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『ニッポン硬貨の謎』(北村薫著、東京創元社)

c0077412_10364892.jpg副題に「エラリー・クィーン最後の事件」とある。エラリー・クィーンを読んだことがないのにこれを読むのは無謀かもしれない、という懸念が読む前にふとよぎったのだが、果たしてその通りになってしまった。この本はエラリー・クィーンを知らないと面白みが10分の1ほどしかわからない。そもそもエラリー・クィーンを知らない者が読むのは著者に失礼である。というわけで、まず著者にゴメンナサイ、と言っておく。
それでもなお、楽しめる本ではある。エラリー・クィーンの未発表原稿が見つかり、それをかくかくしかじかの経緯で著者が翻訳することになった、というまことしやかな序に始まり、その「翻訳」の苦労を物語る注やら但し書きやらが本文にまけないほど、というのはオーバーだが、かなりの紙面を領している。翻訳書によく見られる、時にはありがたく、時には邪魔なこの部分をやたらに増大させているのも、苦労して翻訳しました、という体裁を取るための仕掛けの一つであろう。そもそも表紙に原著のタイトルめかした英文のタイトルまで入っているという念の入ったつくりの本である。さて、本文の事件そのものはわりあいあっさりしているのだが、事件と並行してエラリー・クィーン論が展開されており、そこが本当の読みどころにちがいない。(2008.6.17記)
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by nishinayuu | 2008-08-30 10:36 | 読書ノート | Trackback | Comments(0)

『僕とおばあさんとイリコとイラリオン』(ノダル・ドゥンバゼ著、児島康宏訳、未知谷)

c0077412_11292261.jpg訳者のあとがきによると、著者は1928年、グルジア(当時はソ連を構成する国の一つ)の生まれ。9歳のときに両親が反社会的活動の疑いで逮捕されたため、グルジア西南部にあるグリア地方に住む父方の祖母と暮らし始める。本書はそんな著者のほぼ自伝的な物語で、原文はグルジア語だという。
グリア地方の人々は「陽気」なことで知られる、ということだが、我々が考える「陽気」とは質もケタもまったく違う、むしろ暴力的で凄まじい悪ふざけが展開される。たとえば中年男のイリコとイラリオンは友だち同士なのだが、イラリオンはイリコにワインを分けてやろうとしないし、イリコはイリコでそれならワインを盗んでやる、と考える。その企てを知った僕は、あることでイリコを恨めしく思っていたので、イラリオンに協力してイリコを騙し、ワイン入りと見せかけた空っぽの甕の中にイリコを落とす。イラリオンはイリコを、生き埋めにするぞ、と脅してさんざん虐めた後で解放してやり、それから一緒にワインを飲んでおしまい、というぐあい。これはまだ序の口で、命にかかわるような、今身の回りでそんなことがあったら確実に事件となるようなことも、友だち同士の悪ふざけで通ってしまうのだ。そんな荒々しい人々に揉まれ、愛されながら、主人公の僕は成長していくのである。
読み始めはぎょっとさせられるが、最後にはほのぼのと温かいものを感じながら読み終えることができる、すばらしい物語である。(2008.6.15記)
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by nishinayuu | 2008-08-28 11:29 | 読書ノート | Trackback | Comments(0)

『時の“風”に吹かれて』(梶尾真治著、光文社)

c0077412_13243396.jpg11の作品からなる短編集。それぞれの作品が最初に載った場所を見ると、その作品の傾向が大体わかるので、以下に作品名と初出場所を挙げる。
『時の風に吹かれて』――「SF Japan」2005年冬号。
『時縛の人』――『異形コレクション 時間怪談』(1999年5月 廣済堂文庫)
『柴山博士臨界超過!』――『異形コレクション 悪魔の発明』(1998年5月廣済堂文庫)
『月下の決闘』――『SFバカ本 彗星パニック』(2000年2月 廣済堂文庫)
『弁天銀座の惨劇』――「小説宝石」006年6月号
『鉄腕アトム/メルモ因子の巻』――デユアル文庫編集部編『手塚治虫COVERエロス編』(2003年5月 徳間デユアル文庫)
『その路地へ曲がって』――『異形コレクション 魔地図』(2005年4月 光文社文庫)
『ミカ』――「小説宝石特別編集 英雄譚」(2005年10月)
『わが愛しの口裂け女』――『平成都市伝説』(2004年10月 中央公論社C★NOVELS)
『再会』――『異形コレクション 教室』(2003年9月 光文社文庫)
『声に出して読みたい事件』――「西日本新聞」005年1月17日付

初めの2編はタイムトラベルもの、続く3編は怪力/異能の女性に振り回される男たちの話、次がアトムの「エロス編」、『ミカ』はエロス+怖い女たちの話。そして『その路地へ曲がって』『口裂け女』『再会』はしみじみと心に染みる話である。『声に出して読みたい事件』でちょっと笑って、気持ちよく本を閉じることになる。(2008.6.11記)
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by nishinayuu | 2008-08-26 13:24 | 読書ノート | Trackback | Comments(0)

『フェルマーの鸚鵡はしゃべらない』(ドゥニ・ゲジ著、藤野邦夫訳、角川書店)

c0077412_1049401.jpg数学の歴史とミステリーを組み合わせた小説であるが、数学史の部分は詳しすぎ、ミステリーの部分は謎も謎解きの過程も魅力に乏しい、というのが偽らざる感想。『ペトロス伯父とゴールドバッハの予想』が断然面白かったし、『博士の愛した数式』もなかなかよかったので、数学に絡んだ小説は面白いに違いない、と意気込んで読み始めたのだが、数学者の名前の羅列がやたらに多くてまいった。まるで旧約聖書・創世記の第10章のよう。ガロアをはじめとする天才数学者の生涯を語った部分には、読みでのあるところもなくはなかったが。いちばんまいったのは、登場人物たちが謎解きのために集まって話し合う場面。芝居がかったやりとりをしながら、ときどき「どっと吹き出し」たりするのだが、どこが面白いのかさっぱりわからないのだ。双子の兄と妹以外は互いに血のつながりのない5人が一つ屋根の下で暮らしているという設定自体は魅力的なのに、そういうことになったいきさつの説明が足りない。とくに、双子の誕生のいきさつは、双子自身ももっと突き詰めて探るかと思ったのにあいまいなままで終わっているのが残念。
それでもまあ、事件の締めくくりは納得できるものだし、数学史も少しは勉強できるし、なによりも、最後まで読み通せばそれなりの達成感は味わえる。なにしろ数学にまつわる話だけで2段組、500ページ近い本なのだ。それでも訳者によると「著者には饒舌すぎるところがあり、あまりにページ数が多くなるので、版元と相談して一部を割愛した」そうで、本書ではこの部分がいちばん笑える。(2008.6.9記)
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by nishinayuu | 2008-08-23 10:49 | 読書ノート | Trackback | Comments(0)

『花粉の部屋』(ゾエ・イェニー著、平野卿子訳、新潮クレストブックス)

c0077412_8522063.jpg主人公ヨーの幼い頃、「通りを2,3本へだてたところに母が越し、わたしは父と残った」。仕事で出かけた父が戻ってこないかもしれないという不安は、恐ろしい虫の形になってヨーを襲う。日曜ごとに会っていた母ルーシーもやがて新しい恋人アロイスとともに遠くに去ってしまう。時が経ち、高校を出たヨーは12年ぶりにルーシーを訪ね、ルーシー、アロイスの3人で暮らし始める。しかし、やがてアロイスが交通事故で亡くなると、ルーシーは彼の部屋を花粉でいっぱいにして閉じこもってしまうのである。
なにかを探し求めてさまよい続けるヨー。そんなヨーの目に映るものが次々に語られていく形で進行するこの物語は、ある種のフランス映画を思わせる。登場人物たちが心情を吐露することなく、次から次へと場面が転換していって掴み所がない映画。哀愁と美しい映像が印象に残る映画。そんな感じの物語である。映画になったらぜひ見てみたい。(2008.6.2記)
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by nishinayuu | 2008-08-21 08:52 | 読書ノート | Trackback | Comments(0)

『我が北韓文化遺産踏査記 上』

c0077412_10265427.jpg『나의 북한 문화유산답사기 上』(유홍준著、Random House)
『我が文化遺産踏査記』3巻の著者である美術史の研究者・兪弘濬による北朝鮮編である。タイトルを和訳すると『我が北韓文化遺産踏査記』となる。北側から正式に招待され、北にある文化遺産を北の学者たちの案内で見て回ってきた著者が、文化遺産を紹介するだけでなく、一人の旅行者としての感動や素直な疑問もありのままに語った旅行記である。韓国では北を「北韓」と呼び、北は韓国を「南朝鮮」と呼んでいるが、そのほかにも日常の言葉や学術用語にもさまざまなちがいがあり、さらには文化遺産の発掘や保存にも南北の違いがあることが語られる。またその一方で、学者たちにしても一般の人々にしても、一人の人間として接するときに見えてくるのは南北の違いではなく個性の違いであることが、さまざまなエピソードや会話を通して示される。南大門の火災事件では非難の矢を浴びることになってしまった兪弘濬であるが、そんな彼の文化遺産に対する熱い思い、好奇心旺盛で人間好きな人柄が伝わってくる楽しい読み物である。先の3巻では白黒だった写真や絵が、この巻ではカラーになり、数もぐんと増えているのも嬉しい。(2008.5.29記)
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by nishinayuu | 2008-08-19 10:27 | 読書ノート | Trackback | Comments(0)

『モンシル姉さん』 (クオン・ヂョンセン著)

c0077412_9215637.jpg『몽실 언니』(권정생著、창비)
長い植民地支配からは解放されたものの、まだ国中が混乱していた韓国は、1950.6.25に始まった「韓国戦争(朝鮮戦争)」によってさらに大きな痛手を受けることになる。戦場にかり出されてそのまま帰らぬ男たち、体も心もずたずたに傷ついて戻ってくる男たち、夫のいない家で途方にくれる女たち。そんな苦しく困難な状況にあって、とりわけ悲惨だったのは幼い子どもたちだった。この物語はそんな子どもたちの一人であるモンシル姉さんと呼ばれた女の子が主人公である。
モンシルは7歳のとき、稼ぎのない父の許を逃げ出した母親に連れられて新しい父の許に行く。この新しい父に弾みで足を骨折させられ、モンシルは一生足を引きずって歩く運命を背負わされる。母と別れて父の許に戻ったモンシルは、新しい母と暮らし始める。この母は気だての良い優しい母だったが体が弱く、貧しい暮らしの中で無理をしたため、産んだ赤ん坊をモンシルに託してなくなる。モンシルは幼い姉ながら、まるで母親のように、懸命にこの赤ん坊の妹を育てるのである。戦場で傷ついて戻ってきた父の面倒を見、赤ん坊の妹を守り、義父の許にいる弟妹を心配しながら、ときには他人の家に住み込み、ときには物乞いをしながらも、モンシルは決して弱音を吐かない。モンシル姉さんは「我が民族の姉さんだ。あんなにも悲惨な日々に憎しみと怒りで立ち向かうかわりに、それを愛と涙で和らげて綿雲よりもっとふんわりした夢を咲かせた、奇跡のような姉さんなのだ」(児童文学者・イヒョンヂュ)。
この出版社の小説選には黄皙暎の『客人』『懐かしの庭』、ウンヒギョンの『幸せな人は時計を見ない』などが入っている。三番目の本はタイトルが気に入ったのでいつか原書で読もうと思う。あとの二冊はすでに翻訳で読んでいる。どちらも内容の深いよい作品だった。(2008.5.27記)
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by nishinayuu | 2008-08-16 09:22 | 読書ノート | Trackback | Comments(1)

『鮭』 (アンドヒョン著)

c0077412_8515060.jpg『연어』(안도현著、문화동네)
「鮭、という言葉には川の匂いがある」という文で始まるこの小説は、仲間とともに北の海から生まれ故郷の川を目指して旅を続ける一匹の雄の鮭の物語である。全身が白っぽいために敵に狙われやすい主人公「銀色」は、仲間に守られるように群の中央を泳いでいる。海でミサゴに襲われたときはすぐ横を泳いでいた姉が身代わりになり、川辺で熊に襲われそうになったときは、彼をそっと見守っていた「きらら瞳」が警告を発して彼を救う。こうしてみんなに守られて目的地を目指しながらも、彼は自分たちが川に戻っていくのはなぜなのか、もっと他に意義のある人生(鮭生?)があるのではないかと思い悩む。「きらら瞳」は恋人として、またときには姉のように「銀色」をやさしく見守り、「海」は父親のように「銀色」導いていく。長い旅の末にやっと母なる川にたどり着いた「銀色」たちを、また新たな試練が待ち受けている。
と、書くとちょっとばかばかしい感じがするかもしれないが、「大人のための童話」と銘打っているだけあって、味わい深いなかなか読みでのある物語になっている。
この本は「大人のための童話」というシリーズの中の一冊で、他には同じ著者の『関係』『蒸気機関車ミカ』、黄皙暎の『砂村の子どもたち』などが入っている。(2008.5.25記)
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by nishinayuu | 2008-08-14 08:51 | 読書ノート | Trackback | Comments(0)

韓国の詩「午後6時過ぎ」 朴建浩

☆詩集『燃え残ったもの』のなかの一編を日本語にしてみました。意味内容を伝えるのが精一杯で、「詩」とはほど遠いものになってしまいましたが。原詩は日本語の下にあります。

午後の6時過ぎは
孤独な者には懲役の時間なのか

いきなり押し寄せる自由が
わたしを拘束し、都市は監獄となる

午後の6時過ぎは曖昧な時間
わたしひとり、行くあてもなく
脱獄した受刑者のように立ちつくし
胸にしみ入る空しさに見舞われる

公衆電話の前で、忘れた名前をあれこれ考えていたかと思うと
陸橋の上や地下道で
うろうろしている自分がいる

わたしは疲れている
風で髪が乱れるままに、めまいを覚えながら
憂愁の翼に乗って遠くへ飛んでみる

生活を脱ぎ捨てた人なのか
生活を脱ぎ捨てられない人なのか

人々のすさんだ顔に燈影が流れ
街には思い出を糧にして生きているわたしが残る

都市は大きな手錠となって
わたしを締めつけている

午後の6時過ぎはなにもかも華やいでいるけれど
懲役の時間のような孤独のなかで
誰かを想ってみる

ついにはひとりでいるしかない
わたしの目はどこに向いているのか

都市のこの渇きを感じながら
誰かに呼びかけている

原詩
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by nishinayuu | 2008-08-12 21:06 | 翻訳 | Trackback | Comments(0)

『空中スキップ』(ジュディ・バドニッツ著、岸本佐知子訳、マガジンハウス)

c0077412_9435468.jpg23の物語を収めた短編集。作者は1973年生まれで、26歳のときに発表したこの作品で注目を浴び、大学で教鞭を執りながら作家活動を続けているという。
さて本の内容はというと、これがなんとも奇妙な物語ばかりで最初はびっくりするが、たちまち生き生きと描写される荒唐無稽な世界に引き込まれて抜け出せなくなる。犬のぬいぐるみを着て犬になりきっている男をママとわたしはペットとしてかわいがっていたが、食糧が尽きたときにパパが「犬なんだから食べてもいいだろう」と男に飛びかかる話(『犬の日』)。親孝行をしろ、と周りから責め立てられて心臓病の母親に自分の心臓を提供する羽目になった男の話(『借り』)。娘がボーイ・フレンドを連れてきたので、両親がいそいそと食卓に迎えたところが、その男が出身地である「絶叫町」について次から次へととんでもない話を披露する話(『イェルヴィル』)。昔は、赤ん坊というものは赤ん坊屋が粉を捏ねて竈で焼いて作ったものだという話(『ハーシェル』)などなど、細部はリアリティがあるのに全体は非現実的な話が並んでいる。
たとえば、目が覚めても鮮明に覚えているおかしな夢の数々を文字化したら、こんな感じの作品集になるかもしれない。この著者は昼間に自由自在に夢を見ることができる人なのではないだろうか。それに、こんな夢を見たら誰かに話さずにはいられないだろう、と思えば納得がいく。ときには哀れで、ときには滑稽な、おかしな物語を次々に読まされていると、出産後のお母さんが異様に太ってしまってベッドを離れられなくなり、お父さんはそんなお母さんに嫌気が差して出て行ってしまったが、お母さんがおばさんの手助けで100ポンドほどの減量に成功して元気になったとき、ぼくはお母さんが産んだ巨大な赤ん坊が家の中を動き回っている気配を感じる、という話(『100ポンドの赤ん坊』)などが、とてもまともな普通の小説のように思えてくる。(2008.5.20記)
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by nishinayuu | 2008-08-09 09:44 | 読書ノート | Trackback | Comments(0)