<   2011年 11月 ( 10 )   > この月の画像一覧

『いとま申して』(北村薫著、文藝春秋)


c0077412_1094760.jpg副題に「『童話』の人びと」とある。作家・北村薫が父親の日記をもとにして著した「若き日に童話作家を目指したある男の伝記」であり、明治の末から昭和の初めまでの世相史であり童話運動史でもある。「父は、明治42年3月29日、神奈川県横浜市保土ヶ谷の眼科医の家に生まれた」という文で始まり、今は保土ヶ谷の墓所に眠る父の若き日々が、日記の引用とその解説という形で綴られていく。
日記帳の一冊目は、父が14歳で神奈川中学(現在の希望ヶ丘高校)に在学中だった大正13年、関東大震災の翌年のものだった。1月に入っても余震が続いていたが、一方で皇太子の婚儀や第5回箱根駅伝が新聞の紙面を賑わしていた。2月9日、父は横浜の有隣堂で生田春月の『夢心地』を80銭で買っている。その後も有隣堂がたびたび登場する。父は文学書を読み、作家たちの文章を学び、自分でも文章を書くのが好きな、文学少年だった。そして、コドモ社の月刊雑誌『童話』を愛読していた。川上四郎の絵に飾られ、西条八十の童謡、千葉省三の童話などが若い読者の心を捕らえていたこの雑誌は、童謡・童話・図画・綴り方の投稿を広く募っていた。当選した作品は掲載され、選外佳作も題名と作者名だけは発表された。投稿者の中にはのちの映画評論家、淀川長治や金子みすずもいた。父の初めての童話は選外佳作になり、大正14年の「童話劇号」と銘打った11月号で、はじめて作品が活字になった。弟をモデルにした『道化役者と虫歯』という作品で、選者・北村寿夫の選評があった。大正15年の初頭には『童話』の常連投稿家を中心とした「新興童話連盟」に誘われ、5月号でもまた入選を果たして読者から好意的な評を得たことで、父はいよいよ著作活動にのめり込んでいく。名門校で学び、たびたびオデオン座で新しい映画を見、時には外国人演奏家の音楽会にも行けるような父のような人から、そんな暮らしとは無縁の船木枳郎(しろう)、奈街三郎、関英雄、千代田愛三のような人びとまで、実に多くの人びとが子どものための文学の創作に情熱的に取り組んでいた時代だったのだ。
残念ながら『童話』はそれからしばらくして廃刊されてしまうが、同じ年の晩秋に父は、『新興童話』の船木枳郎に連れられて北村寿夫を訪ねる。このとき北村は『道化役者と虫歯』を大阪放送局に紹介したことを話したあと、新しい雑誌『薔薇』を作るので参加しないか、と父を誘う。父は身震いするほどの喜びを感じたが、結局この雑誌は幻に終わる。慶應大学予科の受験が迫っていた父にとっては、むしろそれでよかったのだ。父はめでたく慶應の文科に合格する。この頃の父の目標は「学問の基礎力を身につけること」と「歌舞伎を見て義太夫のよさがわかるようになること」だった。そんなある日、歌舞伎座で児童劇の脚本を募集していることを知った父は、勇んで応募するが、予選も通らずに終わる。昭和3年の暮、かつては尊敬すべき導き手と思っていた北村寿夫が「左傾化して」父の視界から去っていく。学生仲間に誘われて参加した同人誌も期待はずれの内容で、昭和4年の春には脱会を決意する。そして父はその日の日記に「僕は一生、創作家たり得ないか知れない」と記すことになる。因みに北村寿夫は、のちにNHKラジオで『新諸国物語』――「白鳥の騎士」「笛吹童子」「紅孔雀」「オテナの塔」など――をヒットさせた人物である。
冒頭に「春来る神」と題した序がある。1949年生まれの著者が小学校低学年だったというから1950年代の後半であろうか、父のところに20歳くらいの女性が尋ねてきたという。そして父の日記は戦前で終わっているが、この人の来訪が、父の長い日記の結びの一行の世に思える、と著者は言う。しかし、最後まで読んでもこの場面についてはなにも言及されていない。謎を残したまま――次の作品に期待を持たせて――終わっている。(2011.9.8読了)
[PR]
by nishinayuu | 2011-11-30 10:09 | 読書ノート | Trackback | Comments(2)

韓国の詩「波濤」 馬鍾基


c0077412_17102988.jpg
「波濤」 馬鍾基




愚かなるかな 海の波濤よ
この海岸を埋め尽くす 家ほどもある岩岩に
夜昼となく胸ぶつけ うめき声などあげたとて
白く細かい泡沫が 血の如く飛び散るだけよ。
三百年も経ったあとなら
寝っ転がると くすぐったくて心地よい
白い砂地の浜になるかもしれないが。

そんな時まで 誰がおまえを覚えていよう。
曲がった腰で ひとり寂しく踊るのか?
愚かなるかな 海の波濤よ、歳月が流れ去るのも知らないで
嵐を焦がれ 夢を見ていて どうする気かね?
長い手紙を書いては消して また書いている
遠くからでも休むことなく働きかける 波濤の手。


파도 마종기
미련한 파도야
이 해변에 깔린 집채만한 바위들
밤낮 네 가슴으로 치고 울어보아야
하얀 피의 포말만 흩어질 뿐인데.
한 삼백 년은 지나고 나야
네 몸 굴리면서 간지럼 즐길
흰 모래사장이라도 되어줄 텐데.

그때가 되면 누가 너를 기억하겠니.
허리 구부린 채 혼자서 춤출래?
미련한 파도야, 세월 가는 것도 모르고
목마른 폭풍만 꿈꾸면 어쩔래?
긴 편지를 쓰고 지우고 다시 또 쓰는
멀리서도 쉬지 않는 파도의 손.
[PR]
by nishinayuu | 2011-11-27 17:13 | 翻訳 | Trackback | Comments(0)

『失われた時を求めて 10』(マルセル・プルースト著、鈴木道彦訳、集英社)


c0077412_9473372.jpg第5編「囚われの女」のⅡが収録された巻。
冒頭は前巻からの続きで、語り手がシャルリュス男爵、ブリショとともにヴェルデュラン夫妻の邸に向かう場面である。この日の夜会の主催者であるシャルリュス男爵は、お気に入りのモレルを小説家としても売り出そうと目論んで張り切っている。一方、会場を提供したヴェルデュラン夫人は、シャルリュス男爵を利用して貴族社会の人びとと近づきになることを期待している。いよいよこの日の呼び物であるモレルらによるヴァントゥイユの未発表作品の演奏が始まる。アルベルチーヌとヴァントゥイユ嬢がよからぬ関係にあることを疑っている語り手は、ヴァントゥイユの七重奏曲に聴き入りながら、あれこれと思いを巡らす。さて、夜会が果てると招待客たちは、一言言葉を交わそうとシャルリュス男爵の前に列を作る。夜会の始めから邸の主夫妻を無視して傍若無人に振る舞っていたシャルリュス男爵は、最後まで邸の主夫妻の立場を顧みることをしない。貴族社会の人びとも、邸の主夫妻に関心を示さなかったため、ヴェルデュラン夫人はすっかり思惑が外れてしまう。こうしてヴェルデュラン夫人の怒りを買ったシャルリュス男爵は、夫人の画策によってモレルから激しく拒絶されることになる。
後半はだらだらと続いているアルベルチーヌとの関係が綴られている。アルベルチーヌが付き合っていた、あるいは今も付き合っている女友達のことが頭から離れない語り手は、ことあるごとに彼女に問いただす。すると彼女は先ず嘘をつき、嘘がばれると実は、といって告白するがその告白がまた別の嘘でないとは言い切れないので、語り手の悩みは尽きない。アルベルチーヌとはいつかは別れることになるだろうと予感するが、別れの時期は自分が選びたい、と語り手は思う。春の朝、語り手は自分の目覚めを取り囲む音や匂いに浸りながら、未知の女とのドライブを思い、ヴェネチア行きを思う。アルベルチーヌと別れるなら今だ、と思い立ち、ヴェネチアのガイドブックと時刻表を買いにやらせるためにフランソワーズを呼ぶ。ベルの音を聞いてやって来たフランソワーズが語り手に告げる。アルベルチーヌが手紙を残して立ち去ったと。

作中人物のそれぞれには複数のモデルがあるといわれているが、心覚えのためにモデルの一人と目されている人物を記しておく。
スワン:シャルル・アース、ベルマ:サラ・ベルナール、ベルゴット:アナトール・フランス、エルスチール:ジャック=エミール・ブランシュ、ヴァントゥイユ:サン・サーンス、ヴェルデュラン夫人:カイヤヴェ夫人、ゲルマント公爵夫人:グレフュール伯爵夫人、シャルリュス男爵:ロベール・ド・モンテスキュー
エルスチールの作品のモデル:ルノワールの「ムーラン・ド・ギャレット」、「シャルパンチェ夫人と子どもたち」、「水浴の女たち」、マネの「草上の昼食」など。(2011.9.6読了)
[PR]
by nishinayuu | 2011-11-24 09:47 | 読書ノート | Trackback | Comments(0)

『バルカン超特急』(エセル・リナ・ホワイト著、近藤三峯訳、小学館)


c0077412_103364.jpgイギリス時代のヒッチコックの最高傑作とされる映画(1938年制作)の原作である。
身よりはいないが裕福なイギリス人の若い女性アイリスは、バルカン半島にある美しい村でバカンスを過ごした。取り巻き連中の傍若無人な言動は同じホテルの客たちの顰蹙を買っていたが、その仲間たちは一足先に帰国の途についた。ホテルに残ったアイリスは、ひとりで残りのバカンスを楽しむつもりだったが、他の客たちから見ればアイリスも傍若無人な若者の一人である。アイリスはそんな人びとの中で孤立感を深め、予定を早めて帰国することにする。鉄道の駅で暑い日差しを浴びながら国際列車を待っていたアイリスは、突然頭に強い衝撃を受けて気を失う。それでもぎりぎりのところで意識を取り戻したアイリスは、どうにか列車に乗り込むことができた。気を失っていた間アイリスと荷物を見守っていたポーターが無理やりコンパートメントに押し込んでくれたのだ。
そこには家族連れ(父親、母親、子ども)と、でっぷりした夫人、微動だにしない若い女性、そしてなんとも印象の薄い中年女性がいて、それで満席だったところへアイリスが割り込んだのだった。コンパートメントの外の廊下もびっしり人が立っていて息苦しかった。窓を開けてほしかったが、アイリスは現地語を話せず、他の乗客は英語を理解しなかった。せめて外の空気を吸おうとコンパートメントを出ると、中年女性も出てきて、英語で話しかけてくる。コンパートメントの中では他の人に遠慮して黙っていたらしいこの女性は、ミス・フロイと名乗り、ヨーロッパのあちこちに出かけては家庭教師をしていること、父母と愛犬が待っている故郷に向かっていること、でっぷりした夫人は男爵夫人でこの地方の有力者であることなどをアイリスに語る。
隣のコンパートメントには全身を包帯でぐるぐる巻にされたけが人がいて、ドクターと看護婦が付き添っていた。また、ホテルに残っていたはずの客たちが、なぜか急に帰国を思い立って、全員同じ列車に乗っていた。それらの人たちや乗務員たちと顔を合わせ、言葉を交わしたりしながら、ミス・フロイとアイリスは食堂でお茶を飲んで席に戻ってくる。そしてアイリスがちょっと眠っていた間に、ミス・フロイがいなくなる。目をさましたアイリスが探し回り、尋ね回ると、だれもが異口同音に「そんな人は見ていない」と言う。ある人はアイリスが日射病(先刻の衝撃はアイリスにそう説明される)のせいで幻覚を見たのだと言う。そのうちアイリス自身も自信がなくなってくる。確かに頭はぼうっとしているし、周囲から浮いてしまうのはいつものことだからだ。そんなアイリスを心配して土木技師の青年ヘアが手をさしのべるが、彼もアイリスの話を信じているわけではない。しかしアイリスは、ミス・フロイは確かに列車のどこかにいて、決定的な事がトリエステで起こるはずだ、と察知する。そんなアイリスに魔の手が伸びてアイリスが朦朧としている間に、列車は刻々とトリエステに近づいていく。
冒頭部分のホテルの場面やら、アイリスが散歩の途中で道に迷ってしまうところやらは、始めは何となくむだな場面のように思われるが、読んでいくうちにアイリスが孤軍奮闘しなければならなくなる状況の伏線だとわかる。ミス・フロイの両親のエピソードも本筋とは関係ないが、イギリス文学らしい味付けとして楽しめる。

映画には原作にはない奇術師一座が登場し、この一座の人びとと乗務員、ドクターなど全員がスパイ団の一味で、ミス・フロイも彼らに対抗するイギリスのスパイ、という設定になっていて、原作とはかなり趣が違うようである。(2011.9.1読了)
[PR]
by nishinayuu | 2011-11-21 10:03 | 読書ノート | Trackback | Comments(2)

『国史の神話を超えて』(批判と連帯のための東アジア歴史フォーラム 企画)

c0077412_10133227.jpg『국사의 신화를 넘어서』(비판과 연대를 위한 동아시아 역사포럼企画)
「批判と連帯のための歴史フォーラム」は、日韓の歴史研究者たちのネットワーク。一国史的な民族主義歴史学を批判しつつ、国民国家の境界を越えた新しい連帯の可能性を模索するために、2000年1月に結成されたもので、年2回のワークショップと非定期の公開セミナーを実施している。この本は2003年8月21日に開催された「国史の解体に向けて」と題する公開討論会を通して生まれた論文集である。日韓両国の研究者たちが率直な自己批判と、思い切った提言を展開しており、刺激的で中身の濃い本である。以下に各論文のテーマと筆者を記しておく。
「‘国史’の内と外――ヘゲモニーと‘国史’の大連鎖」林志弦
「民族史から文明史への転換のために」李榮薫
「東アジアの近代化、植民地化をどう理解するか」宮嶋博史
「国民国家の建設と内国植民地――中国辺疆の‘解放’」茂木敏夫
「日本美術史と朝鮮美術史の成立」高木博志
「自主的近代と植民地的近代」都冕會
「植民地近代と大衆社会の登場」尹海東
「朝鮮王朝の象徴空間と博物館」李成市
「植民地の‘憂鬱’――ある農村青年の日記を通してみた植民地近代」板垣龍太
「李孝石と植民地近代――分裂の記憶のために」辛炯基
「植民地期の在日朝鮮人の文化とアイデンティティ再考」外村大
「歴史から剥ぎ取るべき‘神話’の数々」朴枝香
「優れた研究成果を市民社会に還元する方法は?」並木真人
「歴史、理論および民族国家――最近のアジア学の理論的動向」イ・ナムヒ
「非対称の中で――植民地近代化論について‘日本人’が考える」坪井秀人
「韓国における‘国史’形成の過程とその代案」李榮昊
(2011.8.31読了)
[PR]
by nishinayuu | 2011-11-18 10:14 | 読書ノート | Trackback | Comments(2)

「帰化人」


c0077412_1205324.jpg
☆応神天皇(『古事記』)の再話と韓国語訳です。
画像は菊池容齋『前賢故実』にある王仁の像です。

「帰化人」
応神天皇のときに新羅人が渡ってきた。建内宿祢の命は 新羅人たちを率いて渡(わたり)の堤を築いたり、百済の池を造ったりしたんだ。百済の照古王(近肖古王)は牡馬と牝馬を1頭ずつ献上してきて、さらに刀、大鏡まで送ってきた。それで天皇は百済に、もし賢明な人物がいたら献上せよ、と命じたんだ。すると百済から人を送ってきたのだが、その名をわに(王仁)という人だった。この人は論語10巻と千字文1巻、合わせて11巻を持ってきて天皇に捧げたんだよ。それから工芸鍛冶の卓素と機織りの西素を献上した。このときに秦(はた)氏の祖先、漢(あや)氏の祖先、それから酒の醸し方を知っている人番という人(またの名は須須許理-すすこり)など、大勢の人がいっしょに渡ってきたんだ。そしてその須須許理は酒をたくさん造って天皇にさし上げた。その酒を飲んでほろ酔いになった天皇が歌ったのがこの歌だ。

すすこりが かみしみきに われゑひにけり
ことなぐし ゑぐしに われゑひにけり

(須須許理が醸した酒にわたしは酔ったよ。無事泰平の酒、喜びの酒にわたしは酔ったよ。)


오오진-천황 시대에 신라인들이 일본으로 건너왔다. 타케우치의수쿠네-미코또는 그 신라인들을 지휘하여 와타리-둑을 쌓았고, 백제-못을 만들었단다. 백제국왕인 조고왕 (근초고왕)은 수컷말 과 암말 각 하나씩을 헌상해왔고, 또 칼과 큰 거울도 헌상해왔다. 그러니 천황은 백제에게 혹시 현명한 사람이 있으면 헌상하라고 명을 내렸단다. 그리하여 백제에서 사람을 보내왔는데, 이름하여 왕인라는 사람이었어. 그 사람은 논어 열권과 천자문 한권, 합치하여 열한권을 가지고 건너왔고 그것들을 천황에게 헌상했단다. 또 공예대장 탁소와 베짜는 장인 서소를 헌상했어. 그때 하타씨의 조선, 아야씨의 조선, 그리고 술 빚을 줄 아는 인번이라는 사람 (별명 수수꼬리)등 많은 사람들이 함께 건너 왔단다. 그리고 그 수수꼬리는 술을 많이 빚어서 천황께 바쳤다. 그 술을 마시고 거나하게 취한 천황이 노래하기를,

수수꼬리가/ 빚은 이 술에/ 내가 다 취했구나
무사태평과/ 환희의 술에/ 내가 다 취했구나

[PR]
by nishinayuu | 2011-11-15 12:04 | 再話 | Trackback | Comments(0)

『日本語が滅びるとき』(水村美苗著、筑摩書房)


c0077412_1142134.jpg本格小説』の著者が2008年に著した評論で、「英語の世紀の中で」という副題がついている。
作者は先ず、アメリカはアイオワで開催された「作家たちとの国際交流」プログラムに参加したときの体験から書き起こす。世界の各国から参加した小説家や詩人たちと交流しながら、世界中のあらゆるところで、さまざまな人がさまざまな条件の下で、「自分たちの言葉」で書いていることに衝撃をおぼえた作者は、英語が「普遍語」となりつつあることの意味を考えざるを得なくなったという。そして問いかける。今「自分たちの言葉」で書いている作家たちは、「自分たちのことば」が亡びるかもしれないことを、そしてそれぞれの「国民文学」が亡びるかもしれないことをどう考えているのだろうか、と。
第2章は著者がパリで行った講演をもとに、フランス語の凋落とフランス語や日本語で書くことの意義が語られる。すなわち――英語が「普遍語」として台頭する以前、世界でもっとも洗練され、かつ理性的なことばとして尊敬されていたのはフランス語で、その威光は、明治維新後の日本にまでおよんだ。萩原朔太郎の「ふらんすへ行きたしと思へども/フランスはあまりに遠し」は作家たちの心を代弁し、上田敏訳の「秋の日の/ヴィオロン/ためいきの/身にしみて/ひたぶるに/うら悲し」は中産階級の読者にも広く知られるようになった。しかし、英語圏がしだいに軍事的、政治的、経済的にも優位に立つようになり、「ふらんすへ行きたしと思へば」成田からひとっ飛びで行けるようになった頃には、フランス語は文化の言葉という最後の砦も失った。かつてはヨーロッパの「普遍語」であったフランス語が、今や世界の「普遍語」となった英語に対して「それ以外の言葉」、という地位に凋落したのである。西洋と非西洋はもともと非対称的関係にあったが、今そこに新たな非対称関係が重なるようになった。それは英語の世界と非英語の世界にある非対称関係である。昔から学問は「普遍語」でなされなければ無意味であったし、これからの文学も「普遍語」である英語で書かれるものが増えるだろう。各国の言語で書かれたものより断然多くの人に読んでもらえるからだ。しかし、英語で書かないことにも一つだけ天の恵みがある。それは、「普遍語」の世界に属さない者は「言葉」に関して常に思考することを強いられる運命にあるということだ。「言葉」に関して常に思考する者のみが「真実」が一つではないこと、すなわちこの世には英語で理解できる「真実」、英語で構築された「真実」の他にも、「真実」がありうること――それを知るのを、常に強いられることである。
このあと第3章は各国語で書く作家たち、第4章は日本語という「国語」の誕生、第5章は日本近代文学の奇跡、第6章はインターネット時代の英語と「国語」、第7章は英語教育と日本語、というタイトルのもとに密度の濃い論が展開される。「日本が漢文圏に入り、文字文化に転じたのが、大陸からの地理的な近さゆえだとしたら、日本語が成熟することができたのは、その反対に、地理的な遠さゆえである」という文に始まる、「現地語」としての日本語の意義を論じた部分は説得力があり、またフランスのシンポジウムで出会った女性の「日本文学のような主要な文学」という言葉に触発された日本近代文学についての熱の籠もった感動的な論が繰り広げられている。(2011.8.28読了)
[PR]
by nishinayuu | 2011-11-12 11:48 | 読書ノート | Trackback | Comments(2)

『贖罪』(イアン・マキューアン著、小山太一訳、新潮社)


c0077412_20441329.jpg田園地帯の広大な屋敷に住むタリス家の次女ブライオニーは作家を夢みる13歳の少女だった。久しぶりに家に帰ってくる兄のリーオンを、自作の劇で歓迎しようと待ちかまえている。姉のセシーリアは、家政婦の息子で自分と同じケンブリッジ大学で学んだロビー・ターナーが、大学でも家に帰ってからも自分の方を向いてくれないことにいらだっている。しかしロビーはセシーリアに惹かれていて、その思いをぶつけた走り書きを記す。それは秘かに破り捨てるつもりで書いたものだったが、セシーリアに届けるべき別の手紙と間違えて、ロビーはそれをブライオニーに託してしまう。そのおかげでセシーリアとロビーは互いの気持ちを確かめ合うことができたが、ブライオニーは決定的にロビーを誤解してしまう。ブライオニーの思いこみは、彼女が目撃したある事件によって強化され、ロビーは不名誉な罪を着せられて投獄される。将来の夢も希望も一瞬にして失ったロビーは、のちに志願兵として戦場に赴く。そんなロビーの無実を信じるセシーリアはブライオニーはもちろん、ロビーを信じようとしなかった家族とも縁を切ってしまう。ここから、自分の思いこみと一途な正義感が、一人の青年の未来を打ち砕き、恵まれた家庭の平和も破壊してしまったことに対するブライオニーの贖罪の人生が始まるのだ。
『時間の中の子供』『愛の続き』『アムステルダム』に続いて私にとって4冊目のマキューアンである。一冊目の『時間の中の子供』は出だしの部分に襲撃を受けて、読み始めたら最後まで読む、という主義に反して放り出したくなったのを、我慢して最後まで読んだら意外によい作品だった。2作目、3作目と少しずつマキューアンになじんできて、久しぶりにこの作品を読んだのだが、禍々しいことが起こりそうなことを匂わせる文章が顔を出すたびに、『時間の中の子供』を思い出して、胸がざわざわした。やはりマキューアンは苦手だ、という思いを新たにした作品だった。ただ、小節の最後に思いがけない「仕掛け」が仕込まれていて、やはりマキューアンはただ者ではない、と思わせられた。
訳者のあとがきによると、初期のマキューアンは猟奇殺人、近親相姦、幼児性愛、人と獣、さらには人と人形の性愛など、挑発的な作品によって世に知られていた、という。初期の作風(あるいは作家のもともとの気質)が、この作品のあちこちに顔を出しているようで、納得できる記述である。(2011.8.25読了)
[PR]
by nishinayuu | 2011-11-09 20:44 | 読書ノート | Trackback | Comments(0)

『失われた時を求めて 9』(マルセル・プルースト著、鈴木道彦訳、集英社)


c0077412_1121315.jpg「囚われの女」のⅠが収められている巻で、作者の死(1922年)の翌年に刊行され、その後何度か校訂されて現在の形になったものだという。
サブタイトルにある囚われの女とは、語り手が自分の家に住まわせているアルベルチーヌのことである。語り手はアルベルチーヌが他の男たちと、あるいは女たちと付き合うのを阻止するために彼女を手元に置いて監視し続ける。そうしておいて語り手は、彼女が自分のもとに滞在している時期を「日々輝きを失ってゆくとはいえ、やはり多彩な浜辺の女優であり続けた時期」と「灰色の囚われの女となり、色あせた彼女自身になった結果、彼女に色彩を返してやるには、私がときどき過去を閃光のように思い出す必要があった時期」という二つの時期に区分している。この巻にはまさにこの2番目の時期にある語り手とアルベルチーヌの日々が、決別の兆しをはらんだまま緩やかに流れていく様が綴られている。
「つぎつぎと天候は変わり、空模様は急転して、雷雨などがやってくるこうした日には、怠け者でもいわば自分のかわりとなって大気がくり広げた活動に興味をおぼえ、むだに一日を過ごしたとは思わないものである」といった思いを抱きながら朝のベッドでだらだらと時を過ごす語り手は、朝の町の音にも大いに興味を示す。僧院から響いてくる朝一番の鐘の音、パン屋や牛乳屋がシャッターを上げる音、そしてつぎつぎと通っていく物売りの呼び声。この物売りの声はかなりのページを割いて描写されており、例えばエスカルゴ売りの声は次のように描写されている。
「ムソルグスキーのほとんど抒情性を欠いた朗唱をしのばせるが、(中略)メーテルランクふうの悲哀ととらえどころのなさをドビュッシーが音楽化したような調子で、ちょうど『ペレアス』の作者がラモーふうになってゆく沈痛なフィナーレの一つにおけるごとく、エスカルゴ売りは歌うような憂愁をこめてつけ加える(中略)、1ダース6スーにおまけ……」
ガラス売りの「ガラァ…ス屋あ」という声は、グレゴリオ聖歌式分割と描写されている。(そういえばコクトーの映画「オルフェ」の、大きな板ガラスを持った男が道路を横切るシーンは実に印象的でした。)
ところで、あるブログが『失われた時を求めて(花咲く乙女たちのかげに)』の自転車が出てくる場面を紹介していたが、この巻でもあちこちに自転車が出てくることに気がついた。たとえば
一流ホテルのドアボーイたちが客を迎えに駅へ行くために自転車で待機している/牛乳屋の娘が「午後自転車で出かけなきゃならない」と言う/自転車に乗った者が、(トロカデロに出かけた)アルベルチーヌの手紙を持ってくる/カフェの奥の方にはそばに大きなアーチのように自転車を立てかけて三人の少女が座っている/一人の少女が膝をついて自転車を直していた。修理がすむと、その若い娘は自転車に飛び乗ったが……
という具合。前に読んだときはおそらく読み飛ばしたと思われる部分が、あるブログのおかげで印象的な場面として浮かびあがったわけだ。(2011.8.22読了)
[PR]
by nishinayuu | 2011-11-06 11:21 | 読書ノート | Trackback | Comments(0)

『わたしたちが孤児だったころ』(カズオ・イシグロ著、入江真佐子訳、早川書房)


c0077412_9565934.jpgWhen We Were Orphans(Faber & Faber、2000年)の全訳。カズオ・イシグロの5作目の長編小説である。
1923年の夏、ケンブリッジ大学を卒業した語り手/主人公のクリストファーはロンドンのケンジントンに居を定める。それから7年後の1930年、クリストファーはいくつかの難事件を解決した探偵として世に知られる存在になっている。その間に上海の租界で暮らした子ども時代や両親の思い出は薄れていき、ついには朧気なイメージしか浮かばなくなっていることに気がついたことから急に過去のことで頭がいっぱいになり始める。
クリストファーは10歳まで上海の租界で育った。穏やかで優しい父の勤め先は、インドからアヘンを輸入して中国にアヘン中毒を蔓延させていた。そんな会社の社宅に住みながら反アヘン運動に身を挺していた母は、美しく、キリッとした人だった。当時クリストファーは、隣に住む日本人のアキラと仲良しで、いつも二人だけで遊んだ。ある日、父の姿が消えた。警察の捜査が行われ、クリストファーとアキラの遊びに父親探しの「探偵ごっこ」が加わった。そしてある日、母の反アヘン運動の同志であり、クリストファーにとっては父に代わるような存在だったフィリップおじさんに遠いところに連れ出されたクリストファーが家に戻ってみると、母親の姿が消えていた。クリストファーは英国の伯母のもとに引き取られ、伯母の亡くなったあとはその遺産で勉学を続けたのだった。
1937年の秋、極東は今や世界の危機の心臓部となっていた。このとき長年の懸案だった両親捜しにやっと目途がついて、クリストファーは上海を訪れる。そして両親が幽閉されている建物の位置を探り出したクリストファーは、探索の途中で巡り会ったアキラとともに戦闘地区の瓦礫の中を突き進む。危険のまっただ中にありながら、その探索はどこか昔二人でやった「探偵ごっこ」の再現のようでもあった。そもそも、いなくなってから20年以上も経つ両親がまだ同じところに幽閉されているなどということがあり得るだろうか。それに、日本軍人の姿をしている男はほんとうにアキラなのだろうか。

読んでいる間ずっと、タイトルが「わたし」ではなく「わたしたち」となっているのはなぜなのか気になっていた。物語にはクリストファーの他に二人の孤児が登場する。なりふり構わず庇護者を求め続けるサラ・ヘミングズと、海難事故で両親を亡くしてクリストファーの養女になったジェニファーである。しかし、クリストファーとこの二人を同等のものとして一つに括り「わたしたち」とした、とは思えない。あくまでも物語の主人公はクリストファーだからだ。読み終えるころになってやっとわかった。「わたしたち」は3人の孤児を含めたすべての人びとなのだ。クリストファーの両親も、フィリップおじさんも、アキラも、そして英国人も日本人も中国人も、みんなある日突然世界の荒波の中に放り出された孤児だったのだ。人はだれでも遅かれ早かれ、ひとりの孤児として生きていかねばならないのだから。(2010.8.19読了)
[PR]
by nishinayuu | 2011-11-03 09:57 | 読書ノート | Trackback | Comments(2)