『通勤路』(マリー=ルイーズ・オーモン、訳=岩崎力、早川書房)


c0077412_9353894.png『Le Trajet』(Marie-Louise Haumont、1977)
語り手は、毎日事務所に行って「一日八時間はっきり決まったある場所(いつも同じ場所)以外には決していられない」のが最初は苦痛だったが、いまはむしろ、「毎朝自分がどこに行かなければならないか、どこを通って行かなければならないかがわかっていることをうれしく思っている」女性であることが冒頭の数行で明らかにされる。ところがそのあとに次の文が続く。

今は夜中の二時。グアドループ生まれの男が私をこの宿の前で下したのは、十七時三十分を少し回ったころだったはずだ。私が街路を恐れているのを目ざとく見てとって、安心できるテーブルまで連れていってあげようと言ってくれたのだった。

つまり、いつも少しの狂いもない時間と手順を守っている語り手が、家でぐっすり眠っているはずの時間に家ではないどこかにいる、という状況になっているのだ。ここから語り手の「型通りの日常」の話と、前日の、些細な手違いに端を発した「型破りの一日」の話が複雑に絡み合いながら綴られていく。「いくつもの断片が寄せ集められ、調和しあい、ひたすら女の世界を構築していて、本書はパッチワークのような作品である」(ル・ポワン)という讃辞が寄せられているが、むしろ、パッチワークの糸が一か所綻びてたちまち全体がばらばらになりかけたのを、必死の思いで元に戻す過程を描いた作品、と言えるのではないか。

ここで、興味に任せて「通勤路」のバスについて推察してみる。語り手の職場である文献センター(教育的性格の映画資料、写真資料を、希望する機関や団体に貸し出す機関)はパリ14区のポルト・ド・オルレアンにあり、語り手の家はパリの南、あるサント・ジュヌヴィーヴの森の少し手前にあるので、語り手が通勤に使っているのはパリからロンジュモーを通ってサント・ジュヌヴィーヴの森に至る路線バスだと思われる。上の引用文に出てくるグアドループ生まれの男というのは、語り手が帰りに乗ったバスの運転手。「大柄な男で、ごま塩頭が霧のように見える。雲を形作るどころか、彼の髪は頭蓋骨すれすれに固くなでつけられている。身体全体が苦い厳しさを感じさせる」という人物であるが、見かけによらず親切で温かい人柄だったわけだ。(2016.2.25読了)
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by nishinayuu | 2016-05-13 09:36 | 読書ノート | Trackback | Comments(0)
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