大村彦次郎の文士のいる風景 久生十蘭 その2

☆「久生十蘭 その1」 の原文です。

久生十蘭(ヒサオジュウラン)は本名阿部正雄。北海道函館市の生まれ。昭和の初期、パリに遊学。フランス新劇界の重鎮シャルル・デユランに演出を学んだ。それで彼の筆名の由来は師の名前のもじりかともいわれたが、そうではなく、彼自身が姓名判断の書を仔細に研究した結果の命名であった。それにもかかわらず、周囲には「食うとらん」とか「ひさしく生きとらん」のだじゃれか、と受け取られ、本人はくさった。
久生は、若いころは才気にまかせて、いろんなタイプの原稿を書き分けたが、戦後は文章に凝り、表現上の苦心を重ねた。そのため久生の遅筆は有名で、約束した時間に編集者が現れると、原稿は今朝速達便で送った、などとうそをついた。
ある時、新聞社の学芸部記者が連載の締め切りで、今日はもらえぬ限り、ここは動かぬ、と居直ったら、久生は血相を変え、妻に命じて、「おい、そこの戸棚に機関銃が入っている、出せ、撃ち殺してやる」と言い放った。いろいろなゴシップがおもしろおかしく捏造され、奇人文士の印象を世間に与えた。
久生は時代小説「鈴木主水(もんど)」で昭和26年下半期の直木賞を受賞したが、このときすでに49歳。「牧場の馬だよ。烙印を押されて不便になった」とこぼした。昭和32年の10月、彼は食道がんで死去したが、なくなる前、妻に向かい、「サラリーマンでなくてよかったよ。文士はペン1本あれば、仕事ができる。手がなくても口述、足がなくても、失明しても――」と言い、執筆への意欲を燃やした。
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by nishinayuu | 2007-10-13 10:34 | 翻訳 | Trackback | Comments(0)
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