『冷たい晩餐』(ヘルマン・コッホ、訳=羽田詩津子、イースト・プレス)

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『The Dinner』(Herman Koch, 2009)



物語は次のような文で始まる。
「私たちはディナーに出かけることになっていた。どのレストランかは教えるつもりはない。次に行くときには、我々を見たがる連中で満席になりかねないからだ。セルジュが予約をした。(中略)この特別なレストランは三か月前に電話しなくてはならない店だ。(中略)セルジュは当日に予約する。セルジュ・ローマンのような客のために常にテーブルを確保している何軒ものうちの一軒だ」

語り手の名はパウル・ローマン。セルジュというのは彼の兄で、「大物」らしいことが上記の文からわかるが、語り手がこの兄をくだらない人間だとみなしていることもおいおいわかってくる。
そもそも高級レストランなどには来たくなかった語り手は、レストランのなにもかもが気に障るのだった。スーパバイザーとかヘッドウェイターとか呼ばれる支配人の、ブルーのピンストライプが入った淡いグリーンのスリーピース、ほとんど聞き取れないほどに抑えられた声、何かを指すときに突き立てられる小指。さらにはワインのコルクを抜くことひとつにもかかりすぎる時間、食べ物以外の空間がやたらに広い皿、食材についての過剰なまでに詳細な説明、頼んでもいないのにひっきりなしに注ぎ足されるワインなどなど、高級レストランのいやらしさをやや変質狂的におちょくるパウル、それをうまくコントロールしながらそれとなく夫に協力する妻クレア。二人が互いをよく理解している仲の良い夫婦であることが分かる。さらにはセルジュの妻バベットまでが対セルジュでパウルたちに連帯しているかのような雰囲気のなか、二組の夫婦の晩餐は進んでいく。
しかしこれは本題に入る前の前菜の部分で、「冷たい晩餐」のメインはこの後に怒涛のようにやってくる。パウルとクレア、セルジュとバベットがその日この高級レストランにやってきたのは、両家にふりかかった重大問題を四人で話し合うためだった。それはパウル一家の15歳になる息子ミシェル、セルジュ一家の同じく15歳のリックとブルキナファソから迎えた養子のボウにかかわることで、さらには次期大統領候補であるセルジュの政治家生命にもかかわることだった。

精神疾患の問題、ホームレスの人権問題、他国から養子を迎える問題などなど、突き詰めないままに終わっている事柄がいろいろあるが、これらはこの物語のいわゆる「信頼できない語り手」の語るべきテーマではないということだろう。(2016.1.2読了)
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by nishinayuu | 2016-03-26 09:17 | 読書ノート | Trackback | Comments(0)
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