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『蠏の横歩き』(ギュンター・グラス、訳=池内紀、集英社)


c0077412_1021377.jpg『Im Krebsgang』(Günter Grass, 2002)
副題に「ヴィルヘルム・グストロフ号事件」とある。グストロフ号はナチスドイツの誇った豪華船。1937年5月に労働者のための休暇用客船として進水し、戦時には軍隊の輸送船、病院船、避難民の輸送船として使われた。そして1945年1月30日、東プロイセンの避難民や傷病兵を乗せてゴーテンハーフェン(現ポーランドのグディニア)港を出た後、ソ連海軍の潜水艦に砲撃されて沈没した。それは奇しくもヒトラーの権力掌握から12年目の当日のことだった。
犠牲者の数は正確には割り出せない。元乗組員(会計係助手、当時18才)のハインツ・シェーンが戦後調査したところによると乗客10582人のうち避難民が8956人で、そのうちの4000人以上が乳幼児や少年少女だったという。すなわちこれは、美しい悲劇として伝説になっているタイタニック号の沈没よりずっと多くの犠牲者を出した海難事故だったのだ。

本書の語り手は、この凄まじい海難事故のまっただ中でこの世に生を受けた人物となっている。語り手の母親がグストロフに乗り込んだのはすでに出産が間近に迫っていたときだった。そして砲撃されて沈み始めた船の中で出産した彼女は、いつも身につけていた毛皮の襟巻きに赤子をくるんで救命ボートに飛び乗ったのだった。
語り手はまず三人の人物のことから話し始める。
一人目はグストロフ号という船名のもとになった男。1895年シュヴェリーン生まれ、名前はヴィルヘルム・グストロフ。『魔の山』の主人公と同じくダヴォスで療養生活を送ったが、そのままスイスに留まり、やがてナチ党に入ってスイス在住のドイツ人、オーストリア人を組織して、スイスのナチ党指導者になる。反ナチの男の銃弾に倒れたため「殉教者」として称えられる。
もう一人はアレクサンドル・マリネスコ。1913年『戦艦ポチョムキン』で知られるオデッサの生まれ。商船の船員を経て潜水艦の艦長となり、グストロフ号を沈没させた功によりバルチック赤軍艦隊のヒーローになる。
さらにもう一人。やはりダヴォスで療養生活を送ったことのあるダヴィド・フランクフルター。1909年セルビアの生まれで、父はユダヤ教のラビ。学校では毎日のようにユダヤ憎悪にさらされた。病身のせいで勉学がはかどらず、母の死もあって将来を悲観し、スイスのナチ党指導者・グストロフに銃弾を撃ち込んだ。直ちに自首して長い刑期を務めた。

以上の三人はグストロフ号事件にまつわるいわば歴史上の人物であるが、彼らの物語に重なり合ったり離れたりしながら、語り手の身内の者たちの物語が綴られていく。まずは語り手の母で、物語のヒロイン格のトゥラ・ポクリーフケ。強烈な個性の持ち主で「いつも極端に走る女だった」トゥラ・ポクリーフケは、グストロフ号事件の体験や波瀾万丈の人生から身につけた独自の思考法や行動方式などを孫に(すなわち語り手の息子に)吹き込み続けている。そして物語の後半では、10歳か11歳のときからトゥラに「こね回されて」育った孫のコニーがクローズアップされていく。混沌とした過去の象徴のような母と、不可解な未来の象徴のような息子の間で、穏健な良識人の語り手はどこに向かおうとしているのだろうか。

話の途中でときどき、語り手に助言を与える「ご老体」というのが顔を出すが、これはギュンター・グラスその人らしい。最後にそのギュンター・グラスの言葉を記しておく。
「この事件を書いておくのは、自分たちの世代の使命だった。」(2016.11.12読了)
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by nishinayuu | 2017-01-08 10:22 | 読書ノート | Trackback | Comments(0)

『べつの言葉で』(ジュンパ・ラヒリ、訳=仲嶋浩郎、新潮クレストブックス)

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『In Altre Parole』(Jhumpa Lahiri、2015)
アメリカの作家として『停電の夜に』『その名にちなんで』などで知られる著者が、初めてイタリア語で書いた作品集。21編のエッセイと2編の短編小説で構成されている。


冒頭のエッセイ『横断』で著者は、自身のイタリア語との関係を湖での泳ぎの練習にたとえて語っている。すなわち、20年の間、湖の岸辺に沿って泳ぐような感じでイタリア語を学んできた著者は、イタリア語をよく知り、どっぷり浸かるために、湖の岸を離れて向こう岸へ渡らなければならないと考え、湖の向こう岸よりずっと遠く、大西洋を越えてイタリアへ渡った。イタリアで暮らすために。
『横断』に続く各編には著者がイタリア語に習熟していく過程が綴られている。著者が手こずっているイタリア語がアルファベットとカタカナのルビで表記されている部分も随所にあって、決して読みやすいとはいえないが、たまに類推できる単語もあるので楽しく読める。たとえば、「英語に同義語のない美しい単語」の一つとしてformicolare(うようよ群がる)が挙げられているが、エスペラントで蟻のことをformikoというので、「蟻のように群れる」ということだろう。
カルカッタ(現コルカタ)で生まれ、幼くして両親と共にアメリカに渡った著者は、家ではベンガル語、外では英語という複雑な言語環境の中で生きてきた。イタリア語を習得することは著者にとって、ベンガル語と英語の対立という関係を崩し、三角形の関係にすることだった。これについて著者は次のように言う。
「図を描くとしたら、英語の辺はペン、他の二辺は鉛筆で描くだろう。英語は底辺、いちばん安定して動かない辺だ。ベンガル語とイタリア語はどちらももっと弱く、あいまいだ。(中略)ベンガル語は私の過去、イタリア語は将来の新しい細道で会って欲しい。最初の言語は私の原点、最後のはゴールだ。」
ローマで1年暮らしたあと、1ヶ月だけアメリカに帰った著者は、英語との乖離も感じるようになる。それを通じて読んだり書いたりすることを学んだ言語が、自分を慰めてくれないことに心がかき乱され、動揺するのだ。「自分が決定的な言語もなく、原点もなく、明確な輪郭もない作家だとこれほどまでに感じたことはない」、あるいは「ある特定の場所に属していない者は実はどこにも帰ることができない。亡命と帰還という概念は、当然その原点となる祖国を必要とする。祖国も真の母国語も持たない私は、世界を、そして机の上をさまよっている。(中略)私は亡命という定義からも遠ざけられている」ということばが心に残る。
英語圏の作家として揺るぎない地位を獲得しているように見える著者が、自分の立つ足場を不安定なものと感じているとは。祖国を離れた人、祖国を失った人は大勢いるが、これほどの作家がその心情を率直に吐露していることに衝撃的を受けると同時に、大いに好感も覚える。不安定さを克服するために新しい言語の世界に飛び込むという発想と言語習得にかける情熱は、やはりただ者ではないというしかない。(2016.11.8読了)
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by nishinayuu | 2017-01-04 10:37 | 読書ノート | Trackback | Comments(1)

『カールの降誕祭』(フェルディナント・フォン・シーラッハ、訳=酒寄進一、東京創元社)

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『Carl Tohrbergs Weihnachten』(Ferdinand von Schirach, 2012)



本書には下記の三つの短編が収録されている。
『パン屋の主人』――語り手は肥満体の男で、「昔はまともなパン屋だった」が、事件を起こして店も妻も失った。彼は今、音楽大学に通う日本女性に恋をしている。彼女のために一日がかりで「黒い森のサクランボケーキ」を作り、翌朝アパートの3階に住む彼女のところに届けに行く。ここで事件が起こる。その日の午後、彼はキオスクの主人とコーヒーを飲みながら、ケーキ好きな人が多いという日本に行ってケーキ屋を開く、という夢を語る。ついでに「日本の女は太った男が好きらしいんだ。相撲取りがポップスター並みの人気だっていうから」とも言う。このときはもう音大生の日本女性のことはすっかり忘れていた。
『ザイボルト』――自分で決めた規則に従って日々を過ごしてきた謹厳実直な裁判官のザイボルトが定年退職する。2週間後にヴェネツィアに旅立つが、「ヴェネツィアは美しくない。典型的なだけだ」とわかったザイボルトは予定を変更して帰国する。定年退官してから3ヶ月後、ザイボルトは再び裁判所に顔を出し、昔の席に座ってファイルを読んだりして過ごした。皆に敬遠されているのに気がついた頃、ちょっとした事件を起こしたのをきっかけに、ザイボルトは裁判所に来なくなる。やがて「また旅に出た」という葉書が妹の元に届いたきり、音信不通になる。
『カールの降誕祭』――主人公のカール・トーアベルクはザルツブルクの名門の家に生まれた。父は小さな宝石店を営んでいたが、客にも帳簿にも興味がなかった。ザルツブルク音楽祭の実行委員の一人だったので、家にはお客が絶えなかった。家を仕切っていたリューヒェン=ヘルムシュタット公女である母は、貴族制度が廃止されたことも、家にはもう金がないことも認めようとせず、誰にも彼にも高圧的な女性だった。カールは14才から本格的に絵を描き始め、3年後には「彼の絵は具体的な形を失い、色彩が混ざり合い、透明になり、光と色彩を持つ水だけで成り立っているように見えた」。そんなカールの絵を、母は「所詮はクズ」と切り捨てた。カールは絵を捨てて合理的な数学の世界にのめり込む。後年、クリスマスに母のところを訪れたとき、カールは数学でも合理的に説明できないカオスを見てしまう。カールは脳内が真っ白になり、静寂に包まれた冬景色の中を歩く自分を見る。雪の中からホルバインの「大使たち」を掘り出す。「この絵を正面からでなく、極端に斜め横から見ると、カンヴァスに別の絵が現れる。髑髏だ。(中略)このときカールは自分が何をしなければならないかわかった」のだった。

三作とも、読んでいるうちにシーラッハの不条理犯罪の世界にとりつかれる。そしてタダジュンの絵が、これらの作品の恐ろしさと暗さとある種の美しさをいっそう引き立てている。なお、巻末の訳者あとがきには、懇切丁寧な作品解説と共に、訳者と作者の「秘密の話」も盛り込まれていて、大いに楽しめる。(2016.11.3読了)
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by nishinayuu | 2016-12-31 11:00 | 読書ノート | Trackback | Comments(0)

『그들만의 사랑법』(박완서,열림원)

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『彼らなりの愛の形』(朴婉緒)
韓国語講座のテキスト『노란집』(黄色い家)の中の1編。


この話の主人公は、田畑をやりながらその日その日を懸命に生きてきた老夫婦。今は子どもたちも巣立って二人だけになった二人は、いっしょに農作業をして、疲れたらマッコルリで一休みする。肴なしで飲むのは身体に悪い、と老いた夫のためにあれこれ肴を用意している老妻。その老妻もいける口なので、ふたりは差しつ差されつマッコルリを飲む。老いた妻は、一人ぼっちで酒を飲ませるわけにはいかないから先には死ねない、と思いながら。老いた夫は、しなびた老妻の穏やかな顔を見ながら死ねたらどんなに幸せだろう、と老妻の健康を気遣いながら。

朴婉緒は翻訳本をいくつか読んでいるが、韓国語で読むのは初めて。一つの文がやけに長いのと、見慣れない単語や表現が多くて読むのにかなり苦労した。こういう文に比べると、いつも読んでいる兪弘濬の『文化遺産踏査記』は格段に読みやすいということがわかった。せっかく勉強したので、今後役に立ちそうな表現を箇条書きにしておく。
명절에나 코빼기를 볼까 말까이다 (祝日などにちょっと顔を見せる程度だ)
권커니 잣거니 마시다 (差しつ差されつ酒を飲む)
주사를 부릴 만큼 취하다 (悪酔いする)
한잠 자고 나면 거뜬히 일할 신명을 돌이키다 (しばらく眠ったらまた働く気になる)
(2016.10.31読了)
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by nishinayuu | 2016-12-27 15:16 | 読書ノート | Trackback | Comments(0)

『さいごの恋』(クリスチャン・ガイイ、訳=野崎歓、集英社)

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『Dernier Amour』(Christian Gailly,2004)
『ある夜、クラブで』の作家による、これまた音楽家の物語。ただし今度はクラシック音楽、それも前衛音楽の作曲家の話である。


主人公はフランスの作曲家ポール・セドラ(もちろん架空の人物です。念のため)。1987年の夏、チューリッヒの夏のフェスティヴァルに集う大観衆を前に若い男女で構成されるアレクサンデル・カルテットの演奏が始まる。最初の曲・ハイドンの弦楽四重奏曲第6番が終わると会場は熱狂的な拍手に包まれる。ところが2番目に演奏されたポールの弦楽四重奏曲第3番はこの日の若い聴衆を憤慨させ、演奏は中止に追い込まれてしまう。あまりにのろすぎ、長すぎ、暗く沈んでうらぶれていたからだった。聴衆の罵倒の声を聞きながら、客席の8列目にいたポールは会場を抜け出す。
ところで、チューリッヒの若い聴衆から拒絶されたポールの弦楽四重奏曲は、このときのポールの状況にぴったりの曲だった。病に冒されて余命幾ばくも無いことを悟ったポールは、妻の了解を得たうえで、たった一人で人生に幕を下ろそうとしていたのだ。このポールの最後を看取ることになったのが、なんと「あの夜、海辺のジャズクラブで」運命的に出会ったシモンとその相手のデビーだった。というわけで読者はこの作品で、シモンとデビーの夫婦として年輪を重ねた姿に再会することになる。

本作にはハイドンとベートーヴェンの弦楽四重奏曲が登場する。そのうち「ベートーヴェンの弦楽四重奏曲第14番、作品番号131」は、1826年に作曲された、作曲家最晩年の傑作のことらしいとわかった。しかしハイドンの「弦楽四重奏曲第6番、作品番号20」というのがよくわからない。ハイドンの弦楽四重奏曲は曲の番号や作品番号が入り乱れているうえ、別人の曲も紛れこんでいるということで、特定するのが難しい。「イ長調で、四つの楽章から構成され、最後の楽章はフーガ」とあるのと、各楽章の速度記号から類推して、たぶん次の曲だろうと思う。
弦楽四重奏曲第36番(or第24番)イ長調、作品20-6(1772年作曲)
CDも持っていないし、webで探しても曲を提供しているサイトが見つからないので、どんな曲なのかわからないのが残念。(2016.10.30読了)
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by nishinayuu | 2016-12-19 10:08 | 読書ノート | Trackback | Comments(0)

『ある夜、クラブで』(クリスチャン・ガイイ、訳=野崎歓、集英社)

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『Un Soir au Club』(Christian Gailly,2001)



物語は次のように始まる。
ピアノはシモン・ナルディスにとって、画家アングルのヴァイオリンのような道楽ではなかった。アングルのヴァイオリンよりはるかに大事なものだった。彼にとってピアノは、アングルにとっての絵画だったのだ。その彼がピアノを弾くのをやめてしまった。アングルだって絵を描くのをやめたかもしれない。もしアングルがそうしたならば、残念なことだっただろう。シモン・ナルディスの場合、それは実際残念なことだった。

なんと滑らかで軽妙な書き出しだろう。物語がどう展開していくのか、大いに期待がかき立てられる。主人公のシモンはかつてジャズピアニストだったが、事情があってピアノから離れ、世間から忘れられ、姿を消し、抹消された。そのあとは業務用の暖房システムを機能させ、コントロールする、という仕事で暮らしてきた。その彼が三連休の前日、海岸沿いの工業地帯に出かけることになった。工場の技師の手には負えない故障を解決するためだった。
修理に手間取り、シモンは予定していた帰りの列車には乗れなくなる。帰りが遅れることを妻のシュザンヌに知らせなくてはならない。連休にはシュザンヌと出かける約束があったからだ。彼女の勤務先に電話し、彼女が席を外していたので伝言を残す。やっと修理を終えたところで、工場の技師がお礼にといってシモンをナイトクラブに誘う。列車の時間を気にかけながらも、シモンは技師の気持ちを汲んで誘いを受けいれる。
海に近いその土地は工業地帯であると同時にヴァカンス向きの場所でもあった。ナイトクラブでは若いアメリカ人のグループがジャズを演奏していた。その演奏に刺激され、シモンは二度と触れるつもりはなかったピアノの鍵盤に手を伸ばし、やがて夢中で演奏してしまう。そこへ一人の女性が現れ、彼のピアノに合わせて歌い出す。こうしてシモンは夜の列車にも乗り損ない、翌日の列車にも乗り損なうことになる。

語り手はシモンの親友の画家。彼は、不安にかき立てられて夫を迎えに行こうとするシュザンヌに「もしそうやって待っているのがどうしてもいやだというなら、迎えに行けよ。様子を見に行ってくればいい、少なくともあいつの顔は見られるだろうから」と言ったことを後悔することになる。(2016.10.23読了)
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by nishinayuu | 2016-12-15 09:57 | 読書ノート | Trackback | Comments(1)

『ホフマン物語』(E.T.A.ホフマン、訳=松居友、立風書房)


c0077412_10295099.jpg『Tales of Hoffmann』(Hoffmann, 1815)
原書はロンドンのGeorge G. Harrap & Co.Ltdから「Books Beautiful」の一冊として1932年に発行されたもの。マリオ・ラボチェッタ(Mario Laboccetta)による幻想的なイラストレーションが展開する美本だという。

本書もイラストレーションがメインで物語は添え物といった感じの「絵本」である。前半は「まえがきにかえて」と題され、1ページもしくは見開きの2ページをイラストレーションが占め、それらの隙間に物語が添えられている。ここに展開する物語には『世襲権』(1817)、『砂男』(コッペリアの原作、1817)、『荒びれた家』(1817)、『運命の糸』などのタイトルが付けられているが、ホフマン作品をそのまま翻訳したものではなく、全体で一つの、ホフマンの文学と生涯を紹介する物語になっている。
後半は『ジルベスターの夜の出来事』というまとまった一つの物で、主人公は鏡に映る自分の姿を悪魔に売ってしまうエラスムスという男。これは作者が友人であるシャミッソーの『ペーター・シュレミールの不思議な物語』(自分の影を悪魔に売った男の話)に刺激を受けて書いたものだという。

『ホフマン物語』は子供の頃に映画(1952年制作)を見たことがある。オッフェンバック作曲のオペラをほぼ忠実に映画化した作品だそうで、美しい音楽と妖しい雰囲気の映像の断片が記憶に残っている。『赤い靴』と同じくモイラ・シェアラーが出演しているが、その辺のことは全く覚えていないので、いつか機会があったらまた見てみたい。(2016.10.21読了)
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by nishinayuu | 2016-12-11 10:30 | 読書ノート | Trackback | Comments(0)

『わたしは灯台守』(エリック・ファーユ、訳=松田浩則、水声社)

c0077412_1017331.jpg『Je suis le gardien du plare 』(Éric Faye, 1997)
表題作は世間から切り離された場所で生きる灯台守を「愚かな世間と戦い、その世間が狡猾にも提示してくる順応主義という名の甘言や誘惑をややもすると受け入れてしまいがちな自分と戦う」人間として描き出している。著者はこの灯台守のような人々を「象牙の塔の間借り人」と名付け、表題作を含めて九つの短編で彼らの「たった一人の反乱」を描いている。
ただし、彼らはあくまでも「間借り人」であって、いつかは自分の意思で(あくまでも世間からの甘言や誘惑に屈することなく)「象牙の塔」を出て行く日が来ることを予期している。表題作の灯台守も、他の作品の主人公たちも、世間からのちょっとした合図、世間と繋がる一筋の糸に神経をとがらせながら、その時を待っている。すなわちそのときが来るまで、彼らのがむしゃらで、ときには滑稽で、なんとも奇想天外な孤独の戦いは続く。
収録作は以下の通り。
『列車が走っている間に』――並行して走り続ける二つの列車。互いに姿は見えるが、双方の乗客たちの人生は決して交わることはない。
『六時十八分の風』――ステップの中にあるタカ=マクラン(!)の町。急行列車は3年前から停車しなくなり、町の名は地図からも消える。その町のあたりを列車が通過するのが六時十八分だと知った男は、その時刻に列車を飛び降りる。
『国境』――高く聳える国境の向こうを眺めようと、頂上を目指して登り始めた男。時が経ち、季節は巡るが、頂上は依然として果てしなく遠い。
『地獄の入り口からの知らせ』――ある日わたしが拾い上げてポケットに入れた黒い表紙の手帳。1週間後に開いてみると、1週間前の日付のところに「今日、わたしは発見してもらった。見知らぬ男の人のポケットの中で一日目を過ごす」とあった…。アドレス欄にはたくさんの名前があったが、覚えのない名前ばかりだった。15年後にその欄を開いてみるとかなりの名前を知っていた。手帳はずっと引き出しの奥にあったのに。
『セイレーンの眠る浜辺』――わたしはサント・モンターニュの浜辺に漂着した女を見ている。修道院の第7バルコニーの333㍍の高みから。警察の巡視艇が来て倒れている女を引き取っていった。おそらくあれは、わたしが見て、近づくことのできたであろう最後の女だった。
『ノスタルジー売り』――ノスタルジー売りは第二日曜に広場や、旧市街の狭い道に店を構える。古本や玩具、古道具が売られている小道を歩いて行くと、木々の下にベンチが見える。時間の向こう側に置かれたベンチには愛し合っている二人の人間がいる。二人のうちの片方はあなただ。
『最後の』――寒さの厳しくなりつつある森の中をただひとりでさまよう彼は、その系統の最後の存在だった。
『越冬館』――パリから遠く離れたヘルシニア山塊の麓にある「越冬館」に引きこもって4日。わたしはひたすらアヌークが現れるのを待っている。サティのグノシエンヌの中のいちばん暗い曲を聞きながら。
『わたしは灯台守』――この灯台の周囲には船舶に注意を促す必要のある暗礁など一つもない。ここに着任して以来、わたしは一艘も船舶を見たことがない。この灯台の目的は、自分の存在を知らせること以外、他にない…。思索のための時間も思索のための言葉も有り余るほどある灯台守の独白が続く。

☆9編のうち一押しは『六時十八分』。全ページの二分の一を占める『わたしは灯台守』は、内容もその分だけ重くて、疲れました。(2016.10.15読了)
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by nishinayuu | 2016-12-07 10:18 | 読書ノート | Trackback | Comments(1)

『奇跡の自転車』(ロン・マクラーティ、訳=森田義信、新潮社)


c0077412_10385020.png『The Memory of Running』(Ron McLarty, 2004)
「両親のフォード・ワゴンが、メイン州ビッドフォード郊外で、US95号線の中央分離帯のコンクリートに激突したのは、1990年8月のことだった」という文で物語は始まる。主人公のスミシー・アイドは43歳。ヴェトナムの戦場で危うく死にかけたがなんとか無事に帰還。今の仕事はゴダード・トーイズ社の製品検査係。アクション・フィギュアの腕がまともな向きに付いているかどうかをチェックするだけで、知識も技術もいらない仕事だ。夜はジャンクフードと酒とたばこに身を浸し、スポーツ中継を見て過ごした。飲み仲間はいたが友達はなく、もちろんガールフレンドなどはいなかった。体重が126キロもあり、髪は薄くなり始めている。要するに全く冴えない中年男――それがスミシーだった。
ロード・アイランドのイースト・プロビデンスにある実家のピアノの上には写真が並んでいて、その中には22歳の姉ベサニーの美しい顔もあった。ベサニーは世にもまれな美しい娘だったが、頭の中にいる誰かに命令されて服を脱いでポーズをとったり、自傷行為に走ったりしてたびたび「病院」のお世話になっていた。また突然姿を隠してしまうこともあって、その度に父は車で、スミシーは自転車で探し回ったものだった。両親もスミシーもそんなベサニーをとても大切に思い、愛していたのに、あるときついにベサニーは完全に行方不明になってしまった。両親の葬儀を終えて遺品を整理していたとき、スミシーは一通の手紙を見つける。それは20年以上も消息を絶っていたベサニーの死亡通知だった。スミシーは完全に独りぼっちになってしまったのだった。
スミシーは自転車に乗って旅に出る。ベサニーの亡骸を保管しているというカリフォルニアに向かって。もっさりした風貌と鈍くさい言動のせいで、路上生活者やごろつきに間違われたりもすれば、手持ちのお金が尽きそうになったりもする。が、葬儀で久しぶりにことばを交わした幼なじみのノーマと連絡を取ることを思いついてからは、スミシーの旅は少しずつ好転しはじめ、心温まる人たちとの出会いも経験する。節約のために始めたバナナを主食とする食生活が功を奏したのか、旅が終わる頃には劇的に体重が減っている、という愉快なおまけまで付く。実はダイエットはあくまでもおまけで、この自転車の旅はもっと大きなものをスミシーの人生にもたらしたのだった。(2016.10.12読了)
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by nishinayuu | 2016-11-29 10:39 | 読書ノート | Trackback | Comments(2)

『今読むペロー「昔話」』(訳・解説=工藤庸子、羽鳥書店)


c0077412_9593629.jpg『Histoires ou Contes du temps passé avec des moralités』(過ぎし昔の物語ならびに教訓)
本書は1697年に出版された昔物語集の翻訳と、訳者による解説からなり、翻訳部分と解説部分にほぼ同じページ数が割かれている。冒頭には出版に先立つ1695年の手書き本に添えられた「マドモワゼルに捧ぐ」と題する献辞が掲げられており、この「マドモワゼル」がルイ14世の姪であるエリザベート=シャルロット・ドルレアン(19歳)であること、献辞の署名がペローの末息子であるピエール・ダルマンクールであることなどの情報が注として与えられたあと、後半の解説の中で、当時の文芸サロンと「昔話」の生成の関係や、「説話文学の作者」についての考察が繰り広げられる。すなわち、「説話文学の作者はフローベールが『ボヴァリー夫人』の「作者」であるというのと同じ意味合いで、創造の責任を引き受けてはいない」のであり、「ペローの昔話は複数の声が微妙に重なって聞こえる音楽のような性格を持ち、庶民の目線が反映されることもあれば、サロンの貴婦人や知識人の才知がひらめき、あるいはモラリストでもある作家の省察が滑り込むこともある。明らかに異なるトーンの声が介入し、ドラマの緊張が不意に途切れたりすることがある」のだという。

本書に収録されているのは次の八つの物語。
眠れる森の美女(La Belle au bois dormant)
赤頭巾(Le Petit Chaperon Rouge)
青ひげ(La Barbe Bleue)
猫の大将または長靴をはいた猫(Le Maître chat ou le chat botté)
仙女たち(Les Fées)
サンドリヨンまたは小さなガラスの靴(Cendrillon ou la Petite Pantoufle de verre)
巻き毛のリケ(Riquet à la houppe)
親指小僧(Le Petit Poucet)

ハッピーエンディングが原則の昔話のうち唯一の例外が『赤頭巾』で、赤頭巾ちゃんがオオカミに食べられたところで終わっている。1812年から1857年にかけて版を重ねたグリム版は、『赤頭巾』を悲劇で終わらせないために『七匹の子山羊』もしくはその類話の後半部をくっつけたようなのだ、と解説者は言う。ペローの『赤頭巾』は、悲劇的な結末が少なくないラ・フォンテーヌの寓話に近い構造を持った物語で、「狼に気をつけろ」という警告がテーマなのだとか。一方『青ひげ』のテーマは創世記のエバの物語や「パンドラの筺」にも見いだせる「女の好奇心」で、こちらは悲劇で終わってもよさそうなのに、二人の兄が登場して青ひげを殺し、青ひげの財産を手にした妻は立派な紳士と再婚して「青ひげと暮らした辛い時期のことを、すっかり忘れたということです」というなんとも現実的、散文的な結末となっている。
解説によれば全体的には、『眠れる森の美女』『赤頭巾』『青ひげ』の三編が不安や恐怖に満ちた異界の扉を開けるという「昔話」の原型を示しているのに対し、『仙女たち』『サンドリヨン』『巻き毛のリケ』は太陽王の時代の紳士淑女が理想とした人間的な価値――美しい話し言葉、優しい気立て、優れた才知――を讃える寓話として読み解くことができ、最期の『親指小僧』には「昔話」の主人公になりきった少年ペローの姿が透けて見えるという。因みにペローは『親指小僧』の主人公と同じく七人兄弟の末っ子だったそうだ。
最期に今回の「初めて知った今知った」を挙げておく。
『眠れる森の美女』の王子様の母君は「人食い鬼のお血筋」/一歩で七里を行く長靴は履いた人を疲労困憊させる/赤頭巾ちゃんの頭巾を「赤」にしたのはペローの独創で、先行する昔話には影も形もない/ガラスの靴はガラス(verre)ではなくリスの毛皮(vair)の誤記だろうという説がバルザックなどによって唱えられたことがあるが、民話にはガラスや水晶の靴が他にもあるところから、現在は研究者の見解は一致している(今までバルザック説を信じていました。)
(2016.9.30読了)
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by nishinayuu | 2016-11-25 10:00 | 読書ノート | Trackback | Comments(0)