「ほっ」と。キャンペーン

『冬の眠り』(アン・マイクルズ著、黒原敏行訳、早川書房)


c0077412_1042397.jpg
『The Winter Vault』(Anne Michaels, 2009)
原題の「冬の安置所」は、地面が固く凍って墓穴が掘れないとき、地面がやさしくなって受け入れてくれる春まで死体を安置しておく建物のこと。主人公のジーンは子どものとき、1月に母親が亡くなったあと2ヶ月ほどの間、父親といっしょにモントリオールの北にある墓地の安置所に週に何度か通って、母親に詩を読んできかせた経験を持つ。
亡き母を想いながら大人になったジーンと、亡き父を想いながら大人になったエイヴァリーは、ダムと海路の建設のために水の消えたカナダ川のほとりで出会った。植物を愛するジーンは長年この川の畔に親しんできた。エンジニアのエイヴァリーはダム建設に関わっていた。思い出を語ることによって、相手の語る思い出に心を寄せることによって、二人は急速に近づいていき、結婚する。まもなくエイヴァリーがアスワン・ハイ・ダム建設にともなうアブ・シンベル神殿の移設に関わることになり、二人はそこで神殿の解体とヌビア地方の水没の現場に立ち会うことになる。この地で新しい命を宿したジーンだったが、子どもはこの世に生まれる前に死んでしまう。ジーンは直前に、ヌビア人の少年を水から救おうとしてかなわなかった夢を見ていて、自責の念や贖罪という考えにとらわれて、立ち直ることができなかった。エイヴァリーもまた、ふたりの子どもが死んだときその苦しみを、神殿をくりぬかれた岩山の痛み、住民がいなくなって沈黙に浸された村の痛み、その住民が住むことになった新しい村の痛み、移築というたちの悪い慰めを与えられた神殿の傷みの中に感じ取った。
カナダに戻った二人は同じ町の別々の場所で暮らし始める。二人をつなぐのはときどき交わす電話と、エイヴァリーの母親の存在だけだった。そんなときジーンの前に、夜中に街のあちこちに画を描いて回っている「洞穴の原始人」ルツィアンが現れる。彼もまたジーンに語って聞かせる。ポーランドのゲットーで育ち、母親を亡くして義理の父にも捨てられたこと、ワルシャワ蜂起のときは子どもなりにできることを精一杯やったことなどを。そして、ナチスによって瓦礫にされたワルシャワが、ソ連によって戦前とそっくりに復元されたときは、あまりのリアルさに違和感をおぼえたことを。それもやはりたちの悪い偽の慰めだったのだ。こうしてふたりは互いの思いを語りあうことで、安らぎをおぼえるようになる。しかしやがてルツィアンは、自分の苦しみを癒やす相手は別にいることに気づき、ジーンに別れを告げる。このときジーンもすでにわかっていたのだ。自分には帰るべき家があり、自分を温かく迎えてくれる家族があることを。

この作品は、子どもを失うという個人的な痛みに、カナダのダム・海路建設による村の水没、アスワン・ハイ・ダム建設によるアブ・シンベル神殿移設とヌビア地方の水没、ワルシャワの破壊と精巧なレプリカとしての復元、という三つの歴史的痛みを絡ませて描くことによって、喪失したものを復元すること、墓を作って花を供えたり、詩や絵によって追悼したりして記憶することの意味を問いかける。そんな重い内容の作品であると同時に、登場人物たちが交わす言葉、仕草や行動から温かい情愛が伝わってくる感動的な作品でもある。作者は詩人でもあるということだが、全編にまるで詩のような表現、書き留めたくなるような文章が溢れているのもこの作品の特筆すべき点である。(2014.5.25読了)
[PR]
by nishinayuu | 2014-08-31 10:42 | 読書ノート | Trackback | Comments(1)
トラックバックURL : http://nishina.exblog.jp/tb/22531228
トラックバックする(会員専用) [ヘルプ]
Commented by マリーゴールド at 2014-09-03 16:19 x
復元というのは失ったものを取り戻したいという気持ちから行われるのでしょう。日本の復元では昔どおりの工法の建築で、技術の伝承に重きをおいていますね。復元しても失われた時と人は戻ってこない、ただ歴史の記憶として残るのみですね。ワルシャワへ一度言って見たいです。
<< 『마음속의 도깨비』(장영희、... 『ハーヴェスト・ムーン』(K.... >>