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『博物館の裏庭で』(ケイト・アトキンソン著、小野寺健訳、新潮クレストブックス)

c0077412_9285648.jpg1951年にイングランドのヨークで生まれた作者が1995年に発表し、同年のウィットブレッド文学賞を受賞した作品。
1951年生まれのルビーを語り手に、母親のバンティ、祖母のネル、曾祖母のアリスという4代の女性たちと彼女たちを取り巻く人々のさまざまな人生が綴られた壮大な絵巻物である。舞台が北国のイングランドであり一族が労働者階級の人々であることもあって、この絵巻物は決して絢爛豪華なものではないが、描かれている場面は多彩で変幻自在であり、それらの場面が相互に緊密に絡み合って、圧倒的な迫力を持って迫ってくる。
二つの世界大戦で命を落としてゆく男たち。理想とはほど遠い男と結婚し、子供ができ、日々の生活に追われる女たち。男も女も、自己実現どころではない時代を生きたのだった。また、美しく生まれついた者は若くして天に召される、というジンクスのせいで、ネルの姉のエイダ、兄のアルバート、甥のエドマンド、ルビーの姉のジリアンらが夭折する。彼らはみな美しい金髪の持ち主だった。そんな中でルビー以前の3世代の主役たちは、ある日突然消えてしまったアリスを含めてみんな長生きしているのが興味深い。ただし、この本の巻頭に一族の系図が出ていて、アリスのところを見れば、一旦表舞台から消えた彼女に別の人生があったことを読者は容易に推察できる。
ところで上記の系図は原書にもあったのだろうか、それともこの翻訳書が独自に付けたものなのだろうか。どちらにしてもこの系図は、次に挙げる二つの理由で、この作品にはなくてはならないものに思われる。理由の一つは、登場人物の多さとその関係の複雑さは系図がなかったら理解が難しいだろうからだ。もう一つの理由は、本文ではまだ語られていないことを系図から想像して読む、という楽しみを提供してくれるからだ。アリスのこと、ドリーンのこと、そしてパールのことも、本文でいきさつが明らかになったときは、推理小説の犯人がわかったときのような爽快感が味わえる。(2009.12.27記)

☆「重箱の隅」ですが、p.98に校正ミスがありました。ルーシー・ヴィダはまたグラディスおばさん手作りの……というくだりのおばさんの名前はエライザですよね。
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by nishinayuu | 2010-02-28 09:29 | 読書ノート | Trackback | Comments(0)

『きみの遠い故郷へ』(ウィル・ノース著、田口俊樹訳、文藝春秋)

c0077412_942340.jpg熟年男女のこの上なく爽やかな純愛物語。
ふたりの思い出の山に遺灰を撒いて欲しい、という別れた妻の望みをかなえるために、アレックはヒースロー空港からの全行程を歩いてウエールズの小さな町ドルゲライ近くにやってくる。その土地でフィオナは、化学物質アレルギーに苦しむ牧畜業の夫エドワードの世話をしながらB&Bを一人で切り盛りしている。フィオナは歩いてくるアレックを視野にとらえた時に、そしてアレックはフィオナにドルゲライへの道を尋ねた時に、相手になにか特別なものを感じたのだった。こうして一目惚れのようにして始まったふたりの恋は1999年4月10日から4月18日までの一週間続き、そこでぷつりと断ち切られる。
ただし、この物語は蜻蛉のような恋の物語でも、悲恋物語でもないことはエピローグで始めから明かされている。そしてエピローグで明かされているとおりのことと、それにプラスしてさまざまなことが最後に付け加えられた2005年12月18日の章で語られるという、構成的にも内容的にも非常によくできた(うまくできすぎの)物語。クリスマスに読むのにぴったりの作品ではあった。(2009.12.25記)

☆アレックが元妻の遺灰を撒くためにラダー・イドリス山に登る場面は、霧に撒かれたり崖から滑落しそうになったり、長大な滝に出くわしたり、とそうとうに難易度の高い山のようです。北国で、季節もまだ4月であり、登山道が整備されていないせいもあるかもしれませんが、それにしてもウエールズにそんなすごい山が?と思って調べてみたら、標高は893mでした。納得できたような、やはり納得できないような…。
ところで、アレックはカーター大統領のスピーチ・ライターをしていたことになっていますが、作者も実際にクリントン大統領やゴア副大統領のゴーストライターを務めたことがあるそうです。日本の首相も後々恋愛小説をものするような人物をゴーストライターにしたらもう少し魅力的な演説ができるのではないかしらねえ?
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by nishinayuu | 2010-02-25 09:42 | 読書ノート | Trackback | Comments(0)

陽成院の御子元良親王、和歌を読みし語

c0077412_22545934.jpg
☆ 『今昔物語』巻第二十四の第五十四の再話とその韓国語訳です。



양성원의 아들 모토요시-친왕이 와카를 지은 이야기

옛날 옛날에, 양성원의 아들로 모토요시-친왕이라고 하는 분이 계셨단다. 위인이 매우 호색적이어서, 아름답다는 소문이 난 여인만 있으면, 만나본 여인이간 못 만나본 여인 이건 , 모두에게 연애편지를 보내는 것을 일삼고 있었단다.
그런데, 당시 비와-좌대신아래에서 심부름을 하고 있는 젊은 여인이 있었는데, 이름은 이와야나기라고 했어. 용모와 모습이 뛰어나고, 인품도 훌륭하다는 소문에 많은 사람들이 그녀에게 다가가 구애를 했지만, 그녀는 아무도 받아들이지 않았어.
그러나, ○○라는 사람이 남다른 정성으로 구애했기 때문에, 그녀는 마지못해 만나게 되었단다.
그런 상황을 모르는 모토요시-친왕이 아름다운 여인이라는 소문을 들고 자꾸 구애했어. 그녀는 만나는 남자가 있는 것을 말하지 않고, 그냥 모르는 체하면서 답도 하지 않았거든. 그래서 친왕은 이와 같은 와카를 보냈단다.
내 것이라고 하늘에 금줄을 치는 것보다 훨씬 보람 없구나 나의 당신에 대한 사랑
여자가 보내온 답.
연애편지에 익숙한다고 들은 당신에게는 나 같은 이의 말은 들리지 않으리라
친왕이 결국 여자를 만났다는 소식은 없었다고 전해지고 있단다.

今は昔、陽成院の御子で元良(モトヨシ)親王という方がいらっしゃったそうだ。ひどく好色で、美しいという噂のある女人がいると、情を交わした人にもまだの人にも恋文を送るのを事としていたそうだ。
ところで当時、枇杷の左大臣の許で使われている若い女人がいて、名前を岩楊(イワヤナギ)といった。顔かたちも姿も優れていて、人柄もすばらしかったから、噂を聞いた人たちは誰も彼も言い寄ったのだけれど、誰のことも受け入れなかった。
けれども○○という人が、特に心を尽くして求愛したので、断り切れずに受け入れたそうだ。
このことを知らない元良親王が、美しい女性だという噂を聞いてしきりに言い寄った。女は通ってくる男がいることは告げずに、ただつれなくして返事も出さなかった。それで親王は次のような和歌を読んで送ったとか。
大空にしめゆふよりもはかなきはつれなき人を頼むなりけり
(空にしめ縄を結って空を自分のものだと主張することよりもっとはかないのは、つれないあなたに思いを寄せることだなあ)
女からの返事。
いはせ山よのひとこゑに呼子鳥よばうときけばみてはなれぬか
(あなたには言い寄る女人が多いとか。恋文も見慣れているので、私などのことばは耳に入らないでしょう)
親王が結局女のところに通ったという話は聞こえてこなかったと伝えられているそうだ。
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by nishinayuu | 2010-02-22 10:17 | 再話 | Trackback | Comments(0)

『ふたりの証拠』(アゴタ・クリストフ著、堀茂樹訳、早川書房)

c0077412_9471189.jpg悪童日記』の続編である。『悪童日記』の終わり方が衝撃的なので、誰もが続編を読まずにはいられなくなると思われるが、これはただの続編ではない。内容から言えばこれは全然続編ではなく、『悪童日記』とは別の全く新しい作品である。というのも、この物語は『悪童日記』の「ぼくら」のその後をそのまま語ってくれることはないうえ、あの賢かった双子の「ぼくら」の存在さえ疑わしいものにしてしまう。
物語の主人公はおばあちゃんの家に残ったリュカ(LUKAS)で、第1章は父親が国境を越えようとして死んだ、つまりクラウス(CLAUS)が国境を越えた直後から話が始まっている。ここで注目すべきは、「ぼくら」に名前が与えられていることと、それらの名前がアナグラムになっていることである。この、名前を与えられた主人公のリュカには、「ぼくら」にあった前向きの精神と強かさが見られず、どこか不健康な侘びしさがつきまとっている。それは「ぼくら」が子どもで、リュカが15歳から22歳という難しい年頃のせいもあるかも知れないが、「ぼくら」はふたりだったのにリュカはひとりになってしまったことが大きいと思われる。とはいってもリュカの周りには、父親との近親相姦で家にいられなくなったヤスミーヌ、その子どもで身体に障害を持つマティアス、ホモセクシュアルの共産党員ペテール、図書館の司書クララ、アル中の本屋ヴィクトール、不眠症の男ミカエル、老司祭らがいて、リュカは彼らとさまざまに関わりながらクラウスのいない数年間を生きるのである。そして後々クラウスに見せるために「大きなノート」の紙面を埋め続ける。第7章の終わりまでは。
最後の第8章になるとリュカの姿はどこにもない。リュカは20年前に「ノート」をペテールに預けたまま行方をくらましている。この章の主人公はクラウスと名告る、誰が見てもリュカとそっくりの男である。さて、この男はクラウスなのか、リュカなのか、それとも……というとんでもない謎を読者に突きつけたまま物語は終わっている。(2009.12.23記)
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by nishinayuu | 2010-02-19 09:47 | 読書ノート | Trackback | Comments(0)

『ポラーノの広場』(宮沢賢治著、筑摩書房)

c0077412_9422441.jpg宮沢賢治の長編童話4編のひとつ。 『星の牧場』を読んだ流れで、久しぶりにまた読んでみた。
舞台は「すきとおった風と夏でもそこに冷たさをもつ青いそら」のイーハトーヴォで、前十七等官レオーノ・キューストの日誌を宮沢賢治が訳述した、という体裁になっている。プロローグに「みんなむかし風のなつかしい青い幻灯のように思われます」とあるように、各場面の空気が独特の色や香に満たされており、それらの場面が次々に映写されていくような感じで物語が展開する。
登場するのは上記のレオーノ・キューストをはじめとして、ファゼーロ、ロザーロ、羊飼いのミーロ、地主のテーモ、山猫博士のデステゥパーゴなど、イーハトーヴォの住人にふさわしい国籍不明の名前の持ち主たちである。レオーノ・キューストとファゼーロ、ミーロの三人は、アカシアの青みがかる季節に「そこらはむっとした蜜蜂のかおりでいっぱい」の野原を「シロツメクサの灯り」を数えながら、夏祭りが行われているというポラーノの広場を目指す。
ところで、毒蛾の発生で機能が麻痺したセンダード市で怪しい人物のデステゥパーゴがひげを剃らせている場面でさえ、幻想的な美しさに包まれているのだが、一方で「理想の広場は探し求めるべきものではなく、自分たちの手で作るものだ」というメッセージがかなり生の形で表出されている。この作品に出会った頃はそうしたものに日常的に接していたので、さらっと読み流してしまったのだろうか。これまで、この作品が長編童話4編の中で、いちばん影が薄くて語られることが少ないのを残念に思っていたのだが、今回読み返してみて、その理由がわかったような気がする。イーハトーヴォの夢のような美しさを存分に味わわせてくれる作品であることに変わりはないが。(2009.12.14記)

☆動植物の名や一般的なカタカナ語はふつうに表記されていますが、人名、地名はエスペラントの原則――名詞の語尾は[o]の音をもつ――に則ってアレンジされているので、もとの形を想像しながら読む、という楽しみかたもあります。地名はモリーオ「盛岡」、センダード「仙台」、というぐあいにどれも簡単にもとになっている語が見つかりますが、ただ一つ「イーハトーヴォ海岸の一番北のサーモの町」というのがよくわかりません。なお、人名やその他のカタカナ語について解説した「我田引水エスペラント」という面白いサイトが見つかりましたので紹介します。http://www.ncn-k.net/opera/old/2004/word.htm
なお、画像は「ちくま文庫」のものです。
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by nishinayuu | 2010-02-16 09:28 | 読書ノート | Trackback | Comments(0)

『アフルー』(フランツ=オリヴィエ・ジーズベール著、榊原晃三訳、集英社)

c0077412_10193581.jpgアフルーというのは「とても恐ろしい、ぞっとするような」という意味で、登場人物の一人フカール夫人が主人公に付けたあだ名、ということになっている。
主人公のアリスティードは母親によると、「惨めなことに出遭うように生まれついた」。片目はつぶれており、歩行障害もある。アリスティードの家には父親は始めから存在しないし、母親は家事も育児も放棄している。アリスティードが4歳のときに生まれ、彼がいっさいの世話を任されてかわいがって育てていた妹は、ある日、自分は鳥だ、と思いこんで窓から飛び出して死んでしまう。警察も母親も、アリスティードが突き落としたのだろうと決めつける。
アリスティードは母親の祖父母の家に預けられ、後にはひとり暮らしの老人の家に働きに出され、16歳になるとフカール家に働きに出される。このように母親から疎まれ、人びとから蔑まれ、嫌われ、こき使われながらも、アリスティードは決して卑屈になったり人を恨んだりしない。不思議な強さと明るさを持った人間として描かれていて、そうした精神の持ち主にふさわしく、さまざまな困難を克服して最後には幸せをつかむのである。(2009.12.5記)

☆主人公が厳しい状況を切り抜けていくのに大いに力になったのは主人公の優れた家事能力でした。この点は『悪童日記』の場合も同様で、家事能力の重要さを教えられた気がします。ガンバロウ!
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by nishinayuu | 2010-02-13 10:19 | 読書ノート | Trackback | Comments(0)

『悪童日記』(アゴタ・クリストフ著、堀茂樹訳、早川書房)

c0077412_1052289.jpgタイトルのイメージのせいでなかなか読む気にならなかった作品である。「悪童」といえば「いたずらっ子」のことだから、悪ガキか、どうしようもない不良少年の話かもしれないと思ったからだ。訳者によると、原題の直訳は「大判の帳面」だが作品の内容をより具体的に――そしてやや反語的に――イメージさせることを狙って『悪童日記』としたということだ。しかし、このタイトルは違うのではないか、むしろ「大判の帳面」のほうがよかったのではないか、というのが読み終わっての感想である。これはいわゆる「悪童」の話ではない。厳しい状況に放り込まれた子どもたちが、並外れた知恵と精神力によって生きていく話なのだ。

時代も場所も明記されていないが、内容から時代は第二次大戦の末期から戦後にかけて、場所はオーストリア国境に近いハンガリーの小さな田舎町であると推察できる。語り手の「ぼくら」――小学校低学年とおぼしき双子の兄弟――はブダペストからおばあちゃんのところに疎開してくる。おばあちゃんにしてみれば、娘がどこかで勝手に生んで、今度は勝手に置いていった双子であり、面倒を見る気はさらさらない。そもそも、亭主を殺したという噂もある、魔女のようなおばあちゃんなのだ。しかし双子のほうもただ者ではない。おばあちゃんの家で自分たちにできる仕事をてきぱきとやってのけて居場所を確保し、「鍛錬」によってさまざまな苦痛に耐えられるように心身を鍛え、おばあちゃんや周りの人たちと時には果敢に対決し、時には折り合う道を見つけていく。そして見たり聞いたり実行した事物をあるがままに記すために、自分たちで作った独特のルールに従って日記を綴っていく。(2009.12.3記)

☆カバーの裏にある作者の顔写真、私が思い描いていた「おばあちゃん」のイメージにそっくりだったので、思わず笑ってしまいました。すごいおばあちゃんを生み出したすごい作家の顔として納得しました。
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by nishinayuu | 2010-02-10 10:05 | 読書ノート | Trackback | Comments(0)

韓国の詩「空き家」 奇亨度

愛に敗れて わたしは書く

お別れだ、短かった夜たちよ
窓外に流れていた冬の霧たちよ
なにも知らずにいた蝋燭の火たちよ、お別れだ
恐怖を待っていた白い紙たちよ
ためらいの代わりに流した涙たちよ
お別れだ、もう自分のものではない熱望たちよ

今わたしは盲人のように、手探りで扉に錠をさす
わたしの痛ましい愛を空っぽの家に閉じこめて


빈집       기형도

사랑을 잃고서 나는 쓰네

잘 있거라, 짧았던 밤들아
창밖을 떠돌던 겨울 안개들아
아무것도 모르던 촞불들아
망설임을 대신하던 눈물들아
잘 있거라, 더 이상 내 것이 아닌 열망들아

장님처럼 나 이제 더듬거리며 문을 잠그네
가엾은 내 사랑 빈집에 갇혔네


☆作者については右欄の「韓国の著名人」→기형도に簡単な説明があります。
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by nishinayuu | 2010-02-07 14:58 | 翻訳 | Trackback | Comments(0)

『銀河市民』(ロバート・A・ハインライン著、野田昌宏訳、ハヤカワ文庫)

c0077412_10701.jpg原作は『夏への扉』が出た翌年の1957年、「Astounding Science Fiction」の9月号から12月号に連載されたもの。この翻訳本の発行は1972年である。
物語は40光年の彼方から九惑星連邦の主星サーゴンにやって来た奴隷船と、奴隷市場における奴隷売買から始まる。奴隷市場で物件97号として競売にかけられた少年ソービー。老乞食のバスリムは、買い手の付かないソービーを法外な安値で手に入れると、古い円形劇場の地下にある自分の棲み家に連れて行く……。という具合に、遙かな未来の世界を舞台としていながら、地球の歴史上の世界を彷彿とさせる場面が頻出する。高度な科学技術と昔ながらの人間社会が混在した奇妙で奇抜な物語、といったところである。また、奴隷市場でソービーを見たとき「バスリムはこの少年が純粋の地球人の血統に属しているに違いないと思った」という一文があるため、ソービーの出自と行く末への興味で一気に読ませる、という巧みな物語でもある。(2009.12.2記)
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by nishinayuu | 2010-02-04 10:07 | 読書ノート | Trackback | Comments(0)

『Vanity Fair』(W.M.Thackeray著、 Project Gutenberg)

c0077412_10215866.jpg1847年から1848年にかけて雑誌に発表されて作品。19世紀初めのナポレオン戦争を背景に、ロンドンを中心とするイギリス社会の人間模様を描いている。
物語の冒頭は、アメリアとレベッカが寄宿学校ピンカートンズ・アカデミーを去る場面で、校長はアメリアには与えた卒業記念の聖書をレベッカには与えようとしない。それに抗議して校長の妹がこっそりレベッカにも聖書を手渡すが、レベッカはそれを投げ棄ててしまう。この短い場面から、この時代の寄宿学校の性格、校長と妹の人柄とともに、アメリアとレベッカの社会的立場の違いや、レベッカの気性までが見て取れる。ただし、小公女のミンチン女史とその妹を想起させる前の二人が活躍するのはここだけで、物語は後の二人のその後をめぐって展開する。
純真無垢で優しいアメリアは裕福な株式仲買人のお嬢さんで、幼なじみのジョージとの結婚を夢みている。一方のレベッカは何の後ろ盾もない貧しい娘のせいか勝ち気で企みの多い人物である。身を寄せたアメリアの家ではアメリアの兄ジョゼフに近づいたが失敗に終わり、次に身を寄せた下級貴族のクローリー家ではまず父親の気を引き、陰では息子のクローリーに近づいて、結局クローリーと結婚してしまう。裕福な伯母の相続人になっていたクローリーはこの結婚によって伯母の怒りを買い、相続人の地位を解除されてしまう。収入のない二人は、友人、知人、使用人たちを食い物にしながら派手な生活を続ける。レベッカは人を惹きつける美貌とそれなりの知性と芸の持ち主で、貴族階級の人びとにも取り入り、一時はパリやブリュッセルの社交界でももてはやされる。しかしレベッカの栄華の日々は長くは続かなかった。

「主人公のいない小説」ともいわれるこの作品において、かなり多くのページが逞しくて奔放なレベッカに割かれているが、終盤近くになると彼女は影を潜めて一時は行方不明のようになる。もちろん行方不明のままで終わるわけではないが、はじめは冴えなかったアメリアが終盤に向かってどんどん重みを増してきて、レベッカはアメリアの引き立て役になってしまっている感がある。作者は結局アメリア派だった?と思わせる終わり方である。
ところでこの物語には実に多様な人物が登場して縦横に活躍し、しかもその名前が正式名、通称、愛称、肩書き、などなどさまざまに変化するので、ややこしいことこの上ない。また、ワーテルローの闘いをはじめとするさまざまな出来事の記述、フランス語やドイツ語、そしてそれらの発音を英語表記したもの、などにも苦労させられるが、ストーリーそのものは別に複雑ではない。(2009.12.1記)

☆画像はBantam Books のものです。
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by nishinayuu | 2010-02-01 10:28 | 読書ノート | Trackback | Comments(0)