『蠏の横歩き』(ギュンター・グラス、訳=池内紀、集英社)


c0077412_1021377.jpg『Im Krebsgang』(Günter Grass, 2002)
副題に「ヴィルヘルム・グストロフ号事件」とある。グストロフ号はナチスドイツの誇った豪華船。1937年5月に労働者のための休暇用客船として進水し、戦時には軍隊の輸送船、病院船、避難民の輸送船として使われた。そして1945年1月30日、東プロイセンの避難民や傷病兵を乗せてゴーテンハーフェン(現ポーランドのグディニア)港を出た後、ソ連海軍の潜水艦に砲撃されて沈没した。それは奇しくもヒトラーの権力掌握から12年目の当日のことだった。
犠牲者の数は正確には割り出せない。元乗組員(会計係助手、当時18才)のハインツ・シェーンが戦後調査したところによると乗客10582人のうち避難民が8956人で、そのうちの4000人以上が乳幼児や少年少女だったという。すなわちこれは、美しい悲劇として伝説になっているタイタニック号の沈没よりずっと多くの犠牲者を出した海難事故だったのだ。

本書の語り手は、この凄まじい海難事故のまっただ中でこの世に生を受けた人物となっている。語り手の母親がグストロフに乗り込んだのはすでに出産が間近に迫っていたときだった。そして砲撃されて沈み始めた船の中で出産した彼女は、いつも身につけていた毛皮の襟巻きに赤子をくるんで救命ボートに飛び乗ったのだった。
語り手はまず三人の人物のことから話し始める。
一人目はグストロフ号という船名のもとになった男。1895年シュヴェリーン生まれ、名前はヴィルヘルム・グストロフ。『魔の山』の主人公と同じくダヴォスで療養生活を送ったが、そのままスイスに留まり、やがてナチ党に入ってスイス在住のドイツ人、オーストリア人を組織して、スイスのナチ党指導者になる。反ナチの男の銃弾に倒れたため「殉教者」として称えられる。
もう一人はアレクサンドル・マリネスコ。1913年『戦艦ポチョムキン』で知られるオデッサの生まれ。商船の船員を経て潜水艦の艦長となり、グストロフ号を沈没させた功によりバルチック赤軍艦隊のヒーローになる。
さらにもう一人。やはりダヴォスで療養生活を送ったことのあるダヴィド・フランクフルター。1909年セルビアの生まれで、父はユダヤ教のラビ。学校では毎日のようにユダヤ憎悪にさらされた。病身のせいで勉学がはかどらず、母の死もあって将来を悲観し、スイスのナチ党指導者・グストロフに銃弾を撃ち込んだ。直ちに自首して長い刑期を務めた。

以上の三人はグストロフ号事件にまつわるいわば歴史上の人物であるが、彼らの物語に重なり合ったり離れたりしながら、語り手の身内の者たちの物語が綴られていく。まずは語り手の母で、物語のヒロイン格のトゥラ・ポクリーフケ。強烈な個性の持ち主で「いつも極端に走る女だった」トゥラ・ポクリーフケは、グストロフ号事件の体験や波瀾万丈の人生から身につけた独自の思考法や行動方式などを孫に(すなわち語り手の息子に)吹き込み続けている。そして物語の後半では、10歳か11歳のときからトゥラに「こね回されて」育った孫のコニーがクローズアップされていく。混沌とした過去の象徴のような母と、不可解な未来の象徴のような息子の間で、穏健な良識人の語り手はどこに向かおうとしているのだろうか。

話の途中でときどき、語り手に助言を与える「ご老体」というのが顔を出すが、これはギュンター・グラスその人らしい。最後にそのギュンター・グラスの言葉を記しておく。
「この事件を書いておくのは、自分たちの世代の使命だった。」(2016.11.12読了)
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by nishinayuu | 2017-01-08 10:22 | 読書ノート | Trackback | Comments(0)
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