カテゴリ:読書ノート( 1058 )

『メッセンジャー』(ロイス・ローリー、訳=島津やよい、新評社)


c0077412_1030418.jpg『Messenger』(Lois Lowry, 2004)
サブタイトルは『緑の森の使者』。『ギヴァー』から始まるシリーズの3冊目である。
本作の舞台は『ギヴァー』や『ギャザリング・ブルー』のコミュニティとは違って、弱者が互いに支え合って暮らす平和な村である。村では人と違う点や短所が欠陥と見なされることは決してなく、むしろ尊重されている。たとえば目の見えない男も、顔の片側半分が深紅のシミ(あざ)で覆われている男も、それぞれの持つ知識や才能に見合った呼び名を得て平穏に暮らしている。
しかしこの村にも「影」の部分があった。村人は「トレード」という方法で欲しい物を手に入れることができたが、「トレード」のためになにを差し出したのかはトレードの仲介者と本人にしかわからなかった。しかし間もなく「トレード」のもたらした変化が現れてくる。人々は弱者を受け入れる心、寛容の心を失って、よそから逃れてくる人々の受け入れを阻止して自分たちの利益を守るべきだと言い出す。そしてついに村は3週間後に入り口を閉鎖することを決議する。
このとき一人の少年がある決意を持って旅に出る。遠くのコミュニティに住む一人の娘を、この村に住む父親の許に連れてくるために。村を囲む「森」は通過しようとする者を閉じ込め、からめ殺すことがあったので、村人から怖れられていたが、この少年だけはいつも無事に「森」を行き来できたので、これまで少年は村と外とを繋ぐメッセンジャーの役を果たしてきた。しかし今「森」はこれまでとは異なる様相を呈してきていた。「森」はなにかどろっとしたものが付着して、病的になっていた。「森」が「濃く」なっていっているのだ。

主な登場人物――マティ(この巻の主人公。幼少期に住んでいたコミュニティを離れて2年。「森」をよく知る少年で、傷を癒やす力を持つ)、「見者」(マティと一緒に暮らす盲目の男)、「助言者」(子どもたちに慕われている学校教師。顔半分に深紅のシミがある)、ジーン(マティが思いを寄せている少女。「助言者」の娘)、「指導者」(雪をついて外部からやって来た青年。淡青色の目を持ち、彼方を見る力を持つ)

物語のほぼ最初からマティ(2音節)がマット(1音節)のその後であるとわかる。だから盲目の男が誰なのか、その娘が誰なのかもわかる。さらに、雪の中をやって来た青い目の青年も登場して、シリーズものの楽しさが味わえる。さて、『メッセンジャー』の世界は将来が見えないまま終わっているので、完結編の『Son』も読まなければ。(2016.8.13読了)
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by nishinayuu | 2016-10-16 10:30 | 読書ノート | Trackback | Comments(1)

『ギャザリング・ブルー』(ロイス・ローリー、訳=島津やよい、新評社)


c0077412_9401097.jpg『Gathering Blue』(Lois Lowry, 2000)
サブタイトルは『青を蒐めるもの』。『ギヴァー』(記憶を注ぐもの)の続編である。
本編の主人公はキラ(Kira)という「2音節」の名を持つ少女。キラの村では名前の音節によっておよその年齢がわかるようになっている。すなわち名前が「1音節」なら幼児、「2音節」なら青少年、「3音節」なら壮年、「4音節」なら老年である。キラも幼少期はキア(Kir)という名だった。
キラは生まれつき足がねじれていたので、この村では生きる資格がない者として処分されるはずだったが、母の必死の抵抗と有力者だった祖父のおかげで処分を免れた。キラは織物の名手である母の手伝いをしながら暮らしてきたが、母は病死してしまった。フィールド(旅立ちの野)で4日間、母の魂が立ち去るのを見守って村に戻ったキラには、住む家も頼るべき人もいなかった。母が病死だったため、村の掟に従って家は焼かれてしまった。父親はキラが生まれる前に亡くなっていたし、祖父もすでに亡くなっていた。しかもキラは、人々から働き手としても結婚相手としても期待されていない、無用の人間だった。キラはこの村で生きていく方法を必死で考える。
糸を操って模様を作り出すことにかけては他の追随を許さない才能を持つキラ。その才能のおかげで議事堂の一郭に部屋を与えられ、刺繍の仕事をすることになるキラ。仕事に必要な染色を学ぶために森に植物園を持つ老女の許に通うキラ。そうした毎日の中で、キラは次第に芸術家として遇されることの意味と、背後に潜むおぞましさに気づいていく。やがて、どうしても見つからなかった「青い糸」が外部から来た男によってもたらされた時、キラは新たな決断をする。

主な登場人物――マット(Mat。下層民の集落である沼地の住人で、キラの手助けをする活発な少年)、トマス(Thomas。彫刻の才によってキラと同じく議事堂の一郭に部屋を与えられている少年。文字が読めないキラのために植物と色の名を記録して手助けをする)、ジャミソン(Jamison。守護者評議会の一員。後見人としてキラの世話と監督を担当)、アナベラ(Annabella。キラに染色を教える老女)、クリストファー(Christopher。狩をしているときに命を落としたキラの父)

植物と色の関係――赤系(カワラマツバ、アカネ、)、黄色系(ヒトツバエニシダ、ヨモギギク、ノコギリソウ、オオハンゴウソウの葉と茎)、茶系(ホウキスゲ、聖ヨハネの草、秋のキリンソウ)、緑系(カミツレ、オオハンゴウソウの花)、紫系(タチアオイ、ニワトコ、バジル)、青銅色(ウイキョウ)、青(ホソバタイセイ)、色止めに使えるもの(ウルシ、木の虫こぶ、古いおしっこ)

最期のほうに他のコミュニティに住む「青い目の青年」についての言及があり、次作『メッセンジャー』への期待がかき立てられる。(2016.8.13読了)
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by nishinayuu | 2016-10-12 09:40 | 読書ノート | Trackback | Comments(0)

『ギヴァー』(ロイス・ローリー、訳=島津やよい、新評社)


c0077412_10554340.jpg『The Giver』(Lois Lowry, 1993)
読書会「かんあおい」2016年8月の課題図書。
サブタイトルに『記憶を注ぐもの』とある。4巻まであるシリーズの第1冊目である。作者は1937年生まれの児童文学作家で、この作品で世界的に名高い児童文学賞であるニューベリー賞を受賞している。

物語の舞台は近未来の架空のコミュニティ。そこでは、すべての人が何らかの役割を果たしながら規則正しい生活を送っている。子どもたちは「家族ユニット」の中で大切に育てられ、9歳になると自転車を与えられる。自転車は、家族ユニットの保護を離れて少しずつコミュニティの中へ移行していくことを意味する決定的な象徴だ。そして12歳の儀式でそれぞれに適した役割が決定され、子どもたちはコミュニティの一人前の成員となるための訓練生活に入っていく。
物語は12歳の儀式を控えた主人公のジョナスが、いま自分が感じているなにか怖いような感じは、正確には「怖い」ではなくて「待ちきれない」と言い表すべきだ、と分析するところから始まる。「怖い」というのは前の年に正体不明のジェット機がコミュニティの上空に現れて、市民に緊急待避命令が出た時に覚えた感情だった。普段は決して飛行機がコミュニティの上空を飛ぶことはないのだが、そのときは訓練中のパイロットがミスを犯したのだと判明した。数分後にスピーカーの声が告げる。「言ウマデモナク、彼(パイロット)ハ解放サレルデショウ」と。「解放」とはコミュニティから永遠に消えることを意味していた。
表面的には快適で平穏に見えるこのコミュニティは、実はすべての市民の人生をコントロールし「同一化」することによって成り立っていた。誕生から死に至る市民の人生も、市民の「記憶」も知覚も感情も、なにもかもがコントロールされていた。そしてそのコントロールは自然界(動植物、地形、気候など)にまで及んでいた。しかし、まれな例外を除いて、そのことに気づく者はいなかった。そして主人公のジョナスこそはそのまれな例外の一人だった。それはジョナスが他の者たちが暗い瞳をしている中で例外的に「明るい瞳」をしていることと関わりがあるようだった。

主要登場人物は父親(ニュー・チャイルドの「養育係」)、母親(司法局の重要ポストに就いている)、妹のリリー(もうすぐ8歳になるおしゃべり好きな少女)、ゲイブリエル(父親が特別看護のために家に連れてきた、夜泣きの激しいニュー・チャイルド)、アッシャー(同級生で親友。「レクリエーション副官」に任命される)、フィオナ(成績優秀でもの静かな同級生、「老年者の介護係」に任命される)、ギヴァーの老人(ジョナスの心に記憶を注ぎ、訓練する。10年前、レシーヴァーだった娘のロースマリーを失っている。音楽が知覚できる)。
「ギヴァー(記憶を注ぐ者)」とはコミュニティの記憶を管理する役割を担う者のこと。ジョナスは12歳の儀式でギヴァーから記憶を継承する「レシーヴァー(記憶の器)」に任命される。これは特別に優れた資質を持つ者に与えられる名誉ある任務であるが、人々とは切り離された存在でもあった。厳しく孤独な訓練のなかで、コミュニティの「同一化」に疑問を抱きはじめたジョナスに、老人は深い理解を示し、やがて二人はある決断を下す。(2016.7.31読了)
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by nishinayuu | 2016-10-08 10:56 | 読書ノート | Trackback | Comments(1)

『アリラン峠の旅人たち』(編訳=安宇植、平凡社)


c0077412_14323820.jpg『숨어 사는 외톨박이』(편역=안우식)
原題は「隠れて暮らす独りぼっち」の意で、副題に「聞き書き 朝鮮民衆の世界」とある。すなわち本書は社会の底辺に暮らす民衆、朝鮮半島の伝統文化を底辺から支えてきた人々の姿を伝えたものである。収録されているのは下記の10編で、月刊誌『根の深い木』に1976年3月号から1979年2月号まで掲載された36編から抜粋されたものだという。随所に写真や図の他に風俗画(金弘道や申潤福の作品)が取り込まれ、魅力溢れる読み物となっている。
1「市を渡り歩く担い商人」筆者は作家の黄晳英――交通網が発達しなかった時代に、物資の流通を担って民衆の生活を支えた「褓負商」たちの起源とその組織、掟、浮き草のような人生を綴った掌編。
2「朝鮮の被差別部落民」筆者は民俗学者の徐廷範――賤民階級のうち、屠殺業に従事する「白丁」といった。一般民衆との共同生活の道を閉ざされていた彼らが作り上げた独自の習慣、伝統などがまとめられている。
3「妓生文化のたそがれ」筆者は記者の薛湖静――かつての名妓・楚香への密着取材によって書き上げられた妓生のすべて。朱子学の泰斗・李退渓が斗香という妓生の愛人だったという情報も。記者の目と筆致が冷徹というか冷たいというか。
4「放浪する芸能集団」筆者は詩人の姜昌民――ここに紹介されているのは様々な芸能集団のうち「男寺党」と呼ばれる非公認の旅芸人。両班に対する庶民の敵意を代弁したが、自分たちをはじき出した庶民を含めてあらゆるものに対する敵愾心をうちに秘めた集団だったという。集中で最も筆致が温かく、内容も濃い。
5「最後の芸人」筆者は詩人の申瓚均――公認の芸能集団「広大(クァンデ)」の一部である才人(綱渡り芸人)について。
6「民衆の中のシャーマンたち」筆者は5と同じ――神霊を感得する能力を持つ女性を巫堂(ムーダン)といい、悪霊をはらう儀式をグッという。彼らの生き方や独自の隠語なども紹介されていて興味深い。
7「魂を鎮める喪輿の挽歌」筆者は記者の金明坤――喪輿都家(現在の葬儀社)で働いてきた老人への密着取材記事。挽歌数編が収録されている。
8「墓相を占う風水師」筆者は作家の金源錫――ソウルの光煕門に連なる城壁にへばりつくように建つ小さな韓屋があり、ひとりの風水師の老人が住んでいる。この老人を主人公に、『ハメル漂流記』、『三国遺事』『東国輿地勝覧』などの引用もふんだんに取り入れて小説風に仕立てた「風水のすべて」。
9「朝鮮鋸も錆びついた」筆者大学講師の尹九炳――伝統技法をまもる老大工が昨今の「大工仕事」と大工の明日に疑問を投げかける。
10「市を巡る鍛冶屋一家」筆者は作家の文淳太――苦労してものにした鍛冶屋の技術を息子に引き継ぐ喜びを綴った、これもまた小説仕立ての一編。
(2016.7.23読了)
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by nishinayuu | 2016-09-30 14:33 | 読書ノート | Trackback | Comments(3)

『Amsterdam』(Ian Mcewan, Anchor Books)

c0077412_1011099.jpg『アムステルダム』(イアン・マキューアン、1998)
物語は、レストラン評論家、写真家、ガーデニングの専門家と華々しく活動していたモリーの死で始まる。手のしびれを診てもらいに医者のところに行ったモリーは、あっという間に痴呆状態になり、そのまま帰らぬ人となった。46歳だった。葬儀に駆けつけた人々の中に、彼女と特に深い関係のあった次の三人の姿もあった。
クライヴ・リンレイ――著名な作曲家。ミレニアム・シンフォニーの作曲を委嘱されている。
ヴァーノン・ハリデイ――雑誌「Judge」の編集長。
ジュリアン・ガーモニ――外務大臣。次の首相候補。
クライヴとヴァーノンはモリーの昔の愛人、ジュリアン・ガーモニは二人より新しい愛人だった。
クライヴの素晴らしい点は自分の家に長く住んでいることだ、とモリーは言っていた。1970年代、他の人たちが賃貸住宅に住んでいた頃、21歳でおじから家を相続したクライヴは、外側をパープルにペイントして友人たちに開放した。ジョン・レノンとオノ・ヨーコも1週間泊まったし、ジミ・ヘンドリクスも一晩泊まった。やがて外側をクリーム色に塗り替え、友人たちの滞在も1,2晩になった。この家にヴァーノンは1年住み、モリーは一夏滞在した。彼らが大人になっていき、趣味を育て、やがて情熱を失い、富を得ていく過程が詰まっている家だった。
作曲が思うようには進まず、しかも左手にしびれが来ていたクライヴは、ある日家にやって来たヴァーノンに「自分もモリーのように明らかに異常になったら、命を絶つのを手伝って欲しい」という。痴呆状態になってから死に至るまでのモリーの最期は悲惨なものだった。自分はあんな風な死に方はしたくない。だからいざというときは飛行機に乗せて、安楽死を認めているアムステルダムへ連れて行ってくれ、とクライヴは「親友」のヴァーノンに頼んだのだ。少し前から右の頭部に違和感があったヴァーノンは、自分にも同じことをしてくれるなら、という条件をつけてクライヴの頼みを承知する。さて――。

登場人物の経歴、言動、心理が事細かく記述されているので、一人一人の人物がくっきりと浮かび上がる。また、各人のつながり方も、事態の成り行きもごく自然に無理なく設定されている。首相候補の女装趣味をスキャンダルとして取り上げることの是非、人間の尊厳死の問題なども重くなりすぎないように扱われている。最初に一人、最期に二人の死人が出る小説でありながら、後味は悪くない。

☆この作家の作品で「いやな気分」を味わったことが何度かあったため用心しながら読んだせいか、以外にすっきりと楽しく読めてしまいました。なお、この作品は1998年のブッカー賞を受賞しています。(2016.7.16読了)
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by nishinayuu | 2016-09-26 10:11 | 読書ノート | Trackback | Comments(0)

『夏の沈黙』(ルネ・ナイト、訳=古賀弥生、東京創元社)

c0077412_10502264.jpg『Disclaimer』(Renée Knight,2015)
本書はタイトルからして何となく不穏なものを感じさせるが、第1章の冒頭の一文が「またもどしそう」とくる。それに続く文が「キャサリンは冷たい琺瑯の洗面台につかまり、顔を上げて鏡をのぞく。映っている顔は、床についたときとはまるで別人。前に見たことがあり、二度と見たくないと思っていた顔だ」となっていて、このまま読み続けるべきかどうか大いに迷う。
それでもつい読み続けてしまうのは、すでに「キャサリン」という主人公と思われる人物の名前を知ってしまったからであり、「キャサリン」に何があったのか、これから彼女がどうなるのかが気になってしかたがないからだ。作者のたくらみにまんまとのせられてしまうわけだ。
さて、キャサリンはドキュメンタリー番組のディレクターとしてばりばり働くキャリアウーマン。一人息子のニコラスが独立したのをきっかけに、弁護士である夫ロバートとロンドンのこぢんまりしたメゾネットに転居したところだ。引っ越し荷物が乱雑に散らかっている中にあった見覚えのない一冊の本を何気なく読み始めたキャサリンは、衝撃のあまり上記のような状態に陥る。その『行きずりの人』という本に書かれていたのは、20年前にキャサリンの身に起こった出来事、ロバートにも隠し通してきた忌まわしい出来事だった。

物語は2013年の春から秋にかけて進行しつつある出来事を綴る章を基調にして、それらの間に2年前、18ヶ月前、2013年晩冬から春までの、『行きずりの人』がキャサリンの許に届くまでのいきさつを綴る章が挟まる形で進行していく。そして1/3ほど読み進んだあたりに20年前、すなわち1993年夏の出来事を綴る章が配されている。こうして読者は徐々に20年前に何があったのかを知らされていくしくみになっている。しかし、その出来事の真相が明らかになるまでにはまだまだ紆余曲折があり、真相が明かされたあともまた一波乱あるので読者は最後まで突き進むしかない。小説とはかくあるべし、とでもいうような構成と内容をもった実に巧みな作品である。

巻末の解説に次のような文がある。
「肯定的なものとして捉えられることの多い家族という人間関係に潜む脆弱さを突きつけ、母性というものの強さについて真の意味をあらためて問いかける。常識的な価値観をいくつも覆しながら、『夏の沈黙』のヒロインの不安と苦悩の旅は、読者を終着点へと導いていく。終章を読み終え、本を置いたあなたの心に浮かぶのは絶望、それとも希望だろうか。」
終章を読み終えて心に浮かんだのは希望だった。けれども正直に言えば、この作品全体の印象は快いものではなかった。解説者は「狡知に長けた作者の企みを読み解くためにも、再読は有効だろう」と言っているが、再読する気にはなれない。(2016.7.26読了)
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by nishinayuu | 2016-09-22 10:51 | 読書ノート | Trackback | Comments(0)

『ミステリアス・ディナー』(デイヴィド・グレゴリー、訳=西田美緒子、ランダムハウス講談社)

c0077412_10431168.jpg『The Dinner with a Perfect Stranger』(David Gregory)
本書は10の章で構成されており、第1章は「招待状」となっている。「ナザレのイエスとの夕食会にご招待いたします/場所 レストランミラノ/日時 三月二十四日火曜日午後八時より」という文面の招待状の宛先は、オハイオ州シンシナティのブルーイット環境試験所の戦略企画部長ニック・コミンスキー。というわけで本書の語り手のニックは、半信半疑ながらイエスとのディナーに出向く。そして第2章以降は「テーブルへ」「メニュー」「前菜」「サラダ」「メインディッシュ」「デザート」「コーヒー」「支払い」という具合に続いて第10章「帰宅」で終わる。ニックがイエスと差し向かいでディナーを楽しみながら語り合うという設定なのだが、ニックは小学生のように素直だし、イエスは優しい牧師さんのよう。ニックの肩書きには特に意味はなさそうだし、イエスにもミステリアスなところはみじんもなく、ストーリーにも何の捻りもない。タイトルと設定に凝った「キリスト教入門書」というところか。

別れ際にイエスが連絡先としてニックに教えたのは「黙示録三・22」。これを日本語、英語、韓国語、エスペラントで記しておく。

耳のあるものは御霊が諸教会に言われることを聞きなさい。
He who has an ear, let him hear what the Spirit says to the churches.
귀 있는 자는 성령이 교회들에게 하시는 말씀을 들을찌어다.
Kiu havas orelon, tiu aŭskultu, kion la Spirito diras al la eklezioj.
(2016.7.19読了)
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by nishinayuu | 2016-09-18 10:43 | 読書ノート | Trackback | Comments(0)

『제주 유배길에서 추사를 만나다』(양진건, 푸른역사)


c0077412_9124235.jpg『済州に配流された秋史に会う』(梁鎮健、滄歴、2011)
著者は済州西帰浦出身の学者。『かの島に配流された人々』(1999)、『済州配流文学資料集1』(2008)などの著書がある。
本書は政治家として出発し、偉大な学者・文化人として生きた金正喜(号は秋史)の配流生活を詳細に解明した秋史伝である。懇切丁寧な解説文にたくさんの図版が添えられ、巻末には充実した注と索引もあって、秋史についてはもちろん配流や済州島についての参考書として、手元に置いておきたい一冊となっている(nishinaは友人に借りて読んだので、残念ながら手許にはない)。テーマ別に内容を要約しておく。
[配流に至るまで]正祖10年(1786)に慶州金氏の有力な家に生まれ、順調に出世街道を歩んでいたが、憲宗6年(1840)55歳の時に安東金氏との政争に敗れ、拷問と棒叩き刑を受けた後、満身創痍の状態で絶海の孤島・済州に流された。
[済州の人々]秋史は当地の有力者が用意した住まいに「圍籬安置」(垣根の外へ出ることは禁止)となり、それまでの暮らしとは一変した不自由、不便、孤独感にさいなまれた。しかし済州島の志ある人々は大学者の「キヤンダリ」(配流人をさす侮蔑語)に教えを請おうと秋史のもとへ押しかけた。秋史は次第に済州で得た弟子たちを教え導くことに喜びを見いだしていく。本書では済州島の門下生たちにそれぞれの業績や秋史との関係を語らせていて、たとえば蕙白という弟子は秋史のおかげで印章作りや筆作りの才能を花開かせている。
[秋史の配流生活を支えた人々]①友人――都で重職にあった権敦仁、学者の申緯、草衣禅師など ②門下生――趙煕龍、許練、訳官(通訳)の李尚迪、姜瑋など ③済州牧使――李源祚、張寅植など。草衣禅師は秋史が「お茶を早く送ってこないと棒うち刑にするぞ」という文を送り付けるほど深い友誼で結ばれた仲だったし、李尚迪は秋史の要求に応えて中国の書籍をはじめ大量の書籍を購入して秋史の元に届けた献身的な弟子だった。秋史がこの李尚迪の誠意に感動して二本の松の絵に跋文を添えて与えたのが有名な『歳寒図』である。また李源祚は秋史と「今古文論争」を展開した学問の友でもある。④そしてもちろん秋史の妻――衣服や食べ物にかなりうるさい秋史の要望に応えて懸命に仕えている様子が、妻に送った秋史のハングルの手紙(この文字の美しいこと!)からわかる。
[秋史の関心事]①書――『漢隷字源』に収録されている碑文の文字309個を写し続け、硯10個をすり減らし、筆1000本をつぶして「秋史体」を完成させた。兪弘濬はこれを「9年の配流生活が秋史にもたらした贈り物」と言っている。②篆刻――秋史風篆刻を完成させた。③漢詩 ④植物――済州島の花を愛して水仙、山茱萸、鶏頭、南瓜、立葵、映山紅(ツツジ)の漢詩を作ったり絵を描いたりしている。特に陸地(本土のこと)では珍しかった水仙が済州島では至る所に見られるのを喜ぶと同時に、それを土地の人たちが牛馬の餌にしたり鎌で刈ったりしているのを嘆いている。⑤茶 ⑥病――済州島では高温多湿な風土と加齢のせいで、目の痛み、足の痛み、消化不良、咳、血痰、息切れ、皮膚掻痒症、おこり(マラリア)など様々な病に悩まされている。いずれも死に至るような疾病ではなかったが、秋史は若いときに次々に近親者をなくしているせいか、健康管理は徹底していた。
[釈放]配流されてから9年後の1848年、秋史は釈放されて都へ戻る。63歳だった。閉ざされた世界の中で文学活動を通して配流の苦難と孤独を乗り越えた秋史は、それだけでなく済州の人々と長い年月をともにしたことによって、事大主義のエリートという嫌疑を振り捨てることもできたのだった。都に戻ってからの秋史の書体からはぎらぎらした脂っ気が抜けた、といわれる。

☆とにかく内容の濃い、読みでのある書物でした。(2016.6.30読了)
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by nishinayuu | 2016-09-10 09:13 | 読書ノート | Trackback | Comments(1)

『The Book of Tea』(Okakura Kakuzo, C.E.Tuttle Company1906)


c0077412_9323152.jpg『茶の本』の原書。予想した通り1、2,3章はアルファベット表記されている中国語の固有名詞に難儀したが、英文そのものは読みやすかった。4、5,6,7章も予想した通り、漢字表記のある日本語訳のほうが断然優れていると思うが、「数寄屋」「露地」などの専門用語をはじめとして、日本文化のあれこれを的確かつ滑らかな英文で表現してあることに驚嘆した。『茶の本』が名著とされる所以が理解できたと同時に、岡倉天心という人物の偉大さをあらためて思ったのだった。
さて、今後何かの折に役に立つかも知れないので、中国固有名詞のアルファベット表記と、引用されている歌、俳句の(岡倉天心による?)英訳をメモしておくことにする。
①中国の固有名詞
Tang唐  Sung宋  Ming明  Yuen Emperors元朝  Chow Dynasty周朝 Yangtse-Kiang揚子江  Hoang-Ho黄河  Han Pass函谷関  Taoism道教  Confucianism儒教  Book of Changes易経  Chaking茶経
Luwuh陸羽  Lotung盧同  Taisung 代宗 Kiasung 徽宗 Wanguncheng 王元之
Sotumpa蘇東坡  Laotse老子  Liehtse列子  Peiwoh 白牙 Emperor Huensung 玄宗皇帝 Taoyuenming陶淵明
②見渡せば花ももみじもなかりけり 浦のとまやの秋の夕暮れ(藤原定家)
I looked beyond; /Flowers are not, /Nor tinted leaves. /On the sea beach /
A solitary cottage stands /In the waning light /Of an autumn eve.

夕月夜海すこしある木の間かな(宗碩)
A cluster of summer trees, /A bit of the sea, /A pale evening moon.

折りつればたぶさにけがる立てながら三世の仏に花たてまつる(光明皇后/後撰集123遍昭)
If I pluck thee, my hand will defile thee, O Flower! Standing in the meadows as thou art, I offer thee to the Buddhas of the past, of the present, of the future.

花をのみ待つらん人に山里の雪間の草の春を見せばや(藤原家隆)
To those who long only for flowers, fain would I show the full-blown spring which abides in the toiling buds of snow-covered hills.

(2016.7.25読了)
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by nishinayuu | 2016-09-06 09:33 | 読書ノート | Trackback | Comments(1)

『茶の本』(岡倉覚三、訳=村岡博、岩波文庫)


c0077412_9544990.jpg本書は1906年にニューヨークで出版された『The Book or Tea』の翻訳本で、昭和4年に第1刷が出ている。著者の弟で英文学者の岡倉由三郎が「はしがき」を記しており、昭和36年の版から巻末につけられた「解説」は英文学者の福原麟太郎が記している。岡倉由三郎は生涯のほとんどを東京高等師範学校の教授として過ごした人物で、訳者の村岡博と福原麟太郎は東京高等師範学校における由三郎の弟子である。

本書は7章からなり、各章のタイトルと概要は以下の通り。
*第1章「人情の碗」――茶は日常生活の中に美を崇拝する一種の審美的宗教すなわち茶道の域に達す
*第2章「茶の諸流」――茶道の鼻祖・陸羽、日本において茶は生の術に関する宗教である
*第3章「道教と禅堂」――道教は茶道に審美的理想の基礎を与え、禅道はこれを実際的なものとした、人生の些事の中にも偉大を考える禅の考え方が茶道の理想
*第4章「茶室」――茶室の構造における象徴主義、外界の煩わしさを遠ざかった聖堂
*第5章「芸術鑑賞」――美術鑑賞に必要な同情ある心の交通、現今の美術に対する表面的熱狂は真の感じに根拠をおいていない
*第6章「花」――茶の宗匠と生花の法則、生花の流派
*第7章「茶の宗匠」――茶の宗匠の芸術に対する貢献と処世術上に及ぼした影響、利休の最後の茶の湯

『The Book of Tea』はボストン美術博物館の日本およびシナ部の首脳として毎年の半ばを過ごすようになった著者が、その地に多くの知己を得ながらも故郷への感傷につき動かされて著したもので、親友のジョン・ラファージ画伯に奉献したものだという。すなわち西欧人相手に英文で「文学的に」書いたものなので、当時一般の日本人には馴染みがなかったと思われる西欧人の名前がたくさん出てくる。たとえば数寄屋の狭さを表すのに「5人しか入れない」といえばすむのに「グレイスの神よりは多く、ミューズの神よりは少ない数」となっていたり、「能の『鉢の木』の旅の僧とは実はわが物語のハルンアルラシッドともいうべき北条時頼に他ならなかった」となっていたりする。おもしろいけれどもちょっとやり過ぎではないだろうか。一方、漢文の引用(訳文では書き下し文になっている)や和歌、俳句などの引用もある。たとえば第4章には露地を作る奥義として藤原定家の「見渡せば花ももみじもなかりけり 浦のとまやの秋の夕暮れ」が出てくる。漢文は意味をとって英訳すればすむかも知れないが、和歌は原書ではどのように扱われているのだろうか。とにかく英文で読むにしても日本訳で読むにしても、簡単に読める作品ではないことは確かだ。
先頃読み終えた「京都踏査記」で著者の兪弘濬氏が本書を引用しながら茶室や茶道について解説していた。兪弘濬氏が読んだ『茶の本』を読んでいないのは日本人としてまずいと思い、我が家の書棚に長い間眠っていた『茶の本』を引っ張り出した。まず英文の原書を読んでから日本語訳を読もう、と思っているうちに時が経ってしまっていたのだが、今回読んでみて、原文で読むのはムリ、と思った。それに日本人が日本文化についてのあれこれをわざわざ漢字表記のない言語で読む必要もない、とも思ったのだった。(2016.7.9読了)
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by nishinayuu | 2016-09-02 09:55 | 読書ノート | Trackback | Comments(0)