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『1Q84-Book1』(村上春樹著、新潮社)

c0077412_15365991.jpg新聞広告でタイトルを見たとき、なんと読むのかわからなかった。というより、タイトルを音声化してみようとは思わなかった、というほうが正確かもしれない。日本語を読むときは多くの場合、声に出す必要が生じるまでは、音を意識しないのがふつうだからだ。それで、実際に本を手にしてはじめて、「いち・きゅう・はち・よん」と読むのだと知った。よく見るとタイトルの大文字の下に、小さな文字でichi-kew-hachi-yonとある。誤読されないように読み方を指示しているわけだが、kyuではなくkewとしてあるところに作者のこだわりを感じる。
「いち・きゅう・はち・よん」とくれば当然『1984』すなわちジョージ・オーウェルの『Nineteen Eighty-Four』が思い浮かぶ。1949年に発表されたこの作品でオーウェルが描いたのは、忌まわしい未来としての1984年の世界だったが、『1Q84』が描くのは今では過去となった1984年の世界、ただし現実の1984年とは微妙に異なる時空が存在する世界である。
物語は、スポーツ・インストラクターで裏稼業は殺し屋という女性・青豆に関する話と、予備校で数学を教えるかたわら小説を書いている男性・天悟に関する話が交互に綴られる形で進行する。いつもとは違う世界に入り込んだことに青豆が気づいたのは、首都高で渋滞に遭い、タクシー運転手の勧めで非常用階段を下りる、という突飛な行動をとったあとだった。しかし青豆の異世界との接触はそれより前に始まっていたのかもしれない。タクシー内に流れる曲がヤナーチェックのシンフォニエッタだとなぜかすぐにわかってしまったときから。あるいはそもそも、ヤナーチェックのシンフォニエッタを車内に流し、非常階段を使って高速道路を脱出しろと青豆に教えるような運転手のタクシーに乗り合わせたときから。
冒頭のインパクトのあるエピソードで一気に物語の世界に引き込まれ、仕掛けや謎があちこちに埋め込まれた中だるみのない展開で最後まで読まされてしまう。『ノルウエーの森』は納得できなかったが、この作品は今のところ気に入っている。(2010.8.3読了)

☆「猫も杓子も」読んでいるようなので、猫としては読まずばなるまいと思い立ち、友人に借りて読みました。(自分が猫だという自覚はないのですが、手助けするときの手が「猫の手」なのは確かなので、多分猫なのです。「杓子」でなくてよかった!?)
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by nishinayuu | 2010-11-28 15:37 | 読書ノート | Trackback | Comments(0)

『ママ、嘘を見抜く』(ジェイムズ・ヤッフェ著、神納照子訳、東京創元社)

c0077412_18155441.jpg2冊目のジェイムズ・ヤッフェ。原題はMom Among The Liars。
語り手は公選弁護人アン・スウェンソンの事務所で主任捜査官として働いているデイヴで、ユダヤ人の未亡人であるママはデイヴの家から2、3マイルのところに独りで住んでいる。妻を亡くして一人になったデイヴは、ママが同じ街に住むことになったときに、一緒に住もう、と申し出たのだが即座に断られている。「あんたと父さんのために20年間、身を粉にして家事に精出したわ。そして父さんが死んであんたが家を出てから20年、一人で暮らしてみると、まあその快適なこと。あんたはそのあたしにまた身を粉にして働けって言いたいの?」というのがママの言い分だった。それでデイヴは時々ママのところにご機嫌伺いに行き、食事をご馳走してもらうのだが、そのお返しに捜査中の事件について話すのが習慣になっている。ママがあれこれ聞きたがるので仕方なく……というのがデイヴの建前だが、ママが抜群の推理力の持ち主だからでもある。
今回の事件は、マッサージサロンを経営する韓国系の女性エドナ・プラスキーが絞殺された事件で、死体が発見されたときに現場にいたホームレスの老人スタビンズが犯人と目されている。事件を担当する地方検事のマクブライト、その妻と娘、地方検事補のグラントリー、エドナの母親、エドナの別れた夫、そして弁護人から見ると犯人でないことが明らかなスタビンズまで……だれもかれもがなにかしら嘘をついている。その嘘の一つ一つを、ママが解き明かしていく。
血なまぐさい場面描写もなく、身の毛のよだつような異常な人間も出てこない。お茶目で、一見おっとりしていて、ちょっとくせ者のママが、捜査官の息子に代わって事件を解決する、という設定も面白い。伏線もわかりやすいし、最後のほうになっていきなり新しい事実や新しい人物が現れてなにもかもひっくり返す、というようなこともないので(推理小説の中には時々こういうのがあるのですよね)楽しく読める。(2010.7.31読了)
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by nishinayuu | 2010-11-25 18:16 | 読書ノート | Trackback | Comments(0)

韓国の詩「秋の夜」


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가을밤    이태선

가을밤 외로운 밤 벌레 우는 밤
초가집 뒷산길 어두워질 때
엄마 품이 그리워 눈물 나오면
마루 끝에 나와 앉아 별만 셉니다

가을밤 고요한 밤 잠 안 오는 밤
기러기 울음소리 높고 낮을 때
엄마 품이 그리워 눈물 나오면
마루 끝에 나와 앉아 별만 셉니다


秋の夜

秋の夜、寂しい夜に、虫の鳴く夜
草屋根の裏山道に夕闇迫り
かあさんが恋しくてふと涙が出ると
縁先に坐ってひとり星を数える

秋の夜、静かな夜に、眠れない夜
遠い空、近くの空を雁鳴きわたり
かあさんが恋しくてふと涙が出ると
縁先に坐ってひとり星を数える
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by nishinayuu | 2010-11-22 11:16 | 翻訳 | Trackback | Comments(0)

『ヤールー川は流れる』(ミロク・リー著、だいこくかずえ訳、Web Press葉っぱの抗夫)

c0077412_18142965.jpgヤールー川とは朝鮮半島と中国の境を流れる鴨緑江のことで、英語のYalu Riverをカタカナ表記したもの。この作品は半島の北部で生まれ育った著者が、三一運動に参与した後に亡命を決意し、鴨緑江を渡って中国に渡り、ドイツに辿り着くまでを描いた自伝小説である。発表は1947年。2008年にはSBSとドイツ放送局BRの共同でドラマ化され、SBS開局特集ドラマとして発表されている。
地方の比較的豊かな家に生まれたミロクは、使用人も含めた大家族の中で「よく学び、よく遊ぶ」という恵まれた子ども時代を送る。幼い頃から父親の指導で中国古典に親しみ、より広い教養を身につけるために新しい学問を教える学校に進学し、さらにソウルの医科大に進む。神童がそのまま秀才コースに、という単純な話ではない。ミロクの周りには、幼い頃いろいろな物語を聞かせてくれた姉妹をはじめとする温かい家族があったし、学校時代は苦手な科目を教えてくれ、医科大進学を応援してくれる大勢の友人たちがいたのだった。日帝時代の鬱屈した日々が始まり、父は病に倒れる。将来が見えない中で苦しむミロクの背中を押して亡命を決意させたのは母親だった。こうしてミロクは鴨緑江を渡り、中国から東南アジアの国々を巡り、スエズ運河を通って、「文明人たちの住む」憧れのヨーロッパに足を踏み入れるのである。
1920年に憧れのドイツに渡ったミロクにとって、ヨーロッパは、そしてドイツは予想通りの理想郷だったのだろうか。しばらく後に訪れたヒトラーの時代をミロクはどう過ごしたのだろうか。そんなことが気にならなくもないが、日本が踏みにじる前のかの国の人々の生活を知ることができる貴重な作品である。
ところで、この作品は電子書籍「sugitagenpaku project」で読んだのだが、電子書籍にも編集者や校正者が必要であることを強く感じさせられた。単純な文字のミスは多すぎてあげきれないので、特に気になった間違いだけを次にあげておく。
*言わざるおえなかった――9章と14章の2か所に出てくるので、単純なミスではなさそう。
*郷に入らずんば郷に従え――「虎穴に入らずんば虎子を得ず」と混同している?
*キサエン――キーセン(妓生)のことだと思われる。この本は英訳を底本にしているということだが、おそらく英語でkisaenとなっていたのをそのままカタカナ表記したのであろう。(2010.7.25読了)
☆画像は『鴨緑江は流れる』(草風館)のものです。
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by nishinayuu | 2010-11-19 18:14 | 読書ノート | Trackback | Comments(0)

『永遠の七日間』(マルク・レヴィ著、藤本優子訳、PHP)

c0077412_957840.jpg2冊目のマルク・レヴィ。初めて読んだ『あなたを探して』は気に入ったが、こちらはイマイチだった。
その理由1――主人公のゾフィアとルーカスは、それぞれ神とルシファ(悪魔)のエージェントで、人類を7日の間に善、もしくは悪へ導くことによって両陣営の争いに決着を付けるという使命を帯びている、ということなのだが、この設定そのものがあほらしくてついて行けない。悪魔と神がサンフランシスコに実在するトランスアメリカ・ビルディング内に壁を隔ててオフィスを構えていること、神の組織はなんとCIA(ただし、セントラル・インテリジェンス・オブ・エンジェルス)で、神はミスターと呼ばれていること、などなどテレビ・ドラマのノベライズかと思わせる内容。
その理由2――ゾフィアとルーカスは「ブシェルト」なので、出会ったとたんに惹かれ合い、離れられなくなってしまう、ということになっているが、それにしてもルーカスに魅力がなさ過ぎる。せめて悪魔らしいすごみがあれば納得できるのだが。「ブシェルト」については、登場人物の一人であるレインがゾフィアに次のように語っている。
「神があなたに遣わした人物のことであり、あなた自身のもう一つの半分であり、あなたの愛そのものなの。だから、生涯をかけて見つけ出し、本物だと見分けられるようにならないといけないのよ」
その理由3――テレビ・ドラマ風の構成で、ワンカットのシーンがめまぐるしく入れ替わる感じで物語が進行する。だから、一瞬集中力が途切れると、大事な場面や重要なことばを読み流してしまい、前に戻って探す羽目になるが、シーンが細切れなので探すのが大変なのだ。

というわけで、期待はずれの作品だったが、映画かドラマだったら楽しめるかもしれない。ただしその場合はルーカス役の俳優を慎重に選んでくれないと。(2010.7.21読了)
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by nishinayuu | 2010-11-16 09:57 | 読書ノート | Trackback | Comments(0)

『あなたを探して』(マルク・レヴィ著、藤本優子訳、PHP)

c0077412_23225526.jpgひと癖ありそうだけれど、かわいらしい女の子が描かれた表紙から、気楽に楽しめそうな本に見えたのだが……予想に反して、重くて深い感動的作品だった。ちょっと作りすぎ、狙いすぎの感もあるけれども。
「生まれた時刻は1974年9月14日午前8時」という文で始まり、表紙の女の子のことだな、と思っていると「場所は北緯15度30分西経65度。ホンジュラス海岸沖の児島の付近がゆりかごだった」という文が続いていて「?」となる。そう、ハリケーン「フィフィ」の誕生の描写なのだった。
15歳のときに両親を事故でなくしたスーザンは、21歳になったとき平和部隊への参加を志願した。「他人のために働くことで、生きている実感を得たい」というのがその理由だった。幼い頃から一緒に育ち、今は恋人同士のフィリップは、2年の予定でホンジュラスに旅立つ彼女を空港内のバーで見送る。それからの2年間スーザンは、ハリケーンのせいでつねに生命の危険にさらされている貧しい人々の間で奮闘する。フィリップは美術学校に通いながら彼女を待つ。しかし彼女の滞在は2年では終わらなかった。1年、また1年、と彼女は滞在を延長し、フィリップは待ち続ける。互いに相手を究極の愛の対象として信頼していたが、離ればなれになって暮らす間に、それぞれ異性との付き合いもあった。時は流れ、結婚して子どももでき、デザイナーとしても成功しているフィリップのもとに、ある日突然、「この子をお願い」というスーザンの手紙とともにリサ(9歳)が現れる。スーザンは泥流に襲われた村に残り、亡くなったという。このリサが表紙に描かれている女の子で、後半はリサとフィリップ、その妻メアリの物語になっている。(2010.7.18読了)

☆中米の国ぐには地理的にも心理的にも「あまりに遠し」ですが、この際、位置くらいはしっかり頭に入れようと思って北から順に「ベグホエニコパ」と頭文字で覚えることにしました。ホがホンジュラスです。
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by nishinayuu | 2010-11-13 23:22 | 読書ノート | Trackback | Comments(0)

『愛するものたちへ、別れのとき』(エドウイージ・ダンティカ著、佐川愛子訳、作品社)

c0077412_9461716.jpgハイチで生まれ、12歳のときにニューヨークに移住した著者による、二人の父と家族の物語。2007年度全米批評家協会賞の自伝部門の受賞作だという。
ダンティカは1969年にアンドレ・ミラシン(通称ミラ)の長女として生まれた。ダンティカが2歳のとき、父はニューヨークに旅立った。貧しさから脱するためだった。2年後には母も父の許へ旅立った。残されたダンティカと弟のボブは、父の兄であるジョゼフ伯父さんとその妻デニーズ伯母さんにかわいがられて育った。ジョゼフ伯父さんとデニーズ伯母さんの家には自分たちの息子の他に、友人が托していった娘マリー・ミシェリンと姪のリリーンがいた。そこにダンティカ姉弟も加わって、賑やかに暮らした。12歳のとき、ダンティカとボブは伯父夫婦に別れを告げてニューヨークの両親の許に移った。それは「片方のパパは幸せで、もう片方のパパは悲しい」できごとだった。
伯父さんを中心とするハイチの家族、父ミラを中心とするアメリカの家族、そのどちらも温かくて結束の固いすばらしい家族である。しかし、彼らを取り巻く社会の状況は厳しい。ハイチは不安定な政治状況から恒常的な戦闘状態にあり、そのせいでマリー・ミシェリンは幼い子どもたちを残して死んでしまい、ジョゼフ伯父さんは暴徒に追われて命からがら逃げ出すことになる。また、ハイチの人々に対するアメリカ社会の対応も冷酷である。そのせいでジョゼフ伯父さんは、ダンティカ一家の許に辿り着く前に無惨な死を迎えてしまったのだった。ジョゼフが埋葬された夜、自分も死の病に冒されていたミラは言う。
「もしも私たちが機会を与えられて他の国と同じようになることを許されたなら、そうしたら、私たちのうちだれ一人としてここで生き、ここで死にたいとは思わないだろう」
☆遠いハイチという国に思いを馳せる機会を与えてくれる一冊である。(2010.7.16読了)
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by nishinayuu | 2010-11-10 09:46 | 読書ノート | Trackback | Comments(0)

『水曜日のうそ』(クリスチャン・グルニエ著、河野万里子訳、講談社)

c0077412_1010425.jpg読書会「かんあおい」2010年8月の課題図書。
パリ郊外のドゥイユ・ラ・バールに住む一家の物語。家は5階建てのマンションの2LDKで、パパとママ、わたし(イザベル、15歳)の三人。近くにはパパの父親であるおじいちゃんが住んでいて、ワタシガコレージュ(中学)に入ってからはこちらから訪ねることは減って、おじいちゃんが毎週水曜の正午にやってきて30分だけ過ごしていくようになっていた。ところが、リセの教師を辞めて大学院に通い、めでたく博士号を取得したパパのところに、リヨン第三大学から助教授の職が舞い込む。リヨンに引っ越そう、とママ。おじいちゃんをどうする、とパパ。話し合いの末、赤ちゃんが生まれることでもあるし、とにかくリヨンに引っ越そう、82歳のおじいちゃんには引っ越しのことは秘密にして、今まで通り毎週水曜日の正午にここで会おう、ということになる。独立精神の強いおじいちゃんの気持ちを尊重した窮余の選択だった。水曜の正午から30分部屋を使わせてもらう、という条件で元のマンションをグレー夫妻に売り、一家はリヨンの4LDKのマンションに移り住む。こうしてわたしたちの「水曜日のうそ」が始まった。
しかし、おじいちゃんにはわたしたちのうそがわかっていた。わかっていながら、水曜日のデートを続けてくれていたのだ。しかもおじいちゃんは新しい友人たちに囲まれていた。わたしのボーイフレンドのジョナタンはしょっちゅうおじいちゃんを訪問して、演劇について語り合い、音楽を楽しんだ。グレー夫妻はおじいちゃんがコメディー・フランセーズのプロンプター・ボックスにいた時期に、マチネーの定期会員だったことがわかり、おじいちゃんと仲良しになっていた。何度かいっしょにシェルブールにも旅行していた。おじいちゃんがすすめてもパパは一度も行かなかったシェルブールへ。そして、リヨンに引っ越してから8ヶ月後の6月におじいちゃんは亡くなった。会いに来るはずのおじいちゃんが現れないのを心配したグレー夫妻が、家まで行っておじいちゃんが死んでいるのを見つけたのだった。
息子一家のうそに調子を合わせてあの世に旅立ったおじいちゃん。おじいちゃんを尊重しているつもりで実はひどいことをしてしまったとわかったパパ。自分のことで手一杯で何もできなかったわたし。それぞれの気持ちが痛いように伝わってくる。ただし、ママにまるで存在感がないのがちょっと不自然でもあり、残念でもある。(2010.7.12読了)
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by nishinayuu | 2010-11-07 10:10 | 読書ノート | Trackback | Comments(0)

『失われた時を求めて 4』(マルセル・プルースト著、鈴木道彦訳、集英社)

c0077412_1024139.jpg『花咲く乙女たちのかげで』の第2部「土地の名・土地」の後半が収録されている。(3冊目は語り手が祖母とともに、フランソワーズを伴ってバルベックのグランドホテルに投宿したところで終わっていた)。滞在客のひとりであるヴィルパリジ侯爵夫人と祖母が昔なじみだとわかるや、支配人は語り手たちを丁重に遇するようになり、貴族嫌いのフランソワーズに関しては、ヴィルパリジ婦人がフランス貴族に特有の見事な才能を発揮して、「貴族の身分であることをゆるしてもらう」ことに成功したため、語り手や祖母はより快適にホテル生活を楽しめるようになる。
ここで語り手はロベール・ド・サンルーという青年貴族と知り合い、友情を育む。そして彼の叔父に当たるシャルリュス男爵と奇妙な出会いを経験する。また、海辺で5,6人の美少女集団を見かけてその集団の魅力のとりことなる。画家エルスチールと近づきになったおかげで、やがてこの美少女たち――アルベルチーヌ、アンドレ、ジゼール、ロズモンドら――と友だちになる。はじめ語り手は集団としての少女たちに恋心を抱き、やがてアルベルチーヌ個人に強く惹かれるようになるが、恋の進展が見られないまま夏が終わってしまう。

登場人物の容貌や立ち居振る舞い、彼らの心の動き、それらをもたらした背景、出来事の推移、などが綿密で繊細な文章で綴られており、「速読」には向かない、というより「速読」してはいけない作品である。(2010.7.12読了)

☆アンドレの方が好ましく思われるのに、語り手はなぜアルベルチーヌを選んだのだろう、と思いながら読んでいたら、終わり近くに「アンドレはあまりに知的であり、あまりに神経質であり、あまりに病弱で、あまりに私と似すぎていた」という語り手のことばがあって納得しました。
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by nishinayuu | 2010-11-04 10:02 | 読書ノート | Trackback | Comments(0)

息長帯(オキナガタラシ)ひめ  その2

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☆『古事記』の再話と韓国語訳です。

天照大神の神託を受けた皇后・息長帯ひめは、海を渡って新羅まで行ったのだよ。新羅から戻ってくる船の中で皇后は子どもを産んだのだけれど、葬儀用の船を造って「子どもは死んだ」という噂を流したのだよ。当時は服従しない者たちが大勢いたから、用心したのだね。
はたして、香坂(カゴサカ)の王・忍熊(オシクマ)の王という兄弟が皇后一行を討とうと待ちかまえていた。闘いの前に兄弟は運勢を占う狩猟をしたのだが、香坂の王は怒り狂った猪に襲われて死んでしまった。占いの卦が凶と出たのに、忍熊の王はいさひの宿祢-将軍に皇后一行を攻撃させて、皇后軍側も軍を繰り出して戦ったのだよ。その時、皇后側の将軍の建振熊が相手を騙そうとして「皇后が亡くなったので戦う気がなくなった」と言ったところ、忍熊の王の側は武器を納めて服従した。すると建振熊将軍が隠しておいた武器をとりだして、忍熊の王の軍を攻めて撃ち破った。ささなみ(現在の滋賀県)まで追われた忍熊の王は、いさひの宿祢将軍と共に船に乗って琵琶湖を漂いながら次のように歌ったのだった。
   いざ あぎ ふるくまが いたておはずは
   にほどりの あふみのうみに かづきせなわ
 
  (さあ友よ、振熊などの手傷を受けないで、かいつぶりが水潜りをしている琵琶湖で水に隠れ    ようじゃないか)


아마테라스大神의 신탁을 받은 황후-오키나가타라시히메(息長帶공주)는 바다를 건너가서 신라에 당도했단다. 그 땅에서 돌아갈 때, 황후는 배안에서 아기를 낳았다. 그런데 상선(喪船)를 만들어서 [아기는 죽었다]라는 소문을 퍼지게 했단다. 당시 중앙에 순종하지 않는 이들도 많았기 때문에, 조심해야 했거든.
과연 카고사카-왕과 오시크마-왕이라는 형제가 황후 일행을 치려고 기다리고 있었어. 공격하기 전에 형제는 운수를 점치기 위하여 점-사냥을 했는데, 카고사카-왕은 노한 큰 멧돼지의 공격을 받아 죽어버렸어. 점괘가 나쁘다고 나왔다는 거지. 그런 흉조에 불구하고 오시크마-왕은 이사히의스크네-장군을 시켜 황후 일행을 공격했고, 황후측도 군사를 보내어 싸웠단다. 그때 황후측 장군 타케후루크마(建振熊)가 거짓말로 “황후가 돌아가셔서 우리는 싸우려는 마음이 사라졌다”고 했더니, 오시크마-왕측은 무기를 치우고 복종했어. 그때서야 타케후루크마-장군이 감추었던 무기를 꺼내어 오시크마-왕군을 공격하여 멸망시켰단다. 사사나미(지금의 시가현)까지 쫒겨간 오시크마-왕은 이사히의스크네-장군과 함께 배를 타고 비와-호수(琵琶湖)를 떠다니면서 이렇게 노래했단다.
자, 내 친구여, 후루크마에게 상처를 입기전에,
논병아리들 노는 비와호수의 물속에 잠겨들자.

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by nishinayuu | 2010-11-01 10:02 | 再話 | Trackback | Comments(0)