<   2009年 11月 ( 10 )   > この月の画像一覧

英詩「フリンジ・リンドウ」 エミリー・ディキンソン

☆英詩Flinged Gentian を韓国語に訳してみました。各行の母音数は12で揃えてあります。

술 모양의 용담    에밀리 디틴슨

신이 작은 용담을 창조하셨다;
그는 장미꽃이 되려고 했으나
실패했다. 온 ‘여름’이 웃어댔다.
그런데 눈이 내리기 바로 전에
한 보라색 생명체가 출현했고
온 언덕을 황홀하게 만들었다;
그러자 여름은 얼굴을 감추며
비웃음의 소리를 가라앉혔다.
서리가 용담을 소중히 길렀다;
‘북’이 용담을 불러낼 때까지는
그 진보라색은 보이지 않는다,
“조물주님! 난 이제 피어도 돼죠?”

Fringed Gentian    Emily Dickinson

God made a little gentian;
It tried to be a rose
And failed, and all the summer laughed.
But just before the snows
There came a purple creature
That ravished all the hill;
And summer hid her forehead,
And mockery was still.
The frosts were her condition;
The Tyrian would not come
Until the North evoked it,
“Creator! shall I bloom?”

注1:fringed gentian――花びらの縁が房状になった竜胆。北米に分布。
注2:Tyrian――タイア紫。古代ギリシア・ローマ人が用いた紫色の染料。
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by nishinayuu | 2009-11-30 09:53 | 翻訳 | Trackback | Comments(0)

『Doctor Dolittle’s Circus』(Hugh Lofting著、Penguin)

c0077412_8531750.jpgアフリカへ旅立つときドリトル先生は、漁師から舟やら食料代やらを借りたので、アフリカから連れてきた「おしつおされつ」(井伏鱒二訳による)を人びとに見物させてお金を稼ぎ、借金を返そうと、ブロッサム・サーカス団に加わる。そのとたんにサーカスの動物たちの悲惨な境遇に心を痛めることになるが、ブロッサムがドリトル先生の意見を聞こうとしないのはもちろんである。そんなある日、ドリトル先生はオットセイのソフィーと知り合い、彼女がベーリング海の夫の元に戻るのを手助けすることになる。まずサーカスのテントからぬけだすのが並大抵の苦労ではなかった。抜け出してから海辺まではスリル満点の珍道中で、やっとのことでソフィーを海に放してやったとたん「妻殺し」の容疑で拘置される、というどたばた劇が展開される。
この巻のドリトル先生は、ソフィー救出の他にも引退した馬のための楽園建設に私費をはたいたり、動物たちが劇を自作自演するサーカス、すなわち本当の「動物たちのサーカス」を作ったり、と八面六臂の大活躍をする。ドリトル先生のサーカスは大成功を収め、動物たちもみんな幸せになる楽しいお話である。ただ、前巻で鳴り物入りで登場した感のあった「おしつおされつ」が、この巻では終始影が薄いのがなんだかカワイソウではあった。(2009.10.3記)

☆画像はRed Fox older fictionのものです。
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by nishinayuu | 2009-11-27 08:53 | 読書ノート | Trackback | Comments(0)

『赤い指』(東野圭吾著、講談社)

c0077412_1051329.jpg読書会「かんあおい」2009年12月の課題図書。
始めのほうに小学校低学年の女児が死体で見つかる、という陰惨な場面があって、犯人が中学生の少年であることも疑いの余地はなく、読み進めるのがためらわれる。ぎすぎすした家庭、壊れた家庭教育などをテーマにした話だったらマスコミで毎日のように報道されているから、わざわざ小説で読まなくても、と思われるからだ。それでもとにかく我慢して読んでいると、別のテーマが浮かび上がってきて、こちらの方が主たるテーマであることが見えてくる。
前原家の家族構成はサラリーマンの昭夫、妻の八重子、中学生の直巳、昭夫の母である政恵の4人。昭夫は仕事人間で家のことは八重子にまかせっきり、というよくあるパターンで、八重子は直巳のわがままは何でも受け入れ、姑のことは毛嫌いして食事の世話もしない、という極端な人間に描かれている。直巳が事件を起こしてからの八重子の言動も常軌を逸しているが、昭夫がそんな八重子のペースに引きずられていくさまはリアリティーがある。この部分はこの作品の読ませどころの一つであるが、ここで注目すべきは母親の政恵の言動である。
冒頭に、刑事・松宮修平が死の病に取り憑かれている伯父・加賀隆正を病院に見舞う場面がある。修平は、この伯父の息子で同じく刑事である加賀恭一郎と組んでこの事件を担当することになる。この隆正と恭一郎親子の物語と、政恵と昭夫親子の物語がこの作品の主要テーマであろう。その分、直巳と八重子の物語は影が薄れて、尻切れトンボの感じのまま終わってしまう。このふたりのことは頭から払いのけたいので、それはそれでかまわないのだが、直巳や八重子を登場させず、少女殺し事件もないままに主要テーマを語ってくれたらよかったのに……と、無理な注文を付けたくなった。(2009.9.30記)
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by nishinayuu | 2009-11-24 10:05 | 読書ノート | Trackback | Comments(0)

『万葉集の環境と生活』(高野正美著、笠間書店)

c0077412_10511290.jpg「万葉集を多少読んだことのある人が万葉の世界をもっと知りたいという時の手引き」である。
「歌の環境を読み解く」と題した前半では、歌を取り巻く歴史的・社会的環境、自然・地理的環境が復元されており、作者がどのような状況の下で歌を詠んだのかが明らかにされる。たとえば
あをによし奈良の都は咲く花のにほふがごとく今盛りなり(巻3・328)
という歌に関しては次のように解説される。
美しく彩られた建物や人びとでにぎわう光景を思い描いてしまいがちだが、当時の平城京は中央に幅72㍍の大路があり、大路沿いは宅地で、上級貴族以外は大路に面して門を作ることが許されていなかった。都の人口も貴族、下級官人、一般人を合わせても5万から10万程度で、官人が通勤する時間帯以外は人影もまばらで閑散としていたと思われる。ところが作者・小野老がこの歌を詠んだ天平元年(遷都から19年後)の頃は丹塗りの柱・白壁という中国風の邸宅の建築が許されたこともあって、華麗な邸宅や庭園が見られるようになったばかりでなく、工事関係者でにぎわっていた。作者はこうした建設途上の活気に満ちた様子を「咲く花のにほふがごとく」と比喩したのであって、完成された都の美しさを漠然と読んだわけではない。

「歌の生活を読み解く」と題した後半(というより本書の大半を占める部分)では宴、旅、恋、死を中心とした歌のありさまが当時の生活と関わらせて解説されている。さまざまな地図や表も掲げられており、万葉集をより深く味わうための格好の参考書となっている。(2009.9.29記)
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by nishinayuu | 2009-11-21 10:51 | 読書ノート | Trackback | Comments(0)

『風の影』(カルロス・ルイス・サフォン著、木村裕美訳、集英社文庫)

c0077412_1727994.jpg1945年、長い夏が始まりかけた日に、10歳の少年ダニエルは古書店を営む父に連れられて「忘れられた本の墓場」を訪れる。父によると、世間から忘れられた本が最後に辿り着いて生き続けるというこの場所に初めて来た者には、どれか一冊の本を選んで自分のものにする権利と、それを守り続ける義務があるという。こうしてダニエルはフリアン・カラックスの『風の影』と出合ったのだった。タイトルも著者名も初めて聞くこの本を選んだときから、ダニエルはカラックスと『風の影』を巡る謎に引き込まれて行き、その過程で元出版社の社員であるヌリアという女性(「忘れられた本の墓場」の管理人の娘)と知りあう。
ダニエルの現在である1940~1950年代、カラックスが青年期を生きた19世紀末から1920年頃まで、そしてヌリアが回想するスペインの内戦時代が、はじめはそれぞれの物語を紡いでいるが、やがてカラックスとヌリアの隠された過去が、そしてかつてのカラックスと現在のダニエルの奇妙で不気味な重なりが露わになっていく。
多彩な登場人物がそれぞれの場面で生き生きと描かれているが、特に魅力的なのがホームレスとして登場したあと瞬く間に有能な古書店員に変身して大活躍するフェルミンという人物である。このフェルミンもヌリアも大きな秘密を抱えながら健気に生きているのであるが、フメロ(バルセロナ警察の刑事部長)という「過去」の幻影が立ち現れて彼らの穏やかな日々に暗い影をさす。フメロの部下であるパラシオス刑事は、主要人物ではないけれどもなかなかいいキャラクターの人物である。ミステリー仕立ての物語の中で、一番の謎の人物はもちろんフリアン・カラックスであるが、この人物の謎は案外早い段階で見当が付いてしまうのが、ちょっと残念でもあり、読んでいて安心でもある。
『幽霊書店』、『月魚』、そして『風の影』――「古書店」を巡る物語はどうしてこんなに面白いのだろうか。
(2009.9.25記)
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by nishinayuu | 2009-11-18 17:27 | 読書ノート | Trackback | Comments(0)

韓国の詩「寒渓嶺情歌」 文貞姫


冬のさなか、忘れられないあの人と
車で寒渓嶺を越えているとき
いきなり猛吹雪になったらいいのに。
ニュースは競って数十年ぶりの大雪を報じ
ほかの車がみんなよたよたしながら
避難所を求めて大わらわのなかで、
寒渓嶺のせいだということにして
二人で雪の中に身を隠したなら。

ああ、なんとめくるめく目映い孤立よ
なにもかも真っ白な童話の世界に
留め置かれたのが運命だったなら。

やがて夕闇が迫ると
優しかった大雪が徐々に恐ろしいものになり
現実は不安の色を帯び始めるだろうが
ヘリコプターがやって来ようと
わたしは決して手を振ったりはしない
大雪に閉ざされた野鳥や獣に
ヘリコプターが餌を撒いているときも…
活き活きした若い心臓をめがけて
黒い爆弾を撒いたヘリコプターが
大鹿にも雉にもゆきわたるように
慈悲深く餌を撒いているときだって
わたしは決して見つかったりはしない。

麗しい寒渓嶺に閉じこもれば
うまれて初めてのそのつかの間の
祝福に、身の置き所もなくなるだろう。


한계령을 위한 연가    문정희

한겨울 못 잊을 사람하고
한계령쯤을 넘다가
뜻밖의 폭설을 만나고 싶다.
뉴스는 다투어 수십 년 만의 풍요를 알리고
자동차들은 뒤뚱거리며
제 구멍들을 찾아가느라 법석이지만
한계령의 한계에 못 이긴 척 기꺼이 묶였으면.

오오, 눈부신 고립
사방이 온통 흰 것뿐인 동화의 나라에
발이 아니라 운명이 뭈였으면.

이윽고 날이 어두워지면 풍요는
조금씩 공포로 변하고 현실은
두려움의 색채를 드리우기 시작하지만
헬리콥터가 나타났을 때에도
나는 결코 손을 흔들지는 않으리
헬리콥터가 눈속에 갇힌 야생조들과
짐승들을 위해 골고루 먹이를 뿌릴 때에도…
시퍼렇게 살아있는 젊은 심장을 향해
까아만 포탄을 뿌려대던 헬리콥터들이
고라니나 꿩들의 일용할 양식을 위해
자비롭게 골고루 먹이를 뿌릴 때에도
나는 결코 옷자락을 보이지 않으리.

아름다운 한계령에 기꺼이 묶여
난생 처음 짧은 축복에 몸둘 바를 모르리.

☆翻訳というより逐語的和訳です。あちこちに間違いもありそうですが、メモ代わりにとりあえず載せておきます。なお、原詩は김세원 시낭송집[내가 만든 꽃다발]からとりました。
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by nishinayuu | 2009-11-15 18:04 | 翻訳 | Trackback | Comments(0)

『興夫(フンブ)伝』

c0077412_853426.jpg『흥부전』(作者未詳)
『興夫(フンブ)伝』は朝鮮時代の口承文学で、聴衆の反応をみて適宜変更を加えながら語り継がれてきたものである。
登場するのはフンブ(弟)とノルブ(兄)の兄弟。朝鮮時代の相続制度に従って親の遺産を全部継いだノルブは豊かな生活を享受している。一方、何も持たないフンブは貧乏なうえに子だくさん。明日の米どころか今日の米にも事欠く生活で、たびたびノルブに泣きつくが、ノルブはそんな弟を冷たく突き放す。そんなある日、フンブは脚の骨を折った燕の子を見つける。巣が蛇に襲われて、地面に堕ちてしまったのだ。フンブは燕の子を丁寧に治療して直してやる。翌年、南の国から戻ってきた燕はフンブに瓜の種を授ける。その種を育てると大きな瓜がたくさん成って、中から財宝、家財道具、家までがざくざくと出てきて、フンブは大金持ちになる。それを聞いたノルブ。燕の巣に蛇をけしかけるが、うまくいかないので燕の脚をわざと折ってから治してやる。ノルブを恨みながら飛び去った燕は翌年、ノルブに瓜の種を授ける。大きく実った瓜を一つ割ってみると、中から三人の男が現れて兄弟の親が残した借金の後始末を要求する。次の瓜からもノルブの災いになるものが現れ、ノルブはさんざんな目に合うが、今度こそはという欲からノルブは次から次に瓜を割り、お金を取られ、むち打たれ、汚物を浴びせられて、身体はぼろぼろ、財産はすっからかんになってしまう。そんなノルブをフンブは温かく自分の家に迎え入れてやるのである。
舌切り雀と同様の、勧善懲悪、因果応報の物語であるが、舌切り雀の場合は良い葛籠も悪い葛籠も一個ずつなのに、フンブ伝の瓜はどちらもやたらに数が多い。何度ひどい目にあっても懲りずに瓜を割るノルブの執拗さにはあきれるのを通りこして感嘆してしまう。最近の韓国では、教科書的な模範人物であるフンブよりも、より人間的で「努力の人(確かに!)」であるノルブの人気が高いそうだ。(2009.9.18記)
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by nishinayuu | 2009-11-12 08:54 | 読書ノート | Trackback | Comments(0)

『赤い薔薇ソースの伝説』(ラウラ・エスキヴェル著、西村英一郎訳、世界文化社)

c0077412_10363045.jpg著者は1950年生まれのメキシコの脚本家で、1990年に書かれたこの作品は彼女の最初の小説である。原題は『ココアのためのホットウォーターのように』で、本書のタイトルは、この原作をもとに制作されてヒットした映画のタイトルからとられている。

「玉葱はみじん切りにする」と語り始めるのは玉葱に敏感な体質を母の叔母から受け継いだ一人の女性で、彼女は最初の4行で舞台から去り、物語の最後に再び登場して父親のためにクリスマス料理を用意しながら「どうしても涙がとまらない」と漏らす。その間を埋める長い物語の主人公は「母の叔母」であるティタである。
ティタが生まれた翌日父親が梗塞で死去し、そのショックで母は乳が出なかったため、ティタは台所女のナチャに託された。その日から台所がティタの世界になった。ナチャといっしょに料理をし、ナチャを相手に遊んだ。15歳のとき恋人ができたが、その恋人は姉のロサウラと結婚した。母親のエレーナが「末娘は一生親の面倒を見るものだ」という考えだったから。そして恋人のペドロはペドロで、ロサウラと結婚すればティタの傍にいられる、と思ったからだった。

メキシコ革命(1910~1917)を背景に、ティタのペドロへの愛と母親エレーナとの葛藤の歳月が、一年の各月に作られる12種類の料理とともに綴られていく。料理のレシピの細かさと色鮮やかさにも圧倒されるが、この物語を特徴付けているのはなんといっても、物事や人びとにまつわる不可思議な現象の数々である。すなわちティタは伝説の時代の人物なのだ。そんな時代の因習に縛られた世界で育ったティタであるが、彼女がやはり台所で育て上げた姪のエスペランサは、「ハーバードの博士課程に入ることになっている青年と結婚し、結婚式がすむとすぐアメリカに出発する」現代の女性なのである。(2009.9.17記)
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by nishinayuu | 2009-11-09 10:36 | 読書ノート | Trackback | Comments(0)

『人間失格』(太宰治著、新潮文庫)

c0077412_16315276.jpg読書会「かんあおい」2009年9月の課題図書で、メンバーのほとんどが新潮文庫で読んでいる。我が家には筑摩書房の新旧2種類の全集があってそのどちらにも収録されているが、今回は目も手も疲れない電子図書の「青空文庫」で読んだ。
始めに三枚の写真が紹介される。1枚目は笑顔を作っているが実は笑っていない醜い子ども、2枚目は端正な美貌ながら作り物の笑いを浮かべた気味の悪い学生、3枚目は表情も印象もない奇怪な老人の写真である。この三つの顔を持った主人公の半生が、それぞれの「手記」という形で三部にわたって綴られている。
「第一部」――東北の金持ちの大家族の中で、人とつながるために考え出した「道化」で周りを騙し続けたが、人間不信と孤独に苛まれていた小学生時代。
「第二部」――「道化」が板について気楽に人を欺いていたのに、頭の悪い竹一に見破られたため、竹一を手なずけ、しまいには竹一から「おまえはきっと、女に惚れられる」「おまえは偉い絵描きになる」という二つの予言を得た中学時代と、堀木という悪友から酒・煙草・印旛畏怖・質屋と左翼思想を教えられ、心中事件を起こした東京の高校時代。
「第三部」――粗悪な雑誌に漫画を書いて暮らすようになり、女性遍歴を繰り返しては失敗し、しまいにモルヒネに溺れて脳病院に収容されるに到った過程と、「今は自分には幸福も不幸もない」というその後の人生。「人間失格」というのは当人の自覚ではなく、他人から押された烙印だった。
詳細な自己分析と周到な弁明にあふれた「手記」は説得力があるが、それに魅了されるというところまでは行かなかった。昔読んだときもそうだったし、読書会のメンバーの感想もほぼ同様だった。この作家の熱烈なファンというのは、この作家と出会ったときのバイオリズムの関係でこの作家にと取り憑かれてしまった幸運な、あるいは不運な人たちに違いない。(2009.9.13記)

☆画像は岩波文庫のものです。
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by nishinayuu | 2009-11-05 16:32 | 読書ノート | Trackback | Comments(0)

『津軽』(太宰治著、小山書店)

c0077412_10153427.jpg『桜桃』に引き続いて、読書会9月の課題図書『人間失格』の関連図書として「青空文庫」で読んだ。「青空文庫」の底本は「太宰治全集第六巻」(1990,筑摩書房)である。
本文のはじめの方に、「津軽のことを書いてはどうか」という話が来たので1944年5月に津軽地方に出かけたとある。同年、小山書店から発行されているので、旅行したあと間もなく原稿ができあがっていることになる。なんとも勤勉な作家である。
紀行文と自伝を合わせたような作品である。紀行文的性格の強い部分では、「津軽」に含まれる都市や町の紹介や、「津軽凶作年表」(元和元年~昭和15年)、京の名医・橘南谿の『東遊記』、『日本百科大事典』などが長々と引用されている。自伝的性格の強い部分では、中学、高校時代の学校生活や友人たちの思い出が語られているが、圧巻は「3歳から8歳まで育ててくれ、私の一生を確定した母のような人」である「たけ」に、汽車やバスを乗り継いで小泊まで、ほぼ30年ぶりに会いに行くエピソードである。
ところどころに、「国防上、風景や海山の形状についての詳しい描写は避ける」といった、当時の緊迫した国情が窺える文が挿入されていて、はっとさせられる。(2009.9.9記)

☆画像は新潮文庫のものです。
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by nishinayuu | 2009-11-03 10:16 | 読書ノート | Trackback | Comments(0)