ベルリン・フィルの長い歴史のなかの1934年から54年までの20年間を、権力闘争のドラマ、世代間闘争のドラマ、陰謀と復讐のドラマとして描き、歴史ドラマ、人間ドラマとして楽しめるように書いた、と著者は言う。確かに、ヒトラー時代の音楽界の姿、その時代にドイツに残ったフルトヴェングラーの人物像などが資料をもとにして綿密に描かれており、非常に興味深く読めた。これまで何となくフルトヴェングラーには、ヒトラー政権のドイツに残りながら政権に抵抗した高潔な人物、もしくは政治に無頓着な芸術至上主義の人物というイメージを抱いていたが、そういうことでもなかったらしい、ということがわかっただけでも大きな収穫だった。それに対して、カラヤンの人物像は今ひとつはっきり伝わってこない。それは、本書の扱っている時代がカラヤンの全盛期とは重なっていないためであろうから、当然といえば当然である。だから本書の主人公はどちらかといえばフルトヴェングラーだと思うのだが、なぜタイトルはカラヤンが先になっているのか、とつまらないことに引っかかっている。さらに言えば、ふたりに劣らない重要人物であるチェリビダッケもタイトルに入れたほうがいいのに、と思ったりしている。
また本書には、ストコフスキー、トスカニーニ、ワルター、メニューヒン、クライスラーなどの懐かしい指揮者や演奏家をはじめ、トーマス・マンなど他の分野の人物もふんだんに登場し、その人たちの人柄をうかがわせるエピソードも出てくるので、人物絵巻としても楽しめる。(2008.5.12記)