「河原院に歌よみどもの来て和歌を読みし語」その2
2007年 07月 11日
今昔物語』巻二十四第四十六の再話です。韓国語訳はこちら。
今は昔、河原院の屋敷には宇多院が住んでいらしたが、宇多院が亡くなったあとは住む人もなく荒れはてていた。土佐の国から都に上ってきた紀貫之が河原院を見に行って、寂れた姿を見て和歌を詠んだ。
君まさでけぶりたえにし塩がまのうら寂しくも見えわたるかな
(あなたがいらっしゃらなくて煙が絶えた塩釜の浦の光景は、なんともうら寂しい)
こう詠んだのは、この屋敷が陸奥国の塩釜の光景を真似て、庭に海水を引き込んでいるからだろう。
その後、この屋敷は寺になって、安法君という僧が住んだ。冬の夜、安法君は澄みわたった月を見て、こういう歌を詠んだ。
天の原そこさえ冴えやわたるらむ氷とみゆる冬の夜の月
(天上はすっかり澄みわたっているのだろう。冬の夜の月が氷のように見える)
西の建物の西側には、大きな松の老木があった。歌詠みたちが安法君のもとを訪れて歌を詠んだが、源道済(みなもとのみちなり)は次のように詠んだ。
行く末のしるしばかりに残るべき松さえいたく老いにけるかな
(将来、手がかりとして残るべき松までが、ずいぶんと老いてしまったことよ)
その後この建物はいよいよ荒れていき、松の木もある年、風で倒れてしまった。今は小さな堂しか残っていないと伝えられている。