『若き日の悲しみ』(トーマス・マン、訳:伊藤利男、河出書房新社)


c0077412_10274847.jpg『Unordnung und Frühes Leid』(Thomas Mann)
本作は今世紀最大のドイツ作家と見なされているトーマス・マンによる短編で、1925年に文学雑誌の「親展望」に発表されたもの。ここに描かれているコルネリウス博士一家は第1次世界大戦後、インフレ下の作者自身の家族がモデルになっているという。
家族構成は「反宗教改革時代の考察」で教授の地位を得たコルネリウス博士(47歳)とその夫人(39歳)、高校卒業試験を控えたたいへん魅力的な少女イングリート(18歳)、舞踏家か場合によっては給仕にでもなろうと考えている金髪の少年ベルト(17歳)、教授の秘蔵っ子のロールヒェンことエレオノーレ(5歳)、ややこしい男らしさの持ち主でしばしば激怒の発作を起こして母親にとくべつ世話を焼かせている「かみつき坊や」(4歳)。家には他に乳母の「青いアンナ」と書生のクサーヴェル・クラインギュートル(17歳)がいる。
この家には互いを呼ぶのに独特の言い方があって、「大きい人たち」つまり長女と長男はコルネリウス夫妻を、親しみをこめて「おじいさま、おばあさま」とよぶ。だから本当の祖父母で、時勢に度を失っておどおどと暮らしているふたりは「大おじいさん、大おばあさん」となる。「小さい人たち」の乳母はほおが青いので「青いアンナ」というわけだ。そして「小さいひとたち」は母親にならって父親を名前で「アーベル」と呼ぶ。
さて、大きい人たちの計画でこの日(木曜日)の午後にちょっとしたパーティーが開かれることになっていた。大きい人たちが友達とパーティーの打ち合わせをしている間に、「老人たち」もお客に出すごちそうにつて相談する。教授は市民らしい見栄を張って、イタリー風のサラダと黒パンのサンドイッチのあと、パイを出そうというが、夫人はそんな必要はないし、若い人はそんなことを期待してはいない、という。彼女が今一番気になっているのは今日買わなくてはならない卵のことだ。卵は1個6000マルクもするが、近くの店では1世帯1週間につき5個しか売らないので、イングリート、ベルト、クサーヴェルに隣家の息子のダニーを加えた四人ででかけ、それぞれ偽名を使って20個獲得してくることになる。彼女自身も自転車で街まで行って、今手許にあるお金を、貨幣価値が下がらないうちに、食料品に換えなければならない。こうして教授と小さいひとたちは邪魔にならないように自室に引っ込み、主婦と大きいひとたちは手分けして準備を整え、いよいよパーティーが始まる。

時代の様相を背景に、家族一人一人と彼らを取り巻く人々、パーティーの参加者たちの容貌・思い・振る舞いなどが克明に綴られていく。作者自身の家族への思いの深さが偲ばれて興味深い。なお、表題は『若き日の悲しみ』となっているが、語られているのは「若い」というよりは「幼い」混沌とした恋心である。(2015.2.23読了)
☆この作品は『サマセット・モーム編 世界文学100選』(1961)を再編集した『世界100物語5 意外な結末』(1997)で読みました。
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by nishinayuu | 2015-05-17 10:28 | 読書ノート | Trackback | Comments(1)
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Commented by マリーゴールド at 2015-05-24 10:54 x
「サマセット・モーム編世界文学100選」はなんとうちにもありました。この短編は昔々読んだはずなのに全く記憶にありませんでした。読み返してみると、幼い子供の興奮や恋心を温かく見つめる家族や若者たちのやさしさが、古い波と新しい波がせめぎ合っている混沌とした時代の底に安定感をもたらしているといった印象をもちました。
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