カテゴリ:読書ノート( 1104 )

『赤と黒』 (スタンダール著、桑原武夫・生島遼一訳、河出書房)

c0077412_1616415.jpgルビなしの「あの女」を、あのひとと読むべきか、あのおんなと読むべきか、という疑問を投げかけてきた友人に応えるために読み直した。映画でソレルを演じたジェラール・フィリップの顔がちらついてしかたがなかった、と友人は言っていた。確かに。
ところで、同じ作者の『カストロの尼』、『ヴァンナ・ヴァニニ』 の場合、男性はその心理や言動についての説明が行き届き、読者の納得がいくように描かれている一方で、女性は言動が突飛で不可解な生き物のように描かれている。この2作ほど甚だしくはないが、『赤と黒』にもやはりそういう傾向がある。

☆画像はNortonのものです。
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by nishinayuu | 2006-11-26 17:47 | 読書ノート | Trackback | Comments(0)

『村田エフェンディ滞土録』(梨木香歩著、角川書店)

c0077412_20214573.jpgイスタンブールの匂い、色、音が生き生きと伝わってくる物語である。主人公は同じ著者の『家守物語』に名前が出てくる村田エフェンディ。
物語を要約すると――1890年、和歌山沖で土耳古のフリゲート艦・エルトゥール号が遭難するという出来事があった。このとき地元の人々が献身的に救助活動をしたことに感激した土耳古が、日本の学者を招聘することになり、選ばれたのが村田だった。彼は土耳古で英国人のディクソン夫人、独逸人のオットー、希臘人のディミトリス、そして土耳古人のムハンマドゥと親しく交わり、様々な異文化体験に加え、摩訶不思議な体験もする。土耳古で革命が起こり、やがて第一次世界大戦へと世界が大きく動くのは、村田が日本に戻ってから数年後のことである。

☆この作者の『家守綺譚』と同じく、これも「蘊蓄系」(こんな言葉はありませんよね)の作品です。もちろん「エフェンディ」の意味も物語の中でちゃんと説明されています。けれども、イスタンブールがなぜスタンブールとなるのかは説明がありません。インターネットで調べてみましたが、わかりませんでした。どなたか、教えてくださると嬉しいのですが。
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by nishinayuu | 2006-11-24 22:56 | 読書ノート | Trackback | Comments(0)

『ゲド戦記1 影との戦い』(アーシュラ・ル・グウィン著、清水真砂子訳、岩波書店)

c0077412_17505142.jpgかなり前に1976年代四刷発行の「岩波少年少女の本」で読んだが、すっかり内容を忘れてしまったので、このたび再読した。著者が構築した壮大なファンタジーの世界アースシーには、伝説や伝承歌があり、様々な言語、様々な人種が存在する。もちろん詳細な世界地図も存在する(これはこの種の物語には不可欠の要素でもある)。『ゲド戦記』は、この世界の片隅に生を受けたゲドが、高慢な少年から思慮深い「全き人間」へと成長していく過程を描いた物語である。物語の冒頭に、物語の展開を暗示するような次のことばがかかげられている。
ことばは沈黙に/光は闇に/生は死の中にこそあるものなれ・飛翔せるタカの/虚空にこそ輝けるごとくに
格調の高い訳文が物語をより荘重なものにしている。
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by nishinayuu | 2006-11-16 17:35 | 読書ノート | Trackback(1) | Comments(0)

『逃げていく愛』と『ゼルプの裁き』(ベルンハルト・シュリンク著)

c0077412_20232783.jpg『逃げていく愛』 (松永美穂訳、新潮社クレストブックス)

著者の『朗読者』があまりにすばらしかったので、同じ感動は期待する方がむり、と予想したとおりで、まあまあよかったというところ。減点の理由の1つは、この本が短編集だということ。いっそ俳句ぐらい短ければ想像をふくらませる楽しみもあるが、中途半端に短いのはものたりなさだけが残ってよくない。


『ゼルプの裁き』 (岩淵達治・他訳、小学館)

『朗読者』の作者による推理小説。コンピュータがまったくわからない探偵がコンピュータ犯罪を追及するというむちゃな設定が笑える。探偵像が今ひとつはっきりしないのと、ストーリー展開がまどろっこしいのとでかなりの減点。
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by nishinayuu | 2006-11-14 17:08 | 読書ノート | Trackback | Comments(0)

『Indian Summer of a Forsyte』 (John Galsworthy 著、Penguin)

c0077412_16102569.gif大学のゼミで出会って大好きになった作品。卒業後、この作品が1つのエピソードとして含まれている長大な物語Forsyte Sagaも読んだが、 この部分がいちばんよかった。因みに、我が家の次女の名前「愛理」は、ヒロインの名前アイリーンからとったもの。
この作品の翻訳は『人生の小春日和』というタイトルで岩波文庫の『りんごの木/人生の小春日和』 (ゴールズワージー著、河野一郎訳)に収められている。

『りんごの木』は階級社会が生んだ悲劇を、悲劇を引き起こした張本人である男性の側から描いた感傷的な小説で、後味の悪いことこの上なし。

☆画像はDailylitのものです。
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by nishinayuu | 2006-11-09 15:20 | 読書ノート | Trackback | Comments(0)

『原罪 上・下』(P.D.James著、青木久恵訳、早川書房)

原題はOriginal Sin,Faber and Faber (1994)。
アダム・ダルグリッシュものの第9作。ただし、当のダルグリッシュよりダニエル・アーロン警部の人物像の方が鮮明に描かれており、終章において彼が犯人に対して取った行動、その心理が印象的である。舞台はテムズ川の畔にある名門出版社。過去にも死亡事件があったこの社屋で、今回は次々に怪死事件が発生。捜査陣に事情を聞かれる社の主要人物たちは、いずれもアリバイを工作したり嘘をついたり、と疑わしい人物ばかり。つまり、誰もが何らかの罪の意識を抱いているのであり、犯人、被害者、周りの人々のすべてが原罪を抱えている、というのがこの作品のテーマである。
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by nishinayuu | 2006-11-08 15:21 | 読書ノート | Trackback | Comments(0)

『策謀と欲望』(P.D.James著、青木久恵訳、早川書房)

イギリスはノーフォーク北東海岸にある架空の岬が舞台。警視長ダルグリッシュが、亡くなった叔母の遺産を整理するため、岬の風車小屋に滞在することになる。近くには修道院の廃墟、16世紀に火刑に処せられた女性の住まいだった殉教者の家、4人の子を持つ画家が住むコティジ、そして原子力発電所があり、反原発活動家が住むトレーラーハウスもある。この岬に連続殺人鬼の影が忍び寄り、ある日ついに岬の住人の一人が死体となって発見される。今回の捜査を担当するのは、地元ノーフォーク警察のリガース。この人物から見たダルグリッシュ像も興味深い。
原題はDevices and Desires。原題のアリタレーションの代わりに語末の韻を揃えた日本語タイトルも気が利いている。
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by nishinayuu | 2006-11-05 13:42 | 読書ノート | Trackback | Comments(0)

『皮膚の下の頭骸骨』(P.D.James著、小泉喜美子訳、早川書房)

女性探偵コーデリア・グレイのシリーズ。
この作品には不要な登場人物も、本筋と関わりのない事物の描写もなく、おかげで著者の言わんとするところがまっすぐに伝わってくる。それで初めてこの著者の作品を面白いと思い、5冊目にしてやっとP.D.Jamesが理解できたと思った。つまり、Jamesの作品は謎解きミステリーではないのだということが、この作品を読み終えたときにわかったのである。だからこの作者に対して抱いていた、伏線がないとか、謎解きのおもしろさが味わえない、という不満は全く的はずれだったのだ。
最後に山口雅也が書いている後書きを読んだら、私の感じたことが整然と簡潔にまとめてあったので、びっくりするやらうれしいやら。この後書きはめったに出会えないすばらしい解説である。
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by nishinayuu | 2006-11-04 12:56 | 読書ノート | Trackback | Comments(0)

『家守綺譚』(梨木香歩著、新潮社)

c0077412_20251383.jpg「綺譚」(おもしろくこしらえた話)であるが、「奇譚」でもあり、不思議なことがいろいろ起こる。サルスベリに恋慕されたり、タヌキやカワウソに化かされたりするかと思えば、異界の者たちがたびたび現れて、いろいろ働きかけてきたりもする。そんな自然界や異界との交流を、犬のタローや隣のおばさん、お寺の和尚はごく当たり前のこととして受け入れている。主人公もその中に溶け込んでいて、ユーモアのある独特の語り口で自分のことやまわりの現象を語っている。
場所は京都の南禅寺あたり。時は、文中にエルトゥールル号遭難の話が出てくることから1890年代とわかる。
各章はタイトルに掲げられた植物にまつわるお話、あるいはその植物の味を効かせたお話になっている。構成といい、内容といい、実に巧みな「綺譚」である。
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by nishinayuu | 2006-11-01 22:19 | 読書ノート | Trackback | Comments(0)

『フェルメールの音』(梅津時比古著、東京書籍)

c0077412_2026221.jpg副題「音楽の彼方にあるものに」。毎日新聞のコラム「クラシックふぁんたじい」(1993.1~2001.10)をまとめたもの。
絵画や彫刻、文章とは違って、音楽から得る感動は形がなくて捉えにくく、永く自分のものにしておくのは難しい。それらを少しでも留めておこうという意図で記された文章である。読んでいると紙面から実際に音が立ち上ってくるように感じられる章もあり、どんな音なのか聞いてみたくてたまらなくなる章もある。また、作曲家や演奏家たちの姿が過去から、あるいは遠い国から立ち現れてくる章もある。これは、と思う章に付箋を付けながら読んでいたら、付箋だらけになってしまった。優れた鑑賞者による、押しつけがましさの全くない鑑賞の手引きとなっている。
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by nishinayuu | 2006-10-31 14:14 | 読書ノート | Trackback | Comments(0)