<   2009年 09月 ( 10 )   > この月の画像一覧

『The Voyages of Doctor Dolittle』(Hugh Lofting著)

c0077412_9573612.jpg『ドリトル先生航海記』(井伏鱒二訳)の原書。『ドリトル先生アフリカ行き』に次ぐ、ドリトル先生シリーズの二作目。なんともユーモラスな挿絵は作者ロフティングが自ら描いている。
物語の語り手は9歳6ヶ月の少年トミー・スタビンズ。学校にも通わせてもらえない、貧しい労働者階級の少年であるが、ふとしたことから大きな庭のある家にたくさんの動物と住んでいる博物学者のドリトル先生と知りあう。そして先生の助手として長い航海に出ることになるのであるが、出かける前にまず「世捨て人のルカ」の裁判事件があり、ここでドリトル先生の立派な人柄とすばらしい才能が読者に印象づけられる。全6部のうち第3部になってようやく航海に出発したと思ったら、今度は船内で次から次へと密航者が見つかり、その一人に食料も食べ尽くされていることがわかる。やむなくスペイン領のある島に寄り道し、闘牛場でドリトル先生が特殊能力を発揮して資金を稼ぐ。その後も悪天候で難船したり、目的地の島に着いてからは種族間の戦争に巻き込まれたり、戦争のあとは島の王様に祭り上げられて王様稼業に追われたり、と大変な目に遭うが、ドリトル先生はとにかくタフで、八面六臂の大活躍をする。圧巻はレッド・インディアンの博物学者ロング・アローを救出する場面と、南氷洋近くまで流されてしまった浮き島を熱帯地域まで戻し、しかも海底に固定させるエピソード。数々の偉業を成し遂げたドリトル先生の一行をイギリスまで運ぶのが巨大な海カタツムリ、というところがいちばん奇想天外ですばらしい。
一行の一人にバンボという黒人の王子がいる。オクスフォードの学生でドリトル先生の信用も厚い好青年であるが、ときどき「野蛮人」丸出しの発言をして先生の度肝を抜く。このバンボの描き方を始めとして、ところどころに現在では許されない描写があって、1960年代、1970年代のアメリカではこの作品も作者も人種差別的だとして糾弾されたという。すっかり葬られる可能性もあったのに生き残れたのは、この作品にそれだけの魅力があったからではないだろうか。(2009.8.11記)
☆この物語を初めて読んだのは小学校の3、4年生の頃と記憶しています。初めて自分のお小遣いで買った本で、講談社の「少年少女世界文学全集」の一冊でした。グレーの紙箱入り、A5判の本でしたが、講談社のサイトには1959年刊行の豪華本シリーズのことしか出ていません。豪華本ではない非豪華本全集のことを、よく覚えている、という人が私の周りには何人もいるのですけれど。
[PR]
by nishinayuu | 2009-09-28 09:57 | 読書ノート | Trackback | Comments(0)

映画鑑賞ノート7 

c0077412_1038411.jpg映画鑑賞ノート7 (2009.9.26作成)
1行目:タイトル(原題)制作年・制作国 監督(鑑賞日)
2行目:キャスト 3行目:一言メモ
画像は「イージーライダー」


The Ninth Gate 1999米西 ロマン・ポランスキー(2009.5.20)
   J・デップ、フランク・アンジェラ、レナ・オリン、E・セニエ
   「悪魔の書」を追っているうちに悪魔に魅入られてしまう男の話。
The Witches of Eastwick 1987米 ジョージ・ミラー(2009.5.23)
   J・ニコルソン、シェール、M・ファイファー、S・サランドン
   風景と女性たちは美しいが汚い場面、グロテスクな場面もいっぱい。
Message in a Bottle 1999米 ルイス・マンドキ(2009.5.25)
   ケビン・コスナー、R・ライトベン、P・ニューマン、J・サベージ
   正統的ラブ・ロマンス。父親役のポール・ニューマンがいい。
隣のリッチマン 2004米 バリー・レビンソン(2009.6)
   ベン・スティラー、ジャック・ブラック、R・ワイズ
   どうということのない娯楽映画。評判にならなかったのもわかる。
フランティック(Frantic) 1988米 ロマン・ポランスキー(2009.6)
   ハリソン・フォード、エマニュエル・セニエ、ベティ・バックレイ
   音楽モリコーネ。パリの雰囲気とセニエの妖艶なダンスが楽しめる。
フライト・オブ・フェニックス 2004米 ジョン・ムーア(2009.6)
   デニス・クエイド、ジョバンニ・リビン
   不時着した飛行機を修理して沙漠からの脱出をめざす冒険映画。
フェア・ゲーム 1995米 アンドリュー・サイプス(2009.6)
   ウィリアム・ボールドウィン、S・クロフォード、S・バーコフ
   凄まじい殺人集団と不死身の男女が対決するアクション映画。
別れのとき(Foxfire)1987米 ジャド・テイラー(2009.7)
   ジェシカ・タンディ、ヒューム・クローニン、ジョン・デンバー
   名画。人びとが回想場面でも現在の姿のまま登場するのが愉快。
愛という名の疑惑 1992米 フィル・ジョアノー(2009.8.18)
   R・ギア、K・ベイシンガー、ユマ・サーマン、E・ロバーツ
   二人の女性が美しくて、怖~い。男性陣はみんなおマヌケ。
ハート・オブ・ウーマン 2000米 N・マイヤーズ(2009.9.7)
   メル・ギブソン、ヘレン・ハント、マリサ・トメイ
   男が「君の仕事を妨害した」と言うが、方法の説明はカット?
ウェディング宣言 2005米独 R・ルケティック(2009.9.8)
   J・ロペス、J・フォンダ、M・ヴァルタン、W・サイクス
   原題Monster-in-Law。嫁のモンスター度も義母に負けてない。
恋のゆくえ(Fabulous Baker Boys)1989米 
   スティーブ・クローブス(2009.9.9)
   M・ファイファー、ジェフ・ブリッジス、ボー・ブリッジス
   影像が美しくしっとりした名作。KAWAYのピアノも登場。
50回目のファースト・キス 2004米 P・シーガル(2009.9.10)
   アダム・サンドラー、ドリュー・バリモア
   バリモアの魅力で見せるちょっと哀れでとっても幸せなお話。
イージー・ライダー 1969米 デニス・ホッパー
   D・ホッパー、ピーター・フォンダ、ジャック・ニコルソン
   魅惑的な歌と疾走、異質な者を許さない人々―衝撃的作品。
[PR]
by nishinayuu | 2009-09-26 14:27 | 映画・ドラマ | Trackback | Comments(0)

『幽霊書店』(クリストファー・モーリー著、林清俊訳、青空文庫)

c0077412_23461057.jpg1919年出版の作品で、作者クリストファー・モーリー(1890~1957)はニューヨーク・イヴニングポストのコラムニストだった人。シャーロックホームズの大ファンで、Bake Street Irregularsクラブの設立に参与したという。
物語の舞台はパルナッソスの家と称する古書店。その名にふさわしく、店内には珍しい本、貴重な本がぎっしり詰まっていて、大変な読書家である店主のロジャー・ミフリンでさえとても全部は読み切れない。それでミフリンはこの店を「主が読んでいない本の幽霊に取り憑かれている書店」という意味で「幽霊書店」と呼んだりもする。すなわちこの作品は題名から連想されるようなオカルトやホラーではなくて、ミステリー仕立ての事件ものである。
ある日、カーライルの『クロムウェル伝』が店の書棚から消え、翌日いつの間にか戻されているのだが、表紙がすり替えられている。広告のセールスのために店にやってきて店主と親しくなった青年オーブリー・ギルバートが、古書店と同じ通りにある薬局で問題の本の表紙を見つけ、ポケットに隠して持ち出すと、何者かに襲われる。ここから、古書店に危険が迫っていることを感じたオーブリーの活躍が始まるのであるが、カーライルの『クロムウェル伝』の盗難事件は思いがけない方向に発展して行く。
というわけで、前述したとおりミステリー仕立ての事件ものではあるが、それよりなによりこの作品を特徴付けているのは、書物に関する蘊蓄である。博覧強記な古書店主ミフリンを生み出した作者の博覧強記ぶりに驚くと同時に、それらを訳出した上に各所にさらに微に入り細にわたる注まで付け加えている訳者の博覧強記ぶりに驚く。もしそんなジャンルがあるなら、ミステリーではなく「蘊蓄小説」に分類すべき作品である。(2009.8.7記)

☆この翻訳作品は「青空文庫」のオリジナルです。画像はBiblio Bazaarのものです。
[PR]
by nishinayuu | 2009-09-24 09:52 | 読書ノート | Trackback | Comments(0)

『祭日』(リルケ著、森林太郎訳、岩波書店)

c0077412_1110385.jpgこのところ書店にも図書館にも出かける元気が出ず、「青空文庫」と「グーテンベルク・プロジェクト」さまさまの毎日である。というわけでこの本もまた「青空文庫」のお世話になった。
『祭日』は、主人公スタニスラウス・フォン・ヰックとその一族が、先代の当主アントン・フォン・ヰックの8回忌の祭に集った時の様子を描いた短編。舞台が舞台なので登場人物が多く、名前と親族関係を頭に入れるのが結構大変である。前述の二人の他に、スタニスラウスの妹のリヒテル少佐夫人、アントンの娘でスタニスラウスの姪であるイレエネ・ホルン、イレエネの妹・フリデリイケ、イレエネの息子・オズワルド、「親族関係が朧気な」アウグステをばさん、行事の時だけやって来る元従僕のヨハン爺さん、それから名前だけ登場する先々代のペエテル様、という具合。
会堂で祈りを捧げたあと、一同はこの日の主人役であるイレエネの家で食卓を囲む。そこで一同の関心を惹きつけた話題は、部屋にあるたくさんの椅子のうち、どの椅子で誰が息を引き取ったか、その人の最後のことばはなんだったか、というものだった。そんななかで、給仕してまわっていた老僕のヨハン爺さんがスタニスラウスの席にやってくる。彼が老僕に親しく話しかけると、感激した老僕は「ペエテル様!」と応える。目も耳も悪い老僕は彼を先々代の主人と勘違いしたのだ。大きな衝撃を受けたスタニスラウスは、部屋の中でただ一つ、まだ誰もその上で死んだことのない椅子のところに行って座り込む。彼はもうその椅子から離れることはないことを悟り、自分の「最後のことば」を何にしようかと思いめぐらすのだった。(2009.8.4記)

☆画像は『諸国物語 上』(筑摩書房)のものです。
[PR]
by nishinayuu | 2009-09-21 10:12 | 読書ノート | Trackback | Comments(0)

『家常茶飯』(ライネル・マリア・リルケ著、森鴎外訳、岩波書店)

c0077412_15105272.jpg家常茶飯には「かじょうちゃはん」とルビがついている。著者名のライネル・マリア・リルケは、現在はライナー・マリア・リルケのほうが一般的であろう。以上のことからも想像できるように、語彙や文体は現代文のそれとはかけ離れている。訳者が森鴎外、とくれば納得できることだが、それにしてもゴミ(塵)が「五味」と表記されているのにはびっくりして、思わず辞書で確かめてしまった。夏目漱石は自己流の当て字が多いことで有名だが、鴎外先生もやってくれている!
この作品は戯曲の形式で書かれており、始めに舞台の大道具、小道具の描写があるのだが、この部分を読むだけで疲れてしまうほど詳細かつ丁寧にある部屋の様子が描かれている。登場人物はこの部屋の住人である画家とその姉のゾフィイ、画家の友人である医学士ロイトホルド、モデルのマッシャ、令嬢ヘレエネ、そしてマッシャといっしょに画家の部屋を掃除するおかみさん。
画家は最近、出歩くことが多くて絵から遠ざかっているが、暮らしには困らない身分である。そんな彼のところへ、母親の世話をしながら暮らしている姉のゾフィイが様子を身にやってくる。ここで姉が親の介護について述べたことばは、ストーリーには直接関係はないが「至言」である。
友人の結婚披露パーティーでヘレエネに出合って「すっかり意気投合した」画家は、彼女と画室で会う約束をする。わくわくしながらヘレエネを待っているところへ、マッシャが現れる。久しぶりに描きたくなったのでモデルをやってくれ、と前日言っておいたからだった。しかし今の彼はそれどころではなく、令嬢のために花と果物を買ってきてほしい、とマッシャに頼む。マッシャは前日、彼の留守中に画室をきれいに掃除しておいたのだが、画家はそのことにもすぐには気がつかない。しかし画室にやってきたヘレエネはすべてを見抜く。非常に利発で、思慮深く、弁の立つ令嬢なのだ。ヘレエネから「家常茶飯」の価値を諄々と諭された画家は、初めてまともにマッシャに向き合うのだった。(2009.8.3記)

☆この作品は「青空文庫」で読みました。上の画像はちくま文庫のものです。
[PR]
by nishinayuu | 2009-09-17 14:40 | 読書ノート | Trackback | Comments(0)

『次郎物語 第3部』(下村湖人著、池田書店)

c0077412_108235.jpg中学1年から3年にかけての次郎の物語である。
始めに、恭一とその友人・大沢、次郎の三人が「無計画の計画」と銘打って実行した無計画な山行の顛末が語られる。やがて「無計画の計画」ということばは次郎の頭から片時も去らない重要なことばとなる。
次のエピソードは数学教師「ホウキョウ先生」をめぐる話。ある日ホウキョウ先生が数式を板書していて、+と-の符号を書き違ったため答えにたどり着けないことがあった。次郎がミスに気づいて先生に知らせると、先生は次郎が授業を攪乱するためにわざとやった、と誤解して立腹する。この事件に関して担任から次郎を引き渡された生徒監の朝倉先生は、「誤解された人より誤解した人のほうをいたわるべき場合もある」「誤解を解く最上の方法は次郎のほうから先生に謝ることだ」と諭す。ただし、「自分でその気になるまでは謝るな」と条件をつける。次郎が三年生のとき、ホウキョウ先生が転任することになり、次郎は決心して先生の家を訪ねる。
ホウキョウ先生事件と並行して、朝倉先生を中心とした生徒たちの集まりである「白鳥会」の一員となり、「無計画の計画」「白鳥芦花に入る」「誠」などのことばについて思索しながら成長してゆく次郎の姿が描かれる。
最後は、父・俊亮が酒店を閉めて養鶏業を始めるに至るいきさつが、次郎の日記という形で綴られる。そして、青年期にさしかかった次郎個人を待ちかまえる試練と、国民全体にのしかかろうとしている「時代」の試練を暗示してこの巻は終わっている。(2009.7.31記)
☆この作品は「青空文庫」で読みました。
[PR]
by nishinayuu | 2009-09-14 10:08 | 読書ノート | Trackback | Comments(0)

韓国の詩「森の城壁」  奇亨度

☆韓国の詩人・奇亨度の詩を日本語にしました。原詩は自由律ですが、訳は各行の音数を16に揃えてみました。なお、奇亨度については右の欄にある「韓国の著名人」のをごらんください。

「森の城壁」    奇亨度

夕暮れになると 神々の店に
一つまた一つ 灯りがともって
農夫と小さなロバたちはみんな
城の中へ帰って行くのだった
城壁は深い森でできているので
寺院を通過する雲かあるいは
静かな空気などにならなければ
一歩も踏み込むことのかなわない
あの美しくて神秘的な城

骨董商人が森を訪れ
大木を何本も切り倒して
入ってみるとそこには……何もなく、
見えるのは切り倒された木ばかり、
間もなく彼はそこから立ち去った

農夫たちは今もその城にいる
もちろんあのロバたちもそこにいる


숲으로 된 성벽 기형도

저녁 노을이 지면
神들의 商店엔 하나둘 불이 켜지고
농부들은 작은 당나귀들과 함께
城안으로 사라지는 것이었다
성벽은 울창한 숲으로 된 것이어서
누구나 寺院을 통과하는 구름 혹은
조용한 공기들이 되지 않으면
한걸음도 들어갈 수 없는 아름답고
신비로운 그 城

어느 골동품 商人이 구 숲을 찾아와
몇 개 큰 나무들을 잘라내고 들어갔다
그곳에는……아무것도 없었다, 그가 본 것은

쓰러진 나무들뿐, 잠시 후
그는 그 공터를 떠났다

농부들은 아직도 그 평화로운 城에 살고 있다
물론 그 작은 당나귀들 역시
[PR]
by nishinayuu | 2009-09-12 12:12 | 翻訳 | Trackback | Comments(1)

『旅の終わりの音楽』(エリック・フォスネス・ハンセン著、村松潔訳、新潮クレスト文庫)

c0077412_9412231.jpg1912年4月14日23時40分、北大西洋で氷山と衝突したタイタニック号の船上で、最後まで演奏を続けて船とともに海に消えた楽士たちの物語。処女航海に乗り出したタイタニック号の豪華な船内の様子やら、そこに乗り合わせたさまざまな階層の乗客たちの姿やら、時々刻々の海の様子やらも描かれているが、それらはあくまでも背景、もしくは伴奏部分である。主旋律を奏でるのは、あちこちから大慌てで寄せ集められ、にわか仕立ての楽団の構成員としてこの運命の船に乗りあわせた楽士たちである。
7人の楽団員のうち、この物語で詳しく紹介されているのは以下の5人。
ジェイソン・カワード(バンドマスター):ロンドン出身。天文学を愛する父と音楽を愛する母のもとで送った幸せな少年時代は、今では遙かかなたの思い出となっている。
アレキサンダー・ビエズニコフ(第一ヴァイオリン):ペテルブルグ出身。ふとしたことから悪行に手を染めてしまい、国外逃亡する羽目に。病に冒された今、ずっと昔に書くべきだった弟宛の手紙を書く。
スポット・ハウプトマン(ピアノ):ドイツ出身。ヴァイオリンとピアノを弾きこなす天才少年で、最高のソリストになれる可能性を持っていた。しかし彼は作曲家をめざし……挫折した。
ダビット・ブライエルンシュテルン(第二ヴァイオリン):ウイーン出身。自由な雰囲気の豊かなユダヤ人家庭で育った青年。実りのない恋を経験し、心の整理がつかないまま家を出てきた。
ペトロニウス・ウィット(ベース):イタリア出身。他の人には見えないものが見える少年だった。旅回りの人形劇一座に加わってあちこち巡り歩き、運命に導かれるようにしてタイタニック号に辿り着く。

楽士の物語なので、全編に作曲者名や曲名があふれている。たとえばこんな具合に。
海が荒れている時には、ある種の音楽は避けた方が無難だった。風が強い時〈ホフマン物語〉を演奏すると、嘔吐する老婦人がいるのだが(後略)。
[PR]
by nishinayuu | 2009-09-10 09:41 | 読書ノート | Trackback | Comments(0)

『Hotel du Lac』(Anita Brookner著、 Penguin)

c0077412_10405741.gifブッカー賞の作家、アニータ・ブルックナーの作品を手にしたのは、2000年に『家族の肖像』を読んで以来久しぶりのことだった。しかも『家族の肖像』の内容は覚えていないので、初めて読む作家という感じである。タイトルは『湖畔のホテル』だが、『秋のホテル』という題の翻訳本が晶文社から出ている。

主人公は30代後半のイギリス女性。小説家を業としていて、ヴァージニア・ウルフに似ている、と言われたりする(これは作家評としては大讃辞かも知れないが、女性評としてはどう受け取るべきなのだろうか)。妻子ある男性との関係を清算しようと思い立って結婚を考えるが、式の当日にドタキャン、という「不始末」を起こす。ことが鎮静化するまでここにいてはいけない、という友人に追いたてられるようにして、スイスのホテルに一人でやって来る。シーズンを過ぎた閑散としたホテルには、老人ホーム代わりに滞在させられている老女やら、犬を連れた節食障害の女性やら、大富豪でいやに人目を引く派手な母娘やらが滞在している。はじめは距離を置いて彼らを観察していた主人公も、しだいに否応なく彼らの日々の中に取り込まれていく。
しっとりとした、味わい深い作品である。
(2009.7.20記)

☆ブックオフの棚に珍しくペンギンブックスがあったので、ラッキーとばかりに飛びつきました。家に帰ってからよく見てみると、なんとあちこちに書き込みが。書き込みのある物はいっさい買い取らないはずのブックオフの書棚に、こういう物が置かれた経緯を知りたいものです。
[PR]
by nishinayuu | 2009-09-07 10:41 | 読書ノート | Trackback | Comments(0)

『カラマーゾフの兄弟』(ドストエフスキー著、亀山郁夫訳、光文社古典新訳文庫)

c0077412_9423366.jpgカラマーゾフがより読みやすくなった画期的な新訳、と評判の本書が出て以来、猫も杓子も読んでいるようなので、猫の一人としては読まずばなるまい、と考えて読んでみた。確かに読みやすく、退屈せずに読めた。ただ、昔、米川正夫訳のカラマーゾフを河出書房の「カラー版世界文学全集」第18巻で読んだときも、特に難しいとも思わず、興味深く読んだ、という記憶がある。ただし、米川訳は誰かに貸したきり手許に戻ってこなかったため、(今更買ったり借りたりも面倒で)両者を読み比べることができず、どこがどう新しいのか、どれくらい読みやすくなっているのかは、残念ながらさっぱりわからない。
内容に関して印象的なのは、登場人物たちがひどく饒舌なこと。無教養を標榜しつつ教養を垂れ流すフョードルがその代表格だ。ホフラコーワ夫人、グルーシェニカ、カテリーナなどの女性陣もよくしゃべる。もう一つ印象的なのは、男たちの言動が比較的筋道だっているように見えるのに反して、女性たちのそれは非合理的で突拍子もない感じがする。それはおそらく、男たちについてはその心理状態や思考過程が詳細に描写されているのに反して、女たちに関してはそれらの描写が少ないせいではないだろうか。あくまでも男性作家による男性を描いた小説なのだ。
「新訳」で画期的なことの一つは、長文で詳しい「解題」がついていることだろう。全5巻のうち第5巻は、短い「エピローグ」が収録されているだけで、一冊のほとんどのページがこの「解題」で埋め尽くされている。「エピローグ」を第4巻に収めれば全4巻ですむのに、と出版社の意図を怪しみながらも、とにかく{解題}読んでみると、これがなかなか面白いし、ためになる。この小説には書かれずに終わった第二部があった、ということで、確かにそう考えれば納得できる部分がいろいろあるのだ。(2009.7.18記)
[PR]
by nishinayuu | 2009-09-03 09:42 | 読書ノート | Trackback | Comments(0)