カテゴリ:読書ノート( 1105 )

『ゴリオ爺さん』(バルザック、訳=中島英之、青空文庫)

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Le PèreGoriot』(Honoré de Balzac

時は1819年。主要舞台はパリのネーヴ・サント・ジュヌヴィエーヴ通りにあるメゾン・ヴォーケ。この類いの家では家主が下の階に住み、最上階の5階には使用人が住む。その間にある部屋は上階に行くほど家賃が安くなる。物語の主要人物であるゴリオは、入居した58歳のときは裕福だったので家主と同じ2階に住んだが、3年目の末には4階の45フランの部屋に移った。最初に持っていた立派な家具調度は消え、服装も着た切り雀のみすぼらしいものになり、やせてしわくちゃになっていた。家主のヴォーケ夫人はゴリオが裕福だったときは同棲を考えたほどだったが、ゴリオにその気がないとわかってゴリオを下宿のつまはじき者にすることを思い立ち、呼び名を「ゴリオ爺さん」と変えた(以上がこれまでのいきさつ)。それでゴリオは物語の冒頭からゴリオ爺さんとして登場する。

ヴォーケ夫人の下宿人たちをざっと紹介すると

*2階――ヴォーケ夫人(家主。48歳)、クチュール夫人、ヴィクトリーヌ・タイユフェール(美少女だが悲しみをたたえた顔。庶子のため父親から認知されていない)。

*3階――ポワレ老人(元下級国家公務員)、ヴォートラン(恰幅がよく、弁の立つ40がらみの男。実はツーロンから逃走した徒刑囚で仲間から「不死身」と呼ばれている危険な男。不整な金を動かして利益を得る、闇の銀行家)。

*4階――ミショノー嬢(ハイミス)、ゴリオ爺さん(元イタリア麵製造業者で資産家、現在は吝嗇で陰険で小心者。実は大金を投じて貴族に嫁がせた二人の娘たちのために、金銭ばかりか身も心も命までも献げる父親)。

*臨時の下宿人――ウージェーヌ・ド・ラスチニャック(南フランスのシャラント県出身。高等法律大学志望であると同時に、社交界入りを目指す。すなわち「法と道徳は富の前には無力」という言葉を信じて、「博士となり、時代の寵児となる!」と決意して、宮廷に仕えたことのある叔母のつてで社交界の花であるボーセアン子爵夫人に近づく。

物語は「ウージェーヌの社交界デビュー」から「不死身の事件」「ゴリオ爺さんの死」へと波瀾万丈な展開を見せ、最後は次のように終わっている。

「(ゴリオの埋葬を見届けたウージェーヌは)腕組みをしてじっと雲を見つめた。それからヴァンドーム広場の記念柱と廃兵院の丸天井の間にある華麗な社交界に視線を投げかけたあと、つぶやく。さあ今度はおまえと一対一の勝負だ!と。そして社交界へ挑む第一幕として、ニュシンゲン夫人(ゴリオの二番目の娘)宅に向かった。」

ゴリオの父性愛は、愚かしくて無様なものであるが、見方によっては時代の制約の中で最善を尽くした尊くも美しいものだったと言えなくもない。また、ゴリオの娘たちをはじめとする女性たちの言動も、彼女たちの置かれていた状況を考えれば納得できる。この作品は、19世紀前葉のパリの雰囲気が伝わってくるし、あちこちにちりばめられた警句やことわざ、言葉遊びでちょっと一息つけるし、映像を見ているかのように鮮やかな場面展開が楽しめる。モームが「世界の10大小説」の一つにあげただけのことはある作品である。

本作品は201531日訳出の青空文庫版で読みました。(2017.10.21読了)


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by nishinayuu | 2017-12-14 14:54 | 読書ノート | Trackback | Comments(0)

『Princess September』(Somerset Maugham)

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本作は1963年に4巻本として発行された短編集の第4巻に収録されている。(今回読んだのは1980年代発行の版。)


舞台はシャム王国。シャムの王様は二人の娘に「夜」と「昼」という名を付けたが、娘が4人に増えたので最初の二人の名前を変えて、4人を「春」「夏」「秋」「冬」と呼ぶことにした。そのあとまた3人の娘が生まれると、全員を曜日の名で呼ぶことにした。そして8人目が生まれたとき、はたと困った王様は12ヶ月の名で娘たちを呼ぶことにした。王様は極めて規律正しい精神の持ち主なのだった。そのあと生まれたのがこの物語の主人公で、王様の決めた規則に従って「9月」と名付けられたセプテンバー王女だ。

さて物語は、何度も名前を変えられてちょっと性格がねじれてしまった姉たちと違って、かわいくて優しい子に育ったセプテンバー王女が、まどから飛び込んできたナイチンゲールとなかよくなって……という、まあよくある展開になっている。

8ページ余りのごく短い話なので、あっという間に読める。読みどころは、物事がすべて規則的になっているシャムの王室の様子と、決して暴君ではないのになにかというと「首を撥ねる」ことで物事を解決しようとする王様、という「異国情緒」だろうか。(「王様と私」と同じように、シャムが「ちょっとへんてこな」国として描かれているわけです。)

ところで、手許の本は長年放置しておいたため紙面の黄ばみが進んだ古い版で、使われている活字がとても小さい。日本語や韓国語だったら読もうと思っても読み取れそうもない大きさである。それなのに、英語の活字は読み取れる。漢字やハングルに比べると、アルファベットというのは本当によくできた文字である、と改めて思った。(2017.10.5読了)


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by nishinayuu | 2017-12-10 11:42 | 読書ノート | Trackback | Comments(0)

『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』(村上春樹、文藝春秋)


c0077412_14284604.jpgColorlessTsukuru Tazaki and His Years of Pilgrimage

本書はまず、その奇抜なタイトルで人目を引く。ひらがな表記の「つくる」が名前だと気づくのに数秒要するし、気づいたあとも今度は「色彩を持たない」ではたと考えさせられる。印象的なタイトルであることは確かだ。


「色彩を持たない」の意味は読み始めればすぐに解明される。主人公は高校時代に5人からなる親友グループに属していて、主人公以外はみな名前に色名がついていたのだ。男子の赤松、青海(おうみ)と女子の白根(しらね)、黒埜(くろの)の4人は「アカ」「アオ」「シロ」「クロ」が呼び名となり、色名を持たない主人公だけは「つくる」と呼ばれた。大都会郊外の中の上クラスの家庭、両親は団塊世代で父親は専門職か一流企業勤務、母親はおおむね家に入る、学校は受験校なので成績レベルも高い、という共通点を持つ5人は、それぞれが正五角形の1辺であるような緊密な共同体だった。

しかし、それぞれ個性的で目立った特質の持ち主であるほかの4人に比べ、主人公にはこれと示せるような特質は具わっていない(少なくとも彼自身はそう感じていた)。すべてにおいて中庸で,色彩が希薄だった。まさしく「色彩を持たない多崎つくる」だった主人公は、「いつかその親密な共同体からこぼれ落ち、あるいははじき出され、一人あとに取り残されるのではないかというおびえを、常に心の底に持っていた。」そして大学二年生の夏休みに、主人公は4人から絶縁される。何の説明もなく、一方的に。このため読者は、深く傷ついた主人公に寄り添ってこの後の展開を辿ることになる。

音楽通の著者は、本作品では主人公が大学で親しくなった灰田文紹という青年(彼の名前も色つき!)を通して様々な蘊蓄を披瀝している。その最たるものがタイトルにある「巡礼の年」に関する部分だろう。灰田と一緒にレコードであるピアノ曲を聞いていたとき、主人公はそれが「シロ」がよく弾いていた曲だと気づく。何という曲かと尋ねる主人公に灰田が答える。リストの『巡礼の年』という曲集にある第1年、スイスの巻に入っている『ル・マル・デュ・ペイ』(Le Mal du Pays)で「田園風景が人の心に呼び起こす、理由のない哀しみ」という意味だと。演奏しているのはラザール・ベルマン(Lazar Berman)というロシアのピアニストで、繊細な心象風景を描くみたいにリストを弾く、リストの曲は技巧的で表層的なものだとみられているが装飾の奥に独特の深みが巧妙に隠されている、リストを正しく弾けるピアニストは新しいところではベルマン、古いところではクラウディオ・アラウくらいかな…と説明が続く。(おそれいりました。)

この著者との出会いは『ノルウェーの森』で,その印象が余りに悪かったのでそれ以来ずっと避けてきた。それが、ジョージ・オーウェルとどう関連があるのかという興味で読んだ『1Q84』が思いの外面白かったので、毛嫌いするのは止めにして,今回本作を読んでみた。『ノルウェーの森』アレルギーの人にぜひお勧めしたい作品である。(2017.10.3読了)


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by nishinayuu | 2017-12-06 14:32 | 読書ノート | Trackback | Comments(2)

『사진관집 이층』(신경림, 창비)


c0077412_11053132.jpg『写真館の二階』(申庚林、創批、2014

著者のシンギョンニムは現代韓国を代表する詩人の一人。1936年、忠清北道忠州出身で、民衆の暮らしを見つめた作品で知られる。代表的な作品に『農舞』(1977)、『南漢江』(1987)などがあり、『酔うために飲むのではないからマッコリはゆっくり味わう』という谷川俊太郎との対詩集も出ている。

『私の文化遺産踏査記』の『南漢江編』にも引用されている「再び欅が」という詩を原文で紹介しておく。詩人には生家にある欅を詠んだ「遅い欅」という作品があるが、「再び欅が」は80歳のときにこの欅を見て新しい感懐を抱いて「再び」詠んだのだという。

다시 느티나무가

고향집 느티나무가/터무니없이 작아 보이기 시작한 때가 있다./ 때까지는 보이거나 들리던 것들이/문득 보이지도 들리지도 않는다는 것을 알면서/나는 잠시 의아해하기는 했으나/내가 커서거니 여기면서,/이게 세상 사는 이치라고 생각했다.

오랜 세월이 지나 고향엘 갔더니,/고향집 느티나무가 옛날처럼 커져 있다./내가 늙고 병들었구나 이내 깨달았지만,/내눈이 이미 어두워지고 귀가 멀어진 것을,/나는 서러워하지 않았다.

다시 느티나무가 커진 눈에/세상이 너무 아름다웠다./눈이 어두워지고 귀가 멀어져/오히려 세상의 모든 것이 아름다웠다.

2017.10.1読了)


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by nishinayuu | 2017-12-02 11:08 | 読書ノート | Trackback | Comments(1)

『나의 문화유산답사기 12』(유홍준)


c0077412_09390572.jpg『私の文化遺産踏査記 12』(兪弘濬)


本書はシリーズの12巻目で、日本編4巻を別にして韓半島に限定すれば8巻目の踏査記となる。全体は3部構成になっており、次の各地の踏査記録が綴られている。


第1部 寧越酒泉江と淸泠浦

酒泉江の邀僊亭、法興寺から金サッカの墓まで、淸泠浦と端宗の荘陵


2部 忠州湖畔:堤川・丹陽・忠州

淸風 寒碧楼、丹陽8景、旧丹陽から新丹陽へ、永春温達山城と竹嶺古道、堤川義林池 から忠州牧渓渡しまで、中原高句麗碑から弾琴臺へ


3部 南漢江の川辺の廃寺址

原州居頓寺址・法泉寺址と忠州青龍寺址、原州興法寺址と驪州高達寺址、驪州神勒寺


巻頭言「南漢江に沿って臥遊するために」によると、今回の踏査コースは45日あれば充分に巡ることができるが、23日を1回と日帰り1回に分けて行くのがお勧めだとか。本巻には申庚林や鄭浩承など南漢江に縁の深い詩人の作品もたくさん紹介されているが、それらは著者が意識して選んだというよりは詩自体が踏査記に入れるよう働きかけてきたものだという。そして巻頭言の最後は次のように結ばれている。


何はともあれまた1巻の踏査記を著してみると、大きな宿題をやりおおせた晴れ晴れした気持ちと共に、次の踏査記への重圧が始まる。この踏査記シリーズがいったい何巻になり、どこまで行くのかは私も考えないことにした。ただ、次の踏査記は「ソウル編」であると伝えておいて、すでにもう踏査場所を一つずつ巡っている。次回また会うことをお約束し、どうぞこの本と共に幸せな旅となりますようにと願っている。

東洋画において山水画は、5世紀の南北朝時代の画家・宗炳が歳をとってもはや山に登るのが辛くなるや、山水画を描いておいて寝ながら見て楽しんだところから生まれたという。これを寝て楽しむということから臥遊という。私の踏査記が必ずしも現場に行ってみなくてもソファにゆったりもたれて読書するもう一つの臥遊となることを願っている。


2017.9.30読了)



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by nishinayuu | 2017-11-24 09:50 | 読書ノート | Trackback | Comments(1)

『あの夏の終わり』(リサ・グリュンワルド、訳=古賀林幸、草思社)


c0077412_09381878.jpgSummer』(Lisa Grunwald,1985

副題にA storyabout loving …and letting goとある。すなわち本書は強い愛情で結ばれた家族の物語であり、その中の一人があの世へ旅立つのを残される者たちがそれぞれのやり方で受け入れていく物語である。舞台はマサチューセッツ州の半島ケープ・コッドの沖合にあるサンダース島。ケープ・コッドと付近の島々はニューイングランドの中流階級が好んで夏を過ごすリゾート地である。

63日、父親の操縦する自家用飛行機で島へ向かうところから物語は始まる。語り手のジェニファーは18歳。シカゴからボストンへと飛行機、タクシーを乗り継ぎ、父親が自家用機を置いている郊外の飛行場に着いて、遠くからこちらを見ている両親の姿が見えたとき、ジェニファーは心の中でつぶやく。「もうすぐ死ぬんだ」。しかし、背骨の腫瘍で余命いくばくもないはずの母親のルルは、まだいつも通り前向きで、楽天的だった。父親は日常の細々したことはすべて妻に頼っている芸術家気質の彫刻家で、病気の説明を一通りしたあと、話は唐突に(とジェニファーは感じた)「ネプチューンの馬」に飛んでしまう。強い愛情で結ばれている二人が、永遠の別れを前にしてすこしも動揺を見せないことがジェニファーには理解できない。そこでジェニファーは、父親は現実を受けとめるのを拒絶しているのであって、実際に妻から取り残されたら生きていけないだろうから、なんとかして二人を同時にあの世へ送ろう、と思い立つ。

7月から8月へと時が移るにつれてルルの病状はみるみる悪化する。その間ジェニファーの企ては遅々として進まず、ただその企てのおかげで知り合ったベンジャミンへの恋心は募っていく。初めての恋に戸惑うジェニファーに、年齢相応に経験を積んでいる姉のヒラリーは具体的な助言を与える。そして母親のルルはある日、それはルルが死を迎えつつある日だったが、「ジェニファーが愛するに値する人間だ」という確かな自信を与えてくれたのだった。それが、ルルがジェニファーに与えてくれた最後の贈り物だった。そんな中で父親は「回転木馬」の制作に熱中していた。ジェニファーはその「回転木馬」を母親ルルへの最後のプレゼントだと思っていたが……。

メモ:回転木馬の見物人に見える側を「ロマンス・サイド」と呼び、いちばんてっぺんに取り付けられる木馬を「フライング・ジェニー」と呼ぶ。

2017.9.28読了)


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by nishinayuu | 2017-11-20 09:40 | 読書ノート | Trackback | Comments(1)

『ギリシア人男性、ギリシア人女性を求む』(フリードリヒ・デュレンマット、白水Uブックス)


c0077412_09535985.jpgGriechesucht Griechin』(Friedrich Dürrenmatt1955

主人公の名前はアルノルフ・アルヒロコス。彼の生きている世界は堅牢で、時間どおりで、道徳的で、上下関係がはっきりしていた。彼の世界秩序のいちばん上、この道徳的世界構造の頂点には大統領が君臨していた。その彼がシェ・オーギュストに初めて現れたのは9ヶ月前の5月のことだった。そのとき彼は「最後から二番目のキリスト者の旧新長老会派」の司教の肖像を小脇に抱えていて、カウンターの上に書けてある大統領の肖像の隣に掛けて欲しい、と言った。3週間後、アルヒロコスはプティ・ペイザン機械工場社長のサイン入り肖像を持ってきて、カウンターの上の3番目の位置に掛けて欲しい、言った。シェ・オーギュストのカウンターの向こうに立っているジョルジェット(オーギュスト・ビーラーの妻)はこれには反対した。プティ・ペイザンはマシンガンを製造しているからと。アルヒロコスが次に持ってきた画家パサップの複製画もジョルジェットに拒否されると、アルヒロコスは気を悪くして、三日間姿を現さなかった。それからまた彼は店にやってくるようになり、マダム・ビーラーはそうこうするうちにムッシュ・アルノルフのあれこれを知るようになった。

すなわち、肉付きがよくて大柄だが青白い顔で内気な、小さな縁なし眼鏡を掛けたアルノルフ・アルヒロコスは、45歳の独り者で、シェ・オーギュストではミルクとミネラルウォーターしか飲まず、ベジタリアンで、女を知らない。プティ・ペイザン機械工場の経理係としてそれなりの収入はあったが、彼の世界秩序の8番目に位置する弟ビビ・アルヒロコス一家のせいで、トイレに囲まれた暗い穴蔵のような屋根裏部屋に住んでいる。そんな状況から彼を救い出すには結婚させるしかないと考えたマダム・ビーラーは、『ル・ソワール』紙に結婚広告を出すようアルヒロコスを説得する。そして彼が文面を考えた広告「ギリシア人男性、ギリシア人女性を求む!」が紙面に掲載されると、翌々日には返事が来た。差出人はクロエ・サロキニ。かくして1月のとある日曜日にシェ・オーギュストで待ち合わせることになり、目印の赤いバラを身に付けて落ち着かない気分で待っていたアルヒロコスの前に現れたのは、とんでもなく魅力的で、あり得ないほど美しくて気品に満ちた女性だった!

アルヒロコスの前に目の眩むような世界が開けていき、やがてどんでん返しに次ぐどんでん返しが展開していく。そしてなんとこの小説には二種類の結末――デュレンマットが本来書きたかった結末「終わり」と娯楽小説として読み進めてきた読者向けの結末「終わり」(作品の中では「貸本屋のための結末」となっている)が用意されているのだ(?!)。これについては「訳者あとがき」に専門的な解説が記されていて、たいへんお勉強になりました。(2017.9.25読了)
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by nishinayuu | 2017-11-16 09:56 | 読書ノート | Trackback | Comments(1)

『보건교사 안은영』(정세랑,민음사)

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『保健教師アン・ウニョン、チョン・セラン2015

本書は「現代の若い作家09」シリーズの一つで、10の章からなる長編小説である。舞台は私立のM高校。各章の主要登場人物と「事件」は以下の通り。とにかく変な事件が起こる学校なのである。


①「愛してるよ、ジェリー・フィッシュ」――男子学生チョ・スンゴンの女子学生ジェリー・フィッシュ(クラゲちゃん)への切ない恋。

②土曜日のデイトメート――物語の主人公二人(アン・ウニョンとホン・インピョ)が登場。保健教師アン・ウニョンは数年前に滑り台から落ちて死んだジョンヒョンと今も交流している。ホン・インピョは漢文教師でM高創設者の孫。

③ロッキーと混乱――パク・ミヌ(混乱)とク・ジヒョン(ロッキー)の二人組が引き起こす騒動。

④ネイティヴ教師のマッケンジー――カリフォルニア育ちの韓国人マッケンジーはウニョンにはどこか気に触る人物だったが、実は悪質な特殊能力者だった。彼に片思いをしたユジョンの運命やいかに。

⑤アヒル先生――ある日学校の池に家鴨の子が現れて、生物教師ハン・アルムの奮戦の日々が始まる。

⑥レイディバグ・レイディ――タレント活動をしている生徒レディ(レイディではない)の家に鬼神が出るというので、ウニョンが23日の出張調査に出かける。因みにレイディバグ(テントウムシ)・レイディはビジュアルパンクバンド第1世代の父親が出したアルバムのタイトル。

⑦街灯の下のキム・ガンソン――ウニョンの前に現れた中学時代の同級生ガンソンには影がなかった。死後1週間だった。しばらくウニョンと過ごしたあと、やっと消えることができそうだ、と言ってガンソンが消えたとき、ウニョンは久しぶりに泣いた。(この章がいちばん気に入りました。)

⑧転校生オム――ペク・ヘミンは古典的な丸顔美人。実は河北慰禮城(5世紀)時代の生まれで、これまで50回近く生まれ変わっている。世のため人のためにオム(疥癬ダニ)を食べ続け、寿命はいつも20年ほど。もっと生きたいというヘミンにウニョンとインピョが手をさしのべる。

⑨穏健な教師パク・デフン――歴史教科書の選択で校長と対立し、教室に生徒ではなく死人たちが坐っているという悪夢を見るようになった。ウニョンとインピョのアドヴァイスによって悪夢からもそりの合わない校長からも解放されたデフンは、「穏健な教師」を脱していく。

⑩突風の中で二人は抱き合っていたよね――母親にせっつかれてお見合いしたインピョは相手のシン・ジヨンが気に入ってしまう。花模様が大好きなウニョンとは全く違うタイプの女性だった。それから昇龍現象などのアニメ風な展開を経て、結局インピョはある日、花模様のカーテンが揺れる部屋で花模様の布団にくるまっている自分を見いだすことになるのだった。

韓国語に関するメモ――「時間をつぶす」に当たる表現

*3학년 무리가 우유갑을 차며 시간을 죽이고 있었다.

*유령이 시간을 보내기에 보건실 만큼 좋은 데도 없어서……

2017.9.11読了)


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by nishinayuu | 2017-11-12 09:06 | 読書ノート | Trackback | Comments(0)

『The Oversight』(H.H.Munro, Doubleday & Company.Inc.)

c0077412_13331815.jpgThe Complete Worksof Sakiに収録されている1編でタイトルの意味は「見落とし」あるいは「手抜かり」といったところ。1923年の作品。



ホームパーティーに招く客の人選を任されたレディ・プラウシュ。名前を書いたメモ用紙をあれこれ組み合わせながらレナ・ラドゥルフォードに言う。「まるで中国のパズルだわ。」(あるポーランド人がフィンランド語を「ヨーロッパの中国語」と言っていたのを思い出しました。「ちんぷんかんぷん」ということですね。)夫のサー・リチャードからは、執筆に集中したいのでとにかく和やかなパーティーにして欲しい、と言われている。過去のパーティーではいろいろなトラブルがあった。前の年は女性参政権運動の問題で、さらにその前年はクローヴィス・サングレイルがクリスチャン・サイエンスの祭司的立場の女性にいたずらを仕掛けたせいで、パーティーは大荒れになり、サー・リチャードの書いたものは批評家たちに酷評される羽目になった。

そんな過去の悪夢を繰り返さないようにとレディ・プラウシュが悩んでいるのは、アトキンスンとマーカス・ポパムのふたりだ。彼らはどちらも穏健なリベラルで福音派であり、女性参政権にはどちらかというと反対で、ファルコナー・レポートとダービーのクラガヌールに関する判定は支持している。そこまでは問題なしなのだが、唯一わからないのが彼らの「動物の生体解剖」に対する考えだ。それを聞いたレナ・ラドゥルフォードが、簡単に「賛成・反対」で答えられるアンケートを葉書で送ったらどうか、と提案する。さっそく葉書が送られ、返信が届いて、二人とも「生体解剖」には反対だということがわかり、レディ・プラウシュは用意してあった招待状を二人に送った。ところがアトキンスンとポパムがハイエナよりも凄まじい格闘をはじめて、パーティーはぶちこわしになってしまった。人物調査に大きな見落としがあったせいだった。

本作もサキ独特の雰囲気が楽しく読める作品である。当時の社会の出来事や人々の関心事が盛り込まれていて、とてもお勉強になる作品でもある。作中に取り上げられている主な出来事・事件を記しておく。

*婦人参政権運動――大きな社会運動となってアメリカにも波及した。

*トルキスタンの土地保有権問題

*ファルコナー・レポート――1911年。予算決定における下院優先の原則を打ち立て、累進課税に対する上院の抵抗を排除。

*クラガノール――1913年のエプソムダービーで先頭でゴールしたが、進路妨害で失格となった。このレースでは婦人参政権論者がレース中の馬群に突進して転倒し、4日後に死亡するという事故もあった。

*バルカン戦争――イギリス世論もギリシャ派とブルガリア派に分かれた。

2017.9.1読了)


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by nishinayuu | 2017-11-04 13:35 | 読書ノート | Trackback | Comments(1)

『銘々のテーブル』(テレンス・ラティガン、訳=能美武功、青空文庫)

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Separatetables』(Sir Terence Mervyn Rattigan, 1954


本作は2幕の戯曲で、第1幕は12月、第2幕はその1年半後となっている。舞台はボーンマス近くのボーリガードホテル。登場人物は以下の通り(ほぼ登場順)。


メイベル――中年のウエイトレス。無口で陰気。

モード・レイルトンベル――滞在客で65歳。銀狐のストールが特徴。

グラディス・マシスン――役人の未亡人で年金生活者。ネズミのような顔。モードの金魚の糞。

ミーチャム――65歳の女性。いつも競馬情報誌「今日のレース」を読みふけっている。

ドリーン――若いウエイトレス。おしゃべり。

ファウラー――パブリックスクールの元校長。70歳。

アン・シャンクランド――スーツケース4個と帽子箱を持ち、地味なホテルには場違いなメイフェアーの服で現れた40歳くらいの女性。

パット・クーパー――ホテルの支配人。風貌も動作も男っぽい女性。ミーチャムに「あなたは自分で足りてるっていうタイプなの」と言われる。

ジョン・マルコム・ラムズデン――40代前半の新聞記者。パット・クーパーと親密な関係にある。実はアンと3年の間結婚していたことがあり、このホテルで8年ぶりに再会。

チャールズ・ストラットン――短期滞在の若者。外科医を目指している。

ジーン・タナー――短期滞在の若い娘。キャリアウーマンを目指している。

ホテルの客たちは大部分が長期滞在客で、いつも決まった連れと決まったテーブルに坐り、つかず離れずの交流をしている。そんな客たちにとってアン・シャンクランドの登場はかなり衝撃的だった。彼女とジョン・マルコム・ラムズデンは最初のうちぎくしゃくしていたが、次第に距離を縮めていき、ついには同じテーブルに坐ることになって第1幕の幕が下りる。

2幕では登場人物が少し入れ替わる。第1幕で短期滞在者として登場した二人が、なんと夫婦として、赤ん坊連れで現れる。赤ん坊はヴィンセント・マイケル・チャールズと名付けられて。また、二人組だったモードとグラディスが三人組になっている。モードの娘で33歳のシビルが加わったのだ。この娘は服装もみすぼらしく、おどおどしていて、母親の言いなりになっている。つまりモードは子分を二人持つことになったわけだ。さらに、ポロックという(自称)退役少佐も新たに登場する。彼が夕食の時にみんなに挨拶したとき、支配人のクーパーが「ポロックさん」とも「ポロック少佐」とも聞こえるように発音した、とある。sirmajorでは音が違いすぎるし、音が近いsergeantは曹長だし……原文が知りたいものである。

本作は1954年に舞台で初演され、1958年には『旅路』というタイトルで映画化されている。映画のキャストはデボラ・カー(シビル)、リタ・ヘイワース(アン・シャンクランド)、デヴィッド・ニーヴン(ポロック少佐)、バート・ランカスター(ジョン・マルコム)など。バート・ランカスターとデヴィド・ニーヴンはぴったりという感じがする。(2017.9.1読了)


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by nishinayuu | 2017-10-31 10:03 | 読書ノート | Trackback | Comments(1)