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『チェスをする女』(ベルティーナ・ヘンリヒス、訳=中井珠子、筑摩書房)

c0077412_9271981.jpg『La Joueuse d’échecs』(Bertina Henrichs, 2005)
時は夏、所はエーゲ海に浮かぶナクソス島。主人公のエレニは毎朝、目の前に広がる青い海とアポロン神殿を眺めながら、小さな丘の上のホテル・ディオニソスに向かう。6時10分にホテルのロビーに着くと、オーナーのマリアの陽気な挨拶と一杯のコーヒーがエレニを迎える。それからエレニはピスタチオ・グリーンの仕事着に着替えて、客室のルームメイキングに取りかかる。客室は20、ベッドは40,タオルが80枚。エレニはいつも通り機械的に仕事を進めていく。
そして17号室。そこには前の日から華やかで陽気な30代のフランス人カップルが泊まっていた。フランス語はボンジュール、メルシ、オルヴォワールの三つしか知らないエレニだが、フランス語の軽やかな響きが大好きだった。パリに関するテレビ番組を見ると心が締め付けられるような痛みを感じたりもする。バスルームに置かれた軽やかな名前のついた化粧品をきれいに並べ、小瓶の蓋をそっと開けて香りをかいだりしたあと、床を掃き、ベッドを整える。そのときエレニはふと、パリからのお客さんに挨拶をしようと思いついて、刺繍のあるネグリジェのウェストをきゅっとしぼってベッドの上にふんわり広げた。
翌日、17号室でエレニが床を掃こうとしたとき、後ろにあった何かが落ちた。拾ってみるとそれはチェスのポーンで、振り返るとそこにはゲームの途中のチェス盤があった。ポーンをチェス盤の横に置いてから掃除をすませ、部屋を出る前にお詫びのしるしにまたネグリジェをきれいにアレンジした。それでも持ち場に戻せなかったポーンのことが心に引っかかっていたエレニは、夫の誕生日にチェスをプレゼントしよう、と思いつく。そうすればあのパリから来た優雅なカップルと同じように、自分も夫と二人でチェスを楽しむことができるのだ。しかしそんな彼女の思惑は当てが外れ、夫は全く乗ってこない。それでエレニは夫に隠れてチェスを学びはじめ、やがてチェスにのめり込むようになり、夫婦の間には亀裂が生じて家庭内別居状態に……。

この作品は、結婚したときが生涯で一番輝かしいときだったといえるくすみかけたひとりの女性に青天の霹靂のように訪れた輝かしい時を描くと同時に、それまでは顕在していなかった周りの人々の温かさや優しさも浮き彫りにする。アルメニア出身なのでアルメニアンと呼ばれている夫のパニス、全面的に母親の味方の娘ディミトラ、ホテルのオーナーのマリア、隠遁者のようだった元教師のクロス、その友人もしくは仇敵のコスタなどなど、エレニの周りにはいつの間にか応援の輪が広がっていたのだった。(2015.6.30読了)
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by nishinayuu | 2015-11-03 09:28 | 読書ノート | Trackback | Comments(0)
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