『どこ行くの、パパ』(ジャン=ルイ・フルニエ、訳=河野万里子、白水社)

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『Où on va, papa?』(Jean-Louis Fournier, 2008)
この本はタイトルと表紙の絵を見ただけだと、気軽に楽しめそう、と思ってしまいそうだ。けれどもこれは気軽に楽しむどころではない、とても重い内容の本である。それでいて、心が洗われるようなさわやかさの感じられる本でもある。

著者は、はじめはコント作家、アニメ作家、ユーモア作家としてテレビの世界で、80年代後の末からは文筆の世界で活躍してきたフランスではよく知られた人物だという。そんな著者が父になる喜びと期待の中で迎えた第1子は、身体的にも知的にも障害を持つ男の子だった。そして今度こそはという思いで迎えた第2子も、なんと同じく障害を持つ男の子だった。冒頭の節に「ついてなかったよな、きみらも僕ら(著者と配偶者)も。天から降ってきてしまったんだね、災難ってやつが」ということばがあるが、こう言えるまでにはどれほどの苦しみと悲しみがあったことだろう。父親になってから30年以上たったとき、著者は、クリスマスにプレゼントしたくてもできなかった、例えば『タンタンの冒険』などの代わりに、プレゼントすることにしたのだ。「きみたちのために、ぼくが書いた本を。みんなが君たちを忘れないように。きみたちが身障者カードの写真だけの存在で終わらないように。僕がこれまで一度も言わなかったことを、書くために。そして、一度だけ、笑顔できみたちのことを話すために。」

だから我々も覚えておこう。ふたりの名前はマチューとトマだということを。そしてふたりが〈みんなと同じでない〉子たちだということを。「アインシュタインもモーツアルトもミケランジェロも、みんなと同じではなかった」という著者の言葉とともに。
目がよく見えないマチューはボールを投げて時を過ごしていた。それも、一人では取りに行けないとわかっているところへ投げては僕らに拾わせた。同じことを何十回も繰り返した。たぶんそれが、あの子が見つけたただ一つの、絆を結ぶやり方だったのだ。
トマは「どこに行くの、パパ」が口癖だった。シボレー・カマロに乗るといつもそう聞いてくる。僕は「おうちだよ」と答える。ところが1分もたつとまた聞いてくる。答えを聞いても頭に残らないのだ。そして10回目の「どこ行くの、パパ?」に、僕はもう答えない。それでもトマは何度でも繰り返して聞いてくる。百回目には、もう可笑しくてたまらない。繰り返しギャグなら、トマはだれにも負けない。いっしょにいると退屈しない。

ユーモア作家ならではの表現が随所にあるが、その一部を抜き書きしておく。
*(著者が「子どもたちに与えたかったのに」といって挙げている音楽の例)モーツアルトのアダージョの鳥肌が立つような感動、ベートーヴェンの吠え声やリストの不意打ちがもたらしてくれる活力、立ち上がってポーランドを侵攻したくなるワーグナー、心身を鼓舞するバッハのダンス、シューベルトのせつない歌曲に流す熱い涙。
*トマとマチューのいる療養施設にはカンボジア人の子どもがいる。フランス語がうまく話せない両親は医長の診断に、いつも断固として異議を唱えている。問題は、モンゴリアン(ダウン症)ということば。そう、確かに彼らの息子はカンボジアン(カンボジア人)なのだけれども。モンゴリアン(モンゴル人)ではなくて。
(2015.10.21読了)
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by nishinayuu | 2016-02-19 09:51 | 読書ノート | Trackback | Comments(1)
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Commented by マリーゴールド at 2016-02-23 00:27 x
障害のある子どもはかわいいですね。人懐っこくて、単純で。
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