『愛執』(アメリー・ノートン著、傳田温訳、中央公論新社)

c0077412_10293083.jpg『Attentat』(Amlie Nothomb, 1997)
物語は「初めて自分の顔を鏡で見たとき、ぼくは笑った。これが自分の顔だとは思わなかったからだ。今鏡で自分の顔を見ると、やはり笑ってしまう。これが自分の顔だとわかっているからだ。醜さもここまで来ると何かしら滑稽ですらある」という文で始まる。主人公は、誰もがたじろぐほどの醜悪な外貌を持ち、6歳の頃からカジモドと呼ばれてきた男、エピファーヌ・オトス。醜悪な人間以外、美について語る資格などない、という信念を持つエピファーヌは、自分を観察し、自分に対する人々の態度を観察しながら「美」と「醜」について分析し、独自の理論を展開していく。例えば「ノートルダム・ド・パリ」の主人公カジモドは、目に見える美しさより内面の美しさの優位性を示していることになっているにもかかわらず、絶世の美女であるエスメラルダに惚れ込んでいる、つまりカジモドは外見が醜いばかりでなく、その精神も下劣でゆがんでいる、と指摘する。そしてエピファーヌは自分自身がカジモドであることを認めている。というのも、エピファーヌは彼の前に現れた絶世の美女、エテルに惚れ込んでしまったからだ。
エテルはエスメラルダと同じく心優しい娘で、しかも醜さにたじろぐこともない。それでエピファーヌのエテルへの恋心はいっそう高まる。二人はモデルと「引き立て役」としてモデル業界に入り込むことに成功し、国際的に活躍するまでになる。ぴったりと息が合っているように見えた二人だが、それはエピファーヌの一方的な思い込みでしかなかったことが、徐々に明らかになっていく。さて、この二人の行き着く先は――。(2014.7.22読了)

☆暖房がきつすぎるホテルで、精神的に涼しくなるためにエピファーヌが思い浮かべた冷たいものというのが、「シャーベットや北極、万年雪、ブリザード、ロベール・ブレッソンの映画などなど」となっています。
☆作者名は原語に近い表記にすれば「ノトン」なのだそうですが、日本では「ノートン」が定着しているようですし、今までこのブログでもそう表記してきたので「ノートン」にしました。
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by nishinayuu | 2014-10-30 10:30 | 読書ノート | Trackback | Comments(1)
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Commented by マリーゴールド at 2014-10-30 23:08 x
和歌で言うところの本家取りの小説のようですね。底本は「ノートルダムのせむし男」。文学の豊かな伝統の下で発想も無からではないので多様なものが生まれますね。
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