『ロンドンの二人の女』(エマ・テナント、訳=相原真理子、白水社)

c0077412_10412383.jpg『Two Women of London』(Emma Tennant, 1990)
本書は『ジキル博士とハイド氏』を下敷きに、主人公や周辺の人々のほとんどを女性に入れ替えた女性版のジキルとハイドである。

物語は「ラドヤード・クレッセントとナイティンゲール・クレッセントの共同庭園に一人の男が死んで横たわっている」という文で始まり、死んだ男が「ノッティングヒルの強姦魔」であること、住人の一人ミセス・ハイドによって殺されたらしいことなどが簡単に述べられる。続いて「編集者による前置き」があり、女性医師フランシス・クレーンの突然の死はミズ・ジキルとミセス・ハイドの悲惨な事件を探求したことが原因ではないだろうか、と述べられている。
すなわち、ジキルとハイドにまつわる事件があり、それに関わった医師が死んだことが最初から明らかにされているわけで、いわばネタバレ状態で始まるミステリーなのだ。だからつまらないかというと、決してそんなことはない。なにしろ事件の現場となる庭と建物の描写が複雑怪奇でわかりにくい上、住人たちや出入りする人々の関係が、これまたわかりにくいので、かなり長い間霧の中を彷徨うことになる(原文のせいか翻訳のせいか、あるいは読み取り能力のせいか、行きつ戻りつしながら半分近く読み進んだところでやっと霧が晴れました。オソマツ)。
本書の魅力は妖しい幻想性にあり、その一端が次の文からうかがえる。

イライザ・ジキルの家の隣の庭には、ブニュエルの映画にでも出てきそうな、朽ちかけたピアノラが転がっていた。裂けた鍵盤と崩れかけた寄せ木細工はとっくに雨や霜のために腐食し、(中略)この荒涼たる眺めに面した窓の下には、子どもが描いた横倒れの人間の棒線画のように、プラスチックの壊れた干し物掛けの白い横棒が落ちている。

物語の中での比重とは関係なく、なんとなく気になった文を記しておく。
1.年月がたつうちに気前のよさといったような愛すべき特質が、あまり好ましくない、人を困らせるような特徴に変わることがある。(中略)過度に人に物をあげたがる人には、他人の人生をコントロールしたいという欲求があるのではないかと思う。
2.(家庭を大切にしている)ジーンのような女性は、ミセス・ハイドのような悪女に惹かれるのかも知れない。(中略)自分の性格の隠れた一面が、犯罪などの邪悪な行為の話によって一瞬表面に浮かび上がる。それによって快感を覚えるが、それはやがてまた静まっていく。ここ何十年間かの女性の「解放」にもかかわらず、イギリスでは殺人ミステリーが圧倒的な人気で、特に女性読者が多いのはこのためではないだろうか。
(2016.5.11読了)
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by nishinayuu | 2016-07-08 10:42 | 読書ノート | Trackback | Comments(0)
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