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『暗いブティック通り』(パトリック・モディアノ、訳=平岡篤頼、白水社)


c0077412_9114050.jpg『Rue des Boutiques Obscures』(Patrick Modiano, 1978)
「私は何者でもない。その夕方、キャフェのテラスに座った、ただのほの白いシルエットに過ぎなかった。雨が止むのを待っていたのだった。ユットと別れた時に降りはじめた夕立だ。」という文で始まる。語り手は「何者でもない」というより、自分が何者なのかがわからない記憶喪失者なのだ。ユットは10年前、相談にやってきた語り手の立場に同情して大勢のつてに働きかけ、戸籍を手に入れてくれたうえ、彼の私立探偵事務所で働くようにと言ってくれた。語り手はユットが与えてくれたギー・ロランという名で8年の間いっしょに働いてきたのだが、その日ユットは探偵社閉めてニースへと旅立った。ユットが語り手に同情したのは、実はユット自身も過去を見失った経験があったからだったが、「実際、闇の中を去っていくのを語り手が見送っていた疲れ切った老人と、その昔のテニス選手、バルト海沿岸出身のブロンドの美男子コンスタンチン・フォン・フッテ男爵との間に、いったいどんな共通点が存在しただろうか?」という文で最初の短い章は終わっている。
語り手は自分の過去の手掛かりを求めてパリの街をさ迷い歩く。やがてある写真にフレディー・ド・リュスといっしょに写っている背の高い青年に行き着く。名前はペドロ。フレディーのコレージュ(高等中学)時代の同級生で、ドミニカ共和国の公使館に勤めていて、マッケヴォイという名でも呼ばれていて、ドニースという女性とホテル・カスティーユの緑色の部屋に滞在していたことがあって、そのあと8区のカンヴァレス街のアパルトマンに二人で移り住んで、スイス国境のムジェーヴへ出かけて行って——。

第6章に語り手に送付されてきた調査記録によって、語り手が自分の過去を調べ始めたのは1965年だということがわかる。したがって記憶喪失になったのは1955年頃で、スイスへ越境しようとしてムジェーヴに出かけたのは1943年頃と推定される。ただし、その前のことは全く分からない。ユットにあてた手紙の中で語り手はこう述べている。
なんだかわからないものの切れはし、かけらだけが、探してゆくにつれてふいによみがえってきた……しかし、結局のところ、人生ってそういうものなのかもしれない……でも、それははたしてぼくの人生なのだろうか?それともだれか他人の人生に滑り込んでいったのだろうか?

語り手が歩き回るパリの街路も、そこで語り手が出会う人々も、語り手に様々なことを語り掛けるが、それらはどれも語り手に、自分が何者であるか、何者であったかをはっきりと確信させてはくれない。ある時期に語り手に取り付いていた根無し草であることの不安は、時代が変わった今も記憶喪失という形で語り手に取り付いて離れない。それは語り手一人の不安ではなく、だれもが多かれ少なかれ常に抱いている不安でもあるのだ。(2015.10.1読了)

☆この作品は出版を知った時点で心惹かれ、その後もずっと気になりながら読みそびれていたものです。最初の数行を読んだとき、昔、初めてロブグリエの『迷路の中で』と出会った時の感動を思い出しました。「訳者あとがき」に「冬ソナ」への言及があり、低俗なものとみなされがちな韓ドラと、それとは相いれない感じのするこの作品とのかかわりがさりげなくとりあげられています。そんな訳者の柔軟な姿勢にも感動しました。
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by nishinayuu | 2016-01-22 09:12 | 読書ノート | Trackback | Comments(1)
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Commented by マリーゴールド at 2016-02-01 23:42 x
自分を自分たらしめているのは記憶ですね。記憶喪失や忘却というのは恐ろしいですね。記憶を共有できる存在も人が人として生きていく上では必要ですね。
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