「ほっ」と。キャンペーン

カテゴリ:読書ノート( 1045 )

『文学会議』(セサル・アイラ、訳=柳原孝敦、新潮クレストブックス)

c0077412_1055321.jpg
『El congreso de literatura』(César Aira)
本書には『文学会議』と『試練』という二つの作品が収められている。


『文学会議』――語り手(貧しい作家)はベネズエラの海辺で〈マクートの糸〉の謎の解明に成功し、400年前に海賊が残した莫大な財宝を手に入れる。にわかに大金持ちになった語り手(実はマッド・サイエンティスト)は招待されていた「文学会議」にある目的を持って出向く。すでにクローンの製造に成功していた彼は、世界征服のために天才のクローンを作ろうと考えたのだ。「文学会議」に出席していた天才作家カルロス・フェンテスの細胞を、クローンスズメバチを使って採取。それをクローン培養器に入れて街から離れた山の上にこっそり埋める。天才のクローンがたくさん生まれるのを待ちながら彼がプールで楽しんでいるとき、異変が起こる。
『試練』――16歳の少女マルシアはぽっちゃり型。運動のためにフローレス広場の近くを歩いていたとき、マオとレーニンという二人の少女が声を掛けてくる。生真面目なマルシアとは何の共通点もないパンク少女だった。しつこくつきまとう二人をなんとか振り払おうとして、短いことばを交わすうちに、マルシアは少しずつ二人にうちとけてくる。そして三人はまるで友達のようにスーパーに入っていき、やがて少女たちのスーパー襲撃が始まる。

『文学会議』は冒頭から人を食ったようなエピソードで始まり、それがさらにエスカレートしていって、まるでB級SFパニック映画のような状況になっていく。『試練』のほうはごく自然で日常的な世界を描いているように始まり、ある時点でとつぜん非日常的な世界に突入していって怒濤の結末へとなだれ込んでいく。どちらも目のくらむような動きと色彩に溢れていて、とても疲れる。表紙の絵(Artwork by Isamu Gakiya)が中身にぴったりで、読後何日たってもこの絵を見ただけでどっと疲れる。(2016.6.11読了)
[PR]
by nishinayuu | 2016-08-13 10:06 | 読書ノート | Trackback | Comments(1)

『逆さまゲーム』(アントニオ・タブッキ、訳=須賀敦子、白水社)


c0077412_9344542.png『Il gioco del rovescio』(Antonio Tabucchi,1988)
11編の短編からなる本書はタブッキの第三作で、「反対側からものを見ようとして、そのために現実から脱落してしまう人たちや出来事が描かれた作品集(訳者あとがきによる)」である。どの作品も、いつかどこかで見たことがあるような、体験したわけではないのに胸が締め付けられるほど懐かしい、そんな会話や情景から成り立っている。たとえば

「土曜日の午後」――母、息子、幼い娘の三人で暮らす一家。父親は訳あってどこかに身を隠している。ある土曜日の午後、自転車に乗って通り過ぎる父親を娘が目撃して……。
名作映画の一場面、最初と最後を見損なったためこの場面に至ったいきさつも、その後の展開もわからないけれどもなぜか忘れられない、そんな場面を見ているような作品。
「小さなギャッツビイ」――語り手は少年の頃、名作の出だしの暗誦が得意だったから、将来は小説家になろうと思っていた。つまり「小さなギャッツビイ」だったのだ。『グレート・ギャッツビイ』の細部、言及されているミュージシャンや曲はくっきりとは思い出せないけれども、懐かしさがこみ上げてくる。(「あしたお天気がよければね、ラムゼイ夫人は言った。でも、おまえ、ニワトリが鳴くころに起きるのよ」という部分だけはヴァージニア・ウルフの『燈台へ』からとったものだとすぐにわかりました。ただし原文はニワトリではなくlark,すなわち雲雀。)
「ドローレス・イバルーリは苦い涙を流して」――レジスタンスにも参加し、スペイン戦争でも闘ったロドルフォは、同志だったドローレスが「ロシアに身を売った」ため大喧嘩してしまった。彼女がロドルフォを罵ったので、ロドルフォは「きみだってやがて、自分の犯した過ちのためにいつか苦い涙を流すだろう」と答えた。数年後、ロドルフォのもとにモスクワから一通の手紙が来た。差出人はドローレスで、「ドローレスは苦い涙を流しています」とあった。ロドルフォは世界情勢、特にロシアの動向に心を痛めながら61年12月に世を去った。その頃まだ15歳だった息子が「残虐行為をしたという理由で虐殺された」という報道があったが、母親は信じられない。ロドルフォは穏健な社会主義者だったし、父親が死んだとき息子はまだ15歳だったのだから。
この作品も、最初と最後を見損なった映画のような印象が残る。
「チェシャ猫」――長い歳月の後でいきなりアリスから会いたいという連絡がくる。アリスから「チェシャ猫」と呼ばれていた男は列車に乗って出かけていく。列車は彼女が待っているはずのグローセットの駅に着いたが……。
続きがとても気になる作品。
「行き先のない旅」――アルティスタ・ディーノ(芸術家のディーノ)と名のる21歳の若者。列車で乗り合わせた仲買人とモデナへ。糸売りのレゴロの荷馬車でレッジョヘ、カソーラヘ、そしてカノッサへ。そこからはひとりで、ポー河の平野を走るエミリア街道を北に向かって。
訳者によるとこの作品は、ランボーを思わせる特異な詩を書いたにもかかわらず、人生の大半を精神病院に幽閉されて過ごした詩人、ディーノ・カンパーナ(1885~1932)の生涯をタブッキ風にアレンジしたものだという。

全作品を通じて印象に残るのは作者の並外れた描写力だ。もちろんこれは達人翻訳家のおかげでもあるが、文章表現なのに一つ一つの場面が音と色彩と動きをもって鮮やかに浮かび上がってくる。非常に充実した読書体験だった。(2016.6.6読了)
[PR]
by nishinayuu | 2016-08-09 09:35 | 読書ノート | Trackback | Comments(0)

『나의 문화유산답사기-일본편4 교토의 명소』(유홍준, 창비)

c0077412_1611222.jpg『私の文化遺産踏査記-日本編4 京都の名所』(兪弘濬、創作と批評社、2014)
著者は美術史を専攻する学者として、これまで韓国の文化遺産をはじめとして北朝鮮の文化遺産、日本の文化遺産についての踏査記10巻を発表している。内訳は韓国編5巻、北朝鮮編2巻、日本編3巻である。日本編3巻では九州、飛鳥にそれぞれ1巻を当てているのに対して京都には「京都の歴史」と「京都の名所」の2巻を当てている。以上の巻数を見ても著者の京都への思い入れのほどがわかる。

本書は5部構成になっており、第1部~第4部に取り上げられている「京都の名所」は以下の通り。
第1部「鎌倉時代の名刹」――知恩院、建仁寺、大覚寺、天龍寺
第2部「室町時代の禅寺」――相国寺、金閣寺、龍安寺、銀閣寺、哲学の道と南禅寺
第3部「戦国時代の茶道の本家」――裏千家と大徳寺
第4部「江戸時代の別宮」――桂離宮、修学院離宮

いずれの名所に関しても入念な下調べと実地の踏査に基づいた実に詳細な解説が繰り広げられているので、資料集として大いに役立つ。また、所々にごく普通の観光客レベルの言動記録も織り込んであり、読者を飽きさせない。ただし、長蛇の列にうんざりして「割り込み」をやってのけるという、著者の「お茶目な」一面の表れかもしれないが日本人としては(あるいは東京人としては)ちょっと理解しがたいエピソードなどもある。

第5部は京都の街歩きの記録「京都漫歩」と、京都で見つかる韓国に関わる事物の記録「京都の中の韓国」からなる。ここで特に印象に残るのは最後に掲げられている尹東柱と鄭芝溶に関する部分だ。日本ではほとんど忘れ去られてしまった二人の韓国詩人の冥福をあらためて祈らずにはいられない。同志社大今出川キャンパスにある二人の詩碑については、後日、別の記事にして紹介したい。(2016.6.5読了)
[PR]
by nishinayuu | 2016-08-01 16:11 | 読書ノート | Trackback | Comments(3)

『フランス紀行』(ブノワ・デュトゥルトル、訳=西永良成、早川書房)

c0077412_10171966.png
『Le Voyage en France』(Benoît Duteurtre, 2003)
モネの『サン・タドレスのテラス』による色鮮やかな装丁が目を引く本書は、ル・アーヴルのサン・タドレス生まれの作者による第七作目の長編小説である。

主要登場人物は二人。一人はル・アーヴルで生まれ育ち、今はパリで暮らす中年のジャーナリスト。今はタクシーの中で無料配布される月刊誌『タクシー・スター』の副編集長という冴えない肩書きしかないが、もっと自分の能力にふさわしい仕事があるはずだと思っている。アパルトマンの部屋には20歳だった頃の彼を夢見心地にさせていたニューヨークの写真の横に、ル・アーヴルの海岸を描いたモネの複製画が掛かっている。
もう一人はニューヨークに住む22歳の青年。彼は19世紀にル・アーヴルに集まった芸術家たちに憧れ、モネの「サン・タドレスのテラス」の複製画を自室に掲げていて、この絵画についても、サン・タドレスの日常生活についても講演できるほど詳しい。
物語は二人が交互に登場して、一人はほとんど意味のない職業生活の中に閉じ込められている日々を語り、もう一人はあこがれのフランスにやって来たのはいいけれど、見るもの出会うもののことごとくに失望させられる日々を語る。この二人がある日、「クール・デ・ミラクル」という酒場で顔を合わせたのがきっかけで、ディエップにあるソランジュという女性の別荘に一緒に出かけることになる。その別荘のベランダから海辺を見下ろした青年は、まるでモネの絵の光景みたいだ、と歓声を上げる。それもそのはず、モネの風景画はこの別荘で描かれたものだったのだから。

アメリカ人の青年は父親を知らない。母親が若い頃に一夜のアヴァンチュールでもうけた子だったから。青年は別に父親を知りたいとは思っていないのだが、物語のそこここにフランス人のジャーナリストが彼の父親かもしれないという仄めかしがある。このミステリー的要素と、変貌しつつあるフランスの中で失われた古いフランスを求めて彷徨う「フランス紀行」の魅力で読ませる作品である。(2016.5.24読了)
[PR]
by nishinayuu | 2016-07-28 10:17 | 読書ノート | Trackback | Comments(1)

『直筆商の哀しみ』(ゼイディー・スミス、訳=小竹由美子、新潮クレストブックス)


c0077412_10201813.png『The Autograph Man』(Zadie Smith, 2002)
本書の主人公アレックスは直筆商、すなわち「有名人のサインや直筆文書を売り買いする商売人」である。本書ではまずアレックスの12歳のある日の出来事が語られる。ロンドン郊外のマウントジョイに住む中国人医師リ・ジンと息子のアレックスは、ロイヤル・アルバート・ホールにレスリングの試合を見に行った。知り合いのルービンファイン(15歳)、アダム・ジェイコブス(13歳)も一緒だった。リ・ジンは試合の結果について子どもたちと賭をした。リ・ジンが負けたら一ポンドずつ上げる、といって三人の名前を三枚のお札に書いた。
試合会場では、ジョーゼフ・クラインという少年(13歳)と隣り合った。ジョーゼフは「サイン、直筆、その他諸々の蒐集家」だが、父親からは「ただの役立たず」と見做されている。アレックスがジョーゼフのコレクションに興味を示すのを見たリ・ジンは、自分がいなくなった後アレックスの気を紛らわしてくれるのはこの子かも知れない、と思う。試合は少年たちの予想が当たってリ・ジンの負けに終わり、少年たちはそれぞれ自分の名前が書かれた1ポンド札を手に入れる。リ・ジンはジョーゼフにも1ポンド札を与える。その直後にリ・ジンが倒れて急死したため、少年たちにはリ・ジンの1ポンド札が特別の意味を持つものになったのだった。
それから15年後、アレックスはいっぱしの直筆商になっていた。リ・ジンの1ポンド札が結んだ四人の友情も続いていた。

主人公は母親がユダヤ人で、他の三人もユダヤ人(アダムは界隈では珍しい黒いユダヤ人)ということで、本書にはヘブライ文字やらカバラやら、ユダヤ教の儀式やらが溢れている。それはまあいいとして、後半部の章にはなぜか禅門修行者のための「十牛図」の標題が使われている。また、直筆の収集・取引の話なので、様々な分野の有名人についての情報も満載されていれば、全編に「国際的に通用するジェスチャー」というものもちりばめられている。ストーリーは単純明快なのに、とにかく情報過多で疲れました。「細部がひどくおもしろく、あちこちに笑いがはじけているのもこの作者の特徴だ。おかげで、一行一行翻訳を進めていく作業がとても楽しかった」という訳者のことばに、またどっと疲れました。(2016.5.21読了)
[PR]
by nishinayuu | 2016-07-24 10:21 | 読書ノート | Trackback | Comments(0)

『なんとかしなくちゃ』(モニカ・ディケンズ、訳=高橋茅香子、晶文社)


c0077412_1035458.png『One Pair of Hands』(Monica Dickens, 1939)
本書は著者のデビュー作で、22歳の時にコック・ジェネラル(料理だけでなく家事全般をこなす使用人のこと)として働いたときの体験をもとにしたもの。見習い看護婦としての体験をもとに書いた『One Pair of Feet』、地方の新聞社で記者として働いた体験をもとに書いた『My Turn to Make the Tea』(皮肉の効いたタイトルですね)とともに自叙伝の三部作といえる(訳者のあとがきより)。

文豪チャールズ・ディケンズの曾孫で名門女学校を出た女性が「使用人」に?とちょっと驚くが、そういえば文豪幸田露伴の娘である幸田文も女中奉公をしてその体験をもとに『流れる』を書いている。素人の目で奉公先のあれこれを事細かに観察・描写している点も共通する。ただし、切実な事情があって中年になってから使用人になった幸田文の場合と違って、著者の場合は何かを待っているだけの無意味な日常を打開しようと考えて思いついたのが料理を作る仕事で、その仕事をするために使用人になることにした、というのだから、若い娘の気ままなお遊びの感は免れない。それはそれとして、勤め先では使用人に徹して決してボロを出さなかった著者の演技力はたいしたものであり、若い娘のそんな冒険を笑って許していたらしい家族のおおらかさもたいしたものである。

著者のコックとしての初仕事はミス・キャタモールの家で10人分のディナーを用意することだった。てんやわんやの一日が終わったあと、ミス・キャタモールは「明日は来てくださらなくていいわ」という言葉とともに著者の手に6シリング分のコインを押し込んだ。次のミセス・ロバートソンのところも、いくつかの小さな失敗と一つの取り返しの付かない不始末のせいで、二日で雇い止めになった。
次のミス・フォークナーのところはもっと長く続いたが、ミス・フォークナーのパートナーによる軽はずみな振る舞いのせいで追い出される。しかしその頃にはようやく仕事にも慣れて手際も良くなった著者は、引き続いて有名な婦人服デザイナー、新婚の若夫婦、病弱な妻と二人の子どもを抱えた大佐、十数人の使用人がいる地方の名家などで通いや住み込みの使用人として働き続ける。そして1年半後に、著者は心身ともに疲れてコック・ジェネラルの仕事を辞めることになったが、その間の著者の体験が綴られた本書は、当時の使用人事情――使う側と使われる側、双方の暮らしぶりや考え方などを知ることができる興味深い読み物となっている。(2016.5.18読了)
[PR]
by nishinayuu | 2016-07-20 10:06 | 読書ノート | Trackback | Comments(1)

『The Sins of the Father』(Jeffrey Archer, St.Martin’s Paperbacks)


c0077412_1032981.jpg『父の罪』(ジェフリー・アーチャー、2012)
“My name is Harry Clifton.” “Sure, and I’m Babe Ruth”という、よくあるふざけたやりとりで話が始まる。前はハリー・クリフトン、後は彼の取り調べにあたった刑事のことばである。ハリーはブリストルから乗った船が沈没したとき、とっさの判断で、その事故で死んだトム・ブラッドショーになりすました。そして母宛の手紙を、同じく船に乗っていて助かった医師に託した。死亡の知らせが行くだろうが無事だから安心して欲しい、ただし愛するエマとその一族に迷惑をかけないために別の名前で生きていくことにした、という内容の手紙だった。ところがアメリカに着くと同時にハリーは逮捕されてしまう。ハリーが船で知り合ったブラッドショーは、実は脱走兵だったのだ。ハリーはあわてて自分の正体を明かすのだが、全く信じてもらえない。そして冒頭のやりとりとなる。
ハリーがトム・ブラッドショーになりすましたことは、名門ブラッドショー家にとっても好都合だったため、ブラッドショー家は有能な弁護士を雇ってハリーの身元証明を阻止する。こうしてハリーはトム・ブラッドショートして服役することになる。

物語は章ごとに視点を、ハリー、エマ、ジャイルズ、ヒューゴ、などに替えながら進められていく。ジャイルズとエマは貧しいクリフトン家とは身分違いのバーリントン家の兄妹で、ジャイルズはハリーの親友、エマは恋人であること、エマとハリーは異母兄妹の可能性を疑われて結婚できなくなったこと、二人が異母兄妹であればハリーとジャイルズも異母兄弟で先に生まれたハリーがバーリントン家の跡継ぎになること、などは読み進むうちにわかってくるが、どれもこれも詳しい説明がなく既定事実のように語られている。なんで?と思いながら最後まで読み、結末がつかない終わり方にまた、なんで?と思ってよく見てみたら、本書は『クリフトン年代記』の第2部だった!いきなり第2部から入ったので、登場人物の関係やここまでのいきさつをつかむのに苦労してしまった。表紙にきちんと第2部と表示してあればいいのに。それはともかく、刑務所や軍隊の場面でも残虐さやどぎつさがなく、善人と悪人(たとえばエマとジャイルズの父親で、もしかしたらハリーの父親かも知れないヒューゴ)がくっきりしていてわかりやすいし、ストーリー展開も見事。第1部まで遡って読むのはしんどいけれど、ハリーとエマの運命が気になるので、第3部から先は読んでもいいかな、と思っている。
第1部『Only Time Will Tell』は『時のみぞ知る』、第2部の本書は『死もまた我らなり』、第3部『Best Kept Secret』は『裁きの鐘は』というタイトルで新潮社から邦訳が出ている(第2部のタイトルは懲りすぎでは?)。シリーズとしては第7部まで出る予定だという。(2016.5.7読了)
[PR]
by nishinayuu | 2016-07-12 10:32 | 読書ノート | Trackback | Comments(1)

『ロンドンの二人の女』(エマ・テナント、訳=相原真理子、白水社)

c0077412_10412383.jpg『Two Women of London』(Emma Tennant, 1990)
本書は『ジキル博士とハイド氏』を下敷きに、主人公や周辺の人々のほとんどを女性に入れ替えた女性版のジキルとハイドである。

物語は「ラドヤード・クレッセントとナイティンゲール・クレッセントの共同庭園に一人の男が死んで横たわっている」という文で始まり、死んだ男が「ノッティングヒルの強姦魔」であること、住人の一人ミセス・ハイドによって殺されたらしいことなどが簡単に述べられる。続いて「編集者による前置き」があり、女性医師フランシス・クレーンの突然の死はミズ・ジキルとミセス・ハイドの悲惨な事件を探求したことが原因ではないだろうか、と述べられている。
すなわち、ジキルとハイドにまつわる事件があり、それに関わった医師が死んだことが最初から明らかにされているわけで、いわばネタバレ状態で始まるミステリーなのだ。だからつまらないかというと、決してそんなことはない。なにしろ事件の現場となる庭と建物の描写が複雑怪奇でわかりにくい上、住人たちや出入りする人々の関係が、これまたわかりにくいので、かなり長い間霧の中を彷徨うことになる(原文のせいか翻訳のせいか、あるいは読み取り能力のせいか、行きつ戻りつしながら半分近く読み進んだところでやっと霧が晴れました。オソマツ)。
本書の魅力は妖しい幻想性にあり、その一端が次の文からうかがえる。

イライザ・ジキルの家の隣の庭には、ブニュエルの映画にでも出てきそうな、朽ちかけたピアノラが転がっていた。裂けた鍵盤と崩れかけた寄せ木細工はとっくに雨や霜のために腐食し、(中略)この荒涼たる眺めに面した窓の下には、子どもが描いた横倒れの人間の棒線画のように、プラスチックの壊れた干し物掛けの白い横棒が落ちている。

物語の中での比重とは関係なく、なんとなく気になった文を記しておく。
1.年月がたつうちに気前のよさといったような愛すべき特質が、あまり好ましくない、人を困らせるような特徴に変わることがある。(中略)過度に人に物をあげたがる人には、他人の人生をコントロールしたいという欲求があるのではないかと思う。
2.(家庭を大切にしている)ジーンのような女性は、ミセス・ハイドのような悪女に惹かれるのかも知れない。(中略)自分の性格の隠れた一面が、犯罪などの邪悪な行為の話によって一瞬表面に浮かび上がる。それによって快感を覚えるが、それはやがてまた静まっていく。ここ何十年間かの女性の「解放」にもかかわらず、イギリスでは殺人ミステリーが圧倒的な人気で、特に女性読者が多いのはこのためではないだろうか。
(2016.5.11読了)
[PR]
by nishinayuu | 2016-07-08 10:42 | 読書ノート | Trackback | Comments(0)

『The Lake of Dreams』(Kim Edwards, Viking Penguin)


c0077412_1096100.jpg『レイク・オブ・ドリームズ』(キム・エドワーズ、2011)
物語の舞台は日本→アメリカ北部→カンボジアへと移動するが、主要舞台はアメリカ北部の湖沼地域である。主人公のルーシーは父の不可解な死のあと家を離れ、ジャカルタで出会った日本人男性のヨシと意気投合して、現在は二人で日本に住んでいる。二人の住居の家主はヨシの学友だったフジモロ氏の夫人である(フジモロはたぶん藤本ですよね)。弟のブレイクがスカイプで、母が交通事故に遭って脚を痛めた、と知らせてきたのをきっかけに、ルーシーは2年ぶりに故郷の家に帰る。
JFK空港からさらに1時間のフライトのあと、やっと湖が見えてくる。湖の名はイロコイ語でランブータン。湖周辺の軍用地だった広大な土地が最近軍から返還された。父亡き後、祖父が興した事業を手中に収めた父の弟は、湖を含むその土地を開発して事業を広げようとしている。そして父が愛していた家も、開発に支障を来すので買い取りたい、と母に持ちかけている。ひとり住まいには広すぎる家をもてあましている母は、その申し出を受け入れようかどうか迷っている。父とずっと不仲だった叔父は、父の急死で関係修復が不可能になったのを悔いているのか、ブレイクを事業に誘った。10月に恋人のエイブリーが出産する予定なので、ブレイクは当面の仕事として叔父の提案を受け入れようとしている。
彼らの家は、1910年にハレー彗星が現れたときに16歳だった曾祖父のJoseph Arthur Jarrettが1925年頃に買ったものだった。母は父の死後、父のlove, love, loveという声が至るところから聞こえるといって二階を閉めきっていたが、その晩、二階にある自分の部屋に泊まる事にしたルーシーは二階のあちこちを見て回った。施錠された戸棚を開けてみると、古い紙の束が見つかる。その中に曾祖父Josephに当てた925年9月21日付の封筒があり、曾祖父にIris(14歳)の処遇について相談する内容で、差出人はRとなっていた。すると母も、前に見つけて隠しておいた箱の中身――同じ筆跡のもう一通の手紙と、何枚もの書類――をルーシーに見せる。母によるとその箱は、曾祖父が納屋のロフトに隠したトランクの内張の中から見つかったものだという。Rとは誰なのか、Irisとは誰なのか、そして曾祖父はなぜ箱を誰にも見られないようにトランクの内張の中に隠しておいたのか……。ここからルーシーの遠大な探索が始まり、家族の歴史から消し去られた人々を光の中に蘇らせるというロマン溢れる物語へと展開していく。

本書は『Memory Keeper’s Daughter』でデビューした作家による長編小説。著者の故郷・ニューヨーク州のFinger Lake regionにおける体験を下敷きにして書き上げたものだという。物語に登場するthe Women’s Rights National Historical Parkは実在の場所。
☆要所、要所に差し挟まれている「彗星の出現」が印象的です。ただ、ヨシとのあれこれ、昔の恋人とのあれこれなどは、本作とは切り離して別の物語にしてもよかったのでは? いろいろ盛り込みすぎたせいで中心テーマの感動が弱まった気がします。(2016.4.12読了)
[PR]
by nishinayuu | 2016-07-04 10:12 | 読書ノート | Trackback | Comments(1)

『天に遊ぶ』(吉村昭、新潮社)

c0077412_10331195.png
読書会「かんあおい」2016年7月の課題図書。
本書は平成8年1月から平成11年4月にかけて、『波』その他に掲載された「超短編」21編を収録したもの。各作品の概要は以下の通り。

*鰭紙――天明年間の飢饉について調べている学者が目にした古文書に、若い女が人肉を食べる場面の記録があり、その箇所につけられた鰭紙に女の身元が記されていた。
*同居――5年前に妻を亡くした後輩にある女性を紹介したところ、二人の関係は順調に進展した、と思いきや後輩が、彼女には「同居ニン」がいるので結婚できない、と報告してくる。
*頭蓋骨――終戦直後に樺太避難民の船が沈没した海辺で、40年も経って漁網に幼児の頭蓋骨がかかったという。作家は村を訪れて漁師の話を聞いたが、帰途は散々で不審訊問まで受ける。
*香奠袋――文壇人の葬儀は出版社の編集者たちが引き受けるのが習いだ。そんな葬儀に現われるある上品な老女を、編集者たちは警戒しながらも心待ちにする。
*お妾さん――「私が生まれ育った町にはお妾さんの住む家が多かった」で始まり、空襲の時、道沿いの墓所にしゃがんでいた頼れるもののなにもないお妾さん母子の姿で終わる。
*梅毒――桜田門外の変の現場指揮者だった関鉄之介は梅毒患者だったのでは?と疑われていたが、梅毒ではなく糖尿病だったことを調べ上げた作家。関の子孫に報告すると相手の顔が輝いた。
*西瓜――離婚した妻が、ある男に執拗に求婚されて困っている、と言ってくる。さてその真意は? 
*読経――葬儀でひときわ高く錆のある読経の声が響く。声の主は少年の頃、過失で弟を死なせた男だった。
*サーベル――大津事件で無期刑に処せられた津田三蔵の親族に会ったあと墓を訪れた作家は、墓の異様な小ささに驚くとともに、手向ける花を持たずに来たことを悔やむ。
*居間にて――伯父の死を知らされた伯母が身を震わせて笑ったと報告する妻。忍従の人生だったからか、でも妻の場合はそんなことはあるまい、と思う夫。
*刑事部屋――ある家に二人組の強盗が入った。その家の息子と友人の仕業だとにらんだ警察から息子の友人である自分に呼び出しがかかって……
*自殺(獣医その1)――肺癌と診断された犬が道に飛び出して車にはねられた。医者と飼い主のやりとりから敏感に事情を察して自殺したのかもしれない。
*心中(獣医その2)――飼い主の女性によって無理心中の片割れにされたダックスフント。傷も癒えて女性の息子に引き取られていく。
*鯉のぼり――孫と二人暮らしだった老人の家には孫が事故で死んだ後も毎春鯉のぼりが翻った。
*芸術家――自称小説家の峰村と一緒に出奔した従妹が岩手県下にいることがわかって……
*カフェ――友人からすすめられた敷島を一本吸ったことで、少年時代に住んでいた町とそこにいた人々が鮮やかに浮かび上がった。
*鶴――同人誌の仲間だった岸川の通夜。遺族席にいたのは妖艶ともいえる美しい女性だった。岸川がかつて妻子を捨てて走った25歳年上の女性だから、79歳になっているはずだった。
*紅葉――大学時代の友人が終戦から4年目に奥那須の温泉宿に滞在していたときの体験談。一夜を隣室で過ごした男女は殺人犯たちだった。
*偽刑事――取材先では刑事に間違われることがよくある。八丈島でまたそんな気配が見えたので同行者を刑事に仕立てたら天罰が下って、飛行機は欠航、やっと飛んだと思ったら大揺れ。
*観覧車――離婚した妻・娘と一日を遊園地で過ごした男。妻への未練に突き動かされて復縁を迫るが、二人を見送った後、性懲りもなく浮気の虫がまたうずく。
*聖歌――姉の葬儀の席で聖歌斉唱が始まったとき、驚くほど豊かなテノールが会堂内に響いた。姉が親の反対で結婚をあきらめた、もと同じ音楽部にいた男だった。
(2016.4.23読了)
[PR]
by nishinayuu | 2016-06-30 10:34 | 読書ノート | Trackback | Comments(1)