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『新参者』(東野圭吾著、講談社)

c0077412_1911155.jpg以前読書会で『赤い指』を読んだとき、作品全体としては好きになれなかったが、そこに登場する加賀恭一郎という刑事には好感を抱いた。この、切れ者でしかも人情のある好青年、というできすぎの刑事が活躍する最新作である。ただし、巻末に初出一覧があって、それによるとこの作品は『小説現代』に2004年8月から2009年7月にかけて9回にわけて発表されたものをまとめたもの、ということなので始めの数章は『赤い指』(2006年刊行)より前に書かれていることがわかる。
日本橋の小伝馬町で独り暮らしの45歳の女性が、自宅のマンションで首を絞められて死んでいるのが見つかる。事件の捜査に当たる警視庁と日本橋署のうち、日本橋署の新参の刑事として登場するのが加賀恭一郎である。その加賀恭一郎が捜査にとりかかってから事件を解決するまでの九つの場面が、「煎餅屋の娘」「料亭の小僧」「瀬戸物屋の嫁」「時計屋の犬」といった章題のもとに綴られていく。始めはばらばらに見えるこれらの場面(章)が、「洋菓子屋の店員」「翻訳家の友」あたりから相互に繋がってきて、「清掃屋の社長」「民芸品屋の客」を経て「日本橋の刑事」で大団円となる。
殺人事件の捜査状況を描きながら同時に日本橋という町の風情と加賀恭一郎の人物像までも描ききった上出来の作品である。おそらく著者にとっても「会心の作」なのではないだろうか。(2010.3.7記)
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by nishinayuu | 2010-05-29 19:11 | 読書ノート | Trackback | Comments(0)

韓国の詩「石垣にささやく日ざし」 金永郎


돌담에 석삭이는 햇발

돌담에 석삭이는 햇발같이
풀 아래 웃음짓는 샘물같이
내 마음 고요히 고운 봄 길 위에
오늘 하루 하늘을 우러르고 싶다

새악시 볼에 떠 오는 부끄럼같이
시의 가슴에 살포시 젖는 물결같이
보드레한 에메랄드 얇게 흐르는
실비단 하늘을 바라보고 싶다.



石垣にささやいている日ざしのように
草かげでほほえんでいる泉のように
うららかに春めく道にゆったり坐り
大空を一日ずっと眺めていたい

新妻の両頬染めて恥じらうように
詩心にしっとり浸る流れのように
やわらかく青みをおびて漂っている
大空の絹織物を眺めていたい


☆各行の拍数を5・7・7に揃えてみました。そのせいで7行目にあるエメラルドという語を生かせなかったのが残念ですが。
作者については右の欄にある「韓国の著名人」→【】の順にクリックして、【김영랑】のところをご覧ください。
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by nishinayuu | 2010-05-26 18:12 | 翻訳 | Trackback | Comments(3)

『チューリップ熱』(デボラ・モガー著、立石光子訳、白水社)

c0077412_95521.jpg 16世紀末にトルコからオランダに伝わったチューリップは、17世紀になって球根が投機の対象になり、一時は珍しい球根一つの値が邸宅一軒分に相当するほどだったという。この「チューリップ熱」に沸いていたアムステルダムを舞台に、老資産家・コルネリスと若い妻・ソフィア、彼らの肖像画を描く画家・ヤン、女中のマリアと出入りの商人・ウィレムらが繰り広げた狂乱の日々とその後の人生が描かれている。
各章の冒頭に当時の画家や著述家の著作からの引用文、外国人の見聞録などが数行掲げられ、それに続く本文はあたかもその解説であるかのように展開していく。また、フェルメールをはじめとする当時の画家の絵が、装画として随所に散りばめられており、それらが物語の内容に非常に良くマッチしていることに驚かされる。あるいは、絵が物語にマッチしているのではなく、物語の方が絵にマッチするように作られたのだとも考えられる。たとえば、フェルメールの「手紙を書く婦人と召使い」をはじめとして多くの絵に白と黒のチェック柄の床が描かれているが、コルネリストソフィアがヤンのためにポーズをとる部屋の床がこれと同じ柄になっている。ソフィアがヤンからの手紙を読む場面、妊娠したマリアがソフィアの計画に乗った結果仕事を怠ける場面なども、絵が前でそれに合わせて話が作られた、と考えた方が納得できる。そもそもこの作品の骨子であるソフィアの裏切りは、ブリューゲルの描いた「夫に青い外套を着せる妻」にヒントを得て構想されたものかもしれない(飛躍しすぎ?)。
登場人物のなかには真の意味で不幸になった人物はひとりもいない。「チューリップ熱」に踊らされた人々も、それによって人生を狂わされた人々も、熱が冷めたあとは我に返って人生をやり直すことになったからだ。そんな中でいちばん得をしたのは、コルネリスのお屋敷を手に入れてマリアの服を身につけ、ウィレムとの間にできた子どもたちを育てる、という夢がかなったマリアである。かつてヤンの弟子だったヤーコプに家族の肖像画を描かせるまでになったマリアは、下の娘がコルネリスに似ている、というヤーコプのことばを笑って受け流す。庶民の、そして女の強かさがさらっと示されている印象的な場面である。(2010.3.3記)
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by nishinayuu | 2010-05-23 09:08 | 読書ノート | Trackback | Comments(0)

『母やん』(川奈凛子著、丸善プラネット)

c0077412_8542930.jpg読書会「かんあおい」2010年4月の課題図書。
タイトルの「母やん」は「があやん」と読む。末っ子だけが使っていた母親の呼称ということで、この末っ子が語り手となって、「雑貨屋」を切り盛りしながら9人の子どもを育て上げた母親の半生を物語る。
舞台は熊本県人吉市の少し東にある湯前(ゆのまえ)という小さな町。時代は昭和30年代から50年代が中心となっているが、間に昭和10年代の父と母の結婚のいきさつも盛り込まれている。姉の見合い相手と駆け落ちした「母やん」は親兄弟に縁を切られていた。頼りの夫は「多角経営」のためほとんど家にいず、浮気も絶えなかった。たまに家に帰っても、子どもたちにとっては怒鳴りつけるばかりの怖い父だった。それでも子どもたちには父親を尊敬するように教えながら、がむしゃらに働いた「母やん」。その「母やん」の期待に応えて、長男が「ロッキード事件」を担当するほどの検事になったのをはじめとして、子どもたちはそれぞれ立派に成人したのだった。
高度成長期の風物や事件を織り込みながら描いた、子どもの成長を楽しみに生きたという点では平凡な、その子どもの一人が〈偉い検事になった〉という点ではユニークな「女の一生」。(2010.2.27記)
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by nishinayuu | 2010-05-20 08:54 | 読書ノート | Trackback | Comments(0)

『青い夢の女』(ジャン・ピエール・ガッテーニョ著、松本百合子訳、扶桑社)

c0077412_10225697.jpg精神分析医・ミシェルの診察室で、患者のオルガが絞殺される。ミシェルはオルガの話を聞きながら眠ってしまう癖があり、オルガを絞め殺す男の姿を夢の中で見ているが、夢から覚めたとき、その男がオルガの夫で暴力的なマックスなのか、ミシェル自身なのかがわからない、という錯乱状態に陥る。マックスが診察室に侵入した可能性もあれば、自分が夢を見ながらやってしまった可能性もないとは言えないからだ。とにかくオルガの死体を隠す、という行動に出たことからミシェルの苦難が始まる。
ミシェルはとりあえずオルガの死体をソファの下に押し込んだのだが、そのソファに次から次へと横たわりに来る患者たち、駐車したままのオルガの車に興味を示し、ミシェルのまわりをうろつく路上生活の男、ミシェルをオルガ殺害の犯人と確信している警視、などのせいで、ミシェルはなかなか死体の処分ができない。その間にオルガの死体は日に日に醜く変型していく。
一方、挙動のおかしいミシェルに愛想を尽かして離れていった恋人や友人たちのこと、別れた妻と暮らす息子のこと、支払いを催促されている銀行ローンのこと、警視に取り調べられたあと姿を消してしまった家政婦のことなど、ミシェルの周りには頭の痛い問題が山積している。そんなミシェルの頼るのがなんと精神分析医!なのだ。このミシェルの担当医である老精神分析医の役割もなかなか面白い。とにかく、毛色の変わった人物がいろいろ登場して、最後まであきさせない上出来の読み物である。(2010.2.27記)

☆この作品は2000年に映画化され、2001年12月22日に日本でも公開されているそうです。仏独合作で、監督はジャン・ジャック・ベネックス。キャストはジャン・ユーグ・アングラード(ミシェル役)、エレーヌ・ド・フジュロール(オルガ役)、ミキ・マノイロヴィッチ(路上生活者役)、ロベール・イルシュ(老精神分析医役)。
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by nishinayuu | 2010-05-17 10:23 | 読書ノート | Trackback | Comments(0)

『King Lear』(W. Shakespeare著、Greenwich House)

c0077412_8392810.jpgこの作品は1608年に出版されたもので、物語の時代はそれよりずっと前、すなわち未開で野蛮な時代に設定されている。したがって多くの登場人物たちの言動は単純・粗野で時には残虐である。末娘のコーデリアの真っ直ぐな心が読めずに怒りにまかせて彼女を遠ざけるリア王、甘言でリア王を騙したあげくに冷遇して荒野に追いやる二人の娘、文字通り自分で種をまいておきながら庶子のエドマンドの存在を唾棄するグロースター、などの言動はまさしく単純・粗野・残虐である。そんな彼らが残虐な報復を受けて悲惨な最期を遂げるのも宜なるかな、と思えてくる。
興味深いのはケントとエドガーである。ケントは自分を捨てたリア王に、エドガーは自分を捨てたうえに殺そうとまでする父のグロースターに最後まで忠誠を尽くす。エドガーの場合は切っても切れない親子の情愛、ケントの場合は主従関係のある所には普遍的に見られる頑ななまでの忠義心、ということで説明がつくかもしれないが、とにかくこのふたりの献身ぶりは並ではない。
さらに興味深いのはエドマンドで、邪悪な心を抱くのにはそれ相応のわけがあるという点がリチャード3世やイヤーゴゥの場合と異なる。ゴネリルとリーガンという王の娘二人が魅了されてしまうほどの美丈夫でもあり、ただの悪人として片づけてしまうのは惜しい。多くの登場人物の中でただ一人、「単純ではない」人物なのである。
(2010.2.23記)

☆画像はArdenのものです。
☆シェイクスピアの戯曲37作品のうち、残るは11編(3編は翻訳でなら読んでありますが)となりました。今のペースだと死ぬまでに全部読み切れないかも……。
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by nishinayuu | 2010-05-14 08:39 | 読書ノート | Trackback | Comments(0)

「悩ましいマダム」

☆新聞のコラム(2009.7.23朝日)を韓国語にしました。原文は韓国語の下にある ブリュッセル「悩ましいマダム」をクリックしてお読みください。

고민거리인 마담   특파원메모   브뤼셀

[마담](기혼)인지, [마드모아젤](미혼)인지. 서구에서는 여성에 대한 경칭으로 어느 쪽 하나를 골라야 하는 상황이 많다. 이것은 불어지역만의 경향이 아니며, 단지 여성을 의미하는 영어표현으로서 [미즈]를 예사롭게 사둉하는 미국과도 상당히 다르다.
남성이 기혼이든 미혼이든 [므슈]밖에 없는 것에 비해 불공평하다. 왜 [미즈]에 해당하는 말이 만들어지지 않았는가?
“미혼이라도 성인 여성이면 [마담]으로 부르면 되지” 라고 하는 사람도 있다. 실제로 사람을 부를 때 겉보기로 20대 중반을 넘어간 것 같으면 마담이 일반적이다. 처음으로 그렇게 불릴 때, 여성들 사이에서는 분위기를 고조시키는 화제가 되며, “어른 대접을 받아서 기뻤다”, “갑자기 늙어진 것 같다”라는 엇갈린 두 반응이 나온다.
[마담의 경계]를 넘어선 뒤에 이곳으로 부임해온 나는, 아직껏 그 호칭에 익숙해지지 않는다. 전날에도 카페에서 옆 자리의 60대쯤으로 보이는 여성에게 “마담?” 이라고 불렸을 때, 순간적로 “Non”이라고 대답했더니, 그녀는 “어머, 므슈니?” 라며 놀랐다.
유럽연합(EU)의 유럽의회는 올봄, 기혼인지 아닌지를 기준으로 구분하는 여성의 경칭을 내부규정으로 금지했다. 그런데 “전통적인 호칭을 부정해서는 안 된다”라는 반론도 끈질기게 제기된다고 한다. 여기에서도 마담은 고민거리다.

ブリュッセル 「悩ましいマダム」  特派員メモ
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by nishinayuu | 2010-05-11 14:05 | 翻訳 | Trackback | Comments(0)

『さよなら僕の夏』(レイ・ブラッドベリ著、北山克彦訳、晶文社)

c0077412_1004052.jpg読書会「かんあおい」2010年3月の課題図書。
『たんぽぽのお酒』の兄弟ダグとトムが少し大きくなって登場するが、それでもまだまだ子ども時代のまっただ中にいるふたりと仲間の少年たちの、一夏の物語である。
この夏の最大のテーマは少年たちと老人たちの対決である。少年たちは郡庁舎の時計塔から鳴り響く時計の音を止めることによって、時を止めようとする。成長をくい止めて老人にならないようにするためだ。これは南北戦争の生き残り!であり教育委員会のメンバーである老人たちへの挑戦である。
ここにはいろいろなタイプの老人たちが登場する。ブレーリングやフリーリー大佐のように、寿命が尽きて去っていく老人。ダグの自転車とぶつかって片足を骨折したクォーターメインのように、少年たちへの敵愾心に燃えている老人。クォーターメインの友人だが「我々もかつては10歳だった。我々にできるのは彼らが19歳になるのを待って戦争に送り出すことくらいだ」と言う、達観しているとも無責任ともとれる老人。そしてダグとトムのおじいちゃんのように、少年たちを温かく見守り、ときには厳しく叱ることを知っている理想的な老人。この物語はこれらの老人たちの一夏の物語でもある。(2010.2.23記)

☆『たんぽぽのお酒』の訳には疑問が残りましたが、この作品は同じ訳者のものとは思えないほどなめらかで読みやすい訳になっています。
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by nishinayuu | 2010-05-08 10:00 | 読書ノート | Trackback | Comments(0)

『二つのプラハ物語』(リルケ著、石丸静雄訳、彌生書房)

c0077412_10415699.jpg1890年代のプラハを舞台にした二つの物語が収められている。
「ボーフシュ王」の主人公であるボーフシュは、純朴なスラブ人種を代表する人物で、支配者であるドイツ人を憎むということを知らない。もう一人の重要な登場人物であるレーツェクは社会主義的イデオロギーを信奉する大学生で、反ドイツに燃えている。ともにボヘミアへの深い郷土愛を抱く二人であるが、愚鈍といってもいいほどに謙虚で穏やかな人間と、知的で闘争的な激しい人間が、同志になれるはずはなかったのだった。
「あにいもうと」は夫に先立たれたワンカ夫人と息子のツデンコ、その妹ルイーザの物語。ここにも上記のレーツェクがアジテーターとして登場する。若い情熱に燃えるワンカは、自分の意志に君臨する力のような物に引かれてレーツェクに近づき、やがて離れられなくなり、結局身を滅ぼしてしまう。
後半は残された母と娘の物語。君臨する母とか弱く頼りない娘という構図が、下宿人としてドイツ人の青年・ラントを迎え入れた頃から変化し始める。物語は、ドイツ人とチェコ人の支配と被支配という敵対する関係からの脱却を暗示するような場面で幕となる。(2010.2.16記)

☆本の画像が見つからなかったので、リルケの肖像画(作者未詳)を載せました。
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by nishinayuu | 2010-05-05 10:42 | 読書ノート | Trackback | Comments(0)

『たんぽぽのお酒』(レイ・ブラッドベリ著、北山克彦訳、晶文社)

c0077412_9165593.jpg作者ブラッドベリの少年時代と重なる、1928年6月から8月末にかけての一夏の物語。所はイリノイ州の、荒野と隣り合わせの小さな町。
弟のトムは何でも統計にとって頭の中にため込む。弟の統計に触発された兄のダグは、夏を「慣例と儀式」と「発見と啓示」の二つの部分に分けて記録を取り始める。この12歳と10歳の兄弟を中心にして、一夏のさまざまなできごとが綴られていく。
「山ぶどう摘み」、「たんぽぽのお酒造り」、「テニス・シューズ」などは、生きる喜びと夏の感動にあふれる話。おじいさんにとって欠かせない夏の儀式の一つである「芝刈り機の音」は、下宿人の青年ビル・フォスターの思いつきによって危うく喪失しそうになるが、おじいちゃんの思いを知ったビルがすんなり譲歩したため元通りに続くことになるし、レオ・アウフマンは「幸福マシン」では得られない本当の幸福を発見する、という具合に冒頭から数話は楽しいエピソードが続く。ずっと後に出てくる話だが、郵便配達人の妻・エルマイラに魔女と決めつけられたクララ・グッドウォーターが、調子に乗って魔女を演じてみせるエピソードも愉快。
しかしダグとトムの夏の日々はそれだけでは終わらない。ミス・ファーンとミス・ロバータの「グリーン・マシン」は事故をきっかけに、トリデンさんの「市街電車」は時代の流れによって、この夏で姿を消すことになる。また、フリーリー大佐の「タイム・マシン」も大佐の死とともに消え、ダグの親友ジョン・ハフは遠くの町に去る。他にも「孤独の人」による連続殺人もあれば、おおおばちゃん(おばあちゃんの母親のこと)の死もある。
喜びと感動、哀しみと恐怖などさまざまなことを体験したり、目撃したりしながら二人の夏は過ぎて行き、ついにダグは疲れ果てて高熱を出してしまう。ダグの熱病を治したのは、捨てられた物を欲しい人に配って歩くジョウナスさんの「清涼空気」だった。このあと、「おばあちゃんのすばらしい料理」のエピソードがあり、10セント・ストアに一万本の鉛筆が並んだところで、長くて短かった夏は終わるのである。(2010.2.15記)
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by nishinayuu | 2010-05-02 09:17 | 読書ノート | Trackback | Comments(0)