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『別離のとき』(ロジェ・グルニエ著、山田稔訳、みすず書房)

c0077412_10243352.jpg1919年生まれのフランスの著者による10の短編を収めた作品集。1991年の「シンメトリー」を除く9編はすべて80歳代に書かれたものだが、語り口は軽快で歳を感じさせない。ただし、言及されている人物は、シャルル・トレネ、エディット・ピアフ、モーリス・シュヴァリエなどなど、確かにやや古めかしい。特に印象に残った作品は以下の通り。
「別離の時代」――リュドヴィックは連絡がつかなくなった恋人のドミニックを探しに、列車を乗り継ぎ乗り継ぎしながら彼女の故郷であるクレルモン・フェランへ。列車に乗り合わせて強く惹かれたサビーヌへの思いを断ち切って辿り着いた先で、彼は見事にふられてしまう。パリへ戻る列車で、リュドヴィックは思うのだった。サビーヌと出会ったのが行きではなく帰りの列車だったら、と。
「あずまや」――地質学者のトマ・セルヴァがマウイ島で地質調査をしていたとき、飛行機の墜落事故があった。事故現場でトマはほとんど無傷のヴァイオリンの弓を発見する。ラジオの報道によるとその弓は世界的に有名なヴァイオリニスト、アニューシカ・シニャーコワのものだとわかり、トマの脳裏に彼女との苦い思い出が蘇る。
その他「モンマルトルの北」「一時間の縫合」などには短編小説ならではの味があり、「オスカルの娘」「その日、ピアフとコクトーが」では著者が身を置いていた世界をかいま見ることができて興味深い。(2010.4.3記)
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by nishinayuu | 2010-06-28 10:24 | 読書ノート | Trackback | Comments(0)

「英の新閣僚 半数以上が名門校出身」

☆新聞のコラム(2010.5.17朝日)を韓国語にしました。原文は韓国語の下にある「英の新閣僚 半数以上が名門校出身」をクリックしてお読みください。画像は英国会議事堂(ウェストミンスター宮殿)です。


c0077412_1350063.jpg영국 신 각료는 반수 이상이 명문학교 출신
[상류계급의 색채가 강하다] 대중신문
영국에서 제2대전 이후 최초의 연립내각으로 출발한 캐머런 신 내각은 각료급 자리29중 반수 이상인 16석을, [퍼블릭스쿨]로 불리는, 부유층 자녀들이 다니는 중/고 일관 명문사립학교의 출신자들이 차지했다. 출신대학교 별로는, [옥스브리지]로 불리는 옥스퍼드대와 케임브리지대를 합한 명문 졸업자가 20명. 영국 대중신문 [데일리밀러]는 최근 수십년 간 상류계급의 색채가 가장 강한 내각이라고 표하고 있다.
이튼 학교에 의하면, 캐머런 수상은 [19번째의 이튼 출신 수상]이 되었다. 그 외에 이튼 출신자는 2명이 입각. 자민당의 그레그 부수상이 졸업한 웨스트민스터 학교에서도 그레그씨를 포함하여 3명이 입각했다.
BBC에 의하면, 1997년에 시작된 노동당의 블레어 정권 내각은, 블레어씨 자신은 옥스퍼드대 출신임에도 불구하고, 옥스브리지 출신자는 겨우 4명이었다. 그래서 국민에게 대중적인 내각이라는 인상을 주는 데 성공하고, 높은 지지를 받았다.
한편 이색의 경력을 가진 사람도 있다. 2012년 여름에 열릴 런던 올림픽을 준비중인 제레미 헌트 문화/올림픽 담당상(43세=보수당=)은 1990년부터2년 동안 일본에서 영어교사를 했다. 장애자복지에 힘을 두는 그는 일본문화를 애호하는 사람이기도 하다. 당선2회.
(런던=토사 시게오)

「英の新閣僚 半数以上が名門校出身」
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by nishinayuu | 2010-06-25 13:52 | 翻訳 | Trackback | Comments(0)

『ママ、手紙を書く』(ジェームズ・ヤッフェ著、神納照子訳、東京創元社)

c0077412_10323754.jpgミステリーだが重苦しくなく、グロテスクな描写もない軽快な読み物である。かなり早い段階で犯行の手口が推理できるので、緻密に読んでいく読者なら簡単に犯人が割り出せそうだ。著者にまかせて読んでいけば、最後の最後にママの手紙ですべての謎が解け、真犯人がわかる、という仕組みになっている。問題の解決のしかたには疑問が残るが、虐げられているマイノリティーの観点から見た窮余の解決策、ということなのだろうか。
原題は『Nice Murder for Mom』。息子が仕事として関わる殺人事件を、息子より冴えた推理ですいすいと解決していくママは、次の殺人事件を心待ちにしている「殺人事件大好き人間」なのである。訳者のあとがきによるとママが活躍する作品は以下の通り。
Mom,the Detective 1977(『ママは何でも知っている』ハヤカワ・ミステリ)
Mom Meets Her Maker 1990
Mom Doth Murder Sleep 1991
Mom Among the Liars 1992(2010.4.1記)
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by nishinayuu | 2010-06-22 10:32 | 読書ノート | Trackback | Comments(0)

『失われた時を求めて 1』(マルセル・プルースト著、鈴木道彦訳、集英社)

c0077412_211669.jpg7編からなる原作の第1編「スワン家の方へ」のうち「コンブレー」の部分が納められている。
語り手は幼年時代を過ごしたコンブレーで、毎晩、ママンがお休みのキスをしに来てくれるのをベッドで待ち続けた。散歩道はゲルマントの方とスワン家の方の二つがあった。ゲルマントの方は名門貴族であるゲルマント侯爵の所有地のある方角で、スワン家の方は株式仲買人の息子でユダヤ人のスワンの所有地のある方角だった。ある日散歩の途中でスワンの娘・ジルベルトを見かけた……。これらの思い出が語り手の脳裏に事細かく鮮やかに浮かび上がったきっかけは、紅茶に浸したプチット・マドレーヌ(ただのマドレーヌではなくて貝殻模様のマドレーヌなのでした!)をひとさじ口にしたことだった。

20代の頃、「あたかも」や「まるで」で始まる比喩が頻繁に挿入されながら途切れることなく続いていく文体に見せられて夢中になって読んだ、特別な思い入れのある作品である。最近急にまた読みたくなって、その時に読んだ文庫本(訳は井上究一郎他)をとりだして読み始めてみたが、茶色く変色した紙面にびっしり並んだ細かい薄れた文字のせいで、なかなかのめり込めない。そこで、愛着のあった井上究一郎らの訳を離れて、集英社の鈴木道彦訳で読むことにした。旧訳と読み比べてみると、流れがつかみやすい平易な訳になっており、これはこれですばらしい。この新訳本にはキース・ヴァン・ドンゲンによる画も何枚か入っていて、ちょっとヘタウマ風だが、物語の雰囲気はよく伝わってくる。(2010.3.29記)
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by nishinayuu | 2010-06-19 21:16 | 読書ノート | Trackback | Comments(0)

『To the Lighthouse』(Virginia Woolf著、Penguin)

c0077412_1102255.jpgイギリスはヘブリディーズ諸島にあるスカイ島を舞台にしたラムジー家とその客人たちの物語。全体は3部に分かれており、第1部の【窓】は1910年、第3部の【燈台】は1920年に設定されており、その間の10年は第2部の【時は過ぎゆく】に映画の早回しのような手法で描写されている。
【窓】はミセス・ラムジーが「もちろん明日お天気ならね」と、息子のジェイムズに言う場面から始まる。ジェイムズは6歳で、母親と一緒に灯台に支援物資を届けに行くのをとても楽しみにしている。ところが父親のミスター・ラムジーは、空模様が思わしくないという理由で燈台行きを禁じて、ジェイムズの楽しみを打ち砕いてしまう。するとミセス・ラムジーは燈台行きをあっさり放棄して、ジェイムズを宥めることに心を砕くのである。このようにして読者は何の説明もないままにラムジー家の日常に放り込まれる。
ラムジー家の別荘にはこのときラムジー夫妻、8人の子どもたち、6人の客人が滞在している。大学で教鞭を執っている哲学者のミスター・ラムジーは、威圧的で自己中心的ではあるが、自分の業績がやがて忘れられてしまうのではないかという怖れを抱いて、妻の激励・慰めを必要としている。ミセス・ラムジーはそんな夫を尊敬し、子どもたちを愛し、客人たちも含めて誰もが快適に過ごせるように万事に気を配る、良妻賢母の見本のような、しかも誰もが息をのむほど美しい女性である。彼女がその才気と魅力をフルに使って作り上げている一つの世界は、一幅の絵の中の世界のように永遠に変わらないもののように見える。
【時は過ぎゆく】で語られるのは、永遠に変わらないと思われた世界の崩壊である。訪れる人のいなくなった別荘は荒れ果てる。ミセス・ラムジーは急逝し、エンジェルと呼ばれた美しい娘・プルーは結婚して出産したあと病死。数学者と呼ばれたアンドリューはフランスで戦死する。そうかと思うと、客人のひとりで冴えなかった老詩人・カーマイケルは詩集を出して成功する。
【燈台】は10年後の話。画家のリリー(44歳になっている)と老詩人のカーマイケル、そしてラムジー家の人々が再び島の別荘にやってくる。10年前にジェイムズの楽しみを無惨に奪ったラムジーは、今度は気乗りのしないジェイムズと姉のキャムを無理やり船に乗せて灯台に向かう。3人の乗った船の行方を見守っていたリリーは、やがてキャンバスに向かって、一筆描き加える。この一筆で、なにかが足りなかった絵が完璧なものとなる。ここまで読んでくると【窓】の世界ではその他大勢の一人でしかなかったリリーが、この物語の世界全体を視野に納めてこの世界を支配している主人公であることがわかる。
いわゆる「意識の流れ」の手法で綴られた物語で、ラムジー家、客人、それに使用人たちも含めた大勢の登場人物たちについて順序立てた説明があるわけではない。断片的な会話と人々の心の中のつぶやきだけで構築された、複雑な色合いの絵画のような作品である。

ラムジー夫妻のモデルは著者の両親ということで、それはそれで興味深い。ただそれよりもさらに興味深いのは、リリーが著者の投影だと考えると、リリーに向かって「女には絵は描けない、文章も書けない」と言った学者の卵のタンズリーの存在だ。この嫌みな男にもきっとモデルがあったのだろう。(2010.3.28記)
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by nishinayuu | 2010-06-16 11:00 | 読書ノート | Trackback | Comments(0)

『南仏ラロックの旅人』(マティアス・アルテンブルク著、飯吉光男訳、講談社)

c0077412_1041245.jpg原題「Die Toten von Raroque」からわかるように、ドイツ文学である。作者は1958年にゲッティンゲンで生まれ、現在はフランクフルトで大学講師兼作家として活動しているという。
ドイツ人の主人公は、家庭も職場も放り出して車で南に向かう。国境を越え、フランス国内をさらに南下してスペインとの国境近くまでやってきた彼は、父親がドイツ軍人として滞在していたことのある町の名を見つけて、立ち寄ることにする。具合の悪くなっていた車を修理してもらったら、すぐに立ち去るつもりだった。ところが車の修理屋がなぜかはかばかしく仕事を進めないため、彼の滞在は一日、また一日と延びてゆく。町の人々は一目で彼がドイツ人であることを見て取るらしいが、ウエイトレスのナターリエのように警戒を見せる者もいれば、奔放な女教師のベルナデットのように誘いかけてくる者もいる。また、かつての忌まわしい出来事を彼に打ち明ける中老の紳士もいれば、下宿の女主人アルノーのように彼の前では全く感情を表さない人もいる。彼は彼でそのことを気に病む風もなく町の内外を見て歩く。
南仏の海辺にある小さな町とそこに暮らす人々が色彩豊かに鮮明に描写されていくが、主人公の表情や心情はつかみどころがない。ナターリエに惹かれながらベルナデットと関係を持ち、ドイツの蛮行を鮮明に記憶する人々の間をなんのこだわりもなさそうに動き回る主人公――ラロックにやってきたこの旅人は、明るい陽光の中でも、忌まわしい陰の部分に接しても、どこか上の空のように見える。もしかしたら彼の心は依然として、故郷に残してきた諸々のことにとらわれているのかもしれない。(2010.3.18記)
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by nishinayuu | 2010-06-13 10:41 | 読書ノート | Trackback | Comments(0)

「旅する私の[ジョージ]」

新聞のコラム(2009.9.3朝日)を韓国語にしました。原文は下の「旅する私の[ジョージ]」をクリックしてお読みください。

c0077412_10565376.jpg여행하는 나의 [조지]   특파원메모 뉴욕
이웃 잡화점에서 잡지를 사서, 거스름돈을 받았는데, 이상한 1달러 지폐가 섞여 있는 것을 알았다. 자세히 보았더니 [지폐추적계획]이라는 글씨와 웹 사이트의 어드레스가 붉은 스탬프로 날인되어 있다.
이 사이트의 제목은 [조지 어디 있니?]. 조지란 1달러 지폐에 인쇄되어 있는 미국 초대 대통령, 조지 워싱턴을 말한다. 사이트에서 지폐번호와 거주장소의 지역우편번호를 등록해 놓고, 다음에 그것을 받은 사람이 그 번호를 입력하면, 그 동안 어떻게 유통해 왔는지를 알 수 있는 방법이다.
시험삼아 입력해 봤더니, 내 조지는 작년 11월 15일 사우스캐롤라이나주 이즈리(Easley)라는 작은 동네에서 등록된 뒤, 652마일을 여행해온 것으로 나타났다. 이런 등록이 끝난 지폐의 매수는 155,691,895 장에 달한다고 한다.
팁을 낼 때, 버스를 탈 때…... 1달러 지폐는 기업간 거래보다 개인 사이의 거래에서 사용되는 경우가 많다. 이 사이트의 데이터를 자료로 써서, 신형인플루엔자가 미국에서 어떻게 퍼져가는지를 시산한 과학자도 있다고 한다.
소문으로는 들은 적제이 있었는데, 실로 내 손으로 받아보니 참으로 기쁘다. 이제 내 조지는 언제 나에게 돌아올 것인가.

「旅する私の[ジョージ]」
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by nishinayuu | 2010-06-10 10:24 | 翻訳 | Trackback | Comments(0)

『レディーメイド人生』 (蔡萬植著)

c0077412_8463155.jpg『레디메이드 인생』(채만식著)
蔡萬植は韓国の代表的な作家の一人で、長編『濁流』などで知られている。標記の作品は1934年に発表された短編で、韓国語講座の講読テキストとして読んだ。
日本の大学を卒業したPはソウルで職探しの日々を送っている。ソウルにはPと同様に就職できない高学歴の青年たちが大勢いて、下宿代を滞納したり、食事も満足に取れなかったり、と苦労している。時々同じ境遇の友人たちと酒を飲んで憂さ晴らしをするのがせいぜいだ。そんなPに故郷の兄が、息子を引き取れ、と言ってくる。数年前に離婚したとき兄に預けて、そのまま何年も会っていない息子だ。子育てを生き甲斐にして生きていきたい、という妻の願いを蹴ったのは、Pの悪口を聞きながら育った息子が後々こしゃくな態度をとるかもしれない、と危惧したからだった。その息子がもう学齢に達していた。Pが引き取って学校にやれ、と兄は言うが、学歴があっても人生は開けないことを体験上知っているPは、上京してきた息子を印刷所に預けるのである。
留学までした高学歴のPが、賢くて健気な息子には初等教育さえ受けさせないで工員にするという、息子にとってはなんともかわいそうな選択をする。元妻は息子に学校教育も受けさせて、と言っていたのにつまらない理由で息子を奪い取り、しかも何年も放っておいたあげく――とPを責めたくなるが、それは韓国の家族関係や当時の社会事情を無視した一方的な非難かもしれない。家族関係の問題はさておき、Pのような就職できない留学組高学歴者が多産された背景には、当時の支配者である日本が高学歴を煽りたて、就職についてはなんの対策も立てなかった、という事情があるからだ。つまりこれは日帝批判の作品なのだ。そんないわれのあるこの作品が、今回は幸い日本のせいではなく国内の事情によって高学歴者を大量生産している現在の韓国で、また新たに脚光を浴びているという。
なお、レディーメイドというのはMarcel Duchampの芸術作品に使われたことばと関連があるようなのだが、「レディーメイド人生」というタイトルの意味は今ひとつピンと来ない。(2010.3.12記)
☆『濁流』は三枝寿勝の訳で講談社から出ていますが、web情報によると現在は入手困難だそうです。
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by nishinayuu | 2010-06-07 08:47 | 読書ノート | Trackback | Comments(0)

『臓器農場』(帚木蓬生著、新潮文庫)

c0077412_14392392.jpg臓器移植という最先端医療を主題にしたミステリー。
聖礼病院は、美しい海と市街地が眼下に広がる小高い山の中腹にある。岩盤を背にして建てられた立派な施設と優秀なスタッフを有する総合病院で、とくに臓器移植手術で全国的に名を馳せている。しかしこの輝かしい業績を誇る病院には外部から遮断された陰の部分があった。病院内にある礼拝堂の奥には小さな扉があり、倉庫室の壁にも隠し扉があったのだ。
聖礼病院の秘密に気づいた新人看護師の規子と優子、そして医師の的場の三人は、その秘密を明らかにしようと動き始めたが、一人は運転中の車が崖から転落して死亡し、もう一人はケーブルカーの軌道近くで首つり死体となって発見される。二人の死は事故と自殺として処理され、なぜかマスコミにも報道されずに終わる。二人は殺されたと確信する残された一人は、ケーブルカーの車掌である青年とともに、身に危険が迫る中で真相の解明に邁進する。
タイトルからしてまがまがしく、目を背けたくなる場面描写も頻出するが、「生命」について、「生きている」ということの意味について、確固たる信念を持って書かれており、読後感は爽やかである。(2010.3.11記)
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by nishinayuu | 2010-06-04 14:39 | 読書ノート | Trackback | Comments(0)

『ピアニストは二度死ぬ』(クリストファー・ミラー著、石原未奈子訳、ブルース・インターアクションズ)

c0077412_1020546.jpgこの作品は、架空の作曲家サイモン・シルバーの4枚組「公式記録音源」に添えたライナーノーツという形になっている。
語り手(すなわちライナーノーツの綴り手)は、伝記作家としてシルバー本人に雇われたノーマン・フェアウェザー・Jr.通称ノームで、各ディスクに入っている作品を一つずつ取り上げ、その作品にまつわるあれこれを語っていく。たとえば「カラス」という演奏時間4秒の曲は、数十羽のカラスが止まって鳴き立てている電線を五線紙に見立て、余分な一音(一羽のカラス)を銃で撃ち殺して他のカラスが飛び去る前の一瞬を捕らえて転写したものだという。
「カラス」からもわかるように、サイモンの作品は一般人の理解を超える非常に前衛的なもので、作曲家自身も前衛的というか、「超」の付く奇人である。さらに、サイモンについて語るうちにノームの人物像も明らかになっていくのだが、このノーム自身もそうとうな「変人」なのだ。社会への適応に困難がある「変人」のノームが、社会に全く適応できない「奇人」のサイモンの友情を求めて腐心したり、敵愾心をむき出しにしたりするさまは、時には痛々しくもあり、時には痛快でもある。
サイモンの幼少期ばかりかその生涯までも規定したといえる偏執狂的なサイモンの父親をはじめ、風変わりな人々とそのエピソードを創造し、さらに数十曲に及ぶ架空の作品について、その制作のいきさつや譜面、演奏方法、音の響きなどの細部に至るまで綿密に創造した作者の力量(と執念)に驚嘆させられる。(2010.3.8記)
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by nishinayuu | 2010-06-01 10:20 | 読書ノート | Trackback | Comments(0)