<   2007年 12月 ( 13 )   > この月の画像一覧

『廃墟に咲く花』(パトリック・モディアノ著、根岸純訳、パロル社)

c0077412_1005088.jpg始めのほうで、1933年に若い夫婦の心中事件があったこと、事件のあった晩、ふたりは二組のカップルと行動を共にし、四人を自宅まで連れてきていたこと、などが語られる。それから語り手は最近知りあった得体の知れない男のことを語り、その男に関連して1960年代のことを語る。その過程で語り手は、心中事件のあった1933年へ、あるいは学生だった1960年代へと遡ったり、現在に立ち返ったり、を繰り返す。 語り手の関心はずっと心中事件と、事件の晩に夫婦と一緒にいたという二組の男女にあって、記憶の断片をつなぎ合わせようとしているのだ。
最初のページからパリの通りや建物の名前が次々に出てきて、何が何だかわからなくなりそうになる。パリの地図を広げて通りの名を確認しながら読み進んでも、語り手はあちこち歩き回るだけでなく、現在から過去に入り込んでそこであちこち歩き回り、また現在に戻ってきてここでもあちこち歩き回るので、過去の通りの様子と、現在の通りの様子が入り交じり、人物も過去に存在して今はいない人や、姿を変えて現在に立ち現れる人やらが入り交じり……語り手が辿る思考、語り手の回想に合わせて、読者もパリの現在と過去の通りを歩き回ることになる。パリをひとりで歩いていて迷路に迷い込んでしまったような感覚になり、それが一種の快感をもたらす小説である。(2007.10.13記)
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by nishinayuu | 2007-12-29 10:00 | 読書ノート | Trackback | Comments(0)

「カメラの持ち方」  特派員メモ  ナポリ

☆新聞のコラム(2007.7.18朝日新聞)を韓国語にしました。原文は韓国語の下にあります。

특파원메모 나폴리 카메라를 들고 걷는 법
“당신의 그 니콘말이야…”. 나폴리 교외에서 취재한 뒤 차로 시내에 돌아왔을 때, 동행한 나포리인 기자가 진지한 얼굴로 말을 꺼냈다. “그런 비싼 물건을 갖고 다니는 외국인을 거리에 내버려둘 수 없네”. 걱정스러워서 나를 호텔까지 데려다준다고 말한다.
카메라에 대해서는 그날 낮에도 주의를 받았다. “나폴리에서는 카메라를 그렇게 갖고 다니면 안된다”. 취재할 때 만난 중년의 NGO 대표는 헤어지려는 바로 그 때 내가 어깨에 걸고 있던 카메라를 잡아서 내 목에 고쳐걸었다. “손으로 꽉 떠받치렴.”
나폴리의 날치기는 유명하다. 작년에는 고급 팔목시계의 강탈이 잇달아 일어났기 때문에 시 당국이 플라스틱제 팔목시계를 배부하고 “진짜 시계는 호텔 금고에” 라고 호소했다.
그렇다치더라도 만나는 사람마다 나에게 주의하다니! 나는 그렇게 무방비한 사람으로 보이는 걸까? 조금 한심스러워하고 있었는데, 이번에는 거리에서 누가 뒤에서 내 어깨를 두드렸다.
“그런 식으로 들고 걸어다니면 참혹한 꼴을 당할 겁니다.” 생면부지의 젊은 여인이 무서운 얼굴을 하면서 서 있었다. ‘또다시군’. 이 거리에서 우리는 당신이 생각하시는 것보다 훨씬 큰 긴장감을 가지면서 살아 가고 있답니다. 그녀의 눈에는 [긍지] 마저 깃들여 있는 것 같았다.
큰 카메라를 어깨에 걸고 무사태평하게 걸어다니는 내 모습이 ‘우리 거리를 얕보는 짓’ 으로 보였을 까? 그 이후 나는 카메라를 가방속에 간직하며 다니기로 했다.

カメラの持ち方
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by nishinayuu | 2007-12-27 09:49 | 翻訳 | Trackback | Comments(0)

『引力』(李廣田著、岡崎俊夫訳、岩波新書)

「岩波新書」とあるが新書判ではなく、昭和27年3月6日発行の文庫本である。友人がネット販売で静岡の書店から手に入れたのを借りて読んだ。

この作品は日本の統治に対する中国民衆、特にインテリゲンチャの抵抗を描いた名作で、1946年に雑誌「文芸復興」に連載され、翌年単行本として出版された。作者Li Kuang-tienは抗戦開始後、泰山、河南、河北、四川へと学校と共に転々と移動し、最後は昆明に移って郊外の斗南村で1945年8月11日にこの小説を書き上げた。(以上、訳者のあとがきより)

語り手は、日本統治下の学校で国語教師をしている夢華(モンホア)。夫の孟堅(モンチェン)は身重の妻を残して町を脱出し、今は遠い自由区にいる。彼女は生徒たちのためには自分が必要だという使命感に燃えており、生徒たちも彼女を慕っている。が、彼女は統治下の学校に勤めていることを夫には言えないでいる。夫は手紙で彼女も自由区に来るようにと勧めるが、彼女は戻ってきてほしいと夫に訴える。老母のこと、老母になついている幼い息子のこと、生徒たちのことを考えると、彼女は決断が付かないのだ。しかし、日本人の監視の目、横暴な振る舞い、残忍な殺戮など、状況は日に日に悪化し、彼女はついに息子を連れて夫の元へと旅立つのである。
若い女性教師の苦悩、生徒たちの一途な思い、娘を気遣う老母の愛情などが切々と伝わってくると同時に、中国人の側から見た当時の状況の一端がわかり、小説としても歴史の教科書としても読める。(2007.10.12記)
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by nishinayuu | 2007-12-25 11:34 | 読書ノート | Trackback | Comments(0)

『午後四時の男』(アメリー・ノートン著、柴田都志子訳、文藝春秋社)

c0077412_10311139.jpg原題はLes Catilinaires(カティリナ弾劾演説)。キケロが野心的政治家カティリナの陰謀を告発した演説の一句から取ったものだとか。一般になじみがないので邦訳版のタイトルは原題とは変えた、と訳者は言う。たしかに、私は『午後四時の男』というタイトルに惹かれてこの本を手にとったのであって、『カティリナ弾劾演説』とあったら読まなかったかも知れない。
さて、午後四時の男とは、ふたりだけの静かな生活を楽しもうと、人里離れた田舎町にやってきた65歳の夫婦のもとに、毎日夕方4時になるとやって来て、2時間座り込んでいく男のことである。ただ一軒の「ご近所」に住むこの男が初めて訪ねてきたとき、夫婦はコーヒーでもてなす。男は何を話すでもなく、問いかけには「ええ」と「いや」のどちらかを発するだけで、きっかり2時間後に帰って行った。これで儀礼的挨拶は終わったから男はもう来ないだろう、と思ったのが大間違いで、それから毎日、この男は午後4時にやってきてコーヒーを「要求」し、居間の肘掛け椅子に不機嫌な顔で座り続けていくようになる。
高校でギリシア語とラテン語を教えていた夫。小学校1年で出会って以来ずっと相思相愛の仲の妻。このふたりが手に入れたと思った穏やかな生活は、午後四時の男の出現ですっかりかき乱され、ふたりの気持ちにも少しずつずれが生じていく。午後四時の男と、語り手の夫とその妻、三者の心理戦争がどう展開していくのかという興味で最後まで一気に読ませる、迫力のある小説である。(2007.10.10記)
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by nishinayuu | 2007-12-22 10:31 | 読書ノート | Trackback | Comments(0)

「乳歯が抜けたら」 特派員メモ パリ 

☆新聞のコラム(2006.10.18朝日新聞)を韓国語にしました。原文は韓国語の下にあります。

유치가 빠지면 특파원 메모 파리
최근, 파리에서 사는 어떤 프랑스인 남편과 일본인 아내 사이에 작은 논쟁이 일었다.
딸의 유치가 빠져서 “건강한 영구치가 나도록 빠진 이는 지붕위로 던져 올립시다” 라고 아내가 말하자, 남편이 잠깐 기다려 달라고 말했다. “이는 베개밑에 놓아두게. 밤중에 쥐가 동전으로 바꿔줄 거야.”
일본식으로 할까, 프랑스식으로 할까, 부부의 의견이 반반으로 나뉘었다. “이는 소중히 간직해야하는 것이예요” 라고 남편의 어머니가 진지한 얼굴로 충고하면, 딸은 “쥐 무서워” 라며 울상을 짓는 형편이니, 수습될 수 없을 만틈 혼란했다.
이를 동전으로 바꾸는 자가 쥐인가 요정인가 등 세부에 차이는 있지만 [빠진 유치는 베개밑으로] 라는 구전은 유럽에는 널리 퍼져 있나 보다. 아이들로서는 동전이라는 포상을 생각하면 이가 빠진 아픔도 참을 수있게 되는 것이리라.
[검은 고양이가 앞을 가로지르다] [사다리아래를 빠져 나가다] 등 불길지사를 나타내는 예언도 많지만, [전화위복]과 같은 구전은 유쾌하다. [왼발로 개똥을 밟으면 복이 온다] 라는 말도 있다. 여기저기 개똥 투성이의 파리에서라면 얼마든지 행복할 수 있을 것이다.
전술한 가족. 쥐가 아니라 요정님이 딸의 베개밑에 동전을 놓은 뒤, 유치를 지붕위로 던져 올리자는 절충안으로 세 사람이 다 납득. 가정안은 원만하게 수습됐다고 한다.
(사와무라 와타루)

乳歯が抜けたら
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by nishinayuu | 2007-12-20 11:13 | 翻訳 | Trackback | Comments(0)

『フィロゲロス ギリシア笑話集』(中務哲郎訳、国文社)

c0077412_1044957.jpg「叢書アレクサンドリア図書館」と銘打たれた学術的な叢書の第5巻。1995年5月の発行で定価は3200円。
ヒエロクレスとピラグリオスの名の下に伝わる笑話集の全訳だという。参考書として手元に置いておきたくなる一冊。
1行から5行程度の短い話265編が、うつけ者、けちん坊、法螺吹き、など25のグループに分けられている。笑いの標的がごく普通の、そこらへんにいそうな人々であり、性的な話やどぎつい話がほとんどない(すこしはある)ので、全体として品のいいおとなしい笑い話集となっている。たとえばキュメの人々というグループを見てみると「キュメの男、泳いでいると雨が降り出したので、濡れないように深みに潜った」「キュメの男、窓枠を買おうとして、南向きにできるかどうかを尋ねた」という具合。そして、「キュメは小アジアのエーゲ海沿岸にあって、愚か者の町とされていた」といったコメントが各話に付いていて、笑いのポイントまで説明してある。全訳なので、笑える話ばかりでなく、どこがおかしいのかわからないものもそのまま収められており、「笑いのポイントは訳者には不明である」というコメントが付いていたりするので、そこで笑えたりする。また「うつけもの」たちが関西弁でやりあっているのが、ほんわかとしていてなかなかいい。(2007.10.7記)
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by nishinayuu | 2007-12-18 10:05 | 読書ノート | Trackback | Comments(0)

『猫舌三昧』(柳瀬尚紀著、朝日新聞社)

c0077412_11113040.jpg2000年4月から2001年9月の期間、朝日新聞の夕刊に連載されたコラムをまとめたもの。
あとがきに(なぜか最初に後書きをちらっと見る癖があって……)「慣用句、ことわざ、成句、季語、話題の用語など、言葉をめぐるエッセイ」とあるので、気楽に読めるだろうと思ったのが大間違い。ジョイスの『フィネガンズ・ウエイク』の訳者だけあって、語呂合わせもギャグも至極高級で、気楽に読むというわけにはいかず、ずいぶん「お勉強」させられてしまった。やはりあとがきに「読者から歓迎されたようで、連載が延長になった」とあり、朝日新聞夕刊の読者は教養人なのだ!ということもわかった。ちなみに我が家はちょうど2000年頃に、勇敢にも夕刊をやめたので(おやじギャグ初級)、このコラムは読んでいない。おかげで、どの話も新鮮でよかった。古川タクの装画がいい雰囲気を出している。(2007.10.3記)
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by nishinayuu | 2007-12-15 11:11 | 読書ノート | Trackback | Comments(0)

「七月十五日、盆を立つる女の和歌を読みし語」

c0077412_13454258.jpg
☆『今昔物語』巻二十四第四十九の再話と韓国語訳です。



今は昔、七月十五日の盆の日、ひどく貧しい女が、親のために食べ物を備えることができないので、たった一つ持っていた薄色の綾の衣を盆に載せて蓮の葉で覆ったものを持って愛宕寺に行って、伏し拝んで泣いていた。女が帰ったあとで、どういうことかと怪しんだ人がこれを見たら、蓮の葉に次のように書いてあった。

たてまつるはちすの上の露ばかりこれをあはれにみよの佛に
これを見た人はみんな哀れに思ったことだった。この女がだれなのかはわからないままだったと語り伝えられている。

칠월 보름날, 우란분재에서 공양을 한 여인이 와카를 지은 이야기

옛날 옛날에, 칠월 보름 우란분재의 날, 지극히 가난한 여인이 작고한 부모에게 음식을 올리지 못해서, 단지 하나 가지고 있던 엷은색 능직비단을 쟁반에 놓아 그 위를 연꽃 잎사귀로 덮어 가지고 오타기-지(寺)에 와서, 엎드려 절하면서 울고 있었단다. 그 여인이 돌아간 후 이상히 여긴 사람이 다가가서 보았더니, 연꽃 잎사귀에 이렇게 적혀 있었어.

올리는 것은 연잎에 맺힌 이슬 뿐이나 이슬만큼이나마 자비를 베풀어주시오

이 와카를 본 사람들은 모두 불쌍하게 여겼더라. 결국 그 여인이 누구인지는 알려지지 않았다고 전해지고 있다.
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by nishinayuu | 2007-12-13 10:31 | 再話 | Trackback | Comments(0)

『路面電車』(クロード・シモン著、平岡篤頼訳、白水社)

c0077412_9185756.jpgまず装丁に惹かれ、作者と翻訳者を確認して選んだ本。作者はかつて一世を風靡した「ヌーヴォー・ロマン」の代表的作家のひとり。
子ども時代、学校への行き帰りに利用した路面電車、町の風景、当時の出来事などと、熱に浮かされて横たわる病院のベッドから見えるものやそこで思うことが細密に、脈絡なく語られていく。連想が連想を呼び、比喩や言い換えがひんぱんに挿入されて、1つの文が時には3ページも切れ目なくつながっていく一風変わった文体が使われている。訳者が言うように「内容の要約はできない作品」で、雰囲気を読む、というか雰囲気に浸るべき作品である。訳者による「シモン論的あとがき」も魅力的な読み物となっている。(2007.9.30記)

☆昔むかしの学生時代、プルーストの『失われた時を求めて』やロブグリエの『迷路の中で』(平岡篤頼訳)を夢中になって読んだころの高揚した気分を、懐かしく思い出しました。
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by nishinayuu | 2007-12-11 09:19 | 読書ノート | Trackback | Comments(0)

韓国の詩「雪」 尹東柱

☆韓国の詩人・尹東柱の「雪」を日本語にしてみました。最終行の末尾を「ね」にするか「な」にするか迷いましたが、とりあえず、ふんわりと優しい感じの「ね」にしておきます。なお、尹東柱については右側にあるマイリンクの「韓国の著名人」のをごらんください。

눈      윤 동주

지난 밤에
눈이 소오복이 왔네

지붕이랑
길이랑 밭이랑
추워한다고
덮어주는 이불인가봐

그러기에
추운 겨울에만 내리지


夜の間に
雪がこんもり積もったよ

屋根の上にも
道にも畑にも
寒そうだからと
かぶせてくれた 掛けぶとんみたい

だから雪は
寒い冬にしか降らないんだね
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by nishinayuu | 2007-12-08 11:41 | 翻訳 | Trackback | Comments(1)