2017年 06月 05日 ( 1 )

『彫刻家の娘』(トーベ・ヤンソン、訳=冨原真弓、講談社)


Bildhuggarens dotter』(Tove Jansson

c0077412_13331328.jpg本作は『ムーミン』でおなじみの作者が綴った自伝的子ども時代の物語。作者の父親ヴィクトル・ヤンソンはヘルシンキの公園でもその作品が見られるという著名な彫刻家で、母親も本書に「造幣局に切手の絵を描きに行く」というくだりがあるようによく知られた挿絵画家だったようだ。そしてこの芸術家一家は1年のうち4ヶ月を小さな島で過ごすのが習慣だった。本書では作者のこうした特異かつ恵まれた家庭環境での体験と冒険が、幼い子どもである「わたし」によって語られている。

「わたし」は想像と創造が得意な子どもで、ひとりぼっちでいることも、怖い思いをすることも大好きだ。独りぼっちで放って置かれれば、自分で考えたお話の中に入り込んで、どんどん怖い状況を作り出しては楽しむ。たとえば、

「夕暮れになると、大きな灰色の生きものが波止場をはい上がってくる。その生きものはのっぺらぼうで、夕闇の中をはいずりまわりながら、するどくとがった手で島を次から次へとおおっていく。」

「なにがいちばんこわいといって、スケートリンクほどこわいものはない。(…)リンクの後ろには例のはいずりまわる生きものが潜み、リンクはぐるりと黒い水に取り囲まれている。水が氷のさけめで息づきゆったりと動き、ときどきため息をついてもり上がり、氷の上にあふれだす。(…)氷のさけめは少しずつ広がり、息づかいがあらくなり、そのうちぽっかり大口をあける。氷の孤島のようなリンクを残して、ついには波止場じゅうが黒い水になるだろう。そして、私たちはいつまでも、いつまでも、すべりつづけるのだ。アーメン。」

ときには家の外で本物の怖い状況が起こることもあるが、そんなときはなおいっそうぞくぞくした気分を楽しむ。「わたし」の怖いもの好きはどうやらパパの影響だ。パパは夜に火事があると必ず家族を起こして赤い空を目当てに現場に駆けつけるが、つく前に消しとめられてしまうと、がっかりしたパパを慰めなければならない。また、嵐が吹き荒れて海一面に真っ白な波が立ち、井戸のところまで海水がおしよせたとき、それまで憂鬱そうだったパパはたちまち元気になってパジャマのまま外に飛び出し、海に流されかけている桟橋を引き戻そうとずぶ濡れになって奮闘するので、わたしも嬉しくて叫び声を上げながら水しぶきを上げて歩き回るのだった。

こんな突拍子もない父親と好対照をなすのが母親である。母親は夫や娘の奇抜な言動にも少しも動じることなく、時にはいっしょに楽しみながらも、上手に家族をまとめている。

「ママとわたしは火のそばに大きないすをよせ、アトリエの灯を消す。ママがお話を始める。――むかしむかし、たいそうかわいい女の子がいました。その子のママは女の子をとってもかわいがっていました。――どのお話の始まりもこうでなければならない。そのあとは適当でいい。」

ムーミンの世界の原点がここにある。(2017.3.19読了)


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by nishinayuu | 2017-06-05 13:34 | 読書ノート | Trackback | Comments(1)