『灰と土』(アティーク・ラヒーミー、訳=関口涼子、インスクリプト)


c0077412_9594977.png『Khâkestar-o khâk/Terre et Cendres』(Atig Rahimi, 1999)
原題はダリー語(アフガニスタンで使われているペルシャ語)/フランス語で表記。訳者によると、フランス語翻訳者と原作者の共同作業によるフランス語版がまず出版され、そののちに原作に加筆されたダリー語版が出版されたという。日本語版である本書はフランス語版、ダリー語版の両方を参照して翻訳し、改行についてはフランス語版に従ったそうだ。
本書に描かれているのはソ連がアフガニスタンへ軍事侵攻した時期(1979~1989)の出来事で、話の大部分はアフガニスタン北部とカーブルを結ぶ道路に架かる橋の上で繰り広げられる。冒頭に描かれるのは次のような印象的な場面。

「おなかがすいたよ」
きみは、赤字に白く染め抜かれたりんごの花模様の風呂敷からりんごを一つ取りだし、埃まみれの上着の裾でぬぐう。りんごはかえって汚れるばかりだ。風呂敷の中にそのりんごをしまい、もう少しましなのを一つ選び取る。そして、隣で頭をきみの疲れた腕にあずけている孫のヤースィーンに手渡す。子どもは,垢だらけの小さい手でりんごを受け取り、口に運ぶ。(中略)きみは、秋の太陽に背を向け、橋の上で、鉄の欄干に背を持たせかけてしゃがんでいる。(中略)橋の手前を左に曲がり、丘陵の間を蛇行する未舗装の荒れた道をたどれば、やがてカルカルの炭鉱に着く。

「きみ」というのはアブクールからやってきたダスタギール老人。橋の上でもう長い時間、炭鉱に向かう車が通るのを待っているのだ。ヤースィーンが水を欲しがって泣き叫ぶので、「きみ」は橋のたもとにある小屋のような店に行ってみる。店の主人ミールザー・カディールは読書に没頭していたが、目を挙げると微笑を浮かべ、ヤースィーンに水を与えてから「きみ」に尋ねる。「遠くから来たんですか」と。この、目を見ているだけで安心のできる人物に、ダスタギールは少しずつ打ち明け話を始める。アブクール村が砲撃され、自分と孫以外はみんな死んでしまったこと、孫は耳が全く聞こえなくなってしまったこと(耳が聞こえないということが理解できない孫は世界から音が消えたと思っているのだが)、4年前から炭鉱で働いている息子にそれらのことを告げるためにやってきた(つまり息子の心臓に探検を突き立てに行くのだ)ということ、などなどを。

時には「きみ」と称され、時にはダスタギールと称される老人のモノローグと、店の主人の「王書」を読む声が音楽のように流れる中で、先の見えない緊迫感あふれる話が展開していく、非常に印象的な作品である。巻末の訳者あとがきに、「りんごの花模様の風呂敷」や「王書」、炭鉱の給仕が言った言葉「レジスタンスの連中、反逆者たち」などの意味をはじめ、アフガニスタンに関する諸々のことが詳細に解説されている。
この作品はアフガニスタンとフランスの合作で映画化され、2004年カンヌ映画祭「ある視点」部門で受賞している。監督は著者自身で英語タイトルは≪Earth and Ashes≫。(2016.1.30読了)
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by nishinayuu | 2016-04-19 10:00 | 読書ノート | Trackback | Comments(2)
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Commented by マリーゴールド at 2016-04-19 23:46 x
アフガニスタンの物語はぜひ読んでみたいです。いくつかの現代アフガニスタンの文学作品や中村哲医師の用水路造成の話などから、内戦状態にあるイスラムの国の中では一番親しみを感じている国になっています。
Commented by nishinayuu at 2016-04-19 23:55
私もなぜかアフガニスタンという国とその文学に惹かれてしまうのです。
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