『夏の沈黙』(ルネ・ナイト、訳=古賀弥生、東京創元社)

c0077412_10502264.jpg『Disclaimer』(Renée Knight,2015)
本書はタイトルからして何となく不穏なものを感じさせるが、第1章の冒頭の一文が「またもどしそう」とくる。それに続く文が「キャサリンは冷たい琺瑯の洗面台につかまり、顔を上げて鏡をのぞく。映っている顔は、床についたときとはまるで別人。前に見たことがあり、二度と見たくないと思っていた顔だ」となっていて、このまま読み続けるべきかどうか大いに迷う。
それでもつい読み続けてしまうのは、すでに「キャサリン」という主人公と思われる人物の名前を知ってしまったからであり、「キャサリン」に何があったのか、これから彼女がどうなるのかが気になってしかたがないからだ。作者のたくらみにまんまとのせられてしまうわけだ。
さて、キャサリンはドキュメンタリー番組のディレクターとしてばりばり働くキャリアウーマン。一人息子のニコラスが独立したのをきっかけに、弁護士である夫ロバートとロンドンのこぢんまりしたメゾネットに転居したところだ。引っ越し荷物が乱雑に散らかっている中にあった見覚えのない一冊の本を何気なく読み始めたキャサリンは、衝撃のあまり上記のような状態に陥る。その『行きずりの人』という本に書かれていたのは、20年前にキャサリンの身に起こった出来事、ロバートにも隠し通してきた忌まわしい出来事だった。

物語は2013年の春から秋にかけて進行しつつある出来事を綴る章を基調にして、それらの間に2年前、18ヶ月前、2013年晩冬から春までの、『行きずりの人』がキャサリンの許に届くまでのいきさつを綴る章が挟まる形で進行していく。そして1/3ほど読み進んだあたりに20年前、すなわち1993年夏の出来事を綴る章が配されている。こうして読者は徐々に20年前に何があったのかを知らされていくしくみになっている。しかし、その出来事の真相が明らかになるまでにはまだまだ紆余曲折があり、真相が明かされたあともまた一波乱あるので読者は最後まで突き進むしかない。小説とはかくあるべし、とでもいうような構成と内容をもった実に巧みな作品である。

巻末の解説に次のような文がある。
「肯定的なものとして捉えられることの多い家族という人間関係に潜む脆弱さを突きつけ、母性というものの強さについて真の意味をあらためて問いかける。常識的な価値観をいくつも覆しながら、『夏の沈黙』のヒロインの不安と苦悩の旅は、読者を終着点へと導いていく。終章を読み終え、本を置いたあなたの心に浮かぶのは絶望、それとも希望だろうか。」
終章を読み終えて心に浮かんだのは希望だった。けれども正直に言えば、この作品全体の印象は快いものではなかった。解説者は「狡知に長けた作者の企みを読み解くためにも、再読は有効だろう」と言っているが、再読する気にはなれない。(2016.7.26読了)
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by nishinayuu | 2016-09-22 10:51 | 読書ノート | Trackback | Comments(0)
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