『地図のない道』(須賀敦子、新潮社)


c0077412_09242068.jpg本書は「地図のない道」と「ザッテレの河岸で」の二部からなる旅の随想記である。「地図のない道」は「新潮」(19965月号~7月号)に掲載されたのち著者が加筆・訂正中だったものを、著者の没後に編集部の責任で整理したものだという。


「ザッテレの河岸で」の初出は『ヴェネツィア案内』(トンボの本 19945月、新潮社)。

「地図のない道」はさらに「その1」「その2」「その3」の3つに分けられている。

「地図のない道-その1-ゲットの広場」――評論家ジャコモ・デベネデッティの著作『一九四三年十月十六日』を手にしたのをきっかけに著者は、ローマのユダヤ人とその歴史に思いをはせる。そしてゲットにあるレストランのざわめきから著者の思いは30年前に出会ったユダヤ人のマッテオへ、彼との出会いをもたらしたミラノのコルシア書店とその店主で著者の夫となったペッピーノへ、夫婦で名付け親となったマッテオの息子たちジャコモとジョヴァンニへと続いていく。最後はヴェネツィアの「ゲットのツアー」に挑戦して3度も冷たく門前払いされ、やっと4度目に参加できたが…という話で締めくくられている。

「地図のない道-その2-橋」――夫の死後に著者が初めてヴェネツィアを訪れたときに知り合ったルチアの話から始まる。「おばさんのところにちょっと寄る」と言ってグリエの橋のたもとで著者を待たせたルチアは、1943年頃の生まれで両親はもういないと言っていた。のちに再度グリエ橋を訪れた著者は、そこがゲットの入り口に近いことを知って、もしかしたらルチアの「おばさん」はユダヤ人の赤ん坊を引き取って育てた人のひとりだったのかもしれない、とふと思う。ヴェネツィアの大運河(カナル・グランデ)に架かるスカルツィ橋、リアルト橋、アカデミアの橋の三つのうち、飛び抜けて華やかなのはリアルト橋だが、著者にとっていちばん親しみが持てるのはアカデミアの橋だという話から、著者の連想は橋の多い大坂へと飛び、やがて「祖母の大坂」を歩くことに繋がっていく。

「地図のない道-その3-島」――1967年に夫と祖母を相次いで亡くした著者は翌年の夏、ベルリン生まれの友人インゲに誘われてヴェネツィアの沖にあるリド島(『ヴェニスに死す』の舞台でもある)のアルベローニに滞在していた。ある日インゲの勧めで、トルチェッロを訪れる。たぐいまれなモザイクがあることで知られる古い教会を見るためだった。そしてヴェネツィアに帰る最終便を待ちながら著者は、結婚した当時のこと、結婚式の司式をしてくれた夫の友人ダヴィデが連れて行ってくれたスロヴェニアの国境に近いアクイレイアの聖堂に思いをはせる。「海をへだてた小高い松林の丘には、アクイレイアの白い大聖堂が夕日をうけて燦めいているはずだった。」

「ザッテレの河岸で」――ヴェネツィアのジュデッカ運河に沿って散策していたときに著者の目にとまったのはリオ・デリ・インクラビリ(Rio degli incurabili) という水路名。Incurabiliは治療の当てのない、手の尽くしようのない病人を意味する語で、かつてそこにそういう名称の施設があったという。この名称をきっかけに、著者の縦横無尽な歴史的、文学的、社会学的考察が繰り広げられる(情報量が多すぎるので内容は省略)。

異国を旅する人の心に映る風景が写し取られている本書は、著者が翻訳した『インド夜想曲』とどこか似ている。流れるように美しい日本語が味わえることは言うまでもない。(2017.11.9読了)


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by nishinayuu | 2018-01-12 09:29 | 読書ノート | Trackback | Comments(0)

読書と韓国語学習の備忘録です。


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