『ある青春』(パトリック・モディアノ、訳=野村圭介、白水Uブックス)

c0077412_10221338.jpg『Une Jeunesse』(Patrick Modiano,1981)
物語はパリから遠く離れた山荘の場面から始まる。オディールとルイはテラスに坐って娘と息子が庭で遊んでいる姿を眺めている。「明日の朝、あの子(息子)のギブスをとるの」とオディールが言うと、「いつから、ギブスをしていたっけ」とルイがたずねる。「ほぼ一月」と答えてからオディールはお湯を浴びに二階に上がる。この後の文は次のように続く。

道路のかなた、モミの並木の陰のロープウェイの建物が、温泉地の小さな駅舎のようだ。フランスで最も早くにできたロープウェイの一つらしい。ルイは、フォラーズ山の傾斜をゆっくりと登っていくロープウェイを目で追った。車体の鮮やかな赤が、夏山の緑に際立って見える。モミの木立にいったん姿を消した子供たちは、ロープウェイの建物に近い、木陰になったロータリーに向かって自転車をこいでいる。

(上記の文にある「フランスで最も早くにできたロープウェイの一つらしい」の「らしい」が気になる。ここに暮らすようになって13年になるというのに。「いつからギブスをしていたっけ」もそうだが、なにか心ここにあらず、というか立ち位置が定まらない感じが漂う)

ルイは前の日に山荘の「サニー・ホーム」という表示板を取り外したところだ。保育所にしていたのだが、それも終わった。このあとは山荘の片隅を喫茶室に改築しよう、とルイは思う。
翌日の6月23日に35歳の誕生日を迎えるオディールは、ギブスの中から現れた少年の無傷の皮膚を見て、ふと自分に問うてみる。35にもなって、何か新しいことが起こりうるだろうか、と。鏡の中の自分の顔は昔と変わらない。翌月には同じく35歳になるルイにもまた、変化はない。昔は、幾分かやせていただけ。
息子を傍らに乗せて山荘に向かうオディールがふと口ずさんだのはオペレッタ〈ハワイの薔薇〉の一節だった。そしてパリへ帰る友人を送っていった駅の自動販売機でルイは「ロシェ(岩石)」と呼ばれたお菓子を手にする。昔、オディールがコランクール街のパン屋でよく買っていたものだった。そしてここから舞台は15年前の雨のサン・ローに移る。兵役を終えたばかりのルイはここの〈カフェ・バルコニー〉で行商人のブロシェと会っていた。同じころ、パリの片隅ではオディールがベリューヌ(かつて〈ハワイの薔薇〉を作曲した人物)から声を掛けられていた。仕事を斡旋してくれるというこれらの男たちが一時的に姿を消した時、ルイとオディールはサン・ラザール駅の連絡橋のビュッフェで偶然出会ったのだった。

オディールの祖母が住んでいた街シャルル・クロ街、ルイの父親が選手をしていた競輪場(ナチスの占領時代にユダヤ人を収容した所?)などなど、パリのあちこちの地名が全編に散りばめられ、それらの間をあてどなく浮遊する二人の青春の日々が綴られていく。冒頭に出てくるのは、保護者然とした中年男たちと大胆な手段で手を切った二人の13年後の姿なのだった。(2015.11.4読了)
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by nishinayuu | 2016-02-23 10:23 | 読書ノート | Trackback | Comments(0)
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