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「札幌の宿屋」(ハ・ソンナン著)

c0077412_1445735.jpg原題は『삿뽀로 여인숙』(하성란著、이룸)。1967年生まれの女性作家ハソンナンが2000年に発表した作品。韓国の友人が「読み終わったのでよかったらどうぞ。あまりおもしろくなかったけれど」と言って数年前においていってくれたもので、そのときは数ページ読んだだけで投げ出してしまった。「あまりおもしろくなかった」ということばのせいで意欲がわかなかったということもあるが、実は辞書をいっぱい引かないと読めなかったので、嫌になってしまったのだった。1ヶ月ほど前にふと思いついて、ぱらぱらとページをめくってみたら、以前よりずっと楽に読めることに気がついて、それから他の本と並行して少しずつ読んできた。はじめは一日10ページほどであきてしまったが、最後のほうは数10ページずつ読み飛ばした。いつのまにか話に引き込まれ、最後が早く知りたいという気持ちになっていたのだ。
語り手は、男女の双生児の片割れである女性。高校生の時に片割れの弟が交通事故で死んでしまう。いつも一緒だった弟がいきなりいなくなってしまって混乱する彼女は、幻聴を聞くようになる。少し調子外れの口笛の音だったり、「私はコウスケです」という日本語だったり。弟の死は母にも重くのしかかり、やがて両親は田舎に引っ込んでしまう。残された彼女は弟の遺品を整理し、家を始末して一人暮らしを始める。そんな彼女にいきなり声をかけてきた男性がいた。いつのまにか彼女の背後にすっと立っていたりする、神出鬼没で不思議な、あるいはストーカーのような男性である。また、弟のことが好きだったという高校時代の友人がいきなり彼女を訪ねてきて、徐々に彼女の生活に侵入してくる。他にも、弟の死の直後に出会い、その後も思いがけないところでなんども出会う、耳を自由に動かせる若い男性やら、日本人と結婚して一時帰国している女性とその子どもやら、拾ってきた声の出せない犬やら、いろいろな人・ものとそのエピソードがばらばらに登場して、焦点の定まらない感じのまま話が進んでいくが……。(2007.7.28記)

☆死んだ人の魂が、強く結ばれていた相手を見守り続ける、というお話です。ほんとうにそんなことが可能なら、先立つ者も残される者も気持ちが楽になるでしょうね。ふと、映画「ゴースト」を思い出しました。
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by nishinayuu | 2007-09-29 09:42 | 読書ノート | Trackback | Comments(0)

『黄泉がえり』(梶尾真治著、新潮社)

c0077412_11173942.jpgある日突然、九州は熊本市を中心に、死者がよみがえる現象が発生する。児島雅人の父親・政継、彼の会社の元社長、見習社員の中岡秀也の兄・優一、中岡が思いを寄せる相楽玲子の夫・周平、スーパースターだった歌手のマーチン、天才的ギタリストだった青葉由高、いじめが原因で自殺した中学生・山田克則。みな、死んだ時のままの姿・年齢でよみがえってきて、その数は数ヶ月のうちに2万人以上に達する。はじめは大混乱に陥った市役所、市議会、マスコミにも、この怪現象は徐々に受け入れられていく。よみがえった人たちの共通点は、その人に会いたいと強烈に願っていた人がいたことだった。彼らは彼らに思いを寄せる人びとの意思によってよみがえり、あらためてこの世で生き始めたのだったが……。(2007.7.24記)

☆私にとっては2年ほど前に読んだ『クロノス・ジョウンター』に次いで2冊目の梶井真治です。ひところかなり話題になった作品だとは、家人に言われるまで全然知りませんでした。『クロノス・ジョウンター』がよかったので、図書館で梶井真治を探していたらこの作品に行き当たったのでした。期待通り楽しく読めました。
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by nishinayuu | 2007-09-27 11:17 | 読書ノート | Trackback | Comments(0)

「在原業平、天の河原といふ心を読みし語」その1

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☆『今昔物語』巻二十四第三十六の一部を韓国語にしました。日本語はこちら



옛날 옛날에, 아리와라노나리히라-중장이 야마사키에 살고 계시던 꼬레타카-친왕 (천황의 아들) 이라는 분을 찾아가서 같이 사냥을 한 적이 있었단다. 아마노카와라 (하늘의 강변) 라는 곳에서 발걸음을 멈추고 술잔치를 베풀었는데, 친왕이 “아마노카와라의 뜻을 지은 와카를 만들고 술을 따르라” 고 말하셨기 때문에, 나리히라-중장은 이렇게 와카를 지었다.

사냥하다가 아마노카와라서 날이 저물었네; 잠자리를 주시오 베 짜는 여자여

친왕이 응답-와카를 짓지 못해서, 키노아리츠네라고하는 수행자가 이렇게 지었어.

한해 한번만 찾아오시는 분을 기다리거늘; 베 짜는 여자 내가 어찌 남에게 자리 주랴

그후 친왕의 저택에 돌아가서 친왕과 나리히라-중장은 함께 온 밤 내내 술울 마시면서 이야기하고 있었는데, 이윽고 이틀째의 달이 산능선에 지어가게 되었다. 친왕은 매우 취해서 잠자리에 들어가려고 하셨으니, 나리히라-중장이

내가 아직도 물리지 않는 달이여 지어가려나; 물러나라 산능선, 달이 들어가지 않도록
(와카의 뜻: 친왕님은 주무실 작정이세요? 저는 계속 아야기하고 싶지만요.)

이라는 와카를 드렸거든. 친와은 잠자리에 가려던 일을 그만 두고, 중장과 함께 밤을 새우셨단다.
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by nishinayuu | 2007-09-25 10:21 | 再話 | Trackback | Comments(0)

『オレンジだけが果物じゃない』(ジャネット・ウィンターソン著、岸本佐知子訳、国書刊行会)

c0077412_11274320.jpg強烈な信仰を持ち、‘自分たち以外のすべてのものと戦っている’母親のもとで育った主人公の、葛藤と戦いと解放の物語。
幼いころの主人公にとって、母親は常に正しく、賢く、揺るぎない信念と意志を持つ人だった。しかし、やがて主人公は母親が絶対的な存在ではないことに気がついていく。耳の病気で耳が聞こえなくなった時も、学校でいくら努力しても認めてもらえなかった時も、母親はただ「ほら、オレンジをお食べ」と、オレンジをいっぱいくれるだけだった。
主人公は、自分が養女であることを知ったことより、訪ねてきた実の母を母親が邪険に追い返したことを知って傷つく。母親が自分に伝えてきた世の中と、実際の世の中が違うことも知るようになる。主人公は母親の敷いたレールからどんどん外れていき、やがて母親と決定的に対立して母親の元を去っていく。けれども、母親から独立し、精神的に成長した主人公はやがて……。(2007.7.21記)

☆半自伝的な小説だということですが、このような狂信的で高圧的な母親のもとで、よくも立派に大きくなったものだと、主人公(と作者)に拍手を送りたくなりました。からっとしたユーモアのある語り口のおかげで、重い内容のわりにじめじめしたところがありません。各章に「創世記」「出エジプト記」「ルツ記」などなど、聖書から取られた意味深なタイトルがついていたり、本筋の物語のあちこちにかなり長い寓話が挟まれていたり、構成が一風変わっていて魅力的です。
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by nishinayuu | 2007-09-23 11:27 | 読書ノート | Trackback | Comments(0)

『気になる部分』(岸本佐知子著、白水社)

c0077412_13254727.jpgニコルソン・ベイカーなどの翻訳で活躍している岸本佐知子のエッセイ集。一般的に本の選び方としては、古典やいわゆる名作の中からとか、書評を読んでとか、装丁が気に入ってとか、作者が好きでとか、みんなが読んでいるからとか、いろいろあると思うが、翻訳ものの場合はもう一つ、翻訳者の名前で選ぶ、というのがあるのではないだろうか。私が最近知って、この人の訳なら読んでみようかな、と思うちょっと「気になる翻訳家」が岸本佐知子。この人の「気になる部分」って何だろう、という興味から読んでみた。
小見出しのタイトルが「翻訳家には向かない趣味」「夜になると鶏は」「恋人よ、これがわたしの」などなど、書名や聞き慣れた語句のもじりになっているものも多く、そのタイトルの下で、もとの語句からは予想もつかない内容が展開されていたりして、なかなかおもしろい。いちばんの傑作は「カノッサの屈辱」。歴史上の出来事とは全く関係はないけれど、内容はまさに「カノッサの屈辱」。「ほんとうは悲しい話」が、おもしろおかしく語られている。
「オオカミなんかこわくない」や「日記より」(おそらく夢の世界を描いたもの)などからも、著者がシュールな世界が好きな、一風変わった、そうとうひねくれた人であることがわかる。「バグが出る」と「都市の兵法-電車編-」には大いに共感を覚えたけれど、「名作知らず」にあげられている作品をかなり読んでいて、もちろん『小公子』と『小公女』の関係も知っている私は、自分ではひねくれているつもりだったけれども、ひねくれ方が足りなかった、と気づかされた。(2007.7.16記)
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by nishinayuu | 2007-09-21 13:29 | 読書ノート | Trackback | Comments(0)

韓国映画[族譜] 한국영화[족보]

この映画の主人公の一人は水原の両班(ヤンバン)薛鎭英である。宗家の家長として創氏改名に徹底的に抵抗した薛鎭英の姿は、風格があって実に格好いい。彼は、族譜によって象徴される朝鮮人の名前を維持しようと、あらゆる努力をした人だ。ただし、薛鎭英が、族譜とは無関係の人たちも自分の名前を大切に守らなければならないことをその人たちに理解させるために、精一杯努力したのかどうか疑問だ。子どもたち(薛鎭英の孫――自分たちも早く日本の名前にしたいと訴えるが、薛鎭英は許そうとしない)の母親が薛鎭英を見つめたときの恨みがましい目つきを見ると、彼の思いが周りの者たちにはきちんと伝わっていなかったことがわかる。彼の死後、精神的指導者を失った家族や村の人たちが嘗めさせられた辛酸は、想像するだけでも胸が苦しくなる。残された者たちに比べれば、死を選んで「両班としての美」を貫いた薛鎭英は、むしろ幸せな人間だったといえる。
もう一人の主人公である谷六郎は若い日本人である。谷は朝鮮文化や朝鮮の人々を大切に思っている人であったが、当時の状況を正確に把握することができず、創氏改名にこめられていた意図がよくわかっていなかった人だと言わざるを得ない。薛鎭英が薛という姓をマサキと読む方策を考え出したとき、それで問題がすべて解決すると思って谷が喜んだという事実が、谷の未熟さを示している。日本ではふつうは使われない姓である上に、一般の人が聞いたこともない読み方……そんなものを総督府が許諾するはずはなかった。谷は薛鎭英と総督府の間に立ち、水原とソウルを行ったり来たりする善良で誠実な人だったが、そもそも総督府のもとで働いている立場では、いくら朝鮮の人々のために役立とうと思っても、はじめから無理なことだった。谷は抵抗するすべもわからないまま、時代の大きな波濤に弄ばれ、苦しみもがいた人だ。そんな谷に私は共感を覚える。

이 영화의 주인공의 하나는 수원(水原)의 양반 설진영(薛鎭英)이다.
종가의 가장으로서 창씨개명에 철저히 저항 한 설진영의 모습은 풍격이 있고 아주 멋이 있다. 그는 [족보]로 상징되는 조선사람의 이름을 유지하려고 온갖 노력을 한 사람이다. 다만, 설진영이 [족보]와 상관없는 사람들도 자기 이름을 소중히 간직해야 한다는 것을, 그들이 이해할 수 있도록 정성껏 노력했는지 의문이다. 아이들 엄마가 설진영을 바라보았을 때의 원망스러운 눈빛을 보면, 그의 의사가 주위의 사람들에게는 잘 전해지지 않았던 것을 알 수 있다. 그가 죽은 후 정신적 지도자를 잃은 식구들과 마을 사람들이 겪어야했던 괴로움은 상상하기만 해도 답답하다. 남겨진 사람들에 비하면, 죽음을 택하여 [양반으로서의 미] 를 다한 설진영은 오히려 행복한 사람이었다고 할 수 있다.
또 하나의 주인공인 타니 로쿠로오(谷六郎)는 젊은 일본사람이다. 타니는 조선문화나 조선사람을 소중히 생각하는 사람이었지만, 그 시절의 상황을 정확히 파악 하지 못해서, 창씨개명속에 포함된 의도를 잘 몰랐던 사람이라고 해야한다. 설진영이 설이라는 성을 마사키로 바꿔읽으려는 방법을 고안했을 때, 타니가 그 방법으로 문제가 다 해결될 줄 알아서 기뻐했다는 사실이 타니의 미숙함을 나타내고 있다. 일본에서는 일반적으로 쓰이지 않는 한자에다가 보통 사람이 들은 적도 없는 읽기------그런 것을 총독부가 허락할 리가 없었다. 타니는 설진영과 총독부 사이에 끼여, 수원과 서울을 왔다갔다 하는 착하고 성실한 사람이었지만, 대저 총독부아래서 일하는 입장에서는 아무리 조선사람을 위하여 일하려고 하더라도, 아예 될 일이 아니었다. 타니는 저항하는 방법도 모르는 채, 시대의 큰 파도에 농락당하면서 괴로워하며 바동거리던 사람이다. 나는 그런 타니에 공감을 느낀다.
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by nishinayuu | 2007-09-19 11:01 | 随想 | Trackback | Comments(0)

『もしもし』(ニコルソン・ベイカー著、岸本佐知子訳、白水社)

c0077412_10312995.jpg現代はVOX。作中のふたりが出会うパーティー・ラインの電話番号が(2VOX)であり、またラテン語で「声」の意味でもある(訳者のあとがきによる)。
アメリカの西側に住むごく普通の勤め人である29歳のジムと、東側に住むやはりごく普通の勤め人である若い女性アビィが、アダルト・パーティー・ラインで出会い、それぞれの性的な体験や幻想を延々と語り合う。その長さは本の最初から終わりまで(ページ数は176ページ)、時間は午後6:10ころから10:00過ぎまで、ということがふたりの話の中身からわかる。1分で2ドル近い電話代もなんのその、ふたりは大いに意気投合し、盛り上がるのであるが、その饒舌なこと、想像力のたくましいこと。これだけの映像的な場面を頭の中に現出させる能力、それを言葉にする能力があるのなら、なにも相手を求めなくても、ひとりでやっていればいいじゃない、とつっこみたくなるほど、あらゆることを微に入り細にわたって描写するすばらしい観察力と語彙力、表現力の持ち主なのである。
しかしながら、『中二階』のあの徹底した観察の細かさを期待すると当てが外れる。それに、『中二階』はニコルソン・ベイカーにしか書けないが、『もしもし』は他の人にも書けるのではないだろうか、とも思う。ニコルソン・ベイカーには彼にしか書けない作品を書いてもらいたい。(2007.7.14記)
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by nishinayuu | 2007-09-17 10:31 | 読書ノート | Trackback | Comments(0)

『美しい夏』(パヴェーゼ著、河島英昭訳、岩波文庫)

c0077412_11142617.jpgファシズム体制下の1940年に執筆され、1949年に刊行された作品。
都会で働く美しい少女ジーニアは16歳。友達のローザと遊び回ることは楽しかったが、自分はローザのように愚かではない、と考える誇り高い少女だった。そんな彼女が憧れと羨望を抱いていたのは、三つ年上でもうすっかり大人のアメーリアだった。アメーリアはすらりとして美しく、しゃれた服装をしていた。モデルをしていて、画家のアトリエでポーズをとるのだという。そんなアメーリアとジーニアは、時には姉妹のように、時には大人の世界に導く先導者と弟子のように、いっしょにコーヒーを飲みアルコールを飲み、つれだってダンスホールに行った。なにもかも美しく、いつもお祭りのようだった夏の夕べ。やがてアメーリアはジーニアを画家のアトリエへ連れて行く。ジーニアの好奇心を満たすために。そしてジーニアを自分と同じ世界に引き込むために。
作者パヴェーゼについて(訳者の解説より)――チェーザレ・パヴェーゼ(1908~1950)はトリーノ大学卒業後、出版活動を行っていた1935年5月に反ファシズムの嫌疑で逮捕され、1936年3月までイタリア南東南端の寒村に流刑された。そのときの体験をもとに最初の長編『流刑』を書いたが、ファシズム体制下のためか発表にはいたらなかった。やがて1948年に『流刑』が、1949年には『美しい夏』が刊行されて脚光を浴び、翌1950年にイタリア最高の文学賞ストレーガー賞を受賞。しかしその2ヶ月後に、トリーノ駅前のホテルで自殺を遂げた。(2007.7.11記)
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by nishinayuu | 2007-09-15 11:14 | 読書ノート | Trackback | Comments(0)

韓国の詩「旅人」 朴木月

☆韓国の詩を日本語に訳しました。原詩は自由律詩ですが、訳詩は各行の音数を6・7・7に揃えてみました。なお作者については右のマイリンクにある「韓国の著名人」をクリックし、の項目をご覧ください。

旅人      朴木月(パク モグォル)

川を渡り 小麦畑の 間を縫って

雲に月が 分け入るごとく 歩む旅人

南道(ナムド)を行く 三百里もの ひとすじの道

酒を醸す 村々を染め 燃える夕焼け

雲に月が 分け入るごとく 歩む旅人


나그네        박 목월

강나루 건너서
밀밭 길을

구름에 달 가듯이
가는 나그네

길은 외줄기
남도 삼백리

술익는 마을마다
타는 저녁놀

구름에 달 가듯이
가는 나그네
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by nishinayuu | 2007-09-13 15:19 | 翻訳 | Trackback | Comments(0)

『Cranford』 (Elizabeth Gaskell 著、Oxford World’s Classics)

c0077412_1427338.jpg時は19世紀中葉。所はイングランドの小さな町クランフォード。語り手であり、作者の分身であると思われる若い女性を除けば、主な登場人物は年配の女性たち。彼女たちはいわゆる中産階級に属する女性たちで、土地財産をもとにした年収によって暮らしているのだが、その年収はささやかなもので、暮らしぶりは慎ましい。彼女たちの主な「仕事」は互いの家を訪問し合うこと。お茶を飲みながら情報交換をするのである。穏やかな日常の中にも、様々な出来事や、ときには事件もあって、話の種は尽きないのだ。キャプテン・ブラウンとミス・ジェンキンスの文学論争、キャプテンの事故死、その長女でわがままなミス・ブラウンの病死、残された次女、ミス・ジェシーの前に開けた新しい世界、貴族の端くれであるグレンミア夫人の登場、ターバンを巻いた怪しい手品師の興業、などなどのエピソードが、女性たちの交わす会話と、語り手による補足によって伝えられる。
このようにエピソードの寄せ集めのような構成になっているが、ストーリーがないわけではなく、ジェンキンス家の次女ミス・マティルダを主人公とする物語になっている。強烈な自我を持っていた姉を失ってからは、頼りなげに、けれども束縛を解かれたように気楽に暮らしているミス・マティルダを、語り手はずっと傍らで見守っている。そして、ふたりで古い手紙類を整理するうちに、ジェンキンス夫妻の出会いから始まる一家の歴史が明らかになっていく。マティルダの弟ピーターは少年時代に家を出たまま行方不明となり、マティルダの母は心労がもとでなくなっていた。海軍に志願して海に出て行ったピーターも、おそらく異国の土になっているだろう今、マティルダは一人静かに老いていく覚悟を決めている。ところがそのマティルダの穏やかな日々はある日突然崩れ去る。(2007.7.9記)

☆時代といい、中産階級の女性たちが主役であることといい、日常生活が細々と描かれていることといい、ジェイン・オースティンの作品を彷彿とさせます。けれども、結婚にあこがれる若い女性が主役であるオースティン作品とは違って、クランフォードの主役たちは結婚しないまま歳を重ねた女性たちや、夫を亡くした女性たちです。結婚というものには懐疑的で、男性一般を疎ましく感じ、身分の上下にはひどく敏感で、古くからの慣習を頑なに守っている、かわいいおばあちゃんたちなのです。
☆この本で苦労したのは、とてつもなく小さな活字が使ってあることです。大文字の高さが2mmしかありません。漢字やハングルだったら判別できない大きさ(小ささ)です。その点アルファベットは、こんなに小さくても判別はできますから、非常に優れた文字であることは確かですが、それにしてももう少し大きな字にしてくれないと。
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by nishinayuu | 2007-09-11 14:30 | 読書ノート | Trackback | Comments(0)