<   2010年 04月 ( 9 )   > この月の画像一覧

『何かが道をやってくる』(レイ・ブラッドベリ著、大久保康雄訳、創元推理文庫)

c0077412_1013247.jpg3月の読書会でブラッドベリの『さよなら僕の夏』を読むことになったので、天袋に押し込んであった『たんぽぽのお酒』とこの作品を読んでおくことにした。
「何か」というのがカーニバルというか、移動遊園地のようなものであることはすぐに明らかになるのだが、そのカーニバルは万聖節(10月31日)を目前に控えた晩秋の町に、カンゾウとコットンケーキの匂いを漂わせ、カライアピー(calliope)の音色を響かせながらやってくる。出し物は地上最高の美女、ダスト・ウィッチ、ミスター骸骨、ギロチン男、エジプトの鏡の迷路、回転木馬などなど1001種目もあり、町の人々は大人も子どもも魅了される。13歳の少年ジムは積極的に、親友のウィルはおずおずとカーニバルに近づくが、やがてその不気味で恐ろしい本質に気がつき、一団を率いるクガー・ダーク氏と対決することになる。そしてここで、なんとウィルのパパで図書館の管理である「老人」が、思いがけない活躍をすることになる。(2010.2.13記)

☆音、色、動きが実に活き活きと描かれていて、まるで3D映画のノヴェライズといった感じです。1983年にディズニー・プロで映画化されているということですが、3D映画でリメイクしたらヒットするのではないでしょうか。クガー・ダーク氏の役をジョニー・デップがやるなら私も見てみたい。
☆「ダーク氏は爆笑した」という表現がありました。手許の本は初版が1964年でその1967年版(7版)ですが、「爆笑」の使い方が今風ですね。
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by nishinayuu | 2010-04-28 10:13 | 読書ノート | Trackback | Comments(0)

「石垣の割れ目に咲いた花」 アルフレッド・テニソン


☆英詩を韓国語に訳してみました。各行の母音数を12で揃え、行末の母音は아と야で統一してあります。

벽돌담의 틈에서 피운 꽃     알프레드 테니슨

벽돌담의 틈에서 피운 꽃이야,
난 그 틈에서 너를 쥐어뜯는다.
너 지금 내 손안에 잡히어 있다.
내가 뿌리 째 뽑은 작은 꽃이야.
그런데 혹시 내가 너를 전부 다
이해할 수 있다면, 나는 그 때야
신과 사람을 몽땅 이해하리라.

Flower in the Crannied Wall    Alfred Tennyson

Flower in the crannied wall
I pluck you out of the crannies
I hold you here, root and all, in my hand
Little flower――but if I could understand
What you are, root and all, and all in all
I should know what God and man is.
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by nishinayuu | 2010-04-25 11:05 | 翻訳 | Trackback | Comments(0)

『2/3の不在』(ニコール・クラウス著、坂本憲一訳、アーティストハウス)

c0077412_1061628.jpg著者はニューヨーク在住の若手作家。スタンフォード大学卒業、オクスフォード大学、ロンドン大学でも学んだのち、文芸批評を手がけ、詩人としても評価されているという。
2000年5月、ネヴァダの砂漠を貫く幹線道路近くで、脱水症状で意識朦朧とした男が発見され、ラスヴェガスの救急室に運び込まれた。男の持っていた身分証明書から、名前はサムソン・グリーン、年齢は36歳であることがわかった。コロンビア大学英文科の教員で、8日前から行方不明になっていた。
診察の結果、サムソンの脳に腫瘍――若年性毛様細胞性星状細胞腫――が発見される。この腫瘍がサムソンの記憶機能にどの程度影響を与えていたかは不明であり、腫瘍を取り除く手術自体がひどい損傷を招くかどうかも予測できない、とドクターはサムソンの妻・アンナに告げる。そして手術が行われ、麻酔から覚めたサムソンは、36年の生涯のうち24年分の記憶が全く無い人間となっていた。サムソンが覚えているのは12歳までの子ども時代だけで、アンナは見知らぬ他人だった。
妻が自分にとってどんな存在だったのか、自分はどんな夫だったのか、女手一つで育ててくれた母の最期を自分はどう看取ったのか。記憶のないことに苦しむサムソンは、ある脳の記憶を読み取って別の脳の空白部分に移植する、という「先端科学」の研究者・レイの誘いに応じて「被移植者」になるが……。

衝撃的なプロローグで始まる重苦しい内容の物語であるが、最後のほうには再生の希望もほの見えて、爽やかな読後感が残る。ただ、あまり滑らかとは言えない翻訳文のせいで、時々思考が中断されるのが残念である。(2010.2.9記)
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by nishinayuu | 2010-04-22 10:06 | 読書ノート | Trackback | Comments(0)

『木』(幸田文著、新潮文庫)

c0077412_11173831.jpg読書会「かんあおい」2010年2月の課題図書。1971年から1984年にかけて日本全国のあちこちを訪ね歩いた著者が、各地で出会った「木」について綴った随想である。えぞ松に始まり、藤、ひのき、屋久杉、ひめしゃら、ポプラなど、たくさんの木が取り上げられているが、草花や野菜類などを含めると言及されている植物の種類は70以上に及ぶ。
15の章からなり、「木」そのものを描写している章もあれば、「木」と出逢ったいきさつ、「木」にまつわる思い出、「木」に対する思い、「木」をよく知る人々のことなどを語っている章もある。そうした形や雰囲気がさまざまに異なる各章を一つに繋いで統一感をもたらしているのが、著者独特の語り口である。露伴のものほどは時代を感じさせないが、明らかに現代のことばとは異なる一昔前のことばに、時には懐かしさを感じたり、時にはとまどったりしながら読むのも楽しい。(2010.2.6記)
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by nishinayuu | 2010-04-18 11:17 | 読書ノート | Trackback | Comments(0)

『素数たちの孤独』(パオロ・ジョルダーノ著、飯田亮介訳、早川書房)

c0077412_1084719.jpg著者は1982年生まれ。本書でイタリア最高の文学賞であるストレーガ賞を受賞している。
子どもの頃に、父親に強制されたスキー教室になじめず、それがもとで脚に大怪我をしてしまったアリーチェ。不格好な歩き方がコンプレックスになっていて、かなりひどい拒食症でもある。
同じく子どもの頃に、双子の片割れで智恵遅れの妹を自分の身勝手から死なせてしまう、という恐ろしい体験をしたマッティア。異常なほどの頭脳を持ちながら、友だちと交わることができない問題児で、自傷癖もある。
素数のようにそれぞれ孤立していたこんなふたりが、ふとしたきっかけで知りあう。互いの孤独を知って、二人は次第に相手との距離を縮めていく。しかし二人はどんなに近づいても決してぴったりくっつくところまで行くことはできない。「双子の素数」のようにすぐ近くにあっても、やはり素数は孤独なのである。
この物語で特に印象的なのは、二人の母親である。どちらもそれぞれに孤独で哀れな存在であるが、父親に比べると子どもとの繋がりが薄い、というか、薄すぎるのだ。アリーチェの母親は病気で死ぬよりずっと前からアリーチェにとっては存在しないも同然だったし、マッティアの母親は幼い娘が消えた時点でマッティアの存在を心から閉め出してしまっている。(2010.2.4記)

☆翻訳者によるとこの作品の映画化が進行中とのこと。詳しい情報は下記をご覧ください。
http://ryosukal.blogspot.com/2009/08/blog-post.html
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by nishinayuu | 2010-04-15 10:08 | 読書ノート | Trackback | Comments(0)

『半島へ、ふたたび』(蓮池薫著、新潮社)

c0077412_945531.jpg2009年6月に発行されたもので、二つの章からなっている。
「僕がいた大地へ」と題した第一部は、拉致被害者として24年間暮らした半島を[再び]、ただし北ではなく南のソウルを[初めて]、訪れたときの旅行記である。初めて訪れる旅行者らしい驚きや感動が活き活きと語られているが、それだけに留まらず、北に拉致されていた著者ならではの視点と考察によって深みが加わった読みでのある旅行記になっている。
「あの国の言葉を武器に、生きていく」と題した第二部には、あれこれの模索を経て翻訳家として自立するまでの過程が綴られている。生きた日本語に接することが困難だったと思われる、いわば空白の24年間のあとで、翻訳によって身を立てるというのは並大抵のことではない。帰国後しばらく文を書く仕事に縁があったこと、翻訳家の友人がごく身近にいて後押ししてくれたこと、なども幸いしただろうが、著者自身が並大抵ではない信念と努力の人であること、そしてなによりも著者が並大抵ではない資質の持ち主であるからこそ、短期間で翻訳家の道を歩み出すことができたのだろう。金薫の作品に付けた邦題『孤将』からも、翻訳家としてのセンスのよさが窺える。そして、金薫や孔枝泳など、韓国でも評価の高い作家たちとの巡り会いも、信念と努力の人であると同時に資質の備わった著者だからこそ与ることのできた天の恵みではないだろうか。(2010.1.31記)
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by nishinayuu | 2010-04-12 09:45 | 読書ノート | Trackback | Comments(0)

映画鑑賞ノート9 (2010.3.31作成)

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1行目:タイトル(原題)制作年・制作国 監督(鑑賞日)2行目:キャスト 3行目:一言メモ

画像は「この道は母へと続く」



ブロウ(Blow)2001米 テッド・デミ(2010.1.3)
    ジョニー・デップ、ペネロペ・クルス、レイ・リオッタ
    「人生はやり直せない」ことに気づくのが遅すぎた男の哀切な人生。
未知との遭遇〈ファイナルカット版〉1997米 スピルバーグ(2010.1.8)
    R・ドレイファス、テリー・ガー、フランソワ・トリュフォー
    見たこともないデヴィル・タワーを粘土で作るシーンが印象的。
母なる証明(마더)2009ポン・ジュノ(奉俊昊)(2010.1.12)
    キム・ヘジャ,ウォンビン,チング,ユン・ジェムン,チョン・ミソン
    息子は母の強い愛情に守られたが、母のない知的障害の子は?
プラダを着た悪魔 2006米 デビッド・フランケル(2010.1.15)
    メリル・ストリープ、アン・ハサウェー、スタンリー・トゥッチ
    アンの魅力全開(口も全開!)。メリルの迫力はイマイチでした。
アバター(AVATER)2009米 ジェームズ・キャメロン(2010.1.18)
    サム・ワシントン、ゾーイ・サルダナ、シガニー・ウィーバー
    ダンス・ウイズ・ウルヴズのSF版のような。3D映像は楽しめる。
マジック・キッチン(魔幻厨房)2004香港 リー・チーガイ(2010.1.18)
    サミー・チェン、ジェリー・イェン、アンディ・ラウ
    都内の高級料亭を出たところになんと銚子電鉄の仲ノ町駅が!
イカとクジラ(Squid & Whale)2005米 N・ボーンバッハ(2010.1.19)
    ジェフ・ダニエルズ、ローラ・リニー、ジェフ・アイゼンバーグ
    離婚して羽ばたく妻、動揺しつつも成長する息子達。夫は……?
ブラザーズ・グリム 2005米 テリー・ギリアム(2010.1.21)
    M・デイモン、H・レジャー、M・ベルッチ、レナ・ヘディ
    苦手なオカルトでした。どうせならJ・デップで見たかった。
サイレント・ワールド 2004米 クリストフ・スクルーイ(2010.1.28)
    ディーン・ケイン、ベティナ・ジマーマン、ナイジェル・ベネット
    雪に埋もれてもベルリンはブランデンブルク門でわかる。東京は?
レ・ミゼラブル 1995仏 クロード・ルルーシュ(2010.1.31)
    J.P.ベルモント、M・ブジュナー、A・マルティンヌ
    ユダヤ人を匿った夫婦のシーンなど、見ごたえのある場面満載。
タイトロープ 1984米 リチャード・タックル(2010.2.2)
    クリント・イーストウッド、ジュヌヴィエーヴ・ビジョルド
    自分が標的だと知りながら、家族や恋人の警護が甘すぎでしょ!
ヘア・スプレー 2007米 アダム・シャンクマン(2010.2.2)
    N・ブロンスキー、J・トラボルタ、ミシェル・ファイファー
    最後まで誰がトラボルタなのか気づかなかった(笑い)。
An Unmarried Woman 1977米 ポール・マザースキー(2010.2.9)
    ジル・クレイバーグ、アラン・ベイツ、M・マーフィ
    巨大な絵を女に持たせたまま旅立つ男。かっこよすぎ。
マーサの幸せレシピ 2001独 S・ネットルベック(2010.2.16)
    M・ケデック、S・カステリット、M・フェルステ
    寒いドイツを舞台にした心温まる話。子役がかわいくて達者!
ゴスフォード・パーク(Gosford Park)2001米 ロバート・アルトマン
    (2010.2.22)
    K・マクドナルド、B・バラバン、C・オーウェン、M・スミス
    30年代のマナー・ハウスとその住人のことなどがよくわかる。
プレイス・イン・ザ・ハート 1984米 R・ベントン(2010.2.24)
    サリー・フィールド、リンゼイ・クローズ、J・マルコヴィッチ
    ぼんやり見ていると最終場面の意味がつかめない。要注意。
クローサー(Closer)2004米 マイク・ニコルズ(2010.3.1)
    N・ポートマン、J・ロバーツ、J・ロウ、C・オーウェン
    ポートマンはかわいいけれど、話はお洒落でも粋でもない。
この道は母へと続く(ITALIANETZ)2005露 
    アンドレイ・クラフチューク(2010.3.2)
    C・スピリドノフ、M・クズネツォーワ、D・レスニコーワ
    秀逸なロシア版『母を訪ねて三千里』。邦題はいまいち。
夏の夜は三たび微笑む 1955瑞典 ベルイマン(2010.3.8)
    G・ビョルンスランド,ウーラ・ヤコブソン,H・アンデルセン
    夏の夜が三たびでなく四たび微笑む人生礼賛劇。
ラスト・エンペラー(Last Emperor)1987伊中英合作 
    B・ベルトリッチ(2010.3.11)
    J・ローン、ジョアン・チェン、P・オトゥール、坂本龍一
    何度見ても見ごたえあり。台詞が英語なのは奇妙だけれど。
サイン 2002米 M.ナイト・シャマラン(2010.3.30)
    M・ギブソン、ホアキン・フェニックス、A・ブレスリン
    これが21世紀のSF? 信頼の再生に感動しろとでも?

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by nishinayuu | 2010-04-09 10:01 | 映画・ドラマ | Trackback | Comments(0)

『第三の嘘』(アゴタ・クリストフ著、堀茂樹訳、早川書房)

c0077412_101047100.jpg『悪童日記』『ふたりの証拠』に続く第三番目の「クラウスとリュカ」の物語。
『悪童日記』の最後に残された謎が次作で解明されるかと思いきや、『ふたりの証拠』には新たな謎が立ち現れて、謎はいよいよ深まったのだった。したがってこの『第三の嘘』が前2作の謎を解明するものでないことははじめから明らかである。タイトルもタイトルだし(原題:Le Troisième Mensonge)。
物語は二つの部分からなり、第一部は少年時代に国境を越えて40年ぶりに戻ってきた「クラウス」が、第二部は双子の片割れであるもうひとりが語り手となっている。『ふたりの証拠』では怪しくなっていた『悪童日記』の双子の存在が、ここでまた確認されるわけだ。しかしこのふたりは『悪童日記』のふたりとはかなり違う。
「クラウス」は幼いときに不幸な事故にあって生死の境をさまよい、その後は施設に送られ、やがておばあちゃんの家に行き、見知らぬ男(父親ではなく)を踏み台にして国外に出た。
もうひとりのほうは叔母の家に引き取られて育ち、今は老いた母親の面倒を見ながら暮らしている。彼は母親が愛しているのが自分ではなく、いなくなってしまった「リュカ」であることに苦しむ。つまり、40年ぶりに帰ってきた「クラウス」と名告る男が「リュカ」で、今、リュカという名で詩を発表している男がクラウスなのだ。そのクラウスは、自分を訪ね当ててきた「リュカ」を追い返してしまう。あくまでも他人のふりをして。
『悪童日記』『ふたりの証拠』『第三の嘘』は、三部作と銘打たれているように、確かに同じ小さな町が舞台になっているし、登場人物もほぼ重なる。しかし、ずれているところ、矛盾するところも多く、読む者を惑わし緊張させる作品群である。そしてこれらの作品がもたらす感銘は、『ふたりの証拠』の場合は下敷きに『悪童日記』があればこそ、また『第三の嘘』の場合は下敷きに『悪童日記』と『ふたりの証拠』があればこそより深まるであろうことは間違いない。三作とも強烈なインパクトのある傑作なので、独立した作品として読んでも充分楽しめるだろうけれども。(2010.1.29記)
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by nishinayuu | 2010-04-06 10:10 | 読書ノート | Trackback | Comments(0)

『敵あるいはフォー』(J.M.クッツェー著、本橋哲也訳、白水社)

c0077412_21473923.jpg原題はFoe。 「敵」という意味でもあり、ダニエル・デフォーの本名でもある。
語り手のスーザン・バートンはイギリス女性。さらわれた娘を探しに行ったブラジルで2年間苦労を重ねた後、イギリスに戻るために乗船した船で反乱が起こり、船から降ろされる。ボートを必死に漕いで辿り着いた島で彼女が出会ったのは、60歳くらいの男・クルーソーとニグロの少年・フライデーだった。
このクルーソーはしかし、『ロビンソン・クルーソー』の主人公のような創意工夫を重ねる前向きの男ではなく、島を脱出する気もなかった。また、フライデーは奴隷商人に舌を斬られたためにしゃべることができず、顔つきもぼんやりしていた。こうして『ロビンソン・クルーソー』のパロディが繰り広げられていくのであるが、ついに三人が発見されてイギリスへ向かう船の中でクルーソーが死んでしまうあたりから、話はただのパロディではなくなってくる。
スーザンはフライデーの保護者となり、クルーソー夫人として暮らし始める。そして自分たちの希有な体験を本にしてもらおうと作家のフォーに目を付けるが、彼はスーザンが実際に体験したのとは別の物語を作ろうとする。また、娘と称する得体の知れない少女が現れてスーザンに執拗につきまとう。さらにスーザンは意思疎通を図るためにフライデーに言葉を教えようと思い立ち、絵を描いたり文字を書いたりしてみせるが、フライデーは計り知れない謎の塊のままで、スーザンは自分が彼を保護しているのではなく、彼に従属しているのではないかと思い始める。思い通りにならない人びとと不可解な状況のなかで、スーザンは次第に自分を失っていく。(2009.12.10記)
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by nishinayuu | 2010-04-02 21:47 | 読書ノート | Trackback | Comments(0)