『植物たちの私生活』(李承雨、訳=金順姫、藤原書店)

c0077412_9444041.jpg『식물들의 사생활』(이승우、1999)/『Private life of plants』(lee Seung-U)
語り手のキヒョンが車で移動しながら街の女を物色する場面から物語は始まる。母が兄のウヒョンを背負って娼婦のところに連れて行くのを見かねて、語り手が自分でやることにしたのだった。というのも語り手には、兄が足を失い、生きがいであった写真を失い、恋人のスンミまで失う、というすべての不幸の原因を作ったのは自分だという思いがあったからだ。語り手は自分の残りの人生が兄に対して負っている借りを返すためにあるように感じていた。
物語ははじめのうち、まるで暴力的韓国映画のように展開していく。この本に出会ったとき、渋い緑色の地にアンリ・ルソーの「エデンの園のエヴァ」が嵌め込まれた表紙、学術研究書のようなタイトル、さらには著者名に入っている「雨」という文字、それらすべてから何か深くて静かな世界との出会いを期待したのだが。しかし、とんでもない本を選んでしまったかも知れない、と思い始めたころに、物語の雰囲気は大きく変わり始める。
語り手は兄がもう一度カメラを手に取ることを願い、その手助けをしてもらうためにスンミを探す。兄のために自作の歌「溶けてしまう前に私の心を写して、写真屋さん……」と歌っていたスンミを。そんなある日、母がいきなり南川に旅立ち、あとをつけた語り手は遠くから、丘の上の椰子の木陰で母が衰弱した一人の男と一本の木になるのを見た。呆然としている語り手に母が電話をかけてきて「兄さんを連れてすぐ南川に来なさい」と言うので、語り手は急いでソウルに戻る。南川行きを渋る兄に、それまで存在感の薄かった父が「行ってきなさい。待っているだろうに……」と言う。語り手は父の断固とした積極的な態度に驚くと同時に推察する。父は母が南川に兄を呼んだ理由も、母が南川に行った理由も知っているのだと、そして南川の人物が何者で、母とどういう関係なのかも知っているのだと。物語はこのあと、「植物の私生活」を解き明かしながら進行し、最後には表紙やタイトル、著者名の印象のままの、心を洗われるような清々しい物語として幕を閉じる。

=蛇足=
その1:語り手の兄はノートに「すべての木は挫折した愛の化身だ……」と書き、自分を松の木に、スンミをエゴノキに変身させる物語を書いていた、というくだりがある。これはギリシア神話などに多く見られる片思いや誤解から植物に変身する(あるいはさせられる)話とは異なり、愛を遂げるために自ら植物に変身する話という点で、式子内親王の墓にテイカカズラ(定家の化身)が巻き付いたという話と同様の発想で興味深い。
その2:南川の丘の上の椰子の木に関して「ブラジルかインドネシアのようなところから太平洋を越えてきた」云々(デンデンではありません)というくだりがある。藤村の「椰子の実」やそのもととなった柳田国男の言のように「南の島」から流れ着くのならわかるが、ブラジルからというのはどうだろうか、とふと疑問に思った。(2017.1.19読了)
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by nishinayuu | 2017-03-21 09:45 | 読書ノート | Trackback | Comments(1)
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Commented by マリーゴールド at 2017-03-22 16:56 x
生々しい欲望がたぎる感じが韓国ドラマのようですね。あまり映画を見たことがないので。短ければ読んでみたいです。
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