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『序の舞 下』(宮尾登美子著、朝日新聞社)

c0077412_1415785.jpg下巻の章立ては「男児誕生」「四十の恋」「ぬかるみ」「橘花の綬」となっている。
「男児誕生」で語られるのは、師である松渓と男女の仲が復活してできた子どもを、今回は堂々と産み、育てることにするいきさつである。母・勢以の強さと愛が津也を支え、家族全体を支える。このとき生まれた子供は後々、津也と同じく日本画の道に進むことになる。
「四十の恋」では、津也(島村松翠)の前に若き崇拝者として村上圭三が現れる。上巻で重要な役割を果たした誠実な崇拝者・村上徳二の弟である。崇拝者からいつしか恋人に移行した圭三は、しかし「ぬかるみ」で、手酷く松翠を裏切ることになる。混乱と無気力の長い休眠状態に陥った松翠だったが、歳月とともに過去の汚れや傷は流れ去り、画業に専念する日々のなかで、松翠は栄光と平安のうちに生涯を終える。
時代の動きや、画壇の出来事、業績などについては詳細に語ることなく、上村松翠(1875~1949)の生涯を、あくまでも一人の女性の精神生活と身の回りの出来事に絞って描いた作品であり、激しく、重苦しい場面もあるけれども、読後感は爽やかである。(2007.9.22記)

☆実は、読み始めは「京ことば」になじめなくて難儀しました。50ページほど読み進んだところで「京ことば」にもひっかからなくなり、あとはかる~く読めました。
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by nishinayuu | 2007-11-29 08:52 | 読書ノート | Trackback | Comments(0)

『序の舞 上』(宮尾登美子著、朝日新聞社)

c0077412_1432284.jpg昭和56年5月11日から昭和57年8月30日まで朝日新聞夕刊に連載された作品で、美人画を描いた日本画家・上村松園の生涯を描いたもの。
「奈良物町」「画塾」「蛍の宿」「落椿」の四つの章に分かれており、「奈良物町」では母・勢以の子ども時代から説き起こし、志満と津也というふたりの娘を女手ひとつで育てる姿が、明治時代の京都の様子、人々の暮らしや考え方などとともに語られる。
「画塾」では主人公の津也が絵の道に入るまでと、最初の師・松渓との出会いが語られ、「蛍の宿」ではその松渓の子を宿したいきさつと、人に隠れて出産し、産んだ子を里子に出すという苦渋の日々、「落椿」では再び絵の世界に身を投じた津也の茨の道が物語られ、男性中心の社会構造の縮図のような、当時の画壇の様子をうかがい知ることができる。
この作品は1984年に映画化されており、津也を名取裕子、松渓を佐藤慶が演じている。(2007.9.20記)

☆この作品が好きで50回以上読んだ(!)という若い知人は「名取裕子は違う」と言っていました。私はテレビで放映されたときに映画をちらっと見たのですが、今回本を読んでみて、名取裕子は津也のひたむきさを見事に演じていたと思いました。ついでに言えば佐藤慶の演じた松渓も、本から受けた印象とぴったり重なりました。
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by nishinayuu | 2007-11-26 10:41 | 読書ノート | Trackback | Comments(0)

『マグヌス』(シルヴィー・ジェルマン著、辻由美訳、みすず書房)

c0077412_11411892.jpg主人公は5歳のときに「記憶喪失」状態から人生を始めなければならなかった。「母」の語る言葉を聞きながら、彼は家族や周りの状況、そしてなによりも自分のことを知ろうとつとめる。彼は見たこと、聞いたことをひとつひとつ記憶し、記憶を積み重ねていく。けれども彼にはやはりわからない。自分が父や母に愛されているのかも、自分を取り巻く世界の状況も。世の中は混乱のただ中にあり、一家はやがて家を捨て、名前も変えて隠れ住むことになる。ヒトラーの時代が終わったのだ。
「マグヌス」というのは、彼が記憶喪失以前から持っていた熊のぬいぐるみの名前である。それなのに「母」の語る物語にはなぜかマグヌスが登場しなかった。そしてある時、彼の脳裏に記憶喪失前のある場面が鮮やかに蘇る。それから彼の長い心の旅、自分がだれなのかを知り、愛し愛される人に出会うための旅が始まる。2005年に「高校生ゴンクール賞」を受賞した作品。

☆幸福な日々の訪れとそのあっけない喪失が繰り返されます。世捨て人になってしまっても仕方がない、と思われる状況の中から、思索と意志の力で立ち上がる主人公の健気な姿に深い感動を覚えました。(2007.9.16記)
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by nishinayuu | 2007-11-24 11:41 | 読書ノート | Trackback | Comments(0)

「富士見」

☆新聞のコラム(2004年朝日新聞)を韓国語に訳しました。原文は韓国語の下にあります。

富士보기 시마다 마사히꼬

전에 아르메니아의 외무장관을 만났을 때, “장관님은 어떤 때에 자기 자신을 아르메니아인으로 느끼십니까?” 라는 질문을 던져보았다. 외무장관은 잠시 생각한 끝에, “아라라트산을 바라볼 때” 라고 대답했다. 터키나 이란과의 국교에 우뚝 솟은 아라라트산은 노아의 방주가 도달한 곳으로 전해지는 해발 5165m인 산이며, 늘 꼭대기에 눈을 인 산의 모습은 富士산과 아주 닮았다. 산의 이름이 레스토랑의 이름이나 코냑(cognac)의 이름으로 사용되는 것도 富士와 똑같다.
(중략) 나도 곰곰이 富士산을 바라보며 어떤 상념이 떠오르는지 시도해보았다. 어쩐지 내 생각은 먼 과거로 향했다.
진나라 시황제에게서 명령을 받아 불로불사의 선약을 찾으러 봉래산으로 향해 여행길에 오른 사나이에 관한 이야기가 [史記]에 적혀 있다. 이른바 徐福전설이다. 서복은 당시의 중국에서의 최첨단기술이던 五穀의 씨앗을 가지고, 여러 장인들을 포함한 3000명의 큰 선단(船團)을 데리고 미개의 섬에 겨우 당도한 후 돌아오지 않았다고 한다. 그는 섬의 연안을 살펴보면서, 우뚝 솟은 富士산을 봉래산으로 정했다고 한다. 불사의 선약이 있는 산, 즉 불사(不死)산의 발견이다.
문명선진국에서 미개의 섬으로 실행된 대량이주가 어떤 사태를 일으켰는지에 대해서는 자료도 없어서 고작 상상의 보자기를 펼치는 수밖에 없다. 그러나 서복이 본 산과 같은 산을 바라보고 있으면, 그 사람이 생각한 것도 유추할 수 있을 것 같다. 소설가에게는 소설가나름의 富士를 보는 법이 있다.

原文 「富士見」
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by nishinayuu | 2007-11-22 10:54 | 翻訳 | Trackback | Comments(0)

『翻訳家の仕事』(岩波書店編集部編)

c0077412_11515585.jpg岩波書店の雑誌『図書』に2003年5月から2006年5月までにわたって連載された「だから翻訳はおもしろい」をまとめたもの。37名の翻訳家たちが翻訳家の苦労や喜びなどを綴っている。翻訳とは何か、翻訳家とは何か、といった翻訳論もあれば、翻訳家を目指す人への助言や翻訳に当たっての心構えなどを盛り込んだ実践講座的なものもあり、翻訳家や翻訳書にまつわるおもしろエピソードも盛りだくさん。
沼野充義のロシア語の人名や句読点に関する話、鴻巣友希子の単位の話、青山南の紹介している伊丹十三や村上春樹の怪訳・目から鱗の大胆翻訳の話、岸本佐知子の『ノリーの終わらない物語』翻訳にまつわる楽しそうな苦労話、米川良夫の「翻訳家=ヴィルトゥオーソ」の話、などなどを特におもしろく読んだ。他の著者のものももちろん、翻訳家の人柄やすばらしい実力をうかがわせるものばかり。一時期「誤訳」が大きく取り上げられて、翻訳界を揺さぶったためか、最近の翻訳書はどれもこれも、「日本語、うまいじゃない」と思わず翻訳者名を確認してしまうことが多い。そういううまい翻訳家たちがここに勢揃いしている。(2007.9.15記)
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by nishinayuu | 2007-11-20 11:52 | 読書ノート | Trackback | Comments(0)

『われはフランソワ』(山之口洋著、新潮社)

c0077412_9304130.jpg百年戦争の混乱の中で放浪生活を送った伝説的な詩人、フランソワ・ヴィヨンの物語。確実な伝記的事実は何一つないといわれるヴィヨンの生涯を、残された数々の詩と様々な研究資料をもとにかっちりと組み立てて、ヴィヨン自身に語らせている。詩に歌われている事柄や人物が物語の中に巧みに取り込まれ、ヴィヨンの内面と足跡がいきいきと描写されており、ヴィヨンの「自伝」と錯覚しそうなほどに見事な物語になっている。
語り手の「おれ」はジャンヌ・ダルクが処刑された1431年にパリで生まれ、幼い日に修道士のギョームに預けられる。養父のギョームは「おれ」にフランソワという名を付け、おまえはフランス人だよ、と言い聞かせて大事に育てる。パリ大学で学んだが、「悪の世界」に惹かれて無頼の生活を送っているうちに、殺人事件に絡んでパリから追放される。このときから、官憲の目を恐れてさまよい、盗賊団と関わってまた追われ、という放浪人生が始まる。その間には、ふとしたきっかけからシャルル・ドルレアン公の居城・ブロア城に詩人として滞在し、抒情詩人であるシャルル・ドルレアンと詩を語る、という晴れやかな日々もあった。しかし幾度か牢獄につながれ、最後には死刑判決が下されて、前々から恐れていた、処刑台に醜い姿をさらす運命かと思われたが……。
もちろん最後は伝説通り「行方不明」になるのであるが、なぜフランソワ・ヴィヨンの足跡が消えてしまったのかを解明するオチもきちんと用意されている。また、読後にシャルル・ドルレアンの息子であるルイ12世の肖像画を見たくなる、というオマケもついている。(2007.9.11記)

☆ほんとうに読みでのある小説でした。ただし、作者が訳したと思われるヴィヨンの詩そのものは、どこがいいのかよくわかりませんでした。この本を読む前に、ヴィヨンの詩に親しんでおくべきでした。鈴木信太郎『ヴィヨン全詩集』(岩波書店)は品切れ重版未定だそうですが、ほかに天沢退二郎の『ヴィヨン詩集成』(白水社)、佐藤輝夫の『フランソワ・ヴィヨン全詩集』(河出書房新社)などがあります。
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by nishinayuu | 2007-11-17 09:30 | 読書ノート | Trackback | Comments(0)

大村彦次郎の文士のいる風景 小山清 その2

小山清 その1 の原文です。

「朴歯の下駄」の作者小山清が急性心不全のために亡くなったのは昭和40年の3月、53歳であった。小山はそれより7年前、脳血栓で失語症になった。言いたいことは頭の中にあるのだが、それを表現しようとすると、肝心なことばが出てこなかった。妻がミシンを踏んで働いたが、心労の果て、幼い2人の子どもを残し、自殺した。「ぼくは死に遅れた」と、夫は会う人ごとに嘆いた。
小山は明治44年、東京・浅草の生まれ。二十代の頃、下谷龍泉寺界隈で見過ぎのための新聞配達をした。この間、2歳年上の太宰治に師事し、三鷹の彼の家によく出入りした。
小山が文壇に認められ始めたのは太宰の死後、発表した「小さな町」、「落ち穂拾い」などからであった。それらの作品は清純な感受性でとらえられた私小説で、庶民のつましい善意と愛情が点描されていた。
小山には東京下町生まれの律儀な性分と、一つことに夢中になると、それにあくまでこだわる気質があった。太宰の桜桃忌は最初、小山が中心になって運ばれたが、途中から小山は坂口安吾に傾倒し、「太宰よりも安吾のほうがずっとすごいよ」と言い出して、桜桃忌にも顔を出さなくなった。
ある年の桜桃忌の前日、小山は太宰夫人を訪ねてきて、「どうも近頃、太宰さんよりも安吾さんのほうがえらいように思われてきたので、桜桃忌に行くのもなんだか悪いような気がしてなりません」とわざわざ言い訳をして、出席を断った。
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by nishinayuu | 2007-11-15 10:27 | 翻訳 | Trackback | Comments(0)

大村彦次郎の文士のいる風景 小山清 その1

☆新聞のコラム(2006年、朝日新聞)を韓国語に訳したものです。原文はこちら

오오무라 히꼬지로오의 문사가 있는 풍경 5 꼬야마 키요시

[목련으로 만든 굽을 박은 게다] 의 작자인 꼬야마 키요시가 급성심부전으로 돌아가신 것은 쇼오와40(1965)년 3월. 그는 53살이었다. 그 7년 전에 그는 실어증에 걸렸다. 말하고 싶은 말이 머리속에 있는데도, 그 말을 표현하려고 하면 바로 그 말이 나오지 않았다. 돈벌이를 위해 재봉틀을 밟으며 일하던 아내가 너무 지친 나머지 어린아이 둘을 남긴 채 자살했다. “나만이 살아 남았다” 며 그는 만나는 사람마다 슬퍼했다.
꼬야마는 메이지44(1911)년, 도쿄-아사쿠사에서 태어났다. 20대에, 시타야의 용천사 일대에서 살아가기 위한 일로 신문배달을 했다. 그 동안 2살 연상인 다자이 오사무를 사사하여 미타카에 있던 다자이선생댁을 자주 찾았다.
꼬야마가 문단에서 인정받기 시작한 것은 다자이 사후 [작은 거리], [이삭줍기] 등을 발표한 시절부터 였다. 이들 작품은 청순한 감수성으로 표현한 사소설로, 일반 대중의 조촐한 선의와 애정을 스케치한 것들이었다.
꼬야마는 도쿄의 상인/장인이 많이 사는 지역에서 태어난 사람다운 성실한 성품과 한 일에 몰두하면 그 일에 어디까지나 고집하는 성향을 지니고 있었다. 다자이의 버찌-제사는 처음에는 꼬야마가 중심이 되어 운영했지만, 이윽고 꼬야마는 사카구치 안고에 심취하게 되어 “다자이보다 안고가 훨씬 굉장하잖아” 라는 말을 하며 버찌-제사에도 나오지 않게 되었다.
어떤 해의 버찌-제사 전날 꼬야마는 다자이부인을 찾아와서 “웬일인지 요즘 다자이선생님보다 안고선생님이 훌륭하다는 생각이 들었기 때문에, 그런 생각을 가지고 버찌-제사에 참석하는 것이 왠지 실례인 것 같아서 견딜 수 없습니다” 며 특별히 변명한 뒤 참석을 사절했다.
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by nishinayuu | 2007-11-15 10:10 | 翻訳 | Trackback | Comments(0)

『空中ブランコ』(奥田秀朗著、文藝春秋)

c0077412_958431.jpg読書会「かんあおい」2007年9月の課題図書。
5編からなる短編集。いずれも主人公が精神的に追い詰められて精神科の門を叩く、という設定。症状は現実に存在するものがとりあげられていて説得力があるが、精神科医の伊良部というキャラクターは、現実離れしていて説得力はない。その伊良部先生、患者が注射をされているのを見るのが大好きで、患者のやっていることにやたらに興味を持ち、自分の実力を顧みずになんにでも手を出す。けれどもそんな伊良部先生の子どもっぽい行動に辟易しながらつきあっているうちに、患者はいつの間にか悩みが消えているのに気がつくのである。読書会ではこの伊良部先生が大人気だった。看護婦さんも現実離れしたキャラクターで、伊良部とは絶妙の呼吸で患者を煙に巻く。
本のタイトルになっている冒頭の作品「空中ブランコ」が、伊良部のパフォーマンスの鮮烈さと、登場人物一人ひとりの描き方の綿密さで、集中いちばんのおもしろさだった。次は「ハリネズミ」その次は「義父のヅラ」……と読み進むにしたがっておもしろさが減ってくる(ような気がする)。伊良部のパフォーマンスに疲れてくるせいかもしれない。(2007.9.5記)
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by nishinayuu | 2007-11-13 09:58 | 読書ノート | Trackback | Comments(0)

『クライム・マシン』(ジャック・リッチー著、好野理恵 他訳、晶文社)

c0077412_10474043.jpg17編の短編からなるミステリー集。ミステリーといっても、身の毛のよだつ場面、血なまぐさい場面はない。奇想天外なストーリー展開に、どう結末をつけるのかと思いながら読んでいくと、なんとも鮮やかな落ちがついて思わず納得、という話が多い。
登場人物も話の舞台もそれぞれの話で違っているが、数編に登場する人物が二人だけいる。一人は一見有能そうで、実はとんでもない「迷探偵」であるターンバックル。ミドルネームのイニシャルSについて、相棒が「serendipityセレンディピティ(偶然にものをうまく見つけ出す能力)のS」とおもしろそうに人に告げる場面があることからもわかるように、迷探偵ではあるけれども迷惑な探偵ではなく、なごみ系の人物である。
もう一人は私立探偵のカーデユラ。夜の8時に仕事を始めて、夜明けになると仕事の途中でも家に帰ってしまう、というところでオヤ?と思っていると、空中移動をした?という場面が出てきて、その正体がわかる。そう、故国ルーマニアに住めなくなったドラキュラ伯爵なのである。巻末の解説によるとカーデユラのスペリングはCardulaで、ドラキュラのアナグラムであることがわかる。ドラキュラの宿敵ヴァン・ヘルシングもヴァン・イェルシングの名で登場する。(2007.9.4記)
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by nishinayuu | 2007-11-10 10:47 | 読書ノート | Trackback | Comments(0)