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『今読むペロー「昔話」』(訳・解説=工藤庸子、羽鳥書店)


c0077412_9593629.jpg『Histoires ou Contes du temps passé avec des moralités』(過ぎし昔の物語ならびに教訓)
本書は1697年に出版された昔物語集の翻訳と、訳者による解説からなり、翻訳部分と解説部分にほぼ同じページ数が割かれている。冒頭には出版に先立つ1695年の手書き本に添えられた「マドモワゼルに捧ぐ」と題する献辞が掲げられており、この「マドモワゼル」がルイ14世の姪であるエリザベート=シャルロット・ドルレアン(19歳)であること、献辞の署名がペローの末息子であるピエール・ダルマンクールであることなどの情報が注として与えられたあと、後半の解説の中で、当時の文芸サロンと「昔話」の生成の関係や、「説話文学の作者」についての考察が繰り広げられる。すなわち、「説話文学の作者はフローベールが『ボヴァリー夫人』の「作者」であるというのと同じ意味合いで、創造の責任を引き受けてはいない」のであり、「ペローの昔話は複数の声が微妙に重なって聞こえる音楽のような性格を持ち、庶民の目線が反映されることもあれば、サロンの貴婦人や知識人の才知がひらめき、あるいはモラリストでもある作家の省察が滑り込むこともある。明らかに異なるトーンの声が介入し、ドラマの緊張が不意に途切れたりすることがある」のだという。

本書に収録されているのは次の八つの物語。
眠れる森の美女(La Belle au bois dormant)
赤頭巾(Le Petit Chaperon Rouge)
青ひげ(La Barbe Bleue)
猫の大将または長靴をはいた猫(Le Maître chat ou le chat botté)
仙女たち(Les Fées)
サンドリヨンまたは小さなガラスの靴(Cendrillon ou la Petite Pantoufle de verre)
巻き毛のリケ(Riquet à la houppe)
親指小僧(Le Petit Poucet)

ハッピーエンディングが原則の昔話のうち唯一の例外が『赤頭巾』で、赤頭巾ちゃんがオオカミに食べられたところで終わっている。1812年から1857年にかけて版を重ねたグリム版は、『赤頭巾』を悲劇で終わらせないために『七匹の子山羊』もしくはその類話の後半部をくっつけたようなのだ、と解説者は言う。ペローの『赤頭巾』は、悲劇的な結末が少なくないラ・フォンテーヌの寓話に近い構造を持った物語で、「狼に気をつけろ」という警告がテーマなのだとか。一方『青ひげ』のテーマは創世記のエバの物語や「パンドラの筺」にも見いだせる「女の好奇心」で、こちらは悲劇で終わってもよさそうなのに、二人の兄が登場して青ひげを殺し、青ひげの財産を手にした妻は立派な紳士と再婚して「青ひげと暮らした辛い時期のことを、すっかり忘れたということです」というなんとも現実的、散文的な結末となっている。
解説によれば全体的には、『眠れる森の美女』『赤頭巾』『青ひげ』の三編が不安や恐怖に満ちた異界の扉を開けるという「昔話」の原型を示しているのに対し、『仙女たち』『サンドリヨン』『巻き毛のリケ』は太陽王の時代の紳士淑女が理想とした人間的な価値――美しい話し言葉、優しい気立て、優れた才知――を讃える寓話として読み解くことができ、最期の『親指小僧』には「昔話」の主人公になりきった少年ペローの姿が透けて見えるという。因みにペローは『親指小僧』の主人公と同じく七人兄弟の末っ子だったそうだ。
最期に今回の「初めて知った今知った」を挙げておく。
『眠れる森の美女』の王子様の母君は「人食い鬼のお血筋」/一歩で七里を行く長靴は履いた人を疲労困憊させる/赤頭巾ちゃんの頭巾を「赤」にしたのはペローの独創で、先行する昔話には影も形もない/ガラスの靴はガラス(verre)ではなくリスの毛皮(vair)の誤記だろうという説がバルザックなどによって唱えられたことがあるが、民話にはガラスや水晶の靴が他にもあるところから、現在は研究者の見解は一致している(今までバルザック説を信じていました。)
(2016.9.30読了)
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by nishinayuu | 2016-11-25 10:00 | 読書ノート | Trackback | Comments(0)
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