『シェイクスピアの面白さ』(中野好夫、新潮選書)
2015年 07月 10日
最も興味深いのは、シェイクスピア劇の様々な場面をそれらが演じられた劇場との関係から解き明かしている部分である。すなわち当時の劇場は、
1.すべて小劇場で、せいぜい小さな寄席程度の大きさだったから、台詞のやりとり間に表現される微妙な心理の陰影まで伝えられた。だからシェイクスピア劇は「言葉、言葉、言葉」の戯曲であり、「見る芝居」よりも、むしろ「聴く芝居」であった。
2.太陽光線の劇場、一種の屋外劇場だった。舞台の上や桟敷席の上には屋根があったが、大部分を占める平戸間の上は青天井だったから、晴天だけの興業で、雨の日は休んだ。それで、各場面のはじめにそれが夜だか昼だかを観客に理解させる台詞が必ず数行入っている。たとえば「ハムレット」第一幕第一場では歩哨同士が闇をすかしてするような誰何の問答と「いましがた12時が鳴った」という一句がある。また「マクベス」第二幕第一場には「もう何時だ?」「月はもう沈みました」「十二時に沈むはずだな」云々の台詞がある。
3.舞台はほとんど無背景で、暗示的な道具類がいくつか出されることによって場面が限定された。たとえば寝台があれば寝室、椅子とテーブルに玉座らしきものがあれば宮廷の一室、3,4本の立木のようなものがあれば森、という具合だったと考えられる。また、照明や音響効果もほとんどなかったから、それを言葉による叙述で補った。だから「リア王」の第三幕第二場の冒頭に嵐を描写する「吹け、風神奴、頬を突き破るまで吹け!」に始まるリア王の長台詞が必要だったのだ。
4.舞台の前面には舞台と観客席を隔てる幕はなかった(ただし、外舞台と内舞台を隔てる幕はあった)。人物の登場が芝居の始まりであり、人物がいなくなれば芝居の終わり、となる。だから「ハムレット」の終幕のように死体を担いで退場したり、引きずって退場することで始末をつけたりするのが原則だった。
もうひとつ興味深いのは女性の登場人物についての解説。当時は変声期前の少年が女性の役を演じていたため、男性に比べて女性の登場人物が極端に少なく、演技力のある少年俳優が少なかったため、オフィーリアやデスデモーナのような性格の弱い女性が多いのであって、マクベス夫人、クレオパトラなどは、まれに存在した演技力のある少年俳優を念頭に置いて書かれたものだろうという。また女性が男性に変装する例が多いのも、演者が少年俳優だったからこそ、演じる側にも見る側にも違和感はなかったはずだともいう。
他にも日本におけるシェイクスピア劇受容の歴史と現状、古代ギリシアの演劇や日本の能・歌舞伎との類似点や相違点、個々の作品の楽しみ方など盛りだくさんな内容で、厚さの割に読み応えのある本である。(2015.3.15読了)
☆この5月に数十年ぶりにロンドンに行くことになったので、ついでにストラットフォード・アポン・エイヴォンにも足を伸ばすことにしました。そこで、シェイクスピア劇で読み残していた数編を、理解できない部分は飛ばしに飛ばして超特急で読み、1967年3月刊行のこの古い書物も引っ張り出して再読しました。一時は処分しようと思った本ですが、取っておいてよかった!
なお、画像はシェイクスピア博物館の中庭。見物人を前にして二人の役者が劇のさわりの部分を演じている。