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韓国の詩「西山大師の詩2編」


c0077412_1127545.jpg兪弘濬の『我が北韓文化遺産踏査記』に載っている西山大師の漢文詩とその韓国語訳に、日本語訳を付けてみました。西山大師については、右にある「韓国の著名人」→ㅎ→휴정をごらんいただくと簡単な説明があります。



主人夢説客     주인은 손님에게 꿈 이야기를 하고
客夢説主人     손님은 주인에게 꿈 이야기를 하누나.
今説二夢客     지금 꿈 이야기하는 두 사람
亦是夢中人     그 역시 꿈 속의 사람인 줄 뉘 알리오

主人は客人に夢を語り
客人は主人に夢を語るなり
今夢を語るふたり
そも亦夢の中の人なるをたれか知る



萬国都城如蟻垤     만국의 도성들은 개미집 같고
千家豪傑若醯鶏     고금의 호걸들은 하루살이 같네.
一窓明月清虚枕     청허한 베갯머리에 흐르는 달빛
無限松風韻不齊     끝없는 솔바람만 한가롭구나.

万国の都城は蟻塚の如くして
古今の豪傑どもは蜻蛉の如し
清虚なる枕頭に映ずる月影
絶えざる松籟のみこそ長閑なれ


☆画像は金剛山。山中の表訓寺に西山大師の浮屠があります。
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by nishinayuu | 2011-07-31 11:33 | 翻訳 | Trackback | Comments(0)

『バーデン・バーデンの夏』(レオニード・ツィプキン著、沼野恭子訳、新潮クレストブックス)


c0077412_10153399.jpg読み始めるとまず、冒頭の文が切れ目なく24行も続いているのに驚く。切れ目のない長い文を書き連ねる作家はほかにもいるので、これだけのことならちょっと驚くだけですむ。ところが読み進んでいくうちに、段落が極端に少ないことに気づいて、さらに驚くことになる。訳者によると「原書で正味170ページ以上ある小説だが、段落はたった11しかなく……」ということだが、この220ページほどの翻訳書では段落がなんと5つしかない(数え間違っていなければの話ですが)。この風変わりな文体が、同じく風変わりな内容と響き合って、この小説に独特の魅力を与えている。
この小説には二つの時と二つの物語の流れが、時に強く、時に軟らかく絡み合いながら流れている。一つは1867年夏のドストエフスキーとアンナの物語であり、もう一つはその1世紀後の冬にドストエフスキーを思いながら列車の旅をする「語り手」の物語である。冬のある日、「語り手」は『アンナの日記』を手に、モスクワからペテルブルグ行きの列車に乗り込む。窓外を眺め、客車内に目を移し、『アンナの日記』が手許にあるいきさつに思いを馳せ、そして本を開いて1867年の夏に身を置き、ドストエフスキーのユダヤ人嫌いを思い出し、それなのになぜユダヤ人である自分が彼を愛さずにはいられないのか悩み、また車内を見回し……という具合に、語り手は目に映る物、頭の中を駆けめぐることを語っていく。こうして語り手の現在の旅と1世紀前のドストエフスキー夫妻の旅は、渾然と溶け合って進んでいく。ドストエフスキーのバーデン・バーデンにおける破滅的な暮らしぶりも印象的ではあるが、それよりいっそう心に深く残るのは、ドストエフスキーに対するアンナと「語り手」=作者ツィプキンの深い愛情である。
巻末にこの作品を「発掘」したスーザン・ソンタグの「ドストエフスキーを愛するということ」というエッセイが掲載されている。『バーデン・バーデンの夏』を、そして作者ツィプキンを理解するのに、これ以上の紹介文はないと思われるすばらしいエッセイである。(2011.5.3読了)

☆この本は、翻訳者とカバーで選びました。翻訳者は、ロシアという不思議な国の持つ異国情緒を流れるように自然な日本語で味合わせてくれる、ロシア文学の名翻訳者。そしてカバーには、シスレー風の小径を歩むモネ風の女性とマグリット風の男性の後ろ姿が、淡いブルーを基調とした幻想的なタッチで描かれている。出合った瞬間、これは私のために作られた本かもしれない、と思ったのでした。(とか言いながら、図書館で借りて読んだのですが。)
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by nishinayuu | 2011-07-28 10:15 | 読書ノート | Trackback | Comments(0)

『あの年の春は早くきた』(ネストリンガー著、上田真而子訳、岩波書店)


c0077412_10135177.jpg2月に読んだ『ひとりだけのコンサート』にこの作品への言及があり、タイトルに惹かれて手にとってみた。8歳の少女を主人公にした物語で、タイトルにある「あの年」とは1945年、すなわちオーストリアがヒトラー率いるナチス・ドイツから解放された年のことである。
「1945年の春は早くきた。暖房用の木も石炭も底をついていたから、ありがたかった。けれどももっとありがたかったのは、3月に父が前線から帰ってきたことだ。」負傷した父がウイーン市内の野戦病院に転院してきて、そこから毎日、帰宅許可証をもらって家にやってくるようになる。ある日、クリステルたちが住んでいたアパートが爆撃にあって、同じアパートの祖父母の住んでいた部屋は辛うじて残ったが、クリステルたちは家を失った。ちょうどそこへ、ウイーン郊外のノイワルトエッグに別荘を持つフォン・ブラウン夫人から、別荘番として住み込むように、という話が来る。ソ連軍がウイーンに迫り、アメリカ軍の爆撃が激しくなった今、親ナチの夫人は難を避けてチロルの農場に移ることにしたのだ。こうして一家は、アパートに残るという祖父母をおいて、別荘で暮らすことになる。別荘への移動の日、父が家族に合流する。病院がドイツに撤収することになり、そのどさくさに紛れて脱走してきたのだ。それで父は別荘に隠れて暮らし、母は食料や生活用品の調達のために遠くまで出かける日が始まる。
やがて別荘に新しい住人が加わる。フォン・ブラウン夫人の二人の孫・ヒルデガルトとゲーラルト、その母親である若いフォン・ブラウン夫人である。クリステルと姉はたちまち子弟と意気投合し、となりの別荘の上品ぶった女の子・エンゲルをいじめたり、近所の無人の別荘に忍び込んで貯蔵されていた食料をごっそり持ち帰ってきたりする。母と若いフォン・ブラウン夫人も子どもたちの持ち込んだ食料を喜ぶ。「これでいきのびられる」と。
そしてついに、みんなが怖れていた日が来る。ソ連軍が侵攻してきたのだ。ドイツ軍に見つかったときのために隠してあった父の軍服は、忽ち危険なものとなり、母はそれをかまどに突っ込んで燃やす。その他いろいろ面倒なことはあったが、そのうち別荘にソ連軍の大隊長が住むことになって、一家はひとまず安全になる。酒乱の曹長のような危険人物もいたが、彼らはおおむね友好的だったからだ。クリステルは炊事兵のコーンと大の仲良しになり、母は婦人憲兵将校のルドミラと友だちになり、若いフォン・ブラウン夫人は大隊長と親しくなり(これは息子のゲーラルトが嫌悪感を抱く類のものだったが)、はじめは隠れていた父までが将校のイワンと飲み友だちになったのだった。
この作品は作者の子どもの時の体験が下地になっているという。1945年の春から夏にかけての出来事を、そのまっただ中にいた子どもの視点から生き生きと描いた物語である。(2011.4.29読了)
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by nishinayuu | 2011-07-25 10:13 | 読書ノート | Trackback | Comments(0)

『鷺と雪』(北村薫著、文藝春秋)


c0077412_10124658.jpg『街の灯』と同じく、お嬢様学校に通う花村英子と才色兼備のお抱え運転手・ベッキーさんの登場する物語で、「不在の父」、「獅子と地下鉄」、「鷺と雪」という三つの話からなっている。三つの話はそれぞれ独立した物語としても読めるが、「不在の父」の最後にさらりと登場させた詩の一行[騒擾ゆき]を、「鷺と雪」で大きな意味を持たせて再登場させており、あいかわらず技の利いた書きぶりで楽しめる。あいかわらずといえば、この作者の特徴である「蘊蓄」もふんだんに見られて嬉しい限り。巻末に「蘊蓄」のもとになった参考文献が丁寧な解説付きで掲げてあり、論文でもないのにここまでする作者の誠実さに半ば感服し、半ばあきれる。
「不在の父」では元子爵のルンペンとのつかの間の交流、「獅子と地下鉄」ではライオン像にまたがろうとした男の子との交流、「鷺と雪」ではあまり親しくなかった同級生との思いがけない交流を中心にして、花村英子の溌剌とした日常が描かれる。物語の時代は日中戦争の前夜であるが、お嬢様たちの周囲にはまだまだ優雅で穏やかな時間が流れていたのだ。しかしそんなある日、花村英子が服部時計店にかけた電話が間違って他に繋がり、知り合いの青年将校・若月が電話口に出て、「武運長久を祈ってください」ということばを残す。服部時計店にかけ直したところ、電話が間違ってかかった先は一つ違いの電話番号を持つ首相官邸だったとわかる。茫然とした花村英子が、雪に白く飾られた窓を「いつまでも生きた思い出として抱いていくのだろうと予感」するところで幕となる。
物語のあちこちにブッポウソウのエピソードが出てくる。群馬の迦葉山から鳴き声を中継しようとして失敗したとか、改めて愛知県鳳来寺山から中継したときはよく鳴いたとか、「ブッポウソウが人里で鳴く年は凶作」という言い伝えがあるとかいう話に続いて、昭和10年の夏には東京の夜空をブッポウソウが鳴き渡ったという話が出てくる。実際にこの年、東京で4回ほどブッポウソウの声が聞かれたという。帝都の空を鳴き渡るブッポウソウは、遠く平安朝の都を恐怖に陥れたという鵺(ぬえ)を連想させる。このエピソードはあるいは前途に控える不穏な世の中を暗示するものとして取り入れられているのかもしれない。(2011.4.28読了)
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by nishinayuu | 2011-07-22 10:12 | 読書ノート | Trackback | Comments(0)

『マイホーム』(カリ・ホタカイネン著、末延弘子訳、新評論)


c0077412_2119472.jpg2002年に発表されたフィンランド文学作品で、原題はJUOKSUHAUDANTIE。
「家庭戦線主夫」であるマッティ・ヴィルタネンは、仕事を持つ妻のために家事全般をこなし、幼い娘の相手もする、模範的な夫を自負していたが、妻のヘレナはそんな夫を鬱陶しく思うようになっていた。そして、ある時そんな思いを口にしてしまったヘレナを、マッティは思わず殴ってしまう。このたった一度の暴力が、離れかけていたヘレナの心を決定的に引き離すことになった。ヘレナは娘のシニを連れてアパートを出て行き、マッティに離婚を迫る。それは、ふたりを心から愛しているマッティにはとうてい受け入れられないことだった。家族を取り戻すにはどうしたらいいか、と悩みながらジョギングしていた彼の目に一戸建ての木造住宅が飛び込んでくる。こんな家が欲しい、と思った彼は、そんな家に住みたいというのが実はヘレナの夢だったことに思い至る。アパートではない、一戸建ての木造住宅を手に入れればまたヘレナとシニと三人で暮らせる、という思いに囚われたマッティは、しだいに常軌を逸した行動に走るようになり……。
家族を取り戻したい一心から精神のバランスを崩していく哀れな男の物語であるが、現代のフィンランド、特にヘルシンキの住宅事情や、ヘルシンキの普通の人びとの暮らしぶりが描かれていて、実に興味深く、読み応えのある作品となっている。また、章ごとに語り手が交代して、登場人物や事件がさまざまな角度から描かれるばかりでなく、最終章は何時何分という時間系列で次々に視点が変わっていく形式になっており、ミステリーの味も利かせた心憎い構成である。
ただし、残念なことがある。フィンランド文学という珍しい分野の、魅力的な作品なのに、そして翻訳も全体としてはよいできばえなのに、なぜこんなに校正ミスが多いのだろうか。特に終わりのほうは助詞の間違いをはじめいろいろなミスが目について参った。それから、これは訳者が若いせいかとも思うが、「ひざ掛け毛布を肩にかけて、マルッタの残り香を匂った」というような表現に出合うと、びっくりして思考が停止してしまう。(2011.4.26読了)
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by nishinayuu | 2011-07-19 21:19 | 読書ノート | Trackback | Comments(0)

韓国語覚え書き――「歴史ドラマによく出てくる表現」その1

c0077412_1426282.jpg韓国の歴史ドラマに出てくる決まり文句を集めてみました。発音は以下のサイトにある「韓国語のローマ字表記法」(韓国文化観光部告示2000-8号)を参考にして表示し、音の切れ目がわかりにくいところにはハイフンを入れました。
http://www.geocities.co.jp/SilkRoad-Ocean/6540/man/romajja.html


부디 통촉하여주시 옵소서. なにとぞ御諒察下さいますよう!
pudi tonchok-hayeo-jusi op-so-seo
(王様の理不尽な命令に抵抗するとき、あるいは逆に、王様に無理難題を押しつけるときに、臣下たちが声をそろえて言うことば。)

소신을 죽여주시옵소서. 面目次第もございません。
sosi-neul jugyeo-jusi-op-so-seo
(直訳すると、私めを殺してくださいませ。ことばどおりに取られたらどうする?)

망극하옵니다. 畏れ多いことでございます。
mang-geuk-ha-om-nida
(망극は罔極で、王様や父母の恩がきわまりないこと。王様などから栄誉を授けられたり、感謝や慰労、赦しのことばをかけられたりしたときに言う。)

아뢰옵기 송구하어나,  畏れながら申し上げますが……
aroe-op-kki song-gu-ha-eo-na
(直訳すると、申し上げるのは畏れ多いことでございますが……)

긴히 드릴 말씀이 있습니다. 折り入ってお話ししたいことがございます。
kini teu-ril mal-sseumi isseum-nida

여쭈어 볼 게 있습니다. 申し上げたいことがございます。
yeo-jju-eo bol ke isseum-nida

안으로 드시지요. 中へどうぞ。
aneu-ro teu-si-ji-yo
(客人を部屋に招き入れるときに言う。)

밖에 있는가? だれかおらぬか。
pakke in-neun-ga
(直訳すれば、外にいるか。部屋の外に控えている従者や部下を呼ぶときに言う。)

기별도 없이 어인 일이시요? いきなりいらっしゃるとは、どんな御用ですか?
kibyeol-do op-si eo-in iri-si-yo
(直訳すると、なんの知らせもなしに、どんな御用ですか?)

注:1――eoは発音記号で表記すると[ɔ]で、二重母音ではない。口を大きく開けてオというときの音。
注2:――euは発音記号で表記すると[ɯ]に近い音で、二重母音ではない。口の両端を横に引っ張ってウというときの音。
注3:――kk、ss、jjなどは、息の漏れない硬くて強い音で、「まっか」の「か」、「いっさい」の「さ」、「いっちする」の「ち」などの音。
注4:――jは発音記号で表記すると[dჳ]で、たとえばjiは軟らかいジではなく硬いヂの音。
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by nishinayuu | 2011-07-16 14:27 | 覚え書き | Trackback | Comments(0)

『糸杉の影は長い』(ミゲル・デリーベス著、岩根圀和訳、彩流社)


c0077412_10173741.jpg著者ミゲル・デリーベスは1920生まれのスペインの作家で、スペイン国民文学賞、セルバンテス賞などを受賞し、2010年に死亡した作家。1948年に発表された『糸杉の影は長い』は彼の処女作で、日本の芥川賞に当たるナダール賞(スペイン語の文学に与えられる賞)を同じ年に受賞している(本のカバー裏にある作家紹介では作品の発表前の1947年に受賞、とおかしな具合になっている)。
スペインの古都アビラで生まれ、幼いときに両親を亡くして叔父のもとで育った語り手のペドロは、10歳のときに自宅で中等教育学院を経営しているドン・マテオのところに預けられる。熱心な教育者だったが、厭世的で陰鬱なドン・マテオ、その妻で夫と同じく厭世的なドニャ・グレゴリア、幼い娘のマルティーニャ、そして家族の一員のような老女中のエステファニアと飼い犬のファニーという家族だった。「単調で冷ややかな生活を共有する仲間の必要性を肌に感じていた」ところへアルフレッドが現れ、二人はたちまち親友になる。しかし、アルフレッドはやがて身体をこわしてあの世に旅立ってしまう。このとき語り手は「持つものには常に失う怖れがともなう。それが何も持たない人と同じく不安をもたらす。いつもほとんどそれが人間の不幸の原因となるのだ」というドン・マテオの教えを改めて胸に刻む。こうして語り手は人と交わるのを避けるために船乗りになることを決心して、7年間暮らしたドン・マテオの家をあとにする。
船員養成学校を経て船乗りになり、やがて遠洋商船の船長になった語り手は、誠実な航海士やその家族の働きかけで、しだいに心を開くようになる。それでもまだ人との関わりを怖れる気持ちが強く、アメリカに立ち寄ったときに親しくなったジェーンとの関係を自ら断ち切ってしまう。その後マルティーニャとの再会、アビラ訪問などを経て、気持ちを建て直した語り手は、ついにジェーンと新しい人生を歩む決心をする。希望にあふれてアメリカの港に到着したとき、そこにはやはり喜びにあふれて語り手のもとに駆けつけるジェーンの姿があった。物語はここで終わらず、最後の最後にもうひと波乱あって、ありきたりのハッピー・エンディングにはならない。ここまで読んでくれば予想がつくことではあるが。
ある知人が「スペイン人は陽気なくせに、文学となるといきなり深刻になってしまうのはなぜ?」と言っていたが、これもまさにそんな感じの作品である。ところで、気になった点が二つある。一つは意味が取りにくい難解な文章が多いこと。原作の文体そのものが難解なのか、翻訳のせいでそうなってしまったのかはわからないが、とにかく読みにくかった。もう一つは校正がなっていないこと。余計な文字が入っていたり必要な文字が抜けていたりして、いらいらさせられる。(2011.4.20読了)
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by nishinayuu | 2011-07-13 10:17 | 読書ノート | Trackback | Comments(0)

『ペンギンの憂鬱』(アンドレイ・クルコフ著、沼野恭子訳、新潮クレストブックス)


c0077412_10425847.jpgウクライナの首都キエフに住むロシア語の作家・クルコフが1996年に発表した作品。約20カ国語に翻訳され、世界的ベストセラーになったという。
売れない作家・ヴィクトルはキエフのアパートで皇帝ペンギンのミーシャと暮らしている。餌をやれなくなったので欲しい人に譲るという動物園からミーシャをもらってきたのは1年前、恋人が去っていった1週間後のことだった。それ以来、孤独な人間と孤独なペンギンが互いに頼りあって暮らしている。
ある日、新聞社の編集長から呼び出され、いざというときのために「追悼文」をあらかじめ書いておく、という仕事を依頼される。暇はあるし、生活費も稼げるので、ヴィクトルはこの仕事を引き受け、その後知りあったミーシャという男からの依頼も含めて、「追悼文」をどんどん仕上げていく。「追悼文」を書くに当たっては当人に取材することもあるが、多くは編集長から渡される資料をもとに、ヴィクトル流にアレンジして仕上げる。やがて、ヴィクトルの書いた「追悼文」が初めて実際に新聞に掲載される日が訪れる。ただし、ヴィクトルの名前は掲載されない。「追悼文」は編集長の指示に従ってすべて「友人一同」という署名付きで書いてあるのだ。
そうこうするうちにミーシャが娘のソーニャをヴィクトルに預けたまま姿を消し、親しくしていた警官のセルゲイは、モスクワに赴任することになってキエフを去る。ヴィクトルは今やペンギンのミーシャ、4歳のソーニャ、20歳のニーナの「四人暮らし」になっている。ニーナはセルゲイの姪で、ソーニャのベビーシッターとして毎日通ってくるようになったのだ。一見平和な疑似家族の一員を演じながらも、ヴィクトルは何か不穏なことが進行していることに気づく。「追悼文」の主人公は次々に死んでいき、ヴィクトルにはペンギンとともに葬儀に参列することが要求されるようになる。過労がたたって倒れたペンギンのミーシャが心臓移植手術を受けることになったとき、ヴィクトルは自分の身にも危険が迫っていることを知る。前々からペンギンのミーシャを南極大陸に送り届ける計画を進めていたヴィクトルは、ミーシャの出発の日に南極大陸委員会のワレンチン・イワーノヴィチのところに行く。「で、ペンギンはどこなんです?」と聞かれたヴィクトルは……。
『ペンギンの憂鬱』には、ソ連崩壊後に独立したウクライナで、得体の知れない組織に取り込まれた一市民の不安がサスペンス・タッチで描かれている。一方、不穏な社会の中に一時的に生まれた疑似家族の人びとの日常生活も描かれており、それが和やかで微笑ましいだけにかえって痛ましい。なお、クルコフは最近この物語の続編『カタツムリの法則』を出した、と訳者あとがきにある。あのあとペンギンはどうなったか、ぜひ先が読みたい、という読者の声に応えたものだという。(2011.4.15読了)
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by nishinayuu | 2011-07-10 10:43 | 読書ノート | Trackback | Comments(0)

『鐘の音』(申京淑著、文学トンネ)

c0077412_1021770.jpg『종소리』( 신경숙著、 문학동네)
2003年の発行。『川水になるまで』『オルガンのあった所』『昔、家を出たとき』『いちご畑』に次ぐ5番目の作品集。作者には他に長編作品として『深い悲しみ』『離れ部屋』『汽車は7時に出るんだよ』『ヴァイオレット』『かあさんをお願い』などがある。
この作品集には『鐘の音』『井戸を覗きこむ』『水の中の寺院』『月の水』『ひとりで旅立った人』『浮石寺』の6編が収録されている。
『鐘の音』――都会に住む夫婦。妻は専業主婦で、3回目の流産をしたことを夫には言えないでいる。夫は業績が傾いた会社から引き抜かれて他の会社に移ったことも、もとの同僚たちに申し訳なくて毎日もとの会社に顔を出していることも妻には言えないでいる。意思疎通を欠いたまま暮らしている二人は、ある日洗面所の窓辺に見慣れない鳥が巣をかけているのを見つける。このとき妻は、夫が鳥について専門的な知識の持ち主であることを知って驚く。自由な鳥に引き比べて人間性のない生活を強いられている夫は、苦悩が昂じて拒食症になり、やがてクロンキドゥカナダという奇病にかかって痩せに痩せていく。窓辺の鳥が子育てを終えて飛び去ったあとで、妻は空を飛ぶ鳥の夢を見る。鳥の群れの中に夫がいるような気がした妻は、「あなたは今戻ってきた鳥のよう」と言って夫を抱く。
『水の中の寺院』――エステサロンで働く20代の女性はサロンで寝泊まりしている。小さいときに親に捨てられた彼女には家族も家もないのだ。エステサロンの一帯が開発業者に買い取られることになったとき、サロンの客で、喫茶店を経営している40代の女性が彼女に声をかける。客の女性には娘がいたが、赤ん坊の時に縁を切ったままだ。娘のない母と母のない娘は、喫茶店でいっしょに暮らすようになる。喫茶店はビルの地下にあり、店内の巨大な水槽には巨大なワニが飼われていた。やがて街が大水に襲われ、喫茶店も水槽もろとも呑み込まれてしまう。ワニと二人の女性がどうなったかはだれにもわからない。
『井戸を覗き込む』――部屋を引き払う女性が、次に引っ越してくる人に宛てて残した手紙、という形の短編。ある日、ジョギング中に古い井戸を見つけた女性は中を覗いてみた。立ちのぼってくる冷気。あわてて蓋をしてその場を離れたが、何かの気配を感じて何度も振り返る。帰宅して荷造りをするが、はかどらないので休息することにし、レイモンド・カーバーの短編集をベッドで読む。ふと目をあげると、ベッドの足元に薄汚れた女が座っている。井戸からついてきた女だった。子供を産んですぐに死んだ姉も、この女のようにこの世を彷徨っているかもしれない、と思った女性は、今は姿の見えない女に食事を与え、テープのお経を聞かせて遠くに旅立つよう促す。そして転居してくる人に伝える。もしまたそのようなことがあったら騒ぎ立てずに静かに送ってやって、と。
『月の水』――都会の生活に疲れた女性は故郷の家を訪れる。しきりに「お水をちょうだい!」と訴える甥。禁酒したはずなのに隠れて酒を飲んでいる父。二人とも常に喉の渇きに苛まれているのだ。母と一緒になって父を難詰していた女性は、昔あった井戸がセメントで封じ込められているのを見つける。甥や父の喉の渇きは井戸が封じ込められたせいだったのだ。もはや故郷も都会と同じように荒廃していることを知った女性は、こっそり酒を飲まずにはいられない父に温かい目を向ける。そして自分は荒廃した都会に戻っていくしかないことを悟る。
『ひとりで旅立った人』――2002年に夭折した小説家・蔡泳周への献辞として書かれたもの。もと編集者の女性が、カナダのバンクーバーに住む友人のKに電話で語りかける、という形になっている。ほんとうに電話で話すとしたら、驚くべき長電話になる内容である。
語り手の女性はKの娘が視力を失っていくことを気遣い、かつて民主化運動のデモに参加したときの熱狂を思い起こさせ、最近はワールドカップで人びとと一体になって興奮の日々を過ごしたことを知らせる。女性はさらに語り続ける。民主化運動の際は、見知らぬ人たちの連帯感に酔っていた時にひとりの友が拒食症であの世に旅立っていたことを、あとになって知った衝撃を。そして今回のワールドカップの際は、やはり見知らぬ人たちとの連帯感で高揚していた時にKもよく知っている作家のSがひとりであの世に旅立っていたことを、留守番電話のメッセージで知った衝撃を。群集心理に突き動かされた連帯は、自ら選んだ孤独の中で旅立つという行為の前で光彩を失ってしまう。(2011.4.11読了)

☆『浮石寺』については別項にして後日upします。
☆著者については右側の「韓国の著名人」→ㅅ→신경숙の順にクリックすると、簡単な説明があります。
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by nishinayuu | 2011-07-07 10:21 | 読書ノート | Trackback | Comments(0)

『小さいおうち』(中島京子著、文藝春秋社)


c0077412_1028222.jpg第143回直木賞受賞作。帯の惹句に「昭和モダンの記憶を綴るノートに隠されたひそやかな恋愛事件」とある。
第1章から第7章までの語り手はタキ。昭和5年の春、尋常小学校を卒業したタキは女中奉公のために東京に出てくる。最初に奉公したのは小説家・小中先生のお宅。小中先生は女中にとって一番大切なものは「ある種の頭のよさ」だと言い、その例としてご主人が仕事上のライバルから預かった大切な論文を「うっかり暖炉にくべて焼いてしまった」頭のよい女中の話をする。(このエピソードは。)翌年、小中先生の知り合いの娘さんに幼い子どもがいて手がかかるので、そちらにまわって欲しいと言われて、浅野家に移る。ここでお世話することになったのがタキより8歳年上で22歳になったばかりの時子奥様と一人息子の恭一だった。その日から時子奥様と「ずいぶん、濃い時間をいっしょに過ごした」のだった。
タキが奉公に上がった年にご亭主を事故でなくした奥様は、昭和7年の暮れに平井の旦那様と二度目の結婚をする。子連れ、女中連れの結婚である。そして結婚して三年目に、新宿から西に延びる私鉄の沿線にある住宅地に、平井家の新居が完成する。赤い瓦屋根が目に映えるその家は近隣の目印になっており、ある時は一人の青年が、家の前にイーゼルを立てて、絵を描いていたりした。二階建てのその家の階段裏には、タキのための女中部屋もあり、初めて自分の部屋をあてがわれたタキは、そこを終の棲家と思い定める。タキはそれから11年という年月、目に見えて成長していく恭一坊ちゃん、男の臭いがしない旦那様、女学校時代以来ずっと時子奥様に特別の思いを寄せているらしい睦子さん、時子奥様との間に何かありそうな板倉青年、そしてだれよりも時子奥様その人と、「ずいぶん、濃い時間をいっしょに過ごした」のだった。その間に2.26事件があり、満州事変があって、世の中は戦争の色に染まっていく。
最終章の語り手はタキの甥の次男である健史。タキの語りの中にもたびたび登場して、タキの書いた「心覚えの記」をこっそり読んだり、そのうち無理やり読まされたりしていた人物で、タキの最晩年をよく知る人物でもある。彼はまず漫画家のイタクラ・ショージが遺した『小さいおうち』という奇妙な紙芝居作品と、そこに出てくる家とそっくりに建てられているイタクラ・ショージ記念館について語る。それから、タキが健史に遺した「心覚えの記」が尻切れとんぼなのが気になって、その記録の続きを探りだしたこと、さらにタキの遺品を調べているうちに、裏に平井時子とある未開封の封書を発見したことを語る。最後に健史は平井恭一を訪ね当て、盲目の老人になっている恭一に促されてその封書を開く。それは時子が出征を控えた板倉と会うためにタキに托した手紙で、タキはそれを板倉には渡さなかったのだ。タキは時代の要請でそのような選択をしたのだろうか、あるいは時子とタキはイタクラ・ショージの『小さいおうち』に描かれた、手を握り合っているいつもいっしょの二人の女だったのだろうか、と健史は答えのない問を問い続ける。

小中先生がタキに語った頭のよい女中の話は、ジョン・スチュアート・ミルとトマス・カーライルの間に起こった出来事を脚色したもの。小中先生にもモデルがありそう。小中先生はこの物語ではほんの端役でしかないが、ちょっとしたくせ者で、いい年なのにちゃんと男の臭いもするのだ。(2011.4.9読了)
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by nishinayuu | 2011-07-04 10:28 | 読書ノート | Trackback | Comments(0)