『あるロマ家族の遍歴』(ミショ・ニコリッチ、訳=金子マーティン、現代書館)
2017年 08月 04日
『und dann zogen wir weiter 』(MišoNikolić)
本書の元となっている原書は『そしてわれわれは旅をつづけた~あるロマ家族の遍歴~』(1997)と『放浪者~あるロムの歩んだ道~』(2000)の2冊で、いずれもオーストリア・ドイツ語で書かれたもの。著者は1941年に生まれ、ベオグラード市北端にあるロマ居住区で青年時代を過ごし、のちに難民としてウィーンに定住した。1990年代に妻、二人の息子とバンドを結成し、リードギター奏者として活躍した。
本書には著者の生家の家族のこと、独立して妻と一緒に築いた家族のことを中心に、ロマ社会の様々な様相と、ロマが一般社会の一員として生きていくことの難しさが詳細に綴られている。衝撃的なのは、著者の親しい人々の多くがスリや窃盗、物乞いで生計を立てたり、占いや移動遊園地の経営を生業としていたりすることだ。しかし、それは彼らが教育を受ける機会に恵まれていなかったせい、あるいはまともな仕事に就く機会に恵まれていないせいであって、一人一人の努力ではどうにもならない面があるのだということが本書を読んでいるうちにわかってくる。そんなロマの人々の中にあって、著者は子どものころからなにをやらせてもすぐにトップクラスになるような恵まれた資質の持ち主だったようだ。素晴らしいのは、傑出した能力の持ち主である著者が自分や家族の幸せだけでなく、ロマ社会全体の幸せを強く願っていることで、そんな著者の心がひしひしと感じられてくる作品である。締めくくりの部分で著者は次のように言っている。
「非ロマの人々はロマはいつも結束が固い、と信じ込んでいるようだが、ロマは自分たちが危機的状態にあるときには結束するが、そうでないときはてんでんばらばらだ。ロマの社会でも裕福な者は貧しい者を見下すし、貧乏人は金持ちを羨んで背後で悪口を言う。善人は阿呆扱いされ、生意気で口達者な者が尊敬されるという現実がロマ社会にもある。けれども、貧乏人だろうが金持ちだろうが、強かろうが弱虫だろうが、賢かろうが無知だろうが、人間は誰もが尊敬されなければならない。」
本書にはもう一人、ロマへの理解を深めるために尽力した人物が出てくる。ロマ研究者であるオーストリアのモーゼス・ハイシンク(Mozes Heinschink)である。ハイシンクはユーゴスラビアやトルコからウィーンへ移住したロマと1958年から接してロマニ語を学び、ロマ4800人ほどの証言や童話・歌などを集めている。また、著者とは特に親しい関係にあり、著者の子どもたち5人全員の代父を務めている。
訳注や解説がどっさりついているが、今後のために押さえておきたいことばだけ厳選して記しておくことにする。
ロマ(Roma)インド発祥の少数民族の総称/ロム(Rom)ロマの男性単数形/ロムニ(Romni)ロマの女性単数形/カルデラシュ(Kalderaš)ロマの諸グループの一つ。伝統的生業は馬喰/スィンティ(Sinti)ロマの諸グループの一つ。伝統的生業は楽士/ガジェ(Gaže)非ロマ
(2017.4.29読了)