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『무소유』(법정, 1971)


c0077412_13453513.jpg『持たないこと』(法頂)
これは韓国の僧侶にして随筆家である法頂(1932~2010)が1971年に発表したもので、彼の随筆中特によく知られているものの一つだという。始めにガンジーがいかに物を持たなかったかを紹介した後、ものを持つということについて次のように述べている。

우리들이 필요에 의해서 물건을 갖게 되지만, 때로는 그 물건 때문에 적잖이 마음이 쓰이게 된다. 그러니까 무엇인가를 갖는다는 것은 다른 한편 무엇인가에 얽매인다는 뜻이다. 필요에 따라 가졌던 것이 도리어 우리를 부지유하게 얽어맨다고 할 때 주객이 전도되어 우리는 가짐을 당하게 된다. 그러므로 많이 갖고 있다는 것은 흔히 자랑거리로 되어 있지만, 그만큼 많이 얽혀 있다는 측면도 동시에 지니고 있다.
我々は必要があって物を持つようになるのだが、時にはそうやって持った物のせいで少なからず気を遣うことになる。つまり、なにかを持つということは一方ではなにかに縛られるということなのだ。必要にしたがって所有した物が、しまいに我々を縛り付けて不自由にするとき、主客が転倒して我々は所有されることになる。そういうわけで、物をたくさん持っていることは一般的には自慢の種になっているけれども、同時にそれだけたくさん縛られているという面もあるのだ。

この文に続いて物に縛られることの例として、蘭の鉢に執着してその蘭の鉢に振り回された体験が語られる(この部分、なかなか愉快)。そして最後にその執着をふりほどいて「持たないこと」の境地を会得する過程が語られ、「なにも持たなくなってはじめて、全世界が持てる」と結ばれる。

この随筆の発表当時、多くの人々は「僧侶だからこその悟りの境地」として、感銘は受けたとしても心から賛同して実践するところまでは行かなかったのではないだろうか。「断捨離」「終活」といったことばが普通に聞かれるようになった今なら、『持たないこと』に共感する人は少なくないだろう。

冒頭に引用されている部分は『ガンジー伝』という書物からとられている。この本の著者について以下にメモしておく。
Krishna Kripalani(クリシュナ・クリパラーニ)タゴールの研究家として知られる。著書に『Biography of Tagore』(Oxford University Press,1962、 森本達夫訳、レグルス文庫、1978)、『Biography of Gandi』(森本達夫訳、レグルス文庫。1983)などがある。
(2016.2.28読了)
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by nishinayuu | 2016-04-27 13:48 | 読書ノート | Trackback | Comments(0)
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