謎だらけのお話である。そもそもブラフマンが何ものなのかがわからない。毛皮に覆われた、尾の長い、足の指の間に水かきがある小動物、ということになっていて、習性やしぐさがこと細かに描写されているが、なんという動物なのか、ということだけが述べられていないのである。次に、このブラフマンを育てることになった僕という人物が何ものなのかがわからない。誠実で、よく気がついて、勤勉で、繊細な心遣いのある、そしてもちろん動物好きのこの若者が、どこから来て、どういういきさつでここにいるのか、いつまでいるのか、が明らかにされていない。さらにもう一つ、この場所がどこなのかがわからない。広大な自然の中に、ある企業が芸術家たちのために開放している別荘風の施設があるこの場所は、店らしいものは何でも屋のようなのが一軒あるだけなので、かなり辺鄙なところと思われる。けれども近くに鉄道の駅やら国道が通っているので、まるっきり外界から隔絶されているわけでもない。が、とにかく地名がいっさい出てこないのである。
地名だけでなく、登場人物たちの名前も言及されない。名前があるのはブラフマンだけなのである。わからないことだらけのまま、いつかそれが明らかになるのではないかと期待しながら読んでいくうちに、「僕」に親近感が湧いてくる。 市場で買い求めた誰ともわからない家族の「家族写真」を部屋に飾り、ブラフマンと関わった人たちといっしょに最後に記念写真を撮る「僕」に。寂しさと温かさがしみじみ伝わってくるお話である。(2008.7.14記)