『わたしは灯台守』(エリック・ファーユ、訳=松田浩則、水声社)

c0077412_1017331.jpg『Je suis le gardien du plare 』(Éric Faye, 1997)
表題作は世間から切り離された場所で生きる灯台守を「愚かな世間と戦い、その世間が狡猾にも提示してくる順応主義という名の甘言や誘惑をややもすると受け入れてしまいがちな自分と戦う」人間として描き出している。著者はこの灯台守のような人々を「象牙の塔の間借り人」と名付け、表題作を含めて九つの短編で彼らの「たった一人の反乱」を描いている。
ただし、彼らはあくまでも「間借り人」であって、いつかは自分の意思で(あくまでも世間からの甘言や誘惑に屈することなく)「象牙の塔」を出て行く日が来ることを予期している。表題作の灯台守も、他の作品の主人公たちも、世間からのちょっとした合図、世間と繋がる一筋の糸に神経をとがらせながら、その時を待っている。すなわちそのときが来るまで、彼らのがむしゃらで、ときには滑稽で、なんとも奇想天外な孤独の戦いは続く。
収録作は以下の通り。
『列車が走っている間に』――並行して走り続ける二つの列車。互いに姿は見えるが、双方の乗客たちの人生は決して交わることはない。
『六時十八分の風』――ステップの中にあるタカ=マクラン(!)の町。急行列車は3年前から停車しなくなり、町の名は地図からも消える。その町のあたりを列車が通過するのが六時十八分だと知った男は、その時刻に列車を飛び降りる。
『国境』――高く聳える国境の向こうを眺めようと、頂上を目指して登り始めた男。時が経ち、季節は巡るが、頂上は依然として果てしなく遠い。
『地獄の入り口からの知らせ』――ある日わたしが拾い上げてポケットに入れた黒い表紙の手帳。1週間後に開いてみると、1週間前の日付のところに「今日、わたしは発見してもらった。見知らぬ男の人のポケットの中で一日目を過ごす」とあった…。アドレス欄にはたくさんの名前があったが、覚えのない名前ばかりだった。15年後にその欄を開いてみるとかなりの名前を知っていた。手帳はずっと引き出しの奥にあったのに。
『セイレーンの眠る浜辺』――わたしはサント・モンターニュの浜辺に漂着した女を見ている。修道院の第7バルコニーの333㍍の高みから。警察の巡視艇が来て倒れている女を引き取っていった。おそらくあれは、わたしが見て、近づくことのできたであろう最後の女だった。
『ノスタルジー売り』――ノスタルジー売りは第二日曜に広場や、旧市街の狭い道に店を構える。古本や玩具、古道具が売られている小道を歩いて行くと、木々の下にベンチが見える。時間の向こう側に置かれたベンチには愛し合っている二人の人間がいる。二人のうちの片方はあなただ。
『最後の』――寒さの厳しくなりつつある森の中をただひとりでさまよう彼は、その系統の最後の存在だった。
『越冬館』――パリから遠く離れたヘルシニア山塊の麓にある「越冬館」に引きこもって4日。わたしはひたすらアヌークが現れるのを待っている。サティのグノシエンヌの中のいちばん暗い曲を聞きながら。
『わたしは灯台守』――この灯台の周囲には船舶に注意を促す必要のある暗礁など一つもない。ここに着任して以来、わたしは一艘も船舶を見たことがない。この灯台の目的は、自分の存在を知らせること以外、他にない…。思索のための時間も思索のための言葉も有り余るほどある灯台守の独白が続く。

☆9編のうち一押しは『六時十八分』。全ページの二分の一を占める『わたしは灯台守』は、内容もその分だけ重くて、疲れました。(2016.10.15読了)
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by nishinayuu | 2016-12-07 10:18 | 読書ノート | Trackback | Comments(1)
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Commented by マリーゴールド at 2016-12-10 20:59 x
作家の発想力がすごいですね。読みたくなりました。
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