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『坊ちゃん』(夏目漱石著、筑摩書房)


c0077412_10171020.jpg「親譲りの無鉄砲で小供の時から損ばかりして居る」という冒頭文からしてあまりにも有名な作品。内容もほぼ覚えているつもりだったが、今回読み返してみたらずいぶん印象が違っていた。清と坊っちゃんについては記憶に大きな間違いはなかったが、他の人物についてはいろいろと記憶違いがあった。たとえばマドンナ。その名前からみんなの憧れの女性だったような気がしていたのだが、実はお金に目がくらんだ節操のない女、と坊っちゃんは評しているのだ。マドンナだけでなく、校長や赤シャツ、生徒たちなど、坊っちゃんは松山で出会ったほとんどの人に嫌悪感を抱いている。その中でただ一人、松山の人間でありながら坊っちゃんに嫌われていないのが、影が薄くて(以前は多分きちんと読めていなかったために)印象に残っていなかった「うらなり」の古賀。坊っちゃんは(漱石は、と言ってもいいかもしれないが)松山の人間だけでなく、松山の町そのものも肌に合わなかったらしく、温泉以外はことごとく貶しているのだ。
さて、今回『坊っちゃん』を読み直したのは、道後温泉に2泊3日の旅をすることになったからだが、行ってみて驚いた。松山の町には「坊っちゃん列車」が走り、道後温泉駅の前には「坊っちゃんからくり時計」があり、道後温泉本館には「夏目漱石の部屋」まであった。松山は町をあげて漱石と坊っちゃんをとっても大切に扱っているのだ。あんなにばかにされているのに、である。ばかにされようと貶されようと、漱石と坊っちゃんを大切にしている松山の人びとのおおらかさ――青二才の坊っちゃんはこのおおらかさに太刀打ちできずに逃げ出すことになったのかもしれない。(2010.11.10読了)
☆画像は「坊っちゃん列車」です。
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by nishinayuu | 2011-02-28 10:17 | 読書ノート | Trackback | Comments(0)

『みずうみ』(よしもとばなな著、新潮社)


c0077412_10324415.jpg読書会「かんあおい」2010年11月の課題図書。私にとっては『キッチン』『とかげ』以来の三冊目のよしもとばななである。
語り手はママを亡くしたばかりの「ちひろ」で、壁画専門の売れない画家である。私生児として育った息苦しい田舎町を逃げ出してひとり暮らしをしている。アパートの窓から外を眺めるのが癖のちひろは、斜め向かいのアパートの窓辺でやはりいつも外を眺めている中島くんに気づく。中島くんもちひろに気づいて二人は遠くから挨拶を交わすようになるが、長い間ちひろは窓辺の中島くんを風景のように眺めるだけで慰められていた。
ママのことで長く部屋を開けていたちひろが戻ってきたとき、街でばったりであった二人は初めて一緒にお茶を飲む。そのとき中島くんが言う。「ちひろさんの窓明かりがないと、つらくて寂しい」と。それから少しずつ二人は近づいていき、やがて中島くんはちひろの部屋で泊まっていくようになる。そうなるまでに少なくとも1年はたっていた。
中島くんは変わった見た目をしていた。棒っきれみたいな手首、長い指、ぽかんと開いた口、首筋の情けないような線……。ちひろは「中島くんが好きで好きで、いつか中島くんが星になる日が来ても(彼には星になるのが似合いすぎる。そもそも彼は生きている感じが薄すぎるのだ)、私は中島くんの魂とともにいるだろう」と思うのだった。そんな中島くんがある日、静かなみずうみのほとりに住む懐かしい友だちに会いに、いっしょに行ってくれないか、つらくて一人では行けないから、と言う。ちひろはすぐに承知する。理由はまだよくわからなかったが、彼を傷つけることは普通の人を傷つけるよりもずっと恐ろしかったから。

深い傷を負った魂に訪れる再生を綴った、希望に満ちた物語でなかなかよかったが、ただひとつ、「す××心」という言葉がひっかかる。口にする人物(ちひろ)の品格を疑わせ、作品全体の品格も下げるこんな言葉を使う必要があるのだろうか。いくらでも違う言葉で言い換えられるだろうに。(2010.10.26読了)
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by nishinayuu | 2011-02-25 10:32 | 読書ノート | Trackback | Comments(0)

『エトルリアの微笑み』(ホセ・ルイス・サンペドロ著、渡辺マキ訳、NHK出版)


c0077412_10231770.jpgスペインはバルセロナ生まれの経済学者であり小説家であるホセ・ルイス・サンペドロが20年ほど前に発表したもので、100万部を超えるベストセラーになっているという。
元パルチザンの闘士だったサルバトーレ・ロンコーネ(またの名ブルーノ)は、南イタリアの故郷に別れを告げて息子の車でミラノに向かう。途中のローマで、息子が大学教授の妻の仕事のことで人と会うことになっていたので、ブルーノはヴィッラ・ジュリア博物館に立ち寄る。そこでであったエトルリアの遺物「夫婦の棺」にブルーノは釘付けになる。棺の蓋の上に夫婦の像があり、二人の顔には知的で謎めいて、穏やかだが官能的な微笑みがあった。どうして死ぬときに微笑んでいるのか、どうしたらこのように笑って死ねるのか。ミラノに向かう道でも、息子夫婦の家に着いてからもエトルリアの像の微笑みはブルーノの心を捕らえて放さない。ミラノに来たのは癌の検査を受けるためだったが、ブルーノには自分に残された命が長くはないことがわかっていた。
北の都会であるミラノも、女らしさの感じられない息子の嫁も、そんな嫁の尻に敷かれている息子も、ブルーノは気に入らない。けれどもそこには天使がいた。ブルーノと同じ名前が付けられた赤ん坊のブルネッティーノだ。小さいのにもう男っぽさをかいま見せる頼もしい存在でもあり、夜一人で寝かされている部屋で泣き声を上げたりするか弱い存在でもあるブルネッティーノのために、ブルーノは一日でも長く生き続けたいと願うようになる。息子夫婦に隠れて夜、子ども部屋に忍び込んで遊んでやったり、自分の人生を語って聞かせたり、武骨な手で細々と世話を焼いたり――小さな孫と、彼を通して知りあった人びとの交流の中で、息子の嫁のアンドレアから見れば粗野でがさつな田舎者だったブルーノが、そして自分でも男っぽさが誇りだったブルーノが、自分でも意外なことに、いつの間にか身も心も柔らかな人間に変身していき、周りの人たちもそれに巻き込まれるように変化していく。
一人の老人の人生経路と天恵のように訪れた至福の時を、きびきびした無駄のない文体で綴った傑作。(2010.10.21読了)
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by nishinayuu | 2011-02-22 10:23 | 読書ノート | Trackback | Comments(0)

『遙かなる航跡』(リシャール・コラス著、堀内ゆかり訳、集英社)


c0077412_1035137.jpg第1章「師走 鎌倉」に始まり、第36章「師走 鎌倉」に終わる一人の男性の半生の物語。作者がユニークで、1953年にフランスで生まれ、パリ大学東洋語学部を卒業。在日フランス大使館勤務を経て1981年にジバンシィ日本法人代表に就任、1999年からはシャネル日本法人社長、という経歴の持ち主で、この作品が初めての小説だという。
旅行者としてパリから日本にやってきた青年の「ぼく」は、日本語が話せない金髪碧眼のガイジンを歓迎してくれる人なつっこくて心温かい人びとに接しながら、快い旅を続けるうちに、運命の女性と出会う。夢のように美しいその女性と夢のような数日を過ごし、再会を約束して別れるが、二人をつないだ糸はそこでぷつりと途切れてしまう。33年後の11月、銀座にある会社のオフィスで、「ぼく」は一通の封書を受け取る。「浅黄色の和紙に、季節にふさわしい紅いもみじの透かしがある細長い封筒。優雅で女性的な封筒。裏に差出人の記載はなかった。(中略)手紙からかすかな香りが立ち上がり、手にしたとき軽い目眩がした。(中略)なじみのある匂い、記憶の奥底にしまい込まれたほのかな光がアラームのように点滅していたが、どこかで、どんな状況でこの匂いを嗅いだのか思い出せなかった。」
主人公が青年だった1972年と、銀座に社屋を構えるブランドの社長となっている現在が交互に語られ、主人公が封印していた過去がしだいに明らかになっていく。ミステリー風のストーリー展開と全編にあふれる日本論、日本人論でぐいぐい読ませる力作である。主人公はフランス人だが舞台のほとんどが日本なので、いつのまにか日本の小説を読んでいるような気がしてくる風変わりな翻訳小説である。(2010.10.19読了)
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by nishinayuu | 2011-02-19 10:36 | 読書ノート | Trackback | Comments(0)

「知識と知恵」


c0077412_119362.jpg新聞のコラム(2010.7.15朝日新聞)を韓国語にしました。原文は韓国語の下にある「知識と知恵」をクリックすると出てきます。なお、画像は勝海舟の『氷川清話』です。

지식과 지혜 경제-기상대
전에 어떤 유명한 재계인이 큰 회사의 재건을 위탁 받고, 그 회사로 들어가 내뱉든 첫 말이 “지혜가 있는 이는 지혜를 내라. 지혜가 없는 이는 땀을 내라” 였었다는 것을 들었을 때, 마츠시타 코오노스케(松下幸之助)는 “일이 잘 되지 않겠구먼” 이라고 중얼거렸다.
지혜란 땀을 흘리면서 필사적으로 실천하는 속에서 나오는 것이지, 땀도 흘리지 않는 사람이 내는 것은 지식에 불과하다. 지식은 중요한 것이지만, 그것에 구애되면 실패한다. 경영에서 성공하려면, 큼과 작음에 관계없이 독자적인 지혜가 있어야 하고, 지식에 현혹되면 그 본질을 잃는 법이다. 순서가 반대인 것 같다------마츠시타의 생각은 그런 것이었는가 보다. 과연 그 재건은 성공이라고는 할 수 없는 결과가 되었다.
지혜와 지식은 닮았지만 다른 것이다. 때로는 지식은 지혜로 도달하는 길을 방해하기까지 한다. 메이지 이래, 서구를 따라잡는 것이 나라의 기본 방침이었던 우리 나라에서는 재빨리 서구의 지식을 번역-해석하는 것으로 권위자가 될 수 있었다. 그 결과, 지식과 지혜의 관계는 애매한 것으로 되어버렸다.
지금 일본에는 지식이 남아돌 정도로 많다. 모든 면에서 거리낌 없이 논의하여, 결정은 점점 늦어지고, 일이 결정될 때는 이미 시기를 놓쳐서 곤란이 한 층 더 심해지는 사태가 되기도 한다.
저 메이지시대의 일대변혁기를 잘 타개한 지혜자 카츠 카이슈(勝海舟)는 그 회상록 속에서 ‘시대가 변할 때란 무서운 바가 있어서, 그 직전까지만 해도 학식이 풍부한 수재로 알려진 사람들이 얼마나 무능한지를 여실히 밝혀진다’ 라는 의미의 말을 남긴다.
메이지 이후 백수십년. 지금 일본은 다시 일대변혁의 시기를 맞이하게 되었다. 카이슈나 남슈(南州)와 같은, 기성 지식이나 공식론에 환혹되지 않는 대단한 지혜자, 대단한 경세가가 나오기를 갈망해 마지않는다.

「知識と知恵」
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by nishinayuu | 2011-02-16 11:09 | 翻訳 | Trackback | Comments(0)

『愛と名誉のために』(ロバート・パーカー著、菊池浩一訳、早川書房)


c0077412_1155290.jpg1950年の初秋、コルビイ大学の新入生ダンス・パーティで18歳のブーンはジェニファと踊った。それはブーンが生まれた日――ジェニファとともに生きようという情熱と決意が芽生えた日だった。作家志望のブーンは授業に興味が持てずに大学を中退し、そのまま徴兵されて朝鮮戦争にかり出される。兵役を終えて帰国してみると、ジェニファには結婚相手がいた。人生の目標を失ったブーンは職を転々とし、ニューヨークからカリフォルニアへと流れていく。その間ずっとジェインへの思いは変わることなく、はじめのうちは手紙を書いては投函していたが、そのうちにただノートに自分の思いを綴るだけになる。酒に溺れ、身も心もぼろぼろになっても、そのノートだけはいつも身につけていた。
1961年初秋のある日、ブーンはふと我に返って自分の姿を見つめる。海で全身を洗い清めて街に出る。コーヒー・ショップに手書きの求人広告が出ていて、一人の男が店の前の路上を掃除していた。店のオーナーのトムだった。トムに拾われたこのときから、ブーンの「愛と名誉のための」闘いの日々が始まる。

ブーンのとことんまで堕ちていく様のすさまじさと、そこから立ち直って再生していく様の輝かしさは、ちょっと現実離れしているが、そこがこの作品の読みどころでもある。全体にきびきびしていて、男性的な作品という印象である。ただしそういう印象を受けたのは、もしかしたら会話文の訳がやたらに堅苦しいせいかもしれない。
たとえば次のような文に出くわすと、「ん?」となって先に進めなくなる。いずれもジェニファがブーンに語りかけていることばである。
(例1)「あなたはそんなことはない。あなたがそうでないから、わたしは、そうでない生活が可能であることを知っている」
(例2)「あなたは、わたしと一緒にいることで、そしてあなたの人となりで、わたしにいろいろなことを教えてくれた。さらに……」
(例3)「わたしは、得たばかりの知的卓越性の証拠に心を奪われて、ごくありふれた言葉が思い浮かばない。」
(2010.10.17読了)
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by nishinayuu | 2011-02-13 11:06 | 読書ノート | Trackback | Comments(0)

『やんごとなき読者』(アラン・ベネット著、市川恵里訳、白水社)


c0077412_1152278.jpgイギリスの劇作家、脚本家、俳優、小説家であるアラン・ベネットの作品で、原題はThe Uncommon Reader。

エリザベス女王がある日、宮殿の裏庭で移動図書館に出くわす。本を借りにきていた厨房の職員ノーマンに声をかけたのがきっかけで、女王も本を借りることになる。本を借りずに帰ったら司書が、この移動図書館には何か欠陥がある、と思うかもしれないからだ。こうして女王と移動図書館のつきあいが始まり、女王はノーマンを道案内にして読書の道に分け入る。読書の魅力に目覚めた女王は、ノーマンを書記として身近におき、本の選択や調べ物を担当させるようになる。こうしてごく普通の読書人だった女王が熱心な読書家に変身し、やがて自分も本を書こうと思い立つに至る。

生真面目で一途で浮世離れしていて、それを自覚しているだけではなく、世間からもそう見られていることも承知していて、それをうまく利用することも知っている女王。そんな女王を面白そうに眺めているだけで、意見を言ったりはしないエディンバラ公。読書にのめり込んで公務に身が入らない女王にも、女王を読書に引きずり込んだ元凶のノーマンにも苦々しい思いを抱いている秘書のサー・ケヴィン。ただの本好きの厨房職員から大学で創作を学んだ前途有望な青年へと成長するノーマンなど、多彩な登場人物がそれぞれ魅力的に描かれている。また、全編に政治家や作家の人柄や作品についての言及があふれており、それらに対する女王の評(作者の評ですよね)がユニークで楽しい。軽妙な読書案内としても読めるし、風刺と敬愛の情のない交ぜになった「エリザベス女王伝」としても読める。(2010.10.11読了)
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by nishinayuu | 2011-02-11 11:05 | 読書ノート | Trackback | Comments(0)

『もしかして聖人』(アン・タイラー著、中野恵津子訳、文藝春秋)

c0077412_10391838.jpg2冊目のアン・タイラー。1991年出版で、原題はSaint Maybe。
冒頭でペドロウ・ファミリーが紹介される。家はウェイヴァリー・ストリートの8番。9番は「外国人の家」で、ジョンズ・ホプキンズ大の大学院に通う中近東の留学生が住んでいる、とあるのでメリーランド州ボルティモアのどこかだとわかる。1965年、ペドロウ家はおおらかな両親と、郵便局に勤めている長男のダニー、高校2年で17歳のイアン、という家族構成で、長女のクローディアは結婚して家を離れ、大勢の子どもたちに囲まれて暮らしていた。その年の春、30に手が届こうとしていたダニーが、窓口にやってきたルーシーと恋に落ちた。小柄で華やかで、まるで赤い小鳥のようなルーシーは、離婚歴があって二人の子どももいる女性だった。ペドロウ家の人びとはとまどいながらもルーシーと子どもたちを家族として受け入れる。ところがある日、ルーシーの不審な行動を見て誤解したイアンは、彼女が生んだ三番目の子どもは兄の子どもではないのではないか、という疑いをダニーにぶつける。それを聞いたダニーは車を暴走させて死んでしまい、しばらくあとにルーシーも事故死してしまう。残された三人の子ども――アガサ、トーマスと赤ん坊のダフニはペドロウ家に移ってくる。ダニーと血のつながりのあるダフニはともかくとして、他の二人は血縁者に引き取ってもらわないと、ということで、まずルーシーの別れた夫探しが始まる。ペドロウ夫妻はもう年だし、イアンはまだ高校生で、将来もある身だからだ。父親探し、血縁者探しはいっこうにはかどらず、その間にも子どもたちとは全力を傾けて向き合わねばならない。そんな日々の中でイアンは、自分の不用意な言葉が兄に死をもたらし、子どもたちからは母親を奪い、両親からは平穏な日々を奪ってしまったという思いに苛まれる。どうしたら償えるのか、そもそも償うことはできるのだろうか。イアンの心の旅は続き、そんなイアンに見守られながら子どもたちは大きくなっていく。
ペドロウ一家という実にすばらしいアメリカン・ファミリーに出会えるすてきな物語である。それに、ペドロウ家を取り囲むご近所の人びと、外国人たち、イアンが通う教会の牧師や教会員たちなども、それぞれ魅力的に描かれている。外国人に関する次のような文は笑える。
(彼は)白いシャツとブルー・ジーンズというスタイル。ジーンズのはき方を見ると外国人だとわかる。いつもこざっぱりして、ちゃんとウェスト・ラインのところにウェストがあり、この男の場合、アイロンの線までついている。(2010.10.10読了)
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by nishinayuu | 2011-02-07 10:39 | 読書ノート | Trackback | Comments(0)

『日曜日の空は』(アイラ・モーリー著、古屋美登里訳、早川書房)


c0077412_8481099.jpgアパルトヘイト時代の南アフリカで育ち、現在ロサンジェルスに住む著者のデビュー作。
「アフリカには良い月と悪い月がある。月が大地の恵みと人の運命を告げる。月食、黄色い月、弧が上にある三日月は不吉だ。飢え、不作、争い、病いが起きる。まわりにうっすらと暈のかかる月が意味するものはたったひとつ。死だ。」――月に暈のかかっていた夜が明けた日、アビーは三歳の娘クレオを失う。ぎくしゃくしていた夫との関係を修復するために二人で映画を見に行っている間に、友人のところに預けておいたクレオが凧を追って道に飛び出し、車にはねられたのだ。その直前までアビーは、雑誌記者として締め切りに追われる日々の中でのしかかる家事、反抗期にさしかかってやたらに要求の多いクレオ、誠実な牧師だが家事や育児には頭が回らない夫、修理をさせたのに依然として雨漏りする車庫、反対ばかりする小うるさい教会の夫人たちなどのせいで苛立ちを募らせていたのだが、それらはすべて吹き飛んでしまう。鮮明に蘇るクレオのことばやしぐさ。煩わしくてじっくり味わうこともなかったそのかわいい言動は、もう永遠に戻ってこないのだ。アビーの絶望と怒りはあまりに激しく、心は氷のようになってその冷気で周りの人びとを凍らせる。夫と悲しみを分かち合うこともなければ、友人・知人のいたわりも、そして神さえも拒絶する。そうした絶望の中でアビーは自分を見つめ、南アフリカでの少女時代に思いを馳せる。粗暴だった父親、そんな父親のもとに留まることを選んでアビーを捨てた母親、アビーを見守ってくれた祖母とその農園、まじない師のビューティ。夫も去って一人になったアビーは、さしあたっての金銭問題を解決するために、遺産として兄と自分に残された農園を売ることにする。こうしてアビーは二度と帰るつもりのなかった南アフリカに向かう。
激しい絶望と怒りが心神耗弱をもたらすのではなく、逆に凄まじいエネルギーとして主人公を突き動かすという、圧倒的な迫力の作品である。「訳者あとがき」に次のような著者のことばが載っている。
「どんなに恐ろしいことが起きても、必ず希望は訪れる。希望を持ち続けることができないような辛いときも、やがて希望はやって来る。日曜日が必ず来るように。読者の皆さんにはこの小説からそのメッセージを読み取っていただきたい。」(2010.10.6読了)
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by nishinayuu | 2011-02-04 08:48 | 読書ノート | Trackback | Comments(0)

韓国の詩 「風のことば」 馬鍾基

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   「風のことば」 馬鍾基



われらがすべて 去り行きしのち わが霊魂が 君に触れなば
ゆめゆめ春の 枝葉を揺する 風のわざとは 思ひ給ふな

けふの日われは 君知り給ふ かの地の暗き 片隅に立ち
花木ひともと 植えおかむとす その木の生ひて 花咲くときは
わが身に課せし 苦難はすべて 花びらとなり 飛び去り行かむ

花びらとなり 飛び去り行けり。 耐え難きほど 果てしなけれど
何そ咫尺を 測るのみにて この世の中を 過ぐすべきかは
愛しき君よ 時には風に 耳傾けよ 
かなたの空ゆ 風のことばの 流れ来るらむ


바람의 말     마종기
우리가 모두 떠난 뒤
내 영혼이 당신 옆을 스치면
설마라도 봄 나뭇가지 흔드는
바람이라고 생각지는 마.

나 오늘 그대 알았던
땅 그림자 한 모서리에
꽃나무 하나 심어놓으려니
그 나무 자라서 꽃피우면
우리가 알아서 얻은 모든 괴로움이
꽃잎 되어서 날아가버릴 거야.

꽃잎 되어서 날아가버린다.
참을 수 없게 아득하고 헛된 일이지만
어쩌면 세상의 모든 일을
지척의 자로만 재고 살 건가.
가끔 바람 부는 쪽으로 귀기울이면
착한 당신, 피곤해져도 잊지 마,
아득하게 멀리서 오는 바람의 말을.

☆詩の解釈も日本語の文語体も怪しい限りですが、アドヴァイスを期待してupしておきます。
なお、馬鍾基の詩はここにもあります。→「電話」
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by nishinayuu | 2011-02-01 14:19 | 翻訳 | Trackback | Comments(2)