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「時の娘」(ジョセフィン・テイ、訳=小泉喜美子、早川書房)


c0077412_22225921.png『The Daughter of Time』(Josephine Tey, 1951)
本書の主人公はロンドン警視庁のグラント警部。足の怪我で入院中に、ふと目にした写真の男を刑事の目で眺めながら、この男が座る席は被告席ではなく判事席である、と推理した。ところが写真を裏返してみると、その男はリチャード三世だったのだ。警視庁内で「犯人を顔で見分けられる」という評判をとっているグラントには悔しいミスだった。しかしここでグラントの胸に、もしかしたら自分の推理の方が真実を言い当てているのではないかと、という思いが沸き上がる。こうしてグラント刑事によるリチャード三世の人物像の解明が始まる。彼がひそかに名付けた「ちびすけ」と「アマゾン」という二人の看護婦、女優のマータ・ハラード、アメリカ人の青年キャラダイン、ロンドン警視庁の部長刑事ウィリアムスなど周囲の人々を巻き込みながら、膨大な歴史資料を基に現代の捜査の手法によって調べを進めたグラントが得た結論は次のようなものだった。

c0077412_22232068.jpg*イングランドの王・リチャード三世は、王位継承権を持つ甥をロンドン塔で殺害することによって王位を簒奪した人物で、その精神も歪んでいれば肉体も歪んだ醜い男だった、という世に流布する人物像は、ヨーク家のリチャード三世から王位を奪ったチューダー家側の人間が作り上げたイメージであって、実際のリチャード三世は誠実で慈悲深い王であったし、甥の殺害云々もでっち上げである。
*リチャード極悪人説を世間に流布させた張本人はチューダー朝のヘンリー七世時代にカンタベリー大僧正となったジョン・モートンと、モートンの説をそのまま取り込んだヘンリー八世の大法官であったトマス・モアだった。

以上が本書の結論で、リチャード三世極悪人説を覆す驚くべき内容なのだが、実はこのような内容の書物は過去にいくつも出ているという。それなのに「肉体も精神も歪んだ極悪非道な人物」というリチャード三世のイメージは一向に崩れることなく今に及んでいる。実はnishinaもずっとそう思っていたのだが、それはなんといってもシェイクスピアの戯曲『リチャード三世』の強烈なイメージのせいではないだろうか。シェイクスピアのリチャード三世はその徹底した悪人ぶりがかえって人々を魅了するのだ。シェイクスピアがチューダー朝の劇作家だったことを思うと、そういう描き方をしたのは当然のことだったとも言える。その分、当時の思想界をリードしていたトマス・モアの罪は深い、と改めて思う。
ところで、タイトルの『時の娘』は、「ある詩人の言葉」としてローマの文法家Aulus Gelliusが記録したラテン語
Veritatem temporis filiam esse dixit (真実は時の娘なり、と彼は言った)
からとったもので、「権力者は真実を一時は隠すことができるが、真実は時がたてば明らかになる」といった意味である。(2015.10.12読了)

☆2番目の挿入画像はミレー作『ロンドン塔幽閉の王子』です。
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by nishinayuu | 2016-02-03 22:26 | 読書ノート | Trackback | Comments(1)
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Commented by マリーゴールド at 2016-02-04 19:50 x
定説が覆るというのはわくわくしますね。
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