「ほっ」と。キャンペーン

カテゴリ:読書ノート( 1046 )

『The Occasional Garden』(H.H.Munro)

c0077412_1721939.jpg
[The Complete Works of SAKI ]Part1 ‘The Toys of Peace’の1編。
タイトルは「臨時のガーデン」というような意味。



エリノア・ラプスリーが「とにかく一時間ほどは黙って私の話を聞いて」と言って話し始める。その内容は――エリノアの庭は大型の草食動物を飼えるほどの広さはないので、何か植えないと格好がつかないのだが、近所の猫たちの会議場になっているので何を植えてもだめになってしまう。しかも集会に集まるのはどうやら菜食主義の猫たちで雀には見向きもしないものだから、雀も植物を荒らし回る。そういうわけでエリノアの庭はなにも育たなくて酷い状態になっているのだが、幸い庭が客間からは見えない位置にあるので他人の目には触れないですむ。ところが、次の水曜に気の置けない知人を昼食に招いたところ、それを耳にしたグエンダ・ポディントンがぜひいっしょにお邪魔したい、といってきた。グエンダは自分の庭が自慢の女性で、エリノアの庭を見てほくそ笑み、自分の庭がいかに世間の羨望の的になっているかをしゃべりたくてやってくるのだ。
ここまで黙ってエリノアの話を聞いていた男爵夫人(女男爵かも)がエリノアにO.O.S.A.(Occasional-oasis Supply Association)の会員になることを勧める。O.O.S.Aはランチやパーティーの間だけそれに相応しい庭を設えるというサーヴィス提供会社で、たとえば1:30のパーティーなら10:00に電話すればすぐに素晴らしい庭を作り上げ、パーティーが終わったら片付けてくれるという。そこでエリノアはすぐに会員契約をして水曜のランチに備える。当日、最高級の庭造りを依頼したおかげでグエンダをやり込めることに成功し、エリノアは大満足したのだったが……。

有閑階級の軽妙で洒落た会話と、サキにつきものの冷笑的なオチが楽しめる短編作品である。また
動植物の名前がたくさん出てくるので勉強にもなる。(Japanese sand-badgersがムジナの類だということはわかりますが、正確な和名は?)(2016.12.29読了)
[PR]
by nishinayuu | 2017-03-01 17:21 | 読書ノート | Trackback | Comments(0)

『ボーヴォワールとサルトルに狂わされた娘時代』(ビアンカ・ランブラン)


c0077412_10301954.jpg『MÉMOIRES D’UNE JEUNE FILLE DÉRANGÉE』(Bianca Lamblin,1993)
訳=阪田由美子、出版社=草思社
☆画像はサルトルとボーヴォワールゆかりのカフェ・ドウ・マゴ

著者は1921年にポーランドでユダヤ人医師の長女として生まれている。翌年一家は反ユダヤ主義が高まるポーランドを離れてパリで暮らし始めたため、著者は自分をポーランド人ではなくフランス人だと思っているという。1937年、女子高等中学校に在学していたとき、シモーヌ・ド・ボーヴォワールが哲学教師として赴任してくる。著者はボーヴォワールの美貌と鋭く光り輝くような知性と大胆な発想に魅了され、ボーヴォワールもまた利発でかわいい著者に眼をとめて、二人は急速に接近する。翌1938年、ソルボンヌに入学した著者にボーヴォワールは自分のパートナーであるサルトルを紹介する。こうして三人の「トリオ」の関係が始まる。著者17歳、ボーヴォワール30歳、サルトルが34歳の時だった。
著者は三人の関係を対等なものと思っていたが、独自の契約と他人には計り知れない特殊な愛情で固く結ばれていた相手の二人は、次第に著者を疎ましく思うようになる。これを著者は二人の、特に敬愛して心を許していたボーヴォワールの裏切りと感じて苦しむ。その間にもナチスの脅威が迫って、ユダヤ人である著者は大きな苦難を経験することになるが、ボーヴォワールとサルトルにとっては戦争によって二人の繋がりが脅かされそうなことのほうが重大な関心事だった。これに関して後に著者は、二人のユダヤ人に対する無理解と染みついた偏見に気づかされることになる。

すなわち本書は、哲学者としても作家としても世界が認める二人の巨人に「愛された」と思っていたのに、「利用されたうえに手ひどく裏切られた」と感じた一人の女性による「文学的暴露本」である。特にサルトルはずたずたにされていてなんとも哀れであるが、ボーヴォワールに関しては敬愛の情の名残がそうさせたのか、恨みながらも徹底的に打ちのめすところまではいっていない。「暴露」の部分だけであれば後味の悪い書物になったと思われるが、著者がレジスタンス史上名高いヴェルコールの「マキ」に参加して戦った当時のエピソードにかなりの紙幅が割かれているため、「文学的」読み物としても読めるのが救いである。
なお本書の原題は、ボーヴォワールの『MÉMOIRES D’UNE JEUNE FILLE RANGÉE』(あるまじめな少女の物語---邦訳書名『娘時代』)をもじったもの。(2016.12.29読了)
[PR]
by nishinayuu | 2017-02-25 10:32 | 読書ノート | Trackback | Comments(1)

『The Lady in the Van』(Alan Bennett)


c0077412_15474535.jpg『ヴァンのレディ』(アラン・ベネット、2015)
著者は1934年生まれのイギリスの劇作家、小説家、シナリオライター。エリザベス女王が移動図書館の熱心な利用者になるという楽しい小説『The Uncommon Reader』(『やんごとなき読者』というタイトルの邦訳あり)で知られる。


本書は著者自身が語り手となって展開するドキュメンタリー作品で、エキセントリックなホームレス女性との関わりが事細かく記されている。著者は女子修道院の前で初めてこの女性を見かけたが、そのとき彼女は60歳くらいだった。次に見かけたのはパンダ・カー(パトカー)が著者の車を追い越して彼女のヴァンに近づいていったときで、著者がヴァンを追い越すと彼女はヴァンの外に出て著者に向かって怒鳴った。道行く人は著者が彼女に何か悪いことをしたと思ったに違いない。そして1年ほどあとの60年代末頃に、彼女のヴァンが著者の住むグロスター・クレセント(ロンドン北部のカムデン地区)に現れる。ただしこのとき著者はまだ、その後この女性と同じ敷地内で毎日顔を合わせる関係が15年も続くことになろうとは思ってもみなかった。
本書で仮にミス・シェパードと呼ばれているこの女性は、大柄で偉そうな雰囲気の女性だった。はじめのうち少し離れたところに路上駐車していたヴァンはいつの間にか著者の家の外に置かれるようになる。すると誰かがヴァンを叩いたり、揺らしたり、明かりで照らしたり、といったいたずらをする度に著者が出ていって注意して追い払ったりすることになった。そのうちついにヴァンの窓が割られて彼女が顔にけがをするという事件が起きたため、著者はついにヴァンを自分の敷地内に駐車させることした。すると彼女は渋々と云った感じで著者の提案を受け入れる。その後著者は彼女に安全な場所を提供し続けたが、自分ではチャリティという意識はなかったし、むしろ、そんなはめになったことに腹を立てていたという。著者は言う。「ただ私は静かに暮らしたかったし、彼女もたぶんそうだったのだ」。
しかし、静かに暮らすということからはほど遠い15年だった。家の前の路上には彼女がヴァンを黄色に塗り替えたときのペンキのしみがくっきりと残っているし、ヴァンのボンネットが玄関の石段にぴったりくっついているので出入りしにくいことこの上ないし、ヴァンの後ろ扉が開いていればヴァンの中のごたごたしたものを見るはめになるし、横をすり抜けて玄関にたどり着くまでに彼女からじろじろと検分される。さらに彼女はときどき突飛なこと――様々なパフォーマンスの構想、選挙への立候補などなど――を思いついて著者を煩わせる。身体は頑丈で態度は横柄、言動は常軌を逸していて、とにかく不潔。こんな恐るべき人物と15年もつきあった著者の忍耐力は驚異的というしかない。が、こうして一冊の本が仕上がり、しかもそれが映画化されたり舞台で上演されたり、なると著者の長年の忍耐は充分報われたと考えることもできる。
さて、その映画は『ミス・シェパードをお手本に』というタイトルで2016年12月に公開されている。監督はニコラス・ハイトナー、主演男優はアレックス・ジェニングス、主演女優はマギー・スミス(ハリーポッターのマクゴナガル先生、ダウントン・アビーのバイオレット)である。なお、舞台作品のタイトルは『ポンコツ車のレディ』だそうだ。(2016.12.14読了)
[PR]
by nishinayuu | 2017-02-17 15:48 | 読書ノート | Trackback | Comments(0)

『내가 본 가장 아름다운 결혼식』(박완서)


c0077412_9572755.jpg『私が見たいちばんすてきな結婚式』(朴婉緒)
韓国語講座テキスト。短編集『黄色い家』に収録されている作品で、女学校の同窓生の息子が挙げた結婚式の様子を描いたエッセイである。その結婚式は新郎自身が企画・演出したもので、著者をして「私が見たいちばんすてきな結婚式」と言わせている。

はじめに著者は、同窓生の間で「息子を上手に育てた」と評判になった人がいる、と話を始める。彼女には息子が二人いるのだが、二人とも中学から大学までとんとん拍子に「名門」に進学し、大学を出たあとは兵役も無事に務め、長男はアメリカへ、次男はヨーロッパへと留学した、という話が続き、著者はしきりにこの同窓生を羨ましがる。
そのあとの展開は――長男がまずドクターの学位を取り、アメリカの優秀な大学でポスドクをしていたが、韓国の優秀な大学に就職できることになって帰国した、という噂を聞く。それから1年もしないうちに結婚式の招待状が舞い込む。その前に結婚相手が名門のお嬢さんだという噂が入っていたので、結婚式もさぞ豪勢なところで挙げるのだろうと思っていたら、会場は郊外の個人住宅で、送迎バスを手配するのでそれでおいで下さい、ということだった。
そして結婚式の当日は――会場は新郎の親戚が所有する古家の広い庭で、特に豪華ということもなかったが、そこの景観が好きだという新郎の意を汲んで、新婦がそこを会場にすることを提案したという。近くに住むまたべつの親戚が「おいしいと評判の店」をやっていて、料理は任せろと言ってくれたという。そうしたみんなの目立たない心遣いのおかげで、結婚の宴は慎ましくも楽しいものとなった。
そしていよいよ宴の山場は――主禮(結婚式を司る人)は、地味な宴を少しは華やかにするために著名人に頼んであるだろうという予想に反して、長男の小学校時代の担任の先生だった。主禮の経験があまりなさそうなその先生は、通常の式次第は無視して、新郎の子ども時代の腕白ぶりを楽しそうに話して会場を沸かせた。もちろん新郎が正義感のある素晴らしい子どもだったことを示す逸話もあれこれ披露した。そのあと新郎が先生をおんぶして会場を一回りしたとき、この美しい結婚の宴は最高潮に達したのだった。

以上、内容を要約してみたが、これが「いちばんすてきな結婚式」だろうか。作為的で気恥ずかしくて、いたたまれない、と思ってしまうのは私だけだろうか。特に、みんなが自分に好印象を持つような話をしてくれることが確実な小学校時代の先生を主禮として招いた新郎を、著者は「思慮深い/物事を深く考えて行動する」と好意的に見ている点がひっかかる。先生を背負って会場を一巡りしたこととあわせて、この新郎は自分を売り込むことしか頭にない、慎み深さとは無縁のお調子者のように思えてしかたがない。(もしかしたら本日はちょっとひねくれた意地悪な気分になっているかも知れません。朴婉緒さん、ごめんなさい。)(2016.12.12読了)
[PR]
by nishinayuu | 2017-02-13 09:57 | 読書ノート | Trackback | Comments(1)

『冬の夜ひとりの旅人が』(イタロ・カルヴィーノ、訳=脇功、白水Uブックス)

c0077412_9433656.jpg『Se una notte d’inverno un viaggiatore』(Italo Calvino, 1979)(画像はちくま文庫)
第1章は――あなたはイタロ・カルヴィーノの新しい小説『冬の夜ひとりの旅人が』を読み始めようとしている――という文で始まる。ここでは「あなた」は単に読者への呼びかけのように見えるが、やがて「あなた」がこの章の、そして全編を通じての主人公であることがわかってくる。多和田葉子の『容疑者の夜行列車』の主人公も「あなた」で、その読者の意表をつく呼称が衝撃的で新鮮だったが、本書の「あなた」にはあまり衝撃も受けずにすんなり入っていける。
より衝撃的で新鮮なのは中身の方で、『冬の夜ひとりの旅人が』は30ページほど読み進んだところで同じ話がまた繰り返されることに「あなた」は気づく。何のことはない、製本ミスの出来損ないの本だったのだ。そこで「あなた」が本屋に事情を説明しに行くと本屋は、カルヴィーノの本に別の作家の『マルボルクの村の外へ』が紛れ込んでしまったもので申し訳なかった、と言いながら出版社から届いた完全な本を取り出してくる。しかし「あなた」が読みたいのは『マルボルクの村の外へ』の続きなので、書棚にあった『マルボルクの村の外へ』をもらってくる。
ところがその本を読み始めた「あなた」は、それもまた製本ミスの出来損ないで、しかも内容も読みたかったものの続きではないことに気づく。それは『切り立つ崖から身を乗り出して』という作品で、それもまた途中までしか読めずに今度は『風も目眩も怖れずに』という作品を「あなた」は読むことになる。こんな具合に「あなた」は、最後まで読むことができない作品を、次から次へと読んでいくことになり、読者も「あなた」といっしょに10冊の本を追いかけていくことになる。しかもその間に「あなた」と女性読者(第7章でもう一人の「あなた」として登場する)との交流やら、どの話も中断されることになったいきさつやら、イタロ・カルヴィーノの分身のような作家の存在やらが盛り込まれている。なんとも巧みで洒落た作品である。
「あなた」がであった作品は以下の通り
1『冬の夜一人の旅人が』(イタロ・カルヴィーノ)/2『マルボルクの村の外へ』(タッツィオ・バザクバル、ポーランドの作家)/3『切り立つ崖から身を乗り出して』(ウッコ・アフティ、チンメリアの作家)/4『風も目眩も怖れずに』(ヴォルツ・ヴィリャンディ、チンブロの作家)/5.『影の立ちこめた下を覗けば』(ベルトラン・ヴァンデルヴェルデ、フランス語)/6.『絡みあう線の網目に』(サイラス・フラナリー、アイルランドの推理小説家)/7.『もつれあう線の網目に』(サイラス・フラナリー)/8.『月光に輝く散り敷ける落ち葉の上に』(タカクミ・イコカ、日本人作家)/9.『うつろな穴のまわりに』(カリスト・バンデラ、アタグィタニアの作家)/10.『いかなる物語がそこに結末を迎えるか?』(アナトリー・アナトリン、イルカニアの作家)
(舞台も雰囲気もがらりと異なる10作品の中で特に続きが読みたいと思ったのは1.3.6.9の各作品でした。)

主人公の「あなた」以外の主要登場人物は以下の通り
ルドミッラ(女性読者の「あなた」。フラナリーの本は全部読んでいる)/ロターリア(ルドミッラの姉で大学教授。フラナリーについての論文を書いている)/エルメス・マラーナ(ルドミッラに本を通じて語りかける声に嫉妬し、自分もそういう声を持ちたくて模倣、偽作の文学に走った男)/ガヴェダーニャ(出版業者)/ウッツィ・トゥッツィ(チンメリア語の研究者)/ガッリガーニ(チンブロ語の研究者)
(2016.12.11読了)
[PR]
by nishinayuu | 2017-02-09 09:45 | 読書ノート | Trackback | Comments(1)

『猫は川辺で首をかしげる』(リリアン・J・ブラウン、訳=羽田詩津子、早川文庫)


c0077412_10551812.jpg『The Cat Who Went up the Creek』(Lilian Braun、2002)
もと新聞記者で今は地方新聞のコラムニストであるクィラランが、持ち前の推理力で事件を解決するシリーズの24冊目。クィラランが飼っている雄のシャム猫のココは、あたかもクィラランの推理を助けるような行動を示すので「助手」ということになっている。一方、雌猫のヤムヤムはふつうに猫らしいふるまいをみせるだけなので、助手とは見なされていない。
本作の舞台もいつも通り「どこからも400マイル北」にあるムース郡。物語はクィラランが「蚊週間」をテーマに千語の文章を書いているところから始まる。ムース郡では毎年6月半ばになると「若く熱意に溢れた蚊の大群が、森の湿地から一斉に飛び立って、郡じゅうに散開し、観光客に攻撃を開始」するのだ。最後のページをタイプライターから取り出したとき、ココがうなり声を発する。「もうすぐ電話が鳴る」という合図だった。
電話は「クルミ割りの宿」のローリ・バンバからだった。「クルミ割りの宿」は、クリンゲンショーエンの莫大な遺産を相続したクィラランがそれを地域社会に役立てようと設立したK基金が、古いリンバーガー屋敷を買い取って田舎宿として改装したものだ。そしてクィラランの推薦で若いニックとローリのバンバ夫妻が経営者となったのだが、そのローリが「クルミ割りの宿」の建物を黒雲が覆っている気がする、と訴えるのだった。そこでクィラランは宿に数日滞在して、悪意のある霊気が感じられるかどうか確認しよう、と申し出る。こうしてクィラランは夏の間、殺人2件、自殺1件、心臓発作1件との遭遇とそれらの解明に明け暮れることになる。

[ちょっと目に留まった文]
*クィラランは路肩に車を停めて、何本か電話をした。ムース郡は州内で最初に、運転中の携帯電話の使用を禁じたのだ。(原稿はタイプライターで書いているクィラランも、携帯はふつうに使っているのでした。)
*(本の交換会でクィラランはオスカー・ワイルドの『ドリアン・グレイの肖像』を借りることにしたクィラランの言葉)「いちばん好きな作家はトロロープなんだが。」(因みに週末の恋人ポリーはワーズワースが好き。)
*(チェノウェスという名前を聞いて)「ウェールズの名前のようですね」クィラランは苗字の由来を知っていることが自慢だった。「(その人は)歌が得意ですか?こういうことわざをご存じでしょう。どんなウェールズ人も歌を歌う。どんなスコットランド人も倹約家だ。どんなイギリス人も不屈の精神の持ち主だ。そして、どんなアイルランド人も戯曲を書く。」

(2016.12.8読了)
[PR]
by nishinayuu | 2017-02-05 10:56 | 読書ノート | Trackback | Comments(0)

『幸せに生きる方法』(朴婉緒)

c0077412_22312376.jpg韓国語講座のテキスト。短編集『黄色い家』収録作品のひとつ。
老境に至った著者が、自分が幸せに生きてこられたのはなぜかをしみじみと語る短編。幼いときに父を失ったが祖父母と母、叔父叔母に伯父まで加えた大家族の中で大事にされてわがままいっぱいに育った著者は、母親の教えのおかげで徐々にわがままも治まり、人を愛せば自分も愛されることを学んでいったという。
名前に関するエピソードが興味深い。著者の生まれた当時は日帝強占期で、学校では名前を漢字で書かなければならなかった。それで、決められた狭い四角の中に納めるのが難しい婉緒という名を恨めしく思ったが、誕生時に父が祖父と頭をつきあわせ、玉編(漢字の字引)を調べつけてくれた名前だ、と母から聞かされてそんなことはなくなった。むしろ、顔も覚えていない父、そして祖父の愛情を強く感じたという。周囲には「カンナンニ(難儀)」やら「ソプソビ(残念)」など、親がいいかげんにつけたに違いない酷い名前の子も多かったからだ。
後半は次第に説教くさくなり、イエスの言葉、金壽煥枢機卿の言葉で締めくくられる。

今後役立ちそうな表現を箇条書きにしておく。
이 맛에 살다 これが生きがいだ
늙은이 티를 내다 年寄り臭くなる
역성을 들다 贔屓にする、肩を持つ
귀가 따갑게 듣다 耳が痛いほど聞かされる
거들떠보지 않다 目もくれない
살맛나게 하다 生きがいを感じさせる
(2016.11.28読了)
[PR]
by nishinayuu | 2017-01-28 11:51 | 読書ノート | Trackback | Comments(1)

『地平線』(パトリック・モディアノ、訳=小谷奈津子、水声社)


c0077412_911174.jpg『L’horizon』(Patrick Modiano, 2010)
この著者の多くの作品と同様に、本作でもやはり主人公はパリのあちこちをさまよい歩く。主人公のボスマンスは、ふっと思い出の一つが脳裏に過ぎる度、一日のどんなときでもメモできるように、黒いモールスキンの手帳を上着の内ポケットに入れて持ち歩いている。手帳いっぱいに書き込んである記憶の断片をつなぎ合わせて、人生の岐路に立っていた年月の全体像を再構成したいと思いながら。けれども全体像は見えてこない。それでボスマンスは、霞がかかった曖昧な印象を蘇らせるために、せめて名前だけでも取り戻そうとする。それらの名前とは――
メロヴェ(金髪の巻き毛の青年。金属的な声、気取った口調。「愉快な一団」の一人)
マルガレット・ル・コーズ(ボスマンスと出会ったときはリシュリュー代行事務所の事務員。住まいはオートゥイユ。生まれはベルリンで母親はフランス人、一時ベロア通り6番地のホテル・セヴィーエに住んでいた)
赤毛の女(ボスマンスの母親で50代。ボスマンスに金をせびる。20年後に出会ったときは白髪になっていて、持っていた杖でボスマンを打つ)
褐色の髪の男(赤毛の女の連れ。脱落司祭風もしくは闘牛士風の傲慢な男)
ボヤヴァル(マルガレットのあとをつけ回す男。ぴったりし過ぎの黒コート姿)
フェルヌ教授(オプセルヴァトワール庭園の近くに住む人物。マルガレットを子守り兼家事手伝いとして雇う)
シモーヌ・コルディエ(ボスマンスが原稿をタイプで清書してもらっていた女性。住所はベロア通り8番地)
バゲリアン(スイスのローザンヌでマルガレットを子守りとして雇っていた人物)
イヴォンヌ・ゴーシェとアンドレ・プートレル(マルガレットを子守りとして雇った夫婦、夫は秘教グループのスポークスマン。ボスマンスとマルガレットは彼らの息子ピーターとよくモンスーリ公園を散歩した。ある日夫婦が警察に連行され、期限切れのパスポートしか持たないマルガレットは逮捕を恐れて北駅から列車に乗ってパリを立ち去る。そして40年の月日が流れた)

主人公は過去の人々の面影を追いながらパリの通りをさまよい歩く。だから読者も地図を片手にいっしょにパリを歩き回ることになる。オペラ通り、フランクリン=ルーズヴェルト大通り、キャトル・セプタンブル通り、オプセルヴァトワール(天文台)大通り、ヴィクトル・ユゴー大通り、そしてボワシェール駅に近い16区のベロア通り(ボスマンスとマルガレットはリシュリュー代行事務所で出会う前に、ここで何度もすれ違っていた可能性があるのだ)。他にも細かい地名がたくさん出てきて、それらを辿るだけでも楽しめる。
いつも何かに追われていて決してひとところに留まったことがなく、今はパリに身を寄せているマルガレットと、不幸な幼少年期を過ごしてやっと自分の道を歩き始めていたボスマンス。当時まだ若かった二人は、自分たちの行く手に確かな存在として「地平線」を見ていたのだった。物語の最後に主人公はその地平線を目指してベルリンへと旅立つ。鮮やかに蘇らせた記憶によって構築されたプルーストの世界に対して、モディアニの世界は霞の中に浮かんだ人々の顔や声が、街の色や音がそのまま霞に包まれていくかのようだが、この作品はきっぱりとした終わり方をしていて興味深い。(2016.12.24読了)
[PR]
by nishinayuu | 2017-01-24 09:02 | 読書ノート | Trackback | Comments(0)

『いつ死んだのか』(シリル・ヘアー、訳=矢田智佳子、論創社)

c0077412_9532333.jpg

『Untimely Death』(Cyril Hare、1958)
著者はこの作品を書いた1958年に57歳で他界したという。すなわち本作品は著者の遺作ということになる。


舞台はイングランド・サマーセット州のエクスムーア。北にブリストル海峡を望む景勝地で、主人公ペディグルーの故郷という設定。このエクスムーアにペティグルーはまだ若い妻エリナーと休暇のためにやってくる。エリナーが言い出したこの旅行に、旅先のなじめないベッドを思い浮かべて渋々やってきた感じの主人公だが、「眠れないまま横たわり、壁に映る月影が動いていくのを眺めながら、ここへ来たのはいい考えだったと納得できる気がしてきた。最近では恥ずかしながら、エリナーの思いつきなくして、ひどく単調な二人の生活から脱却するのは難しいと感じていた」という。気弱になっているもう若くない男、しっかり者らしい若い妻、休暇旅行、壁に映る月影――なかなかいい感じの書き出しである。
ペティグルー夫妻が休暇を過ごすために借りた部屋は、エクスムーアの外れにあるサロークーム農場にあった。かつてのこの家の住人は、陽気で荒っぽく、よく酔っ払っていて、少年のペティグルーを魅了したかと思えば震え上がらせる、ディケンズの小説に出てきそうな夫婦者だった。それに比べると今の住人は妻のいない地味な肉屋と、その娘である地味な女で、前の夫婦に比べるとさえない親子だった。が、常に周囲の人間に鋭い観察眼を向けているペティグルーは、その親子が本当にさえないだけの人間なのか、疑問に感じた。(という具合に早い段階でこの親子が重要な人物であることが暗示される。)
前半はペティグルーが〈暴走馬の茂み〉で死体を発見するが、人を呼びにいって現場に戻ったときは死体が消えていて、3日後にまた同じ場所で死体が発見される、という不可解な出来事を中心に展開する。ペティグルーは少年の頃にやはり〈暴走馬の茂み〉で変死体を発見していた。そのときの恐怖から幻覚を見たのか、あるいはエリナーの言うように〈予知能力〉のせいで実際の事件より3日前に死体を見てしまったのか。
後半はその死体の男(サロークームの住人である地味な女の、別居中の夫ジャック・ゴーマン)がゴーマン家の莫大な財産を継承する権利があったかどうかに関する裁判を中心に展開する。地元の旧家であるゴーマン家の莫大な財産はギルバート・ゴーマンが継いでいたが、彼は9/10(日)に病気で急死している。その時点でジャックが生存していれば財産はジャックのものになるが、ペティグルーが死体を見つけたのはその前日の土曜だったのだ。ペティグルーは旧友で元警部のマレットの依頼で法廷に出向く。

主人公夫妻は二人とも弁護士ということになっているが、夫の方は年のせいかばりばりの感じは皆無。法廷闘争の場面は原告代理人も主人公の旧友ということから、穏やかでユーモラスな雰囲気が漂っていて、緊張感ゼロ。たまにはこんなミステリーもいいかもしれない。(2016.11.20読了)
[PR]
by nishinayuu | 2017-01-20 09:53 | 読書ノート | Trackback | Comments(1)

『あの犬この犬そんな犬』(アントン・チェーホフ他、訳=務台夏子、東京創元社)

c0077412_9254162.jpg
『Kashtanka and Other Stories』(Anton Chekhov)
「犬好きの犬好きによる犬好きのための物語」と謳った本書には、11人の作家による11匹の犬の物語が収録されている。もちろん、犬好きでなくても充分楽しめる短編集である。

内容と作者を簡単に記しておく。
「仲裁犬マック」――スコティッシュ・テリアのマックが、すれ違い始めた飼い主夫婦の仲をとりもとうとかけまわる。作者:ジョン・ヘルド・ジュニア(1930年代に活躍したイラストレーター・漫画家。フィッツジェラルドの「ジャズ・エイジの物語」などにイラストを描いている。)
「彼女の犬」――彼女の死からちょうど六ヶ月目に、ぼくの前に現れた皮膚病持ちの汚い犬。追っても追ってもついてくるので家に入れたら、どうやら彼女もいっしょに入ってきたらしい。作者:マニュエル・コムロフ(1920~1930年代に活躍したニューヨーク生まれの小説家。)
「盲導犬バディ」――ニュージャージ州にある盲導犬協会「シーイング・アイ」のシェパードとご主人であるモリス氏(もちろん盲人)の息の合った暮らしぶり。作者:ディクスン・ハートウェル(1940年のエッセイ『Dogs Against Darkness』からの抜粋。)
「義侠犬ダボコ」――ギリシャ系のご主人に忠実で、ギリシャ語で吠えるとまでいわれる雑種犬の〈反ギリシャ人同盟〉との戦い。作者:マッキンリー・カンター(1920~1950年代に活躍した作家。本作は1961に発表されたもの。)
「神秘の犬」――『三匹曠野を行く』(The Incredible Journey、1961)からの抜粋。老ブルテリア犬・若きラプラドール犬・シャム猫の三人組とオジブワ族の出会い。作者:シーラ・バーンフォード(カナダの児童文学作家。)
「お嬢犬オフィーリア」――グレートデーン(デンマークの犬)であることからオフィーリアと名付けられた貴族的な犬が「春」に目覚め、庶民(雑種犬)の世界に惹かれていく。作者:コンラッド・ベルコヴィシ(ルーマニア出身のアメリカの小説家。)
「見習い猟犬ディーコン」――ポイント(身体を硬直させて静止して獲物の位置を示すこと)ができるようになっても悪ふざけが止まらない猟犬を、狩猟に夢中で休講の多い大学教授が躾けていく。作者:ハヴィラー・バブコック(ヴァージニア大の英語学部教授。)
「忠犬ウルフ」――「名犬ラッド」の息子で、姿形は犬というよりオオカミに似ているコリー犬のウルフが愛する少年と森に出かけたとき、少年が氷の張った沼に落ち込む。作者:アルバート・ペイソン・ターヒューン(「名犬ラッド」を書いたアメリカの小説家。)
「花形犬スポット」――大きな犬だと思い込んでサーカスのライオンに噛みついて有名になったスポットを檻に入れて、飼い主の少年フレクルズはサーカスを始める。入場料はなんと「待ち針(!)10本」。作者:ドン・マーキス。イリノイ生まれの小説家・ジャーナリスト。)
「望郷の犬ニック」――軍に徴用され、戦争用に訓練されたニック。戦争が終わってやっと懐かしい故郷の家に帰れたのに、仲良しだった少年にもその母親にも歓迎されなかった。ほろ苦い後味の名作。作者:コーリー・フォード(ライフ誌やニューヨーカー誌で活躍した作家。)
「迷い犬カシタンカ」――指物師のご主人とはぐれてしまった若い赤犬のカシタンカは、優しい男に拾われてネコや雌ブタといっしょにサーカスに出演する。作者:アントン・チェーホフ(1887年の末に発表された作品。)
(2016.11.16読了)
[PR]
by nishinayuu | 2017-01-16 09:25 | 読書ノート | Trackback | Comments(1)