『なついた羚羊』(バーバラ・ピム、訳=井伊順彦、風濤社)

c0077412_22151115.jpg『Some Tame Gazelle』(Babara Pym、1950)
本書は『よくできた女』『秋の四重奏』で知られるバーバラ・ピム(1913~1980)のデビュー作で、1950年に出版されている。『よくできた女』と同じく地方の教会を中心としたコミュニティーを舞台に、そこで繰り広げられる日常生活のあれこれが綴られていく。第1次大戦後の世界情勢や英国の置かれている状況とはほとんど関わりのない小さな社会の物語で、その点ではジェイン・オースティンの物語世界を彷彿させるが、そんな社会にも新しい風が吹き始めていることが特に女性たちの言動から窺える。

主人公は50代で未婚のビード姉妹。姉のべリンダは見た目も性格も地味で、妹のハリエットは逆に見た目も性格も派手、という違いはあるがともに教養豊かな女性たちである。ちょっとびっくりなのは姉のべリンダの教区牧師ヘンリーへの思い。求婚してくれると思っていたヘンリーがアガサという「実に有能な」女性と結婚してしまったため、ベリンダは未婚のまま30年以上もヘンリーを慕い続けているのだ。ヘンリーは文学的引用だらけの説教で会衆をうんざりさせるような、ちょっと困った牧師なのだが、ベリンダにとってのヘンリーは「男前が際立っていた」若き日と変わらずに「今でもほんとうに男前だわ」としみじみ思う存在なのだ。

他にはイーディス・リバーシッジ(中年の独身女で、大胆奇抜な言動が目立つ。第1次大戦のあとバルカン半島で難民救済活動をしていた、という設定は作者の体験を反映させたものか)、ミス・プライアー(生真面目なお針子)などの女性陣と、エドガー・ドン(新任の副牧師)、リカルド・ビアンコ伯爵(物静かで控えめなイタリア人〈!?〉でハリエットに求婚しつづけている)、ブラウマン師(高教会の牧師)、バーネル博士(ベリンダの大学時代の友人。大学図書館の館長)、モールド(大学図書館の副館長)、セオドア・グロート(アフリカの宣教地の主教で久しぶりにかつての教区を訪問。ビート姉妹の脳裏には若く美しい副牧師として刻まれているが…)などの男性陣が登場し、姉妹の精神的若さとハリエットの「副牧師好み」があいまって、中高年の恋の駆け引きがあったりもする。


本書の特徴はとにかく文学的引用が多いこと。ビード姉妹、牧師のヘンリーなどの主要人物を文学の教養にあふれる人物として造形したのに乗じて(?)、作者は聖書、古今の文学作品、格言、諺などからの引用を存分に鏤めている。そして時には登場人物たちに間違った引用や場違いな引用をさせたりして遊んでいる。発表当時37歳だった作者の教養の幅と深さ、そして独身中年女性の微妙な心理をとらえた鋭くも暖かい視線にはただただ驚かされる。(2016.2.18読了)
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by nishinayuu | 2016-05-09 10:18 | 読書ノート | Trackback | Comments(0)
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