在するとわかってからも変更は困難だった」ということだが、ほんとうにそんなことがある?もしかして、この部分もフィクション?あるいはほんとうにそんな名前の会社が実在するとしたら、もしかしてそれらの会社の宣伝を兼ねて使った?などとあれこれ考えてしまった。
気に入った点は、人物描写が念入りなこと。主要人物はもちろん、話の本筋にはあまり関係のない人物もていねいにくっきりと描かれていることである。中でも興味深いのは有村ちさとのお父さん。普通に考えればとても困ったお父さんなのだが、家族を愛し、家族に愛されているお父さんである。有村家のプロトコルを作ったのはこのお父さんで、お母さんもちさともそのプロトコルを通してお父さんを深く理解しているのだ。(2011.9.21読了)
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by nishinayuu | 2011-12-09 13:52 | 読書ノート | Trackback | Comments(1)

『シェイクスピア&カンパニー書店の優しき日々』(ジェレミー・マーサー著、市川恵里訳、東京創元社)


c0077412_1084278.jpgオタワ生まれのジャーナリストである著者(1971~ )がパリの書店で経験した2000年初頭から数ヶ月の間の出来事を記録したノンフィクション。
ジェレミーは新聞記者をしていたとき、情報提供者との約束を破って著書で彼の実名を出したため、彼から「殺すぞ」と脅迫され、国を逃げ出し、たどり着いたパリでホテル住まいをしていた。持ち金も底をつき、食べるものにも事欠くようになったとき、作家や詩人を無料で泊めてくれるというユニークな書店「シェイクスピア&カンパニー」の存在を知る。セーヌを挟んでノートルダム寺院と向かい合う書店を訪れたジェレミーは、書店の主ジョージ・ホイットマンに「自伝」を提出した結果、作家であると認められて受け入れてもらえることになった。2000年1月のことで、そのときジェレミーは29歳、書店主のジョージは86歳だった。
この書店は1951年にル・ミストラルの名で文学者たちの非公式なクラブハウスとして出発し、1964年、シェイクスピア生誕400年の年に店名を「シェイクスピア&カンパニー」に改めた。かつてシルヴィア・ビーチが経営し、パリに集う多くの文学者たちのよりどころとなっていた書店の名前と趣旨を引き継いだのだ。ジョージの「見知らぬ人に冷たくするな、変装した天使かも知れないから」という信念によって運営されるこの書店は、「だれもが必要なものを取り、与えられるものを与えることのできる場所」であり、書店の形をとった社会主義的ユートピアなのだった。
書店の中はどの部屋も古書や稀覯本から一般書にぞっき本まで、ありとあらゆる本であふれかえっていたが、書棚と書棚の隙間に滞在者のためのベッドが据えられていた。滞在者には作家としての仕事をすることの他に、一日一冊の本を読むこと、清掃をはじめとする書店内の仕事を手伝うことが要求された。しかし書店内は清潔と整理整頓とはほど遠い状態で、満足なトイレもシャワーもないために滞在者たちは薄汚れた格好でうろうろし、台所にはゴキブリがうようよいた。
滞在者たちは、鼻息の荒い映画青年のカート、共産主義中国に反感を持つウイグル人のアブリミット、生真面目なイギリス青年のルーク、短期滞在が原則なのに5年も滞在しているうらぶれた詩人のサイモンなど。彼らは安い食べ物を求めて歩き回る傍ら、文学を語り、夢を語る。そこにカウンター係のイヴ、ソフィー、ポーランド美人のマルシュカ、ニュージーランド大使館のシェフ・ゲイルらの若い美人たちも絡んで、てんやわんやの日々が展開していく。ユニークな登場人物たちの中にあってとりわけユニークなのが主のジョージで、寛大であるかと思えばいやに厳格になり、徹底して節約する一方で店内のあちこちにお札やコインを放置して忘れてしまう、かなり支離滅裂で気まぐれな人物である。そんなジョージになぜか気にいられたジェレミーは、彼のアシスタント兼相談役のような形になって手伝ううちに、彼の考え方や途方もないヴァイタリティーに感銘を受けると同時に、彼の弱さや悲しみも知るようになる。そしてジェレミーはジョージのために、また「シェイクスピア&カンパニー」の将来のために、一肌脱ぐことになる。最後は、沈んでいく夕日を眺めながらジョージがジェレミーに語る次のことばで締めくくられている。
「この店はノートルダムの別館なんだっていう気がときどきするんだ。あちら側にうまく適応できない人間のための場所なんだよ」(2011.9.16読了)
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by nishinayuu | 2011-12-06 10:08 | 読書ノート | Trackback | Comments(2)

『赤朽葉家の伝説』(桜庭一樹著、東京創元社)


c0077412_1014890.jpg「赤朽葉」は「あかくちば」と読む。ぎこちない音感とぎらぎらしたイメージの名前を持つ家の、しかも「伝説」とくれば、尋常な物語であるはずはない。そんな読者の予想/期待を裏切らない、現代の説話といった雰囲気の物語である。第60回日本推理作家協会賞の受賞作。
第1部「最後の神話の時代」(1953年~1975年)は、「赤朽葉万葉が空を飛ぶ男を見たのは、十歳になったある夏のことだった」という文で始まる。 主人公が赤朽葉万葉という名であることと同時に、万葉が「空を飛ぶ男を見た」という不思議な、あるいは異様な出来事が紹介されており、読者を一気に物語の世界に引き込む。
万葉は三つくらいの時、「辺境の人」に井戸端に置き去りにされた。三軒先の若夫婦に拾われて育った万葉は、いかにも「辺境の人」の子どもらしく、浅黒くてがっちりした体格の子どもだった。舞台は中国山脈の麓、鳥取県西部の紅緑村(べにみどりむら!)。山の上に製鉄業を営む旧家の赤朽葉家の大きな屋敷があり、海辺には造船業を営む成金の黒菱家(くろびしけ!)の大きな屋敷があった。山の上と下を結ぶ坂道は大通りになっていて、その両脇に製鉄所で働く人びとの宿舎が建ち並んでいた。万葉が拾われたのは麓のほうの黒煙まみれの宿舎に住む夫婦で、夫は製鉄所で働いていた。万葉は夫婦にかわいがられて育ったが、学校では読み書きや算数がおぼえられず、おまけに黒菱家のみどりにさんざんいじめられた。そんな万葉の前にある日、赤朽葉の奥様であるタツが現れて「あんた、大きくなったらうちの嫁に来なさい」と言う。
「空を飛ぶ男」の他にも万葉は将来の夫・赤朽葉曜司の首が飛ぶのを、また黒菱家の長男らしき細切れの肉片が泣くのを幻視している。黒菱家の長男は、みどりに頼まれていっしょに肉片を拾って箱に入れ、「辺境の人」に托した。20歳で赤朽葉に嫁いだときには大勢のけが人や死人に迎えられる。それはみな製鉄所で働く人たちの未来の姿だった。そして長男が生まれようとしている最中に、その長男が若くして死ぬことも幻視してしまう。万葉は「千里眼」の持ち主だったのだ。
第2部「巨と虚の時代」(1979年~1998年)の主人公は万葉の長女である毛毬。因みに長男は泪、次女は鞄、末っ子の次男は孤独という名で、すべて赤朽葉家のカリスマ奥様であるタツの命名である。毛毬の青春時代は石油ショック後の鉄冷えの時代と重なり、大通りの商店街は寂れ果てていた。毛毬は暴走族「製鉄天使(アイアンエンジェル)」を率いて暴れ回り、中国地方の制覇を目指していたが、暴走族のマスコットだった少女Aの死をきっかけにして毛毬は暴走族を引退する。そして世がバブル期にさしかかる頃、家毬は少女漫画家として世に出る。それから12年の間、少女漫画ブームの先頭を走り続け、その間に死んだ泪に代わって赤朽葉の跡取りとなり、婿を取って子供も作り、連載漫画が完結するとそのままあの世に旅立ってしまう。
第3部「殺人者」(2000年~未来)はいよいよ全編の語り手である瞳子が主人公として登場する。そして恋人である多田ユタカ(万葉の育ての親である若夫婦――いつまでも若夫婦なのだ――の孫)とともに万葉が残した謎のことばにとりくむ。万葉は死ぬ直前に「わしはむかし、人を一人、殺したんよ。だれもしらないけれど」と瞳子に言い残したのだ。こうして最後の最後に、物語の冒頭の「空を飛ぶ男」がどうして空を飛んだのかが明かされることになる。さすがは推理作家協会賞の受賞作である。
作者は、担当編集者と打ち合わせした際に、「個人があり、家族があり、国の歴史があり、恋愛があり、労働があり、すべてが詰まった大きな小説――初期の代表作を書いてください」と言われ、その気になって書いたという。なるほど国の歴史が要所要所にうまく取り入れてあり、作者の意図通りにできにあがっている。(2011.9.15読了)
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by nishinayuu | 2011-12-03 10:02 | 読書ノート | Trackback | Comments(2)