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『地平線』(パトリック・モディアノ、訳=小谷奈津子、水声社)


c0077412_911174.jpg『L’horizon』(Patrick Modiano, 2010)
この著者の多くの作品と同様に、本作でもやはり主人公はパリのあちこちをさまよい歩く。主人公のボスマンスは、ふっと思い出の一つが脳裏に過ぎる度、一日のどんなときでもメモできるように、黒いモールスキンの手帳を上着の内ポケットに入れて持ち歩いている。手帳いっぱいに書き込んである記憶の断片をつなぎ合わせて、人生の岐路に立っていた年月の全体像を再構成したいと思いながら。けれども全体像は見えてこない。それでボスマンスは、霞がかかった曖昧な印象を蘇らせるために、せめて名前だけでも取り戻そうとする。それらの名前とは――
メロヴェ(金髪の巻き毛の青年。金属的な声、気取った口調。「愉快な一団」の一人)
マルガレット・ル・コーズ(ボスマンスと出会ったときはリシュリュー代行事務所の事務員。住まいはオートゥイユ。生まれはベルリンで母親はフランス人、一時ベロア通り6番地のホテル・セヴィーエに住んでいた)
赤毛の女(ボスマンスの母親で50代。ボスマンスに金をせびる。20年後に出会ったときは白髪になっていて、持っていた杖でボスマンを打つ)
褐色の髪の男(赤毛の女の連れ。脱落司祭風もしくは闘牛士風の傲慢な男)
ボヤヴァル(マルガレットのあとをつけ回す男。ぴったりし過ぎの黒コート姿)
フェルヌ教授(オプセルヴァトワール庭園の近くに住む人物。マルガレットを子守り兼家事手伝いとして雇う)
シモーヌ・コルディエ(ボスマンスが原稿をタイプで清書してもらっていた女性。住所はベロア通り8番地)
バゲリアン(スイスのローザンヌでマルガレットを子守りとして雇っていた人物)
イヴォンヌ・ゴーシェとアンドレ・プートレル(マルガレットを子守りとして雇った夫婦、夫は秘教グループのスポークスマン。ボスマンスとマルガレットは彼らの息子ピーターとよくモンスーリ公園を散歩した。ある日夫婦が警察に連行され、期限切れのパスポートしか持たないマルガレットは逮捕を恐れて北駅から列車に乗ってパリを立ち去る。そして40年の月日が流れた)

主人公は過去の人々の面影を追いながらパリの通りをさまよい歩く。だから読者も地図を片手にいっしょにパリを歩き回ることになる。オペラ通り、フランクリン=ルーズヴェルト大通り、キャトル・セプタンブル通り、オプセルヴァトワール(天文台)大通り、ヴィクトル・ユゴー大通り、そしてボワシェール駅に近い16区のベロア通り(ボスマンスとマルガレットはリシュリュー代行事務所で出会う前に、ここで何度もすれ違っていた可能性があるのだ)。他にも細かい地名がたくさん出てきて、それらを辿るだけでも楽しめる。
いつも何かに追われていて決してひとところに留まったことがなく、今はパリに身を寄せているマルガレットと、不幸な幼少年期を過ごしてやっと自分の道を歩き始めていたボスマンス。当時まだ若かった二人は、自分たちの行く手に確かな存在として「地平線」を見ていたのだった。物語の最後に主人公はその地平線を目指してベルリンへと旅立つ。鮮やかに蘇らせた記憶によって構築されたプルーストの世界に対して、モディアニの世界は霞の中に浮かんだ人々の顔や声が、街の色や音がそのまま霞に包まれていくかのようだが、この作品はきっぱりとした終わり方をしていて興味深い。(2016.12.24読了)
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by nishinayuu | 2017-01-24 09:02 | 読書ノート | Trackback | Comments(0)
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