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『新訳フィガロの結婚』(ボーマルシェ、訳・解説=鈴木康司、大修館)

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『La Folle journée ou Le Mariage de Figaro』(Beaumarchais)
本書は2部構成になっており、第1部には〈「新訳」『てんやわんやの一日あるいはフィガロの結婚』〉と題されたボーマルシェの戯曲、第2部には〈ボーマルシェの『フィガロ三部作』について〉と題された解説が収録されている。

第1部の冒頭の〈登場人物の性格と衣装〉には当時の社会環境、演じる役者の適性、心構え、過去にその役を演じた俳優などへの言及もあって興味深い。いくつか例を挙げると
*アルマビーバ伯爵――いかにも貴族然とではあるが、優雅にそして自由闊達に演じられなければならない。心の腐敗は彼の上品なふるまいからは全く感じられない。この当時の風習から見れば、大貴族たちは戯れに女性たちを口説くのが当たり前であった。この役はいつも脇役になるだけに一層きちんと演じるのが困難である。だが、モレ氏のように優れた役者が演じてくれたので、他のすべての役柄が見事に際立ち、作品の成功が確実になった。
*フィガロ――この役を演じるには、ちょうどダザンクール氏が演じたように、役柄の精神を徹底してつかみ切るように願ってしかるべきである。もしも俳優がこの役に陽気さと才気を巧みに交えた理性以外のもの、特にほんの少しでも重々しさを加えてしまえばこの役を台無しにしてしまうだろう。
*シュザンヌ――利発で才気にあふれ、よく笑う若い娘だが、人々を堕落させる例の小間使いたちが示す、ほとんど恥知らずな陽気さとは違う。
*シェリバン――(前略)伯爵夫人の前では借りてきた猫のようにおとなしいが、他ではチャーミングないたずらっ子。(中略)思春期に差しかかっているが、何をしたいのかもわからず、知識もない。何か事が起これば全身でそれに向かう。要するに、どんな母親でもおそらく心の底では、いかに苦労させられても自分の息子がそうあってほしいと思うような存在である。

伯爵の項のモレ氏(1734~1802)とフィガロの項のダザンクール氏(1747~1809)はともにコメディ=フランセーズの俳優で、前者は貴族の父親役、後者は下僕役を得意とした、という注が解説者によってつけられている。第1部の翻訳も第2部の解説もフランス演劇史専攻の学者によるものなので、詳細な情報がいっぱいの「勉強になる」本である。(2016.2.6読了)
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by nishinayuu | 2016-05-01 09:18 | 読書ノート | Trackback | Comments(0)
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