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『失われた時を求めて 5』(マルセル・プルースト著、鈴木道彦訳、集英社)

c0077412_956126.jpgこの巻には第3編「ゲルマンとの方」のⅠが収められている。
語り手の一家はパリのアパルトマンに引っ越してくる。そこはゲルマント公爵夫人の館の一翼にあって彼女のアパルトマンに隣接している。語り手は、ゲルマントという地名から喚起されるものと実際のゲルマント夫人とをうまく同化できないでいるが、夫人に近づきたくて、毎朝散歩中の夫人を待ち伏せる。「心底から公爵夫人を愛してしまった」のだが、このあたりの語り手の行動は完全にストーカーである。
夫人に近づくために、語り手はドンシュールの駐屯地までサン=ルーに会いに行く。彼の叔母である夫人に語り手を招待するよう働きかけてもらおうとしたのだ。しかし、サン=ルーは愛人との関係に悩んでいて語り手の望みは叶えられそうもない。サン=ルーが100万フラン以上も投じている愛人というのが、以前売春宿で20フランを稼ぐのに躍起になっていた別名「ラシェルよ、主の」だということに気づいた語り手は、恋の苦悩を支える幻想の偉大さに感動する。
やがて語り手はヴィルパリジ侯爵夫人のサロンを訪れる。ゲルマント一族の一員でありながら、型破りの言動のため社交界では高い地位を得られなかった人物である。このサロンで語り手は大勢の人びとに出会い、彼らの話を聞き、彼らを観察する。ゲルマント公爵夫人、ゲルマント公爵、外交官のノルポワ氏、語り手の友人であるブロックとサン=ルー、サン=ルーの母親であるマルサント夫人、スワン夫人オデット、古文書学者や歴史学者そしてシャルリュス男爵。絵を描きながら応対するヴィルパリジ夫人を中心に様々な話題、人物評が飛び交うなかで、人びとがときには熱を込めて、ときには嫌悪を露わに、ときにはちゃかすように繰り返し取り上げるのはドレーフェス事件とユダヤ人である。
ヴィルパリジ夫人の家から帰る時、シャルリュス男爵が語り手に異常接近する。また、最後は祖母の病気の話で締めくくられており、この二つの出来事が今後どう展開していくのか、第6巻への期待はいやが上に高まる。(2010.9.7読了)
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by nishinayuu | 2010-12-30 09:56 | 読書ノート | Trackback | Comments(0)

『容疑者たちの事情』(ジェイニー・ボライソー著、山田順子訳、創元推理文庫)

c0077412_10503476.jpg扉の紹介文に「イギリス南西部のコーンウォール。南ヨーロッパを思わせる、風光明媚なこの地を舞台に繰り広げられる、コーンウォールの魅力満載のライトミステリ第一弾」とある。原題はSnapped In Cornwallで、この著者の本邦初訳の作品だという。
主人公のローズ・トレヴェリアンは最愛の夫を4年前になくした40代半ば過ぎの女性。風景画家であるが写真家としての仕事の方が本業のようになっている。ロンドンから移転してきて間もないガブリエル・ミルトンという女性と写真の仕事で知りあい、彼女の催したパーティーに出かけたローズは、パーティーの最中に庭でガブリエルの死体を発見してしまう。ガブリエルはバルコニーから突き落とされたことがわかり、その場に居合わせた人はすべて殺人事件の容疑者となる。
死体の第一発見者であるローズはもちろん有力な容疑者であるが、そのほかの有力な容疑者は、職場のあるロンドンからやって来ていたガブリエルの夫デニス、息子のポールとそのフィアンセであるアンナ、デニスの不倫相手でガブリエルが招待するはずのないマギー、家政婦のドリーン・クラーク、ガブリエル家に出入りしている暖房設備工のジム、その妻で異常なほど嫉妬深いアイリーンなど。好奇心に駆られたローズは、担当警部のジャック・ピアースにかくれて独自の調査を進めていく。そして気がついた時には、犯人に近づきすぎていたのだった。
洒落た仕事をしていて、ある程度の容貌と知性の持ち主でもあり、徹底的に献身的な崇拝者がついている、というあきれるほど恵まれた女性が主人公なので、緊張感も緊迫感もなく、なんとも長閑なお話。いわば癒し系ミステリーである。(2010.9.5読了)
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by nishinayuu | 2010-12-27 10:50 | 読書ノート | Trackback | Comments(0)

『ホース・ウィスパラー』(N・エヴァンス著、村松潔訳、新潮社)

c0077412_11222654.jpg「最後に再び死があるように、初めにも死があった」という不安をかき立てる文で物語は始まる。続いて初雪の朝、乗馬をしに出かける二人の少女と、チェーンを付けていない大型トレーラーを運転して目的地に急ぐ運転手が登場する。そして、トレーラーがスリップし、驚いた馬が足を滑らせて……。
友人のジュディットとその愛馬のガリバーは、グレース(13歳)の目の前で無惨な死を遂げる。グレース自身も片足切断という大怪我を負い、愛馬のピルグリムは大怪我をした上、事故の衝撃で荒れ狂い、人を寄せつけなくなってしまう。
友を失い、愛馬を失い、身体の自由も失って心を固く閉ざしたグレースと、やはり人間に対して心を閉ざしたピルグリムが、ホース・ウィスパラーとの出会いによって徐々に回復していく過程が丁寧に描かれており、思春期の淡い恋と大人たちの恋も盛り込まれて、読み応えのある作品になっている。ただ、冒頭で予告されたとおり、最後にもう一つの死が訪れるのであるが、この二つ目の死はなくてもよかったのではないか、という疑問が残る。
馬と心を通わせる、というとドリトル先生が思い浮かぶが、ここに登場するホース・ウィスパラーはもっと若くて格好いい。「モンタナの風に吹かれて」というタイトルで映画化された作品で、ロバート・レッドフォードがこの役をやっているのもうなずける。(201.8.29読了)
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by nishinayuu | 2010-12-24 11:22 | 読書ノート | Trackback | Comments(0)

「高速に幽霊出没」


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☆新聞のコラム(2010.1.22、朝日新聞)を韓国語にしてみました。原文は韓国語の下にある「高速に幽霊出没」というところをクリックしてお読みください。


고속도로에 유령이 출몰 특파원메모 베를린
독일의 고속도로에는 번번이 [유령]이 출몰한다.
전날, 일본의 수도고속도로에서 역주행차에 의한 사고가 있었는데, 고속도로를 차로 역주행하는 이를 독일어로 [Geisterfahrer(유령드라이버)]라고 하다. 운전중에 라디오를 듣고 있으면 “××부근에 유령드라이버가 있습니다”와같은 교통정보가 빈번하게 흘러나온다.
왜 그러는가. 첫번째 이유는 독일의 고속도로는 모두 무료여서 요금소가 없다는 것. 오스트리아, 스위스 같이 고속도로가 유료화되어 있는 이웃 나라에 갈 때도, 서비스에어리어 등에서 산 통행권을 차에 붙이기만하면 그냥 통행할 수 있고, 요금소는 없다. 둘째로, 일본처럼 극진하고 자상한 도로표식이 없다는 것. 표식은 필요최소한도로 억제되어, 출구차선에만 일방통행 표식이 놓여 있다. 베를린에 부임해온지2년 반쯤이 되었는데, 나도 출구로 들어가서 동승자를 당황하게 한 일이 몇 번이나 있었다.
독일인 친구에게 “역주행 방지대책을 철저히 해야하다”고 말했지만, “유령은 전체에서 볼 때 미미한 수이다. 대책비용 때문에 유료화가 되면 그것이야말로 문제이다. [유령은 있는 법이다]고 깨끗이 받아들이고, 조심하기만 하면 되는 걸”이라며 아무렇지도 않게 대답한다. 과연 유령이 원인인 사고는 거의 들은 적이 없다.
그냥 받아들일 수가 없는 것 같지만, 로마에 가면 로마의 법을 따르라 던가. 오늘도 눈을 크게 뜨고 핸들을 붙잡고 있는 수밖에 없다.

「高速に幽霊出没」
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by nishinayuu | 2010-12-21 21:50 | 翻訳 | Trackback | Comments(0)

『A Long Way from Chicago』(Richard Peck、Puffin)

c0077412_113856.jpgシカゴに住む兄妹が、イリノイ州の田舎に住むおばあちゃんのもとで夏を過ごした数年間の物語。ふたりが初めて一夏をおばあちゃんと過ごすことになったのは1929年、兄のジョーイが9歳で、妹のメアリ・アリスが7歳のときだった。
さて、このおばあちゃんだが、無愛想で近所づきあいも悪いし、常識外れの突飛なことを平気でやってのける。たとえば、お祭りでケーキ作りのコンテストがあったとき、自分のより上手なケーキについている名札を、自分の名札と入れ替えてしまう。同じお祭りの複葉飛行機の試乗という出し物のところでは、試乗に必要な各部門の優勝者に与えられるブルーのリボンを捏造して、乗りたがっていたジョーイを乗せてしまう。教会のバザーのときは、屋根裏にあった古い帽子にAL、キルトにMTLというイニシャルをつけて、アブラハム・リンカーンの帽子だ、メアリ・トッド・リンカーンのキルトだと思いこんだ町の名士夫人に高額で購入させてしまう。同じ名士夫人の父親で90歳の老人が「最年長者」として受賞するという話を聞くと、町外れに住む「103歳の老人(実は本当の歳は不明)」を担ぎ出して名士一族の鼻をあかす、という具合。同じイリノイで、時代も重なる『たんぽぽのお酒』の、あの知的で良識のある、教育的なおじいちゃんとは大違いの、実に非教育的なおばあちゃんなのだ。ただし、それはおばあちゃんが世間体に惑わされず、自分の信念に従って生きているからなのであって、誰もが町から追い出すことだけを考えている流れ者たちのために大量に食べ物を用意してゆっくり食べさせてやったり、家を追い出された仇敵の女友達のために家を取り戻してやったりする、すてきなおばあちゃんでもあるのだ。1935年までの7回の夏をそんなおばあちゃんと一緒に過ごすうちに、メアリ・アリスはしぐさや表情がだんだんおばあちゃんに似てくるし、ジョーイは幽霊伝説を利用して恋人たちの逃避行に手を貸してやるような、おばあちゃん並みに悪知恵の働く若者になる。いつの間にか息のあった三人組になっていたわけだが、おばあちゃんと孫が互いをどう思っているのかを直接語ることばはないまま、物語は次のような絵画的で印象的な場面で締めくくられている。
「ずっと後の1942年、第2次大戦が始まって空軍に志願したジョーイは、訓練所に向かう列車がおばあちゃんの町を通ることを電報でおばあちゃんに知らせる。列車が町にさしかかったのは夜明け前で、町は寝静まっていた。が、町外れにある最後の家には煌々と明かりがともっていた。そしてドアの前には明かりに縁取られたおばあちゃんの大きな姿があった。おばあちゃんは列車が通過する間、どこに乗っているのかわからないジョーイに向かってずっと手を振り続けていた」(要約)
1999年ニューベリー賞の受賞作。世界恐慌が生んだ流れ者の群が町に押し寄せたり、ジョン・デリンジャー(FBIから社会の敵No.1と名付けられた銀行強盗)はまだ生きているという噂が流れたり、メアリ・アリスがシャーリー・テンプルを意識したり、ジョーイがリンドバーグに憧れたり、と時代を映すエピソードも多く、児童文学の枠を越えた読み物になっている。(2010.8.20読了)
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by nishinayuu | 2010-12-18 11:03 | 読書ノート | Trackback | Comments(2)

『裁判』(エルマー・ライス著、林清俊訳、青空文庫)

c0077412_958879.jpg陪審員の一人が遅刻してきた場面から始まり、陪審員が評決を下すまでを描いた戯曲形式の作品。
事件の状況は第1幕の1場で明らかにされる。――6月24日夜のトラスク邸。トラスクが外出先から帰宅し、ストリックランドが借金を返してくれたと言って現金1万ドルを秘書に渡す。秘書のグローバーは現金を金庫に入れたあと、金庫のダイアルを回す間、身体で金庫を隠す。トラスク夫妻が離婚する、しないでもめ、結局仲直りして部屋を出ていく。するとグローバーが登場して暗闇のなかで金庫から現金を取り出し、物音に気づいて入ってきたミセス・トラスクを押し倒す。そこへストリックランドがピストルを持って窓から侵入してきて、グローバーは暗闇に消える。電話の音でトラスクが登場、「ああ、メイ、君か」と言ったところでストリックランドに気づく。ストリックランドが発砲し、トラスクが死ぬ。グローバーが杖を持って現れ、ストリックランドを打ち据える。
第1幕の2場は法廷の場面。被告のロバート・ストリックランドははじめからジェラルド・トラスク殺害の罪を認め、弁護を拒絶している。特に、幼い娘のドリスを証人台に立てることには必死で抵抗する。第2幕の2場は事件当日のストリックランド家の書斎で、ストリックランドがピストルを持って家を飛び出すことになったいきさつが描写される。そして3幕の2場、3場で、事件の裏に隠された関係者たちの人間関係が明らかにされる。クライマックスはエピローグ。1場は陪審員室で、陪審員たちの意見は11対1に割れる。2場は陪審員たちの請求によって開かれた法廷の場面で、ここで陪審の意見は一致し、裁判は決着する。
登場人物は上記の他に、検事のグレイ、弁護士のアーバックル、裁判長のディンズモア、医師のモーガン、陪審長トランブル、サマーズほか11名の陪審員たちなど。
醜い人間はそれなりの報いを受け、心正しい人間は正当に評価される、という至極まともな内容で、気持ちよく読める。(2010.8.17読了)

☆画像は1928年に映画化された際にストリックランドを演じたバート・リトルです。
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by nishinayuu | 2010-12-15 09:55 | 読書ノート | Trackback | Comments(0)

『見えない光景』(メアリー・ロバーツ・ラインハート著、林清俊訳、青空文庫)

c0077412_11432943.jpg原題は『Sight Unseen』で1921年に発表されたもの。
語り手の「ぼく」は53歳の法律家で、リューマチのために外出できないミセス・デインのために仲間を集めて「ご近所クラブ」を運営している。毎週月曜に夕食をともにしながらおしゃべりを楽しむこの会のメンバーは、ぼくとその妻、新聞の文芸欄編集者のハーバートとその妹で校正係のアリス、心臓の専門医であるスペリイ、そしてミセス・デインの6人。11月2日の会合では、ゲストに霊媒術士の若い女性ミス・ジェレミイを迎えて、心霊術を体験することになる。夜の9:30にトランス状態に入ったミス・ジェレミイは「男がピストルで死に、そばに若い女が立っている」と語る。その直後の9:35にスペリイに電話が来る。ミセス・デインの家から1マイル以上離れた所にあるウエルズ家の家庭教師からで、当主のアーサーがピストル自殺したという。
ここから「ご近所クラブ」の面々による調査が始まる。現場検証に乗り出すぼくとスペリイ。椅子に座ったままで推理を働かせるミセス・デイン。その過程でぼくは、ウエルズ家の火ばさみをうっかり持ち帰ったり、降霊会のメモを入れた外套をなくしたり、というドジを繰り返して妻の信用をなくすが、これらのドジも結果的には事件解決に一役買うことになる。降霊術はさらに2回行われ、その際にミス・ジェレミイが口にしたバッグ、手紙、カーテン、乗車券、なども事件と重大な関わりがあることがわかる。
登場人物は他に、アーサー・ウエルズの妻エレナ、ミセス・デインの付添人クララ、ウエルズ家の執事で事件後にミス・ジェレミイが雇うことになったオーキンズなど。
事件発覚のきっかけは降霊術であるが、事件解明の過程はきちんと筋の通った、正統的な推理小説である。(2010.8.13読了)
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by nishinayuu | 2010-12-12 11:43 | 読書ノート | Trackback | Comments(0)

『愛と哀しみのマンハッタン』(ジュディス・クランツ著、尾島恵子訳、集英社)

c0077412_10171086.jpgニューヨーク生まれの著者による1986発表の作品で、原題はI’ll Take Manhattan。
ひときわ目立つ美貌の持ち主であるマキシが、コンコルドのスチュワーデスともめる場面から物語が始まる。飛行機がまだ停止スポットに向かって滑走中なのに、マキシが席を立って「何をもたついているの」とスチュワーデスに文句を言ったからだ。さらに入国審査ゲートではパスポートのことで、税関では関税すり抜けの常習犯なので、それぞれの係員ともめる。「生まれつきわがままで、規則に縛られるのが大嫌いな」と冒頭で紹介されるマキシだが、そんな言葉ではすまされない、鼻持ちならない女性である。大富豪アンバービル家の一人娘で29歳。娘が一人いて離婚歴が3回というマキシは、フランスのブルターニュで楽しんでいた休暇を中断してコンコルドでニューヨークに駆けつけたところだ。兄のトビアスから電話があり、兄にもマキシにも内緒でアンバービル出版社の緊急役員会が召集されることを知ったからだ。
役員会で、父(1年前に不慮の死を遂げた)の作った出版社を、そして父亡き後の母を、父の弟であるおじがわがものにしたことが明らかになる。その後、おじは出版社から父の足跡を消し去ろうとやっきになり、創業期からの社員を追い出しにかかる。この辺りから、それまであきれたわがまま娘でしかなかったマキシが有能な女性に変身し、何を考えているのかわからない感じだった母親も最後の最後にいきなりまともになり、という具合にちょっとあり得ない展開になる。それでもまあ、あれこれこだわらずに読めば、華やかなニューヨークを舞台にした、ばりばりのキャリアウーマン誕生の物語として、楽しめなくもない。
ところで、この日本語タイトルはなんとかならないだろうか。『愛と哀しみのボレロ』(1981年のフランス映画)、『愛と哀しみの果て』(1985年のアメリカ映画)、『愛と哀しみの旅路』(1990年のアメリカ映画)、『愛と哀しみのノクターン』(Versaillesの歌)、『愛と哀しみのラストショー』(チェッカーズの歌)などなど、「愛と哀しみ」が安易に濫用されている。それに、そもそもこの作品のどこに「哀しみ」があるというのか。(2010.8.11読了)
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by nishinayuu | 2010-12-09 10:17 | 読書ノート | Trackback | Comments(0)

息長帯(オキナガタラシ)ひめ  その3

c0077412_9451497.jpg☆『古事記』の再話と韓国語訳です。歌謡の部分はほぼ五七調にしてあります。

타케우치의스크네-미코토가 황태자를 모시고 미소기(注1)를 하기위해 아흐미-국과 와카사-국을 돌아다녔었을 때, 츠느가(注2)에 행궁을 지었단다. 그 때 타케우치의스크네-미코토의 꿈속에 그 고장의 신인 이자사와케-대신이 나타나서 말하기를,
“ 황태자께서 저의 이름을 바다주시면 좋겠소이다.”
타케우치의스크네-미코토는 기뻐하며 이렇게 대답했단다.
“망극하옵니다. 말씀하신대로 성함을 받아서 황태자께 드리오리다.”
신이 다시 말하기를,
“내일 아침 바닷가에 나오소서. 성함을 바꾸신 황태자께 선물을 바치리로다.”
그래서 이튿날 아침 황태자께서 바닷가에 나가셨더니, 코가 깨진 돌고래들이(注3) 이미 바닷가에 몰려와 있었어. 그것을 보신 황태자께서는 “나에게 신성한 생선을 내리셨구나” 라며 기뻐하셨어. 그리고 신을 칭찬하기 위하여 신에게 [미케츠-대신] 이라는 이름을 보내셨단다. 그것이 바로 우리가 지금 케히-대신이라고 부르는 신이다. 황태자의 모친인 오키나가타라시히메-미코토는 기다림-주(注4) 를 준비해 놓고 황태자를 기다렸단다. 그 때 오키나가타라시히메가 노래하기를,

이 술은 내가 빚은 술이 아니고, 술의 신으로 불로불시의 나라에 석상으로 서 계시는 수크나히코-신이 축복을 되풀이하며 매우 축복하신 후 보내주신 술이라
안색이 퇴색되지 않도록 많이많이 드시옵소서, 어서


(注1) 냇물로 몸을 씻는 의식
(注2) 지금의 후크이-현 츠르가-시 부근
(注3) 돌고래를 잡을 때 작살로 코를 찌른다. 즉 코가 깨진 돌고래란 잡힌 돌고래를 의미한다.
(注4) 돌아올 사람을 위하여 빚는 술. 주술적 의미가 있음.

建内の宿祢の命は、皇太子をお連れしてみそぎをするために淡海・若狭の国を巡ったとき、角鹿(つぬが。現在の敦賀)に仮宮を建てた。すると建内の宿祢の命の夢に、土地の神様のいざさわけ大神様が現れて言ったのだよ。
「私の名を御子にさしあげたい」
建内の宿祢の命は喜んで、こう答えた。
「畏れ多いことです。お言葉通りにお名前を戴いて御子に奉りましょう。」
神がさらにこうおっしゃった。
「明日の朝、浜においでなさいませ。お名前をお変えになった御子に贈り物をさし上げましょう。」
それで翌朝、皇太子が浜に出てみると、鼻に傷のある海豚(海豚は銛で突いて捕らえるので、鼻に傷がある海豚とは捕らえた海豚を意味する)がすでに浜いっぱいに集まっていた。それを見た御子は「神の食べ物をくださったのだね」とお喜びになった。そして、神を称えて「御食津大神」という名をお贈りになった。それが今、気比(けひ)の大神と呼ばれている神なのだよ。御子の親である息長帯(オキナガタラシ)ひめは、待ち酒を用意して御子を待っていた。その時、息長帯ひめが歌った歌

この御酒(みき)は わが御酒ならず 酒司(くしのかみ) 常世にいます 石立(いわたたす) 少名御神(すくなみかみ)の 神壽(かむほき) 壽狂(ほきくるほし) 豊壽(とよほき) 壽廻(ほきもとほし) まつりこし御酒ぞ 褪食(あさずをせ 注) ささ
注:顔色が覚めないようにどんどん召し上がれ
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by nishinayuu | 2010-12-06 09:45 | 再話 | Trackback | Comments(0)

『1Q84-Book3』(村上春樹著、新潮社)

c0077412_10252411.jpgこの巻では1章から30章まで牛河の物語、青豆の物語、天悟の物語が順番に語られていき、31章の青豆と天悟の物語で締めくくられている。○○真理教事件のおりにマスコミを賑わしたY弁護士を彷彿とさせる牛河は、Book2では醜い容貌と怪しい行動だけが目立つ不気味な存在だったが、この巻では生い立ちや経歴、暮らしかたや感情なども紹介され、人間味を帯びた存在として青豆や天悟と同じ比重で語られているわけだ。それでも結局最後には、牛河は物語の世界から消えていき、青豆と天悟だけが残る。ふたりは1Q84の世界――二つの月が浮かぶ世界から脱出することに成功するのである。
青豆と天悟は手と手を取り合って1Q84の世界から脱出する。 読者の予想を裏切らない(少なくともnishinaの予想通りの)方法で。あるとき青豆は夢の中で、銀色のメルセデス・ベンツ・クーペに乗った婦人に助けられたことがあったが、脱出したあとで立ち往生しているふたりを救ったのが銀色のベンツのクーペに乗った女性だった、というところもなかなかいい。ただし脱出した先の世界は、以前の1984の世界とは微妙に違う世界らしく、右側の横顔を見せていたと記憶しているエッソの看板の虎が、左側の横顔見せていることに青豆は気づく。それでもいい、ここがどんな世界であれ、このひとつきりの月を持った世界で天悟とともに生きていこう、と青豆は思う。つまりふたりの恋が成就するところで物語は終わっている。
しかしこの作品は単なる恋愛小説ではないし、○○真理教やら、△△の塔やらのカルト集団、闇の仕事人、シェルター・ハウスなどについて語ることを目的とした作品でもない。正体不明、行方不明のままで終わっている登場人物が多いのはそのせいであろうと思われる。つまりこの作品の眼目は、実際に目に見える世界のすぐ隣にパラレル・ワールドがあり、しかもパラレル・ワールドはひとつとは限らないことを暗示することなのだ。青豆と天悟という魅力的な二人の若者が、不安と怖れと一筋の希望を抱きながらひとつの世界から別の世界へ、さらにまた別の世界へと駆け抜ける、スリル満点の物語である。(2010.8.22読了)

☆ネットを見ていたら次のような記事が目に入りました。8月24日付の読売新聞です。
【オスロ=大内佐紀】作家の村上春樹氏(60)が23日夜、オスロ市内で講演し、ベストセラーとなった最新作「1Q84」について、2001年の米同時テロ事件が執筆の動機なったことを明らかにした。 村上氏は、同事件を契機に、「今、生きている世界とは別の世界がすぐそこにあるのではないかという感覚が世界中に広がったように思う」と述べた上、「(米国に)別の大統領がいて、対イラク戦争もない世界が同時進行しているかもしれないという、そんなシュールな感情を書きたくなった」と語った。
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by nishinayuu | 2010-12-04 10:25 | 読書ノート | Trackback | Comments(0)